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文庫化で削除される初出情報から—堀江敏幸『オールドレンズの神のもとで』文庫版あとがきから

日本の出版においては、最初に単行本で刊行されて、数年経ってから文庫本として刊行される文学作品やエッセイは多い。

主となる中身自体は基本的に単行本でも文庫本でも大きく変わるわけではない。新刊が出ると、文庫になるまで待とうかな、といった声がところどころから聞こえてくる。もっとも、それは比較的短期間で文庫化されるような人気作家や話題作だからこそ生まれる贅沢な選択肢でもある、と最近分かるようになったが、しかしそういった発想が出ること自体は当然だろう。私はそれを批判しようとは思わない(図書館に入るまで待つ、という一部からは非難される行為も同様だ)。

ただし、当然のことながら単行本と文庫本は同じ作品でも、まったく同じものではない。それは判型、組版、装幀といった外見の要素のみならず、文庫版で新たに短篇が追加されたり、作者のあとがき、書評家などによる解説が付されるなどの、プラスの面ばかりでもない。単行本から文庫本になる過程で、往々にして消えてしまうものがある。その代表が、書き下ろし本ではなく、既存の作品を本にする類いのものに付されている作品の初出情報だ。

おそらく多くの読者はそんなところは有っても無くても気にしないだろうし、私自身、かつては特に気にも留めなかった。

また、最近の作家の言動を見ていると、実のところ作家にも掲載誌という視点は薄いように感じられる。それこそ、出版社がなにかしら大きな問題を起こしたときにそのときだけ、その出版社に対するスタンスを表明する、といった程度のものしかないのではないかと思われるくらいだ。

そんなことを常々考えていたため、堀江敏幸『オールドレンズの神のもとで』の文庫版(文春文庫、2022年)を書店で手に取ったとき、文庫版で追加された「記憶が薄れる前に——あとがきにかえて」と題された文章の冒頭を読み(余談だが、私はあとがきや編集後記というものが、読むのも書くのも大好きだ)、すでに単行本で持っているこの作品をレジまで持っていくことに躊躇はなかった。

 書き下ろしではなく既出の作品を集めた形になっている本には、通例として巻末に初出が示される。本文庫の親本『オールドレンズの神のもとで』(二〇一八年)は、長短さまざまな十八篇の作品で構成されているので、最初の発表媒体の一覧が掲げられているのだが、文庫になるとそれらの情報は削除されるのがふつうだ。読み手にとってはどうでもいい話かもしれない。しかし書き手にとって、いつ、だれに、どのようなテーマで依頼されたのかという外的な要素はかなり重要である。私の場合、執筆の動機はつねに注文であり、言葉の自発性はそのあとからついてくるので、いったん作品ができあがると出発時の負荷がなくなって、なぜこんな書き方をしたのか理解できなくなってしまう。ここでは私自身の備忘のために、個々の作品の来歴を親本より少し詳しく記しておきたい。(200頁)

その少し前に、私は著者の『いつか王子駅で』を巡る小説的な文章で、この作品の初出が雑誌「書斎の競馬」(飛鳥新社)であり、作品の根本には競馬の要素があったはずにもかかわらず、島村利正などの文学の要素が強調されたあらすじ、解説文が付された文庫が流通する今、この競馬の要素は文学談話の要素に伴う、おまけか蘊蓄程度の扱いとなっていることに対する違和感について書いていた。無論、単行本の方では初出が「書斎の競馬」であり、休刊以降の部分は書き下ろしであることが明記されている。

書評やエッセイから分かるが、著者は作品のみならず、その作品が書かれた背景や発表媒体、刊行された本の形などについてもこだわる。——いや、この言い方は適切ではないかもしれない。当然、それを含めての「作品」、そして「読書」であるという姿勢をとっている。先の「読み手にとってはどうでもいい話かもしれない」という箇所は、だから「場」への意識を喪失した現代に対する多少の皮肉が込められているようにも感じるのだが、それは勘ぐりすぎだろうか。

もちろん、初出等の情報を知らないで、また知ろうとしないで作品に接することが悪い訳ではない。各々が好きなように読めばいい。本は、小説はかく読むべきものだ、といった読書論を私は好かない。私とて、気にするときと気にしないとき、作品や目的、体調などによって異なる。むしろ、そこまで気にして読む方が一般的には余程特異なのかもしれない。

ただ、最近は妙にクリエイター信仰があって、あたかも作者がすべてを主導しているかのような空気を感じることがある。そもそも私は作者というものをそんなに偉いものだとは思っていないのでその流れには乗れないのだが*1、それを抜きにしても、皆がこればかりだと全体として視野が狭くなるように感じ、長い目で見たときには出版を始めとして、表現が隘路に陥るのではないか、いや、すでにそうなってきているのではないかとも思う。

それにしても、「執筆の動機はつねに注文」というが、本当にいろいろなところに書いていて驚く。文藝春秋の本ではあるが、初出が文藝春秋である作品は「文學界」掲載の1作品のみで、他の文芸誌では純文学系では「すばる」「GRANTA JAPAN with 早稲田文学02」、大衆文芸系で「野性時代」「小説現代」があるくらい。他には「週刊新潮」「ダ・ヴィンチ」「MONKEY」「読売新聞」あたりはまだ想像がつくが、資生堂のPR誌である「花椿」、住宅情報誌「HOUSING」、中高年向けライフスタイル誌「男の隠れ家」などは、「花椿」は企業文化誌としては非常に有名で、カルチャーの一つとして文芸についても発信していたはずだから言われてみれば、という印象もあるが(今回調べて、2015年で月刊誌としては廃刊してデジタルに移行していたことを知った)、特に後者は少々意外だった。

おそらく著者自身意外な依頼も少なくないのだろうが、自分の得意場所ばかりで書いていたら起こり得なかったような運動が、そこでは起きてくる。「言葉の自発性はそのあとからついてくる」という言い回しが面白い。外的な要素の影響を受け止めるか、あたかもすべて自分の知識と想像力によって生まれたかのように見せるか。そこの差が、この運動を認められるか否かに懸かってくるのではないだろうか。

もっとも、口で言うのは簡単だが、実際には慣れ親しんだものではないものに手を出すにはそれなりの勢いか、半ば強制的なものが必要になってくる。私自身、ともすれば内へ内へと入っていくきらいがないとは言えない。それも、心身に余裕がなくなればなくなるほどその傾向が強くなる。

先日、友人の家に遊びに行った際、彼が何度も観ているという『バーフバリ』を見せられた。数年前にとても話題になっていたのは知っていたが、自分にはあまり興味はないだろうと思い込んでいたので観ていなかったし、特にこれからも観るつもりはなかったのだが、これが観てみるとかなりハチャメチャで、非常に面白かった(一方で、私はこの作品を批評的に観ようとはほとんど思えなかった。言うまでもなく、これは作品を軽んじているのではない)。いままでは正直映画に少し苦手意識を持っていたのだが、もうちょっといろんなものを観てみてもいいな、と思うようになった。

それで、家から比較的近い映画館が、過去作のデジタル版を早い時間帯に放映する「午前十時の映画祭」の実施館のひとつであることを知ってはいたのだが、ずっとなんだかんだ行かないでいたのを、平日の休みを利用して行ってみた。『ドライビング Miss デイジー』と、これまたこんな機会でなければ私はきっと観ることがなかった作品だが、これも予想以上に面白く、入場前に買ったチュリトスの半分を、エンドロールが流れるなか慌てて食べきることになるくらいだった。当たり前だが、なんでもやってみなければ分からないものである。

ものを書くとき、私には外からの注文があるわけではない。だから、自分の書きたいものばかりを書こうと思えば書けてしまう。それはそれで楽しいのだが、せっかくならば自分自身でも新鮮な、それこそ、後になってから、自分はどうしてこんなことをこんな風に書いたんだろう、と首を傾げるようなものを書きたい(ほとんどあり得ない話だろうが、もし文章を依頼されるようなことがあれば、関心外のことであったとしても挑戦してみたい)。

それで、いつか自分の短篇集なんかを編むときには、このような「あとがき」を書きたいものだ。

これも、この文庫版を手に取って読んだから感じたことだ。それに、同じ本でもその時代、あるいはその人がそのときにどこを重視して読むのかによっても見え方は変わる。たとえ同じ作品でもこのようなことがあるから、やはり本当の意味でひとつとして同じ作品はないのだ、と改めて思わされる。

ただ、その場合行き着く先は、本に物理的に圧迫される部屋ということになる。本は好きなのだが、本当にここだけは悩ましい問題である。

 

(矢馬)

*1:作者一人に任せたときに種々のクオリティが恐ろしく低下することが多いのは、SNSを見ていれば明らかだ。

筆まかせ14

8月24日

 

最近、別にそんなにたくさん本を読もうとしなくてもいいのではないか、と思うようになった。

これは、「本なんて読まなくてもいい」ということではもちろんなくて、本を読むことを目的として本を読むのはどうなんだろう、という疑問によるものだ。

前回の記事でも書いたが、私はある一冊の本、一本の作品は、ある人のある瞬間にどうしようもなく必要となる瞬間がある、それで十分なのだと強く思うようになった。

たしかに、私も本というものは大切なものだと思っているし、無くなって欲しくはない。一方で、果たして本が本というだけでそれだけ神聖なものかと言われると、首肯しがたい。文学作品を読むと他者への想像力が培われる、などとよく言われるが、経験則から、それは非常に疑わしい。結局のところ、本人次第、その後どうするかによるとしか言いようがないだろう。

無論、その機会を作るという点で価値を見ることはできるが、しかしそのような機会は果たして文学を始めとした本の、もっと言えば芸術作品の特権なのだろうか。

そんなことはないだろう。日常生活にもその種は満ちているし、たとえば散歩してて道路を歩くハトを見ているときなんかにも生まれるものがある。外を見てみる。身体に入ってくる情報量は、本やネットのそれを遥かに凌駕する。それが、私が必ずしも本というものを特権視しないようにしている要因だ。「しないようにしている」というのは、心掛けていないと、つい本だけを無条件に肯定してしまいかねないからだ。私は本が好きだから、その評価に贔屓が入ることは避けられない。しかし、自分にそういった贔屓目があることだけは忘れないでおきたい。

私はいま、自分の文章についても一縷の可能性に期待して大事にしすぎないようにすると同時に、本も、本当に必要なときには否応なしに読むからと、無理して読まずに待つことにしている。それが、冒頭のような感覚を生んでいる。

事実、「そのとき」はちゃんと待っていればやってくるのだ。

最近、ちょうどそんな機会があった。

早川良一郎『さみしいネコ』の新装版が今年4月にみすず書房から出た。それまでこの書き手の本を読んだことはなかった。発売時に私は他の本を買うときにこれを見て、非常に気にはなったがその日はまあまあの量の本を買うことにしていたため、見送った。ただ、どこか頭の片隅には残ったようだった。

いま、私は佐伯一麦の作品を友人と読んでいる。そのきっかけになったのは、私が佐伯の新刊『Nさんの机で』を読んでいることを彼が知ったことだった。

本書のなかで、私は佐伯が20歳の頃に森内俊雄を愛読していたことを知った。私と森内の出会いは割と最近ではあるが、『道の向こうの道』に出会わなければいまの私は間違いなくないだろう。全ての作品を読んでいるわけではないが、私にとっては非常に大切な作家だ。思わぬところでこの名前に接したが、しかし言われてみれば佐伯と森内という繫がりは、妙にしっくりくる。なるほどなあ、と感心したついでに、おそらく森内の最近作である『新潮』2020年12月号掲載の「行きつ戻りつ」を再読したくなった。小説ともエッセイともつかない、しかし端正なこの作品のためだけに買った『新潮』を引っ張りだす。1年以上前に読んだのが最後だったように思う。その冒頭は、こう始まっていた。

出会ったときの早川良一郎氏とわたしの共通点は、パイプスモーキングの趣味と、もはや定年を持たぬ身ということだった。

あれ? と思った。この作品が、実在する書き手についての記憶について書いたものであったことは覚えていたが、それがいったい誰であったかはすっかり忘れていた。当時の私にはそれよりもこれが森内の文章であることの方が重要だったのだろうか。

この時点でもまだピンとは来ていなかったが、すぐ後に早川の作品一覧が掲げられ、そこに『さみしいネコ』の名前も出てきて、最初は潮出版社から出たこの作品が、「二〇〇五年には、みすず書房から大人の本棚の一冊として、池内紀解説、おおむね原著にそった」形で出版されたことが書かれてあり、あ、これはあのとき見送った本じゃないか、と気付いた。途端、私のなかでこの作品の持つ表情が変わった。

これは啓示だったのだろうか。後日、私はお世話になっている書店が移転するということで、挨拶に行った。そこまで遠くに移るわけではないが、しかしこの店舗で本を買うのも最後だとゆっくり棚を見ていると、新刊棚(このお店は新刊本と古本を両方扱っている)に、新装版の『さみしいネコ』がささっていた。やや浪漫的な言い方を許してもらえれば、本というものは、本当に必要なときは向こうからやって来るのだと感じた。

もっとも、待っていれば良いとは言ったが、しかし機会がやってきたらそれは逃さないようにしなければならない。このような運命的な邂逅も、ぼうっとしていると日常の些事に紛れ、ふわふわと流れて消えていってしまう。

森内の作品名の由来となっており、そして作品でも踏襲されている早川の「オリジナル話法」である「行きつ戻りつ」する語りで綴られる定年後の生活というものを堪能する。このエッセイのような気の利いた諧謔さは、なんだか接して久しい気がする。勇ましい言葉に少々うんざりしている私には貴重な一冊となった。とはいえ、私はまだまだ定年のような年齢とはほど遠い。その頃に読むと、また違った印象を受けることになるのだろう。

一度読んで、印象に残ったところをぱらぱらめくってちょこちょこ再読することを繰り返す。もしかしたら、また今回のような偶然があって、今度は本書の方を引っ張り出してくることになるのかもしれない。

本とは、そのようなつきあい方でいいのではないか。改めて思った次第である。

 

(矢馬)

社会現象としての「私」を引き受けるために—佐伯一麦を巡る対話から広がる随想

最近、主に友人と二人で佐伯一麦の文章を読む勉強会、という名の会合を定期的に行っている。佐伯一麦の近刊『Nさんの机で  ものをめぐる文学的自叙伝』(田畑書店)を私が読んだことを聞いて、私小説というものについて気になっていた彼から声をかけてもらって始まったものだ。

最初は初期の方の作品をということで『ア・ルース・ボーイ』を題材にした。私はかつて読んだことがあったのだが、改めて読み直すと、初期の作品ということもあって粗削りな部分が多く見受けられた。

もっとも、私たちの間では、話の構成や、主軸になるべき駆け落ち相手と血の繫がらない子供に対する描写があまりにもあっさりしていることなどに疑問を感じ、決して評価は高くなかった。それでも、佐伯の初期作品としてはやや虚構性が強いながらやはり後の作品にも繫がるテーマが流れていることや、恋愛よりも明らかに熱がこもっている新聞配達などの労働の描写は見事であることなどを再発見し、私の知る範囲ではあるが、現代の日本文学にはあまり見られないものだと感じた。こうして誰かと一緒に読んでみて、良かったと思う。

 

今回は小学館P+D BOOKS版を使ってみたのだが、この裏表紙の紹介には「生きる意味を必死に探す“ドロップアウト少年”の爽やか青春小説」とある。前半はまだ分かるが、果たしてこれが「爽やか青春小説」か? むしろ汗臭いし、後味も決して良いものではないよな、と二人で首を傾げたことなどは面白かった。

そして、佐伯は数々の文学賞を受賞している現役作家でありながら、非常に地味な存在であることを不思議に思った。それなりにコンスタントに作品を書いているにもかかわらず、佐伯の名前、作品について言及されること自体があまりないように感じる。現代作家において数少ない「私小説作家」と言っても違和感のない人物である気がするのだが、そもそも私小説自体がそれほどはやらない、ということなのかもしれない。

ところで、対話の常としてこの会合も、とにかく脱線を繰り返す。いや、八割方は別のことを喋っているのではないか、ということすらある。無論、それも求めてのことであるので良いのだが、脱線が脱線を呼び、今は『還れぬ家』に入る前に、佐伯と古井由吉の往復書簡を読みつつ、最近刊行された『文藝』の「私小説」特集号を覗いてみよう、ということになってきた。

私は最近の『文藝』、ひいては河出書房新社に対してかなり否定的な立場であるから、こういうことでもなければ手を伸ばさなかったであろう。良い機会だと思い、お互いに半ば怖いもの見たさで、随分と久しぶりに『文藝』を購入した(その前だと、谷崎由依「囚われの島」を友人に勧められ、それが載った号を買ったくらいだ)。

まだ流し読みの段階だが、私は評価できそうにない。もう少しちゃんと読んでからいま一度評価したいとは思うが、破滅的な私小説という風潮からのアップデートといういささか時代錯誤なテーマ設定(そもそも私は「破滅型/調和型」という私小説の分類にも懐疑的だが)や、私小説・小説/エッセイをそれほど区別していない(「エッセイも私小説として書いてもらってもいいかもしれない」)ことを示す編集側の文言を見て、果たして真正面から「私小説」という近代日本文学からの現象に取り組む意志があるのかどうか、非常に疑問に思った。いまどきの作品で破滅的な私小説はそう見られないし、私小説とエッセイは確かに近しいものではあるものの、それを同じと言ってしまえば「私小説」を論ずるにあたって身も蓋もないのではないか。

いや、本特集ではそもそも日本文学における現象としてではなく、金原がいう「オートフィクション」「自分自身の虚構」が書かれた文章をざっくりと「私小説」と表現していると解釈すれば、理解できなくもない。むしろ、それが本当であるようだから、私が勝手に期待し、裏切られただけのことなのかもしれない。この特集を「私小説」ではなく、「自分自身について書くこと」と読み直せば、多少は咀嚼もできよう。それでも……と思う。せめて私小説とエッセイはどう違うのか、あるいはどう違わないのかというアポリアについて、大前提として意識的であっては欲しかった。このテーマを立てた責任編集に、「個人的には、エッセイか小説かという区分にはあまり意味がないと思っています」と言われてしまうと、こちらとして肩すかしを食らったような気分になる。

また、本特集ではたとえば佐伯一麦や笙野頼子、最近亡くなったが西村賢太などの名前は文章中にも見えない(笙野の場合は、特集以前の種々の問題に因るのかもしれないが)。だからか、どうしても金原ひとみの仲間たちという印象が拭えない。これは、編集のプロではない作家に責任編集を任せたならば避けがたいことで、そもそもそれが今号に求められているといえばそうなのかもしれない。第一「○○がない」というのは際限のない水掛け論になりがちなのは認める。しかし現代の私小説を考える上で「私」あるいは「私たち」というものがそんなに閉じ籠もったものでいいのか、佐伯などの作家は現代の私小説を考える上で無視できる存在なのかどうか。これらの点についてある意志を以て言及しているのかいないのか。それはちゃんと読んでから、後々考えることにしよう。

 

そこへ行くと、古井と佐伯の言葉のやり取りには目を見張る。

この往復書簡でも、少なくとも私たち二人はそこまで意識せずに扱うことを決めたのであるが、私小説、自然主義文学というものについて、そして「私」というもの、現象について言葉を重ねている。二人の作品の他、葛西善蔵や嘉村礒多、瀧井孝作などの私小説作家、そして自身の記憶や現在おかれた状況などを具にみつめ、そして慎重に言葉にしていく過程は、公に読まれることを想定したものとはいえ、一対一の書簡の言葉としては非常に密度が高いものになっている。そんな言葉を見ていると、果たして自分たちはいま、このような密度で言葉を交わす機会があったか、と反省させられる。東京とオスロ、東京と仙台という物理的距離、そして短くない時間の間隔が、二人の言葉を切り詰め、そして洗練させていくのではないか。一方で私たちは、即時的な言葉のやり取りに浸かりすぎているのかもしれない、と身につまされる。

あたりがにわかに暗くなると、人は耳を澄ますものです。するとその耳から、まるで百年の記憶のように、深い静まりが私の内へ流れ込んでくる。いや、それとは逆です。その静まりの中へ、耳から、そして肌から、私の内部のほうが吸い込まれていく。(『往復書簡——『遠くからの声』『言葉の兆し』』講談社文芸文庫、66頁)

たとえば古井のこの言葉は、私小説に限らず「私」というものを考える上で興味深い現象と考えることもできる。絶対的な「私」ではなく、自と他、内と外、現在・過去・未来を絶えず往還するなかでその時々に生成惹起される「私」。世界との交叉点、あるいは社会現象としての「私」。日本文学においても、このような「私」を愚直に追究してきた作品がいくらでも存在する。スキャンダラスな私小説というのは、実はかなり限定的なものなのではないか、その衝撃度ゆえに単に目立っただけという可能性もあるのではないか、と私の肌感覚としては思うのだが、如何。……いや、そもそも平野謙などもいわゆる理念型として分類してみせたのであり、それをあまりにも素朴に受け止めることは本来慎むべきなのかもしれない。近々、私小説というものについてももっとしっかり調べていこうと思う。

閑話休題。

そんなこの古井の言葉は、それよりも前に佐伯が語っていた、飛行機で隣に座った不機嫌な日本人に対する思索にもどこか触発されているのではないか。

それにしても、あの仏頂面は……。帰りの機内で反芻していた私に、ふと思い当たるものがありました。それは、私の祖母が危篤に陥った報を夕食の途中で電報で受けて、慌ただしく駆けつける支度をしていた父親の姿です。私は小学生の低学年でしたが、いまだに記憶に鮮明に残っています。

そして、あの拒絶反応に凝り固まったような隣人をこう解したのです。そうだ、あれは、身内の者の一大事に向かう人の姿だ、いや現在の日本の火急へと向かう、余裕を失った人の姿にちがいない、と。(同34頁)

この想像が正しかったかどうかは分からない。それでも、佐伯の小説的想像力にはこのようなものが根底にあるのではないか、と思わされた。他→自→他……と往還する流れ、そして個から国、社会へと拡散する視線があって初めて、不安定な「私」という現象をかろうじて語り得るのではないか。

そしてこの往復書簡ではしばしばその不安定な「私」についての逡巡が語られる。これから取り組むつもりの『還れぬ家』は、まさに連載中に東日本大震災が起きて、仙台に住む佐伯が否応なしに変わってしまった「私」と向き合わねばならなくなった作品だ。このときの事は『震災と言葉』(岩波ブックレット)などでも語られている(その割には、『還れぬ家』などが「震災文学」として論じられている場面もあまり見ない気がする)。佐伯がこのとき、どのようにして「私」と向き合ったのか、会合ではそれを自分にも引きつけながら思索を重ねていくことになるだろう。

他方、見た感じでは「内輪」に閉じ籠もっているように見える(偶然かもしれないが、水上文の評論で取りあげられている具体的な作家が悉く本特集に寄稿している面々であったことが象徴的だ)『文藝』の特集はどうなっているのか。実のところ、この特集の成否には作品の内容や完成度は些末なことで、このような不安定な「私」を引き受けて書いていく覚悟があるかどうか、その一点に懸かっているのではないだろうか。どちらにせよ、ある程度読まず嫌いはしないに越したことはない。(概ね恐れながら)期待したい。

 

ここからは今後の課題になりそうなことのメモなのだが、このようなことを考える上で、私としては外せない人物に秋山駿がいる。例の会合でも少しだけ触れたのだが、「私小説」「私哲学」というものを考えていた秋山の最後の仕事が「エッセイ」だったこと。なにより、最後のライフワーク「『生』の日ばかり」が結果的に「おじいさん、として、こんな生き方でいいのだろうか」という一文で締められていることが、私のなかで反響している。

私も、かつてはフィクション性の高い作品を読み、そして書いてきた。束の間の空白期間を経て、いつしか「私」という現象に摑まれていた。いくつか書いた評論もまたある種の「私」が根底にある。これからは、どんな形の文章を書くときも「私」によるものになるだろう。

 

ここ最近、あまり文章を発表できていない。どうしても途中で詰まってしまう。表層を撫でているだけであるような感覚に、自分自身に呆れてしまうのだ。

だが、この会合もそうだし、自分の胸にわだかまっているものを聞いて欲しくて信頼している人に送ったかなり長い文章は、自分でも驚くほど芯から言葉が出てきた。私は、あまりにも多くの人の目を、そんなものはありもしないのに勝手に作りあげて、気にしすぎていたのかもしれない。

一対一の言葉のやりとり。これは対話の起源であり本当ではないか。そう思い直している。

もっとも、それは「内輪」と紙一重でもあろう。小さなやり取りで、しかし「内輪」に陥らないために必要なもの、それもやはり、社会現象としての「私」を引き受ける意志だ。楽しみながらも、その緊張感だけは忘れずに続いていく会合にしていきたい。

次回がまた楽しみだ。

(矢馬)

「素人」の写真、「二流以下」の読書人—『野呂邦暢 古本屋写真集』

大学、大学院と文学系の学部やサークルに身を置いてきたゆえに、私の周りには本を好んで読む人が非常に多い。しかし、そのなかでも古本を好んだり、古書店巡りを趣味にしている人は案外少ない。

通っていた大学の辺りは全国でも有数の古書店街であり、少し足をのばせば神保町にも行ける環境にあってもである。かくいう私も、大学二年生まではそれほど意識的に古書に目を向けてはいなかった。しかし、一度魅力に取りつかれるや、いまや古書店を巡っているときの方がわくわくするくらいだ。今日は一店舗しか入れないとなったら、私は大型書店よりも小さな古書店を選ぶかもしれない。

「本好き」と「古本好き」の間には、実はかなりの壁があるようだ。そしてそれは、プロの作家にも感じられる。作家のエッセイなどを読んでいると、無論、紙幅の関係や編集からの要望によって左右されるのかもしれないが、ある作品を説明するとき、自分がいつ、どこで、どんなときに、どの版で買ったり読んだりしたのかをついつい話さないではいられない作家がいる。本来、それは本の紹介という点では蛇足なのかもしれないが、私が印象に残り、つい手に取ってみたくなるのは、そういった個人的な記憶が滲んだ本なのだ。

 

野呂邦暢が古本好きで、古書店を巡っては均一本の棚を漁っていたことは、エッセイなどでしばしば書いているからなんとなく知っていた。本人の文章のみならず、かつて大森にあった「山王書房」店主・関口良雄のエッセイ『昔日の客』にも、この夭折の芥川賞作家がひょこっと現れたりする。最近で言えば架空の古書店を舞台に、そこの店主を語り手としたミステリー連作『愛についてのデッサン』が文庫化され、この作家らしく、地味に版を重ねている……いや、発売二カ月で四刷というから、この時世においてはなかなか派手かもわからない。

しかしながら、この度文庫化された『野呂邦暢 古本屋写真集』(岡崎武志・古本屋ツアー・イン・ジャパン編、ちくま文庫)に収められたかなりの数の古本屋の写真には、彼はここまでにも古本屋が好きだったのかと、その愛の強さ、深さに驚かされた。

巻末の編者二人の対談でも語られているが、「古本好き」「古書店好き」はいても、「古書店の写真を撮る」人はそういないのではないか。畏怖すら覚えるのと同時に、そのお世辞にも上手とは言えない写真の数々を撮影している野呂の姿を思い浮かべると、どうしようもなく愛しさを感じる。

この本に収められているのは野呂自身が撮影した、1970年代、神保町や早稲田を中心に、渋谷、池袋、広島、荻窪の古書店やその町の風景の写真など、約80枚だ。

もちろん、見つかっていないだけで本当はもっと撮っていると思われる。それは措いて、この枚数を少ないと感じる人も少なくないのではないか。

今でこそ、この枚数の写真を撮ることはさほど苦ではないだろう。しかし当時はフィルムだ。一般的にはフィルム一つで24枚か36枚しか撮れず、当然のことながら、撮り直しもできない。すなわち、一枚の写真を撮るという行為が今よりもずっと高価な時代だったのだ。

野呂がこれらの写真を撮影した当時のフィルムの値段は調べられなかったが、俗に「インスタントカメラ」「使い捨てカメラ」とも呼ばれるフィルム付きレンズのはしり「写ルンです」は1986年に発売されている。「写ルンです」は発表当時24枚撮りで、値段は1380円と「手頃」だった、と特許庁のサイトにはある*1。手頃とは言うが、しかしこれでも一枚当たり60円弱だし、しかも現像代もかかる。1986年の大卒初任給は144500円。もしかしたら本体を買わなくてもよいから、という意味かもしれないが、だとしても、本書の写真が撮られた当時は、現在の感覚で言うと一枚当たり150円くらいはかかっていたのかもしれない。やり直しがきかないことを考えると、いま自由に消したり撮り直したりしている私たちからすると、なおさらかなり高く感じられるのではないか。それを野呂は、古書店を撮ることに使ったのだ。

当時の野呂は郷里の長崎県、諫早に住んでいる。この距離もまた、現代とはまったく異なると考えるべきだ。東京に出てくるだけでも一苦労である。

野呂は、作品の打ち合わせ等で東京に出てくる必要があったとのことである。エッセイでは、初めて行った鹿児島市で、船が出るまでの短い時間にお急ぎで天文館周辺の古書店を探し回ったとも語っている彼のことだから、合間を縫ってでも古書店を回り、レンズを向け、貴重なシャッターを切っていたと思われる。先述したように、その写真は決して上手いものではない。当時のカメラの機能面の問題も無きにしも非ずかもしれないが、アングルは素人くさく、そのほかに手ぶれ、ピンボケ、ガラスへの映り込みなどと、やはり素人の写真である。しかし、それは彼の写真の腕だけではなく、どこか後ろめたさを感じながらこそこそと撮っていたからだと想像もできる。私ですら、古書店を堂々と写真に収めるのに躊躇する。何度か古書店を写真に収めたことはあるが、それは大抵道路などを挟んで少し離れたところから、かつ、そのお店で3冊ほど本を買った後のことだった。そうでないといけない気がしてしまうのだ。古書店とは、そういうちょっと怖い場所でもある。だからこそ、それでも写真に収めたいという野呂の熱意が伝わる。

あるいは、多少はその窃視的なスリルもあったのかもしれない。というのも、これらの写真には人間が写っているものも多い。ものによっては人物、とりわけ女性に焦点が当てられている。それは隠し撮りとも言えるわけで、見方によってはなかなかスリリングだ。そこに叙情やフェティッシュも漂っている。

これらの写真から、野呂は古書店そのものばかりではなく、古書店のある空間に強く惹かれていたのではないか、と想像される。そう思って、併録されている彼の古書にまつわるエッセイを読むと、彼自身が古書店のある空間にあることに悦びを感じているのがよく分かる。写真の常で、撮影者はそこには写らない。しかし、何枚かのショーウィンドウを正面から撮影した写真に、カメラを構える彼が図らずも写りこんでいる。たしかにそこに野呂はいる。

 

諫早の自宅でちょっとしたときに写真を眺め、そこにたくさんの古書店がある空間、そしてそこにいた自分に思いを馳せていたのだろうか。それを思うと、のちに『愛についてのデッサン』という、古書店を舞台に、古書を縁にしながら人間の「愛」を奇をてらわずに描いたことが得心される。古書が重要な役割を果たす「古本屋小説」ではあるが、あくまでも主眼は人間の心の機微にある。思うに、野呂はいわゆる「書痴」ではない。本を愛してはいるが、本そのものだけを愛し、コレクションするのとは違う。それは常に叔父や友人、あるいは過去の自分など、人間というものが不可欠だ。だからこそ彼は、古書(secondhand book)を好んだのだろう。古書には、かつての使用者の個人的な跡がある。均一棚漁りを好んだのは、もちろん懐の事情もあったろうが、同時に、ありふれた本から漂う「普通」の人間の香りに惹かれていたとは言えないだろうか。

 

付録されているエッセイ「魔の山」に、印象的な一節がある。

本を読んだ記憶というものは、内容のほかにもその本の紙質や活字の形、装丁、本を読んでいた自分の前にどんな形の電気スタンドがあったかということまでいっしょくたになったものである。一流の読書人は内容しか問題にしないが、二流以下は内容以外のことをよく覚えているものなのだ。(140-141頁)

こういった五感を使った読書こそを本当の読書、とする言説は多いところ、そうなってしまう読書人を「二流以下」と言ってみせるところが野呂のユーモアだが、内容に没入できないから他の状況なんかが記憶に残ってしまうと考えれば、なるほど、これは二流以下かもしれない、と納得させられる。

翻せばそれは、当時の状況などの記憶がなければまったくといっていいほど読んだ本の内容を憶えていない私のような人間が、内容を紹介することに優れた一流の読書人の書評などにいまいち惹かれない要因の一つでもあるのかもしれない。無論、書評家などはそれが求められている仕事であるのだから、非常に限られた紙幅で私のような読者の要望まで充たすことを求めるのはあまりにも酷だし、お門違いでもある。しかし、この考え方に従うならば従来の書評欄は必然的に一流の読書人以外には届きづらいものとなっているとも言える。これは私も最近考えていたことだ。いろいろな媒体の書評を見ていると、これは本を相当読み慣れている人でなければまず読まないだろうし、読んだとして、果たしてどれだけの人が取りあげられた作品に興味を持つのだろうか、と感じていた。

だからといって、なにか具体的な案が出せるわけではない。それでも、こういったことを踏まえれば、少し前になされた書評の必要性や意味についての議論にもう少し生産的な視野をもたらし、そして、これからの書評について考える機会にすることができたのかもしれない。

 

「素人」の写真と「二流以下」の読書人の文章から感じられるものがある。

技術によって、少し頑張れば一定程度の水準に達することはそこまで難しくはなくなった時代だからこそ、アマチュア(amator=愛する人)の精神を改めて見つめ直す必要があるのではないか、と感じさせられた。

 

(矢馬)

筆まかせ9

いままでに何度も試みては失敗・挫折している読書ノートを、性懲りもなくもう一度始めてみようと思う。というのも、読書量が減っていることに少し危機感を覚え始めたからだ。時間がないといえばないのだが、だからといって皆無なわけではまったくなく、読書に充てられる時間があるのは確かなのだ。しかし、読まない。それはモチベーションの問題が大きい気がする。読んでいても、どこか散漫な気がする。なにかしらモチベーションとなるものが欲しい。もちろん、それを論考のようなまとまった分量の文章にするのもいいのだが、それがそう易々と出来たらだれも苦労しない。かえってそれがプレッシャーになってしまっては元も子もない。

あまり肩肘張らず、かといってちょっとした緊張感は残し、そのうえ積み重なっていく実感を感じられるものは……。それは、読んだ本について200~400字程度の感想か考えたことか印象に残った一節について書き記して、それを記事として公にすることではないか。そう考えてみた。

薄々気づいている方も多いと思うが、私はひとつの物事を続けるのがあまり得意ではない。すでにして何個も頓挫している企画。往々にして手段が目的化した際に挫折する傾向にあるのはわかっているのだが、ある日突然そうなるのではなく、グラデーションを作るようにそうなっていくので、気が付いたときには手遅れ、なんてことがしばしば。継続は力なりと言うが、まったくその通りである。

 

魚住昭『出版と権力——講談社と野間家の一一〇年』(講談社、2021年)

1909年に野間清治が起こした大日本雄弁会。現代日本における大手出版社のひとつ講談社はここから始まった。

歴史的には、講談社といえばやはり雑誌だ。「おもしろくてためになる!」などのキャッチコピーで有名な『キング』をはじめとして、『講談倶楽部』『少年倶楽部』『少女倶楽部』『婦人倶楽部』『現代』など数多くの雑誌を作り、野間清治は「雑誌王」とまで呼ばれるようになり、出版界において大きな地位を占めることになった。

この時代は、知的エリート層を中心とした「岩波文化」に対し、大衆的な「講談社文化」があった、と間違いなく言えよう。

これまた有名な話だが、講談社は関東大震災に際して、『大正大震災大火災』という「本」を、スピード刊行している。震災によって大きな打撃を受けた出版界では、一定期間雑誌の刊行を止めようという協定が結ばれていた。しかし講談社は、雑誌ではなく「本」という名目のものを作り、そしてそれを当時流通としては単行本を扱うよりも優れていた雑誌のルートにのせて行き渡らせた。これが現代にまで繫がる日本出版業の流通の元祖と言えよう。その他にも講談社は以後の日本の出版にかなりの影響を及ぼしている。それは良くも悪くも、である。

本書では、必ずしも講談社にとっては都合の良くない、たとえば戦争協力、あるいはぐっと現代に進んで「ヘイト本」問題などにも触れられている。

日本の出版がどのような環境のなかでどのような変遷を遂げてきたのか、それを見渡すのに有用な1冊。

もっとも、分厚い本でありながらノドがキツいのが難点ではある。

2段組にするなどすれば、もう少し可読性の高い版組でかつ持ち運びやすい厚さになったのではないか。

(出版業界において、単価を高くするために嵩を増すという方法論があることを分かった上で言っています。)

 

川崎昌平『重版未定』全3巻(中央公論新社、2021年)

弱小出版社・漂流社を舞台に、出版業界の現実を描いたエッセイ(?)漫画。

ところどころ入る専門用語の解説もおもしろい。

タイトルからも想像できるとおり、あんまり明るい話ではない。それも当然で、現代の出版業界を描いて希望しか見えないような明るい話をされたら、あんまりにも噓っぽい。というより噓である。

この作品で特に印象に残っているのは、重版がかかる本だけが出版社に利益をもたらす、という話だ。出版の利益率は低いから、それもやむを得ないのかもしれない。

しかし、だからといって重版がかからない、かかりそうもない(重版未定)の本は要らないのか。そうではないはずだ。それが本書において一貫している主張だ。

クライマックスでは漂流社が大手出版社に買収されて……といった話もあり、その大手出版社の姿勢を登場人物たちが非難するのだが、この出版社の名が「漫談社」。なんだか聞いたことのある響きだ。

また、第1巻の帯には「『かすり傷』の痛みを知れ!」という煽り文がある。はて、これはいったい誰のことを指しているのだろう……と、すっとぼけさせていただく。

併せて、同じ著者の『重版未来 表現の自由はなぜ失われたのか』(白泉社、2020年)、過激な出版統制が敷かれた近未来を描いたこの作品もおすすめしたい。巻末の主張を受け入れられない読者もいるかと思うが、私はこの主張はかなりまっとうで、ひとつの当たり前のことを言っているものだと感じている。「当たり前」というとネガティブな印象を持たれてしまう危惧があるのだが、私は「当たり前」のことをしっかり主張できることは大事だと思っている。

だいたい、「当たり前」のことも言えないようではどうしようもない。当たり前ができてからその先がある。この当たり前を怠る、面倒がる傾向がどうにも蔓延しているように思われてならない。

 

小山清『風の便り』(夏葉社、2021年)

小山清(1911〜65)は、太宰治にも師事した作家。「小さな町」や「落穂拾い」などの私小説で有名だ。

私はこの作家の書く文章の視点の低さとでも言おうか、その淡々とした歩みが好きだ。なにも特別なことは書いていない。それでも何度も読みたくなる。

彼の文章に出てくる人物たちは、やっぱり普通の人々だ。本書の言葉を借りれば「平凡」だ。それでも、読んでいるとだんだんとこの人たちのことが好きになってくるのだ。

「僕には世間の人が、『平凡』であるには、みんな少しく欲が深すぎるような気がしてなりません。」

この書き手のような目で世界を見れば、少しは希望を持てるのではないか。私はそう信じている。

 

千葉紀和・上東麻子『ルポ「命の選別」 誰が弱者を切り捨てるのか?』(文藝春秋、2020年)

2016年、神奈川県の障害者施設「津久井やまゆり」で、19人の入所者が殺害された事件が起きた。その実行犯、植松聖死刑囚が、「障害者は生きている価値がない」「本人も家族も不幸になる」と言ったことから、「優生思想」という言葉が一時、メディアを席巻した。

植松死刑囚が元々この施設の職員であったことは衝撃的だったが、どうにも私には、彼を異常なモンスターとして処理してしまわなかった、という疑念がずっとあった。

本書は、出生前診断や受精卵診断、障害者施設建設に伴う反対運動、ゲノム編集、社会的入院、そして相模原殺傷事件と、優生思想に関連するテーマをひとつひとつ丹念に取材した本だ。当事者へのインタビューも豊富で、ひとつひとつが非常に読み応えのある内容になっている。

このなかで一貫しているな、と感じたのは、往々にしてビジネス、もっと露骨に言ってしまえばお金儲けの波が浸入してくると碌なことにならない、ということだ。

しかし、それがビジネスとして成立するのは、需要があるからだ。

これは「ヘイト本」の問題とも共通している。過度な出生前診断を行う無認可のクリニックやヘイト本を売りまくる出版社の姿勢にばかり目が向くが、それを求める者の集団、つまり社会があるということにも注意しなければ、問題の根幹はまったく見えてこない。

障害者施設建設に対して、「なにをされるか分からない」「土地の資産価値が下がる」などと強く反対し、行き過ぎた行動に出る人々を取材した項のなかで、その人たちがしかし、いつもは「普通」の良い人である、というところが重要ではないか。

いま、広く社会に「優生思想」を望む土壌があるのではないか。しかし、それは自分が「優等」であるときは都合がいいかもしれないが、自分や家族が次の瞬間に弱者になる可能性はある。そうでなくても、人間はやがて衰える。優生思想が蔓延る社会では、途端に自分が生きづらくなってしまう。他人事ではない。

 

笹乃さい『味噌汁でカンパイ!』第11巻(小学館、2021年)

私がリアルタイムで追っている数少ない漫画のひとつ。

実は昔から、バトル漫画がそこまで好きではない。

そういった事情もあって、私は「ジャンプ」タイプの人間ではないらしい。

私はやっぱり、こういった雰囲気の作品が好きなのだ。

 

『港のひと』11号(港の人、2021年)

斉藤毅氏の講演録が特によかった。

本や詩を「贈り物」という観点から見る。

本とはやがて手放すためにつくるもの。

まったくその通りで、しかし果たしていまこの考えを持っている人がどれだけいるのだろうか。

これは多くの人に、とりわけ、本をつくっている人には是非とも読んで欲しい。

 

基本的には、読んだ本を余すことなく紹介していこうと考えている。

 

(矢馬)

漱石と子規の「硝子戸」

日本で「文豪」と言えば真っ先に名前が挙がるのは、おそらく夏目漱石だろう。もはや死語になっている感もある「国民作家」という呼称を与えることに特に異論は覚えない漱石だが、その作品は、現代の読者からすれば必ずしも読みやすいものではないと思うのは私だけではないはずだ。

『坊っちゃん』はまだ読みやすいが、もう一つの代表作『吾輩は猫である』については、読書好きなら読んでいるよね、とは到底言えない作品だと思っている。ひとつひとつの言い回しもそうだし、けっこう改行が少なくて文字は詰まっているのもそうだが、なによりも、この作品には文明批評の側面もあり、そのために古今東西の固有名詞がちりばめられている。

日本の文人や画家はもちろんのこと、海外でも、デカルトやライプニッツといった哲学者、バルザックやゾラやユーゴー(ユゴー)に「トリストラム・シャンデー」(ローレン・スターンの小説『トリストラム・シャンディ』。語り手が長篇の後半に至るまで母の胎内にいる胎児、というかなりの奇書。漱石は当時からこの作品を原書で読んでおり、「トリストラム、シヤンデー」という論考も書いている)という文学関係、さらには画家や歴史家、遺伝学者の名前までぽんぽん出てきて、その上で登場人物たちが滑稽さを交えながらも議論を重ねているので、けっこう目が回る作品だ。それでいてまあまあ長い。事実、私は大学入学前に一度、4分の1で挫折した。数年後、なんとなしにもう一度最初から読み始めたら、今度は面白くて読む手が止まらなくなったが、だったらもう漱石は読めるかと言えば、つぎに手にした『虞美人草』はきつかった。漱石は、それほど易しくない。

こうしてみると、漱石の作品は傾向として初期のものほど晦渋といえるのかもしれない。それはさておき……先日、漱石最晩期の随想集『硝子戸の中』を読んだ。ちなみに読み方は「ガラスどのうち」とされている。

1915年1月13日から2月23日まで『朝日新聞』に連載されたこの随想集は、翌1916年に亡くなる漱石の、最後のまとまった随筆になった(尤も、その後『道草』、未完での絶筆となった『明暗』と、執筆活動自体は続いている)。

硝子戸の中から外を見渡すと、霜除をした芭蕉だの、赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てる程のものは殆んど視線に入って来ない。書斎にいる私の眼界は極めて単調でそうして又極めて狭いのである。(夏目漱石『硝子戸の中』新潮文庫、1952年初版、2016年102刷、5頁)

これが第1回の書き出しだ。漱石はこの時期体調を崩しており、ずっと「この硝子戸の中にばかり坐っているので、世間の様子はちっとも分らない」。また、読書もあまりできないという。しかし、それでも「頭は時々動く」。それに客人もあり、「私の思い掛けない事を云ったり為たりする」。そんなことについて少しずつ書いてみよう、というのがこの随想である。

ここだけ見るといわゆる身辺雑記に思われるが、その後で書かれるように、当時は第一次世界大戦の最中、日本も前年に日英同盟を理由にドイツに宣戦布告している。硝子戸の外で起きている戦争は、漱石の硝子戸の中での随想にやはりなんらかの影響を与えている。『吾輩は猫である』がそうであったように、世界的な戦争の時代に「死」をひとつの大きなテーマに据えた『硝子戸の中』にもまた、批評の精神が見られる。それでいて随想という性格もあってか比較的読みやすい文章なので、ちょっとした時間に軽い気持ちでも読める点で、おすすめしやすい。

ところで、『硝子戸の中』には1箇所、正岡子規の名前が出てくる。漱石と子規の関係についてはいろいろなところで語り尽くされている。同い年のこの2人の間には、親友という言葉で語り尽くすことができないような精神的な紐帯があったように、書簡などを見ていると感じられる。

周知のように、子規は1902年、結核からの脊椎カリエスにより、35年の人生の幕を閉じる。晩年、布団から起き上がれず「今ははや筆取りて物書く能はざるほどにな」った子規は、「長きも二十行を限とし短きは十行五行あるは一行二行もあるべし。病の間をうかがひてその時胸に浮びたる事何にてもあれ書きちらさんには全く書かざるには勝りなんかとなり」と、自らも大きく関与していた新聞『日本』にて、『墨汁一滴』 を連載する。その終了後、引き続き『病牀六尺』を連載、死の直前まで続けられた。

 

そこで思い至った。漱石の『硝子戸の中』と、子規の『墨汁一滴』『病牀六尺』。この二者は同じ精神から伸びたものなのではないか、と。

詳細な検討は今後の課題とすることにして、その思いつきの根拠らしきものだけでも、いくつか提示してみたい。

 

子規は『墨汁一滴』のことを「欄外文学」だと言っていた。もちろん実際にはきちんと『日本』の紙面に配されているのだが、それでも「かかるわらべめきたるものをことさらに掲げて諸君に見えんとにはあらず、朝々病の牀にありて新聞紙を披きし時我書ける小文章に対して聊か自ら慰むのみ」だと言う。

一方、漱石『硝子戸の中』第一回。「私はそんなものを少し書きつづけてみようかと思う。私はそうした種類の文字が、忙がしい人の眼に、どれ程つまらなく映るだろうかと懸念している」と言い、そして、

要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞは一寸新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂を押し退けて書く事になる。私だけではとてもそれ程の胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それが何時までつづくかは、私の筆の都合と、紙面の編輯の都合とできまるのだから、判然した見当は今付きかねる。(7頁)

自分一人では、他の記事を押し退けることはできそうもない。ここにも欄内に入ることへの躊躇いが感じられる。そして、「自分以外にはあまり関係のないつまらぬ事を書く」。これは子規が「自ら慰むのみ」と書き付けることと似たものを感じる。

加えて、子規にとって『日本』、漱石にとって『朝日新聞』とは、どちらも彼らが大きな位置を占めてきた重要な媒体である。晩年の漱石は、『朝日新聞』のなかでももはやさほど大きな位置にはなかった、とも言われているが、それでも漱石が『朝日新聞』に果たしてきた功績は大きい。そんな媒体の欄内に入ることに躊躇うとは、いったいどういうことなのか。いまの私にはまだ、その精神を論じることはできそうにない。

 

また、『墨汁一滴』にはこんな一節もある。

春雨霏々。病牀徒然。天井を見れば風車五色に輝き、枕辺を見れば瓶中の藤紫にして一尺垂れたり。ガラス戸の外を見れば満庭の新緑雨に濡れて、山吹は黄漸く少く、牡丹は薄紅の一輪先づ開きたり。やがて絵の具箱を出させて、五色、紫、緑、黄、薄紅、さていづれの色をかくべき。(正岡子規『子規三大随筆』講談社学術文庫、1986年、95〜96頁) 

もちろん、目がひかれるのは「ガラス戸」の語だ。

先に引用した『硝子戸の中』でも、漱石がやはり「硝子戸」の外の「芭蕉」や「梅もどき」といった植物を描写していることが興味深い。

とはいえ、ここでは2人の差も見られる。その他のものは目に入らない、とネガティブな漱石に対し、子規はその風景を絵に描こうと思う。子規も漱石も絵を描くことを趣味にしていたが、この硝子戸の外の風景への筆致の差は、「書斎にいる私の眼界は極めて単調でそうして又極めて狭いのである」という漱石に対し、『病牀六尺』の冒頭で、「病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病牀が余には広過ぎるのである」と皮肉を交えて書く子規との差異とも言えるかもしれない。もちろん、書き手の言葉をそのまま受け取ることが正しいとは限らないし、それに『硝子戸の中』の随想はもう一つのテーマ「時」を巡り、ただ現状を嘆くばかりではなく、その目はやはり外へと広がっていくのだが。

『硝子戸の中』で特に印象に残っている文章がある。

 私の立居が自由になると、黒枠のついた摺物が、時々私の机の上に載せられる。私は運命を苦笑する人のごとく、絹帽【シルクハット】などを被って、葬式の供に立つ、俥を駆って斎場へ駈けつける。死んだ人のうちには、御爺さんも御婆さんもあるが、時には私よりも年歯【とし】が若くって、平生からその健康を誇っていた人も交っている。
 私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私は何故生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。(67頁)

もしかしたら、漱石はこの問いを子規に対しても感じることがあったのではないだろうか。特に、この2人は同い年だ。余計その感は強かったのではないか。

漱石は「死は生よりも尊い」という考えを絶えず持っていた。しかし、それでも最終的には死を肯定することができなかったことが、『硝子戸の中』には書かれている。作中では、多くの死者について書いている。人は死ぬと、その形は残らない。だからといって、なにも残らないわけではない。

漱石は幼い頃に一度養子に出されていたが、数年後にまた生家に帰ってくる。しかし物心つく前に家を出された漱石は、実の両親のことを祖父母だと思い込んでいたのだという。ある夜、座敷で一人寝ていると、耳元で下女の声がする。あなたが爺婆だと思っている人は本当のお父さんお母さんなんですよ。下女は小さな声で教えてくれた。そのことについて、

 私はその時ただ「誰にも云わないよ」と云ったぎりだったが、心の中では大変嬉しかった。そうしてその嬉しさは事実を教えてくれたからの嬉しさではなくって、単に下女が私に親切だったからの嬉しさであった。不思議にも私はそれ程嬉しく思った下女の名も顔もまるで忘れてしまった。覚えているのはただその人の親切だけである。(90頁)

長谷川郁夫『編集者 漱石』(新潮社)を読むと、漱石の陰にはいつも子規の姿が感じられる。子規の精神は常に漱石のなかで生き続けており、『硝子戸の中』もまたそうした文章の一つなのではないか。最後、「硝子戸を開け放って、静かな春の光に包まれ」た漱石の背中を見ながら、そんなことを考えた。

 

(矢馬潤)

個人的2020年の10作品(矢馬潤)

いろいろあった2020年、「ソガイ」としてはそれほど多くの活動ができたわけではない。5月に「ソガイ」の第五号を刊行、その後、7月に「ソガイ〈封切〉叢書」を勢いで開始し、先日第三号まで刊行することができた。現状、その執筆者は矢馬のみとなっているが、来年こそは様々な書き手の作品を届けたい。もちろん私も書き続ける。というより、ちょっと楽しくなってきた。〈封切〉は基本として6000字程度の分量なのだが、この量が思いの外、書き手、読み手双方にちょうどいいような気がしている。

3月に修士を出て、4月から本格的に業務委託として出版社の校閲部で仕事をし始めた。4月1日に出社したのち、さっそくしばらくは完全リモート、たしか6月頃から出社とリモートが半々という勤務形態で、そのときどきで生活リズムを整えるのでいっぱいいっぱいだった。おかげで、自分でも分かるくらい校正・校閲の技術は上がり、これからの活動にも是非活かしたいところだ。

とはいえ、さすがに疲れてもいたのだろう。先々月あたりに右太腿裏にしびれを覚え、軽い坐骨神経痛だろうということで最近はリハビリテーションに通い、休みの日、ストレッチをしながら家でぼーっとしている時間も増えたが、それでも多少は本を読んでいた。

私は読書日記を付けていない。過去に何度も挑戦したが、まったく続かないのだ。だから、本棚を眺めながらこの1年に読んだと思しき本を思い出してみる。紹介も兼ね、自分の1年を振り返り、来年以降への弾みとしたい。10作品程度を目安にしようと思う。また、過去に取りあげたものとの被りもあるかもしれないが、その点はご了承願いたい。

 

1.鈴木一誌『ブックデザイナー鈴木一誌の生活と意見』(誠文堂新光社、2017年) 

 

ブックデザイナー・鈴木一誌が2005年から2016年の12年間で発表したエッセイをまとめた本。デザインや出版に関する文章が多いが、書名に「生活」という言葉が入ることからも分かるように、それは日々の生活のなかで生まれた思考が「ただの文章」として記されたもの。ゆえに、編集人・郡淳一郎によれば、鈴木の執筆活動の軸である表現論については「不日の各々の集成を期して」、採録を見送っているという。

商業出版のみならず、個人出版・同人出版を志す人には鈴木の「意見」はもちろんのこと、言葉は「水や土や空気と同じ公共財」であり、「出版(パブリケーション)は公共性(パブリックネス)を本義とする。本の美しさは公正さ(フェアネス)をいう」という郡の編集後記を嚙みしめて自己を省みるべきだろう。

 

2.『ぐらごおる単曲版01』(鐵線書林、2020年、売り切れ)

ロシア詩の翻訳を中心とした同人「鐵線書林」主宰・澤直哉設計の郵便本。封筒の小口を切り裂くことではじめて読むことができるようになる。緊急事態宣言のなか、限られた資材で作られたこの本により、家にあるもの、家にある道具で本をつくり、読者に届けることはできることが示される。

シンプルな疑問がある。同人出版がこれだけ増えているなか、果たして人は多岐にわたる出版工程の、どこからどこまでを担ったことがあるのだろうか。執筆のみ、という人も少なくないだろう。編集や組版まで担当したことのある者も、ままあるだろうか。しかし、製本までを一人で行う人は、全体の数からすれば決して多くはないと思われる。

もちろん、絶対にすべてをやらねばならない、などとは言わない。しかし、最近、商業出版の領域において、現場の一人一人への想像力が欠如しているのではないかと思われる事象がしばしば見られる。分業が進み、出版行為の中でも分断が起きている、そんな気がしてならない。由々しき事態だと思う。しかしながら、だからといって商業出版を行う者がそのすべてを担うことなど、不可能である。だとすれば、これはむしろオルタナティブの出版としてのポテンシャルを持つ同人出版において可能となる領域なのではあるまいか(同人出版がオルタナティブの意識を持っているかどうかは、この際措く)。

この活動を始めてから、それまで執筆のみだった私は、校正や編集、組版に表紙を含めた装幀などをするようになった。ここまできたのなら、自分も設計からすべてやってみたい。家の中で長い時間を過ごすうち、こうして湧き出た意欲が〈封切〉叢書の刊行に繫がった。

 

3. 稲泉連『「本をつくる」という仕事』(筑摩書房、2017年、文庫版2020年)

というわけで、本づくりにおける様々な分野のプロに取材したこの本が、読みやすく、まず一つの参考になるだろう。ここで取りあげられているのは、「活字」「製本」「活版印刷」「校閲」「製紙」「装幀」「翻訳書のエージェント」「児童文学作家」。非常に多岐にわたる。が、これでも本づくりのほんの一部である。1冊の本を作り、そして読者の元に届くまでには、非常に多くの人が関わっている。そのことを忘れ、自分(と近辺の協力者)の力で本を作っているかのように振る舞う傲岸不遜な人間や組織を、私はしばしば目にする。全員とは言わないが、私は基本的に「カリスマ編集者」や「カリスマ書店員」と呼ばれる人を、まずは疑って見てしまう。というのも、そういった人の中にはしばしば、それを自分の功績であるかのように喧伝し、そして周りもそのようにおだて祭りあげている、といった例が見られるからだ。

べつにこの本でなくても良いし、もっと言えば、必ずしもなにか1冊本づくりに関する本を読まねばならないとも言わないが、1冊の本にはそれだけの人の手と技術が関わっている、ということは覚えていて欲しい。

ところでこの本、最近文庫化した。単行本を持っているから必要ないと言えば必要ないのだが、文庫では解説を武田砂鉄が書いているらしい。元々この人の文章があまり好きではなかったのだが、『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版)などを読んでから、最近は少し変わってきている。なんて書いているのだろう。ちょっと気になるところだ。

 

4.野呂邦暢『夕暮の緑の光——野呂邦暢随筆選』(みすず書房、新装版2020年)

緊急事態宣言の中、私にとって一番つらかったのは中学時代からの行きつけの書店が閉まっており、書棚の間をふらふらと歩く気分転換がほとんどできなかったことだった。それまでは、多いときには週に3回、少なくても数週間に一度は訪れていた書店はショッピングモールに入っていることもあってかなかなか開かず、じれったい日々を過ごしていた。

ようやく開いたその日の昼、さっそく自転車を漕いでお店に向かった。長時間の滞在と立ち読みをしないように、との注意喚起があり、さすがに以前のように2時間、3時間とぶらぶらすることは難しいか、と感じながら棚を見て回り、思いきって1万円強の本を買った。そのうちの1冊がこの本だった。地に足がついた文章でありながら、ふわっと風景が広がる印象を受けた随筆だった。ほぼ忘れられかけており、古書の価格はなかなか高い野呂邦暢だが、これからも折に触れて読んでいきたい作家となった。「生活が無ければ作品は無い」。この言葉を改めて嚙み締める。

 

5.磯﨑憲一郎『日本蒙昧前史』(文藝春秋、2020年)

 大学時代、読むもののほとんどは小説だった。現在、小説はあまり読まない。その理由と思しきものがあるにはあるのだが、自分でもまだうまく言葉にできない。

そんな中でも、磯﨑憲一郎の作品はやっぱり好きだ。私にとっては数少ない、その著作をほぼすべて持っている作家だ(エッセイなどを集めた『金太郎飴』は未読だが)。

前作の私小説的要素を含みながら、やはり自在に時空を飛びこえた『鳥獣戯画』ももちろん良かった。『鳥獣戯画』の私小説性とは対照的に、今回は、もしかしたら少なくない読者が実際に見聞きしたであろう、戦後日本の大きなニュース(大阪万博、三島由紀夫自決、ロッキード事件、五つ子ちゃん誕生、グリコ・森永事件、横井庄一帰還など)を下敷きに、著者独特の語り口で、この国の、ある一つの時代が描かれる。

それにしても、やはりこの文体が良い。〈封切〉叢書第二号「埠頭警備人」は、この作品に大いに影響を受けている。

 

6.武田徹『現代日本を読む——ノンフィクションの名作・問題作』(中公新書、2020年) 

『日本蒙昧前史』はジャンルとしては小説だが、実在の出来事を扱っている点ではノンフィクションの性格も持ちうる。私はノンフィクションというジャンルに、いままであまり触れてこなかった。ひとつの入門書として、この本は有用だろう。

「非−フィクション」、つまり「フィクション」ではないという定義が主になってしまうジャンルではあるが、しかし当然のことながら、フィクションとノンフィクションは完全に断絶されているわけではない。ノンフィクションはただの事実の報告ではない。物語の想像力によって、断片的な情報に文脈を与える。しかし、ノンフィクションはあくまでも「非−フィクション」である……。こう見てみると、ノンフィクションは非常に難しい表現方法だ。

個人的に最も興味深く読んだのは、北条裕子「美しい顔」を巡る問題を扱った箇所だ。結局一過性の話題で終わってしまった感が否めないが、これから疫病やマスクをテーマとした作品がどんどん出てくるだろうことを考えると、改めて考え直さなければならない問題だと思われる。『美しい顔』単行本を、私は発売してすぐに買っていたのだが、まだ積んでいる。近く読もうと思う。

 

7.大崎善生『将棋の子』(講談社、2001年、文庫版2003年)

そのようなノンフィクション作品のひとつであるのが本作。日本将棋連盟の規定では、プロ棋士となるためには一般的に、「奨励会」と呼ばれるプロ養成機関に属し、規定の年齢(原則26歳)までに奨励会三段リーグを勝ち上がって四段となる必要がある。ただでさえ、全国の「神童」「天才」が集う奨励会で、それは非常に狭き門だ。幾人もの天才たちが、プロの門を叩くことを許されず奨励会を去っていく。その過酷さは、本書のプロローグで触れられている、年齢制限で崖っ縁の三段リーグ最終日、ほぼ希望が潰えたところから奇跡のような四段昇段(プロ入り)を果たした瞬間に壁に背中をもたれへたり込み、膝を抱えた右腕に額をつけて俯く中座真(現七段)の姿に、残酷なまでによく表れている(この姿を『週刊将棋』が掲載した)。

主に、のちに「羽生世代」と呼ばれ将棋界に一大革命を起こす、羽生善治を筆頭に、森内俊之、佐藤康光などの登場のあおりを受けることになってプロ棋士になることなく奨励会を去った人々を、元『将棋世界』編集長の著者は追う。

その中心となるのは、同郷で、少年時代に将棋道場で邂逅していた神童、成田英二だ。著者が長く将棋の世界にいたことも相俟って、本作はノンフィクションとしては、やや個人的感情が入りすぎているのかもしれない。とはいえ、非常に好きな作品になったことは間違いない。

この前の著作、夭折の棋士・村山聖を追った『聖の青春』と合わせて読むことをおすすめしたい。おそらくだが、より本流のノンフィクションに近いのはこちらの作品であろう。

 

8.田島列島『水は海に向かって流れる』全3巻(講談社、2019〜2020年) 

ここ最近、あまり漫画を読まなくなった。元からそれほど多く読んでいたわけでもないのだが、まさにめっきりという言葉が当てはまるくらいだ。すると、私は小説を読まなくなったというより、フィクションとして提示された物語から少し距離を置いている、ということなのかもしれない。

ただ、この作者の前作『子供はわかってあげない』もその空気が好きで、この最新作も本屋で見つけて、迷いなく購入していた。親同士が駆け落ちした、高校1年生の少年と26歳のOLが一つ屋根の下で暮らすことになる……という、かなり重い設定のボーイミーツガールなのだが、この作者の特徴は、それがコメディ調のシーンを挟みながら重くなりすぎないことだ。もちろん、だからといって不必要に軽いわけでもない。この按配が絶妙だと思う。深刻な物語を、さもありなんといった深刻な筆致で書かれると、気が滅入ってしまう。かといって軽すぎれば、物語が上滑りする。言うは易し、である。

来年以降、このような漫画、ひいては物語に出会えるといいな、と願っている。

ついでになるが、昨年、同じようにして気に入った漫画、中村ひなた『やさしいヒカリ』(講談社)のフランス語版が来年刊行されるそうなのだが、ちょっと欲しいな、と思っている。購入方法を調べてみるつもりだ。

 

9.池内了『寺田寅彦と現代——等身大の科学をもとめて』(みすず書房、新装版2020年)

最近、角川ソフィア文庫で寺田寅彦の作品集が数多く刊行されている。また、書店を巡っていると、その他にも寺田寅彦関連の本がいくつも出ているようだ。

寺田寅彦といえば、文理の境界を越えて悠々と動き回り思考する人、という印象だ。というより、本来、文理を明確に分かつものなんてないのだ。寺田は、科学的思考を軽んじる文学者を批判し、哲学的思考を持たない科学者を叱責する。博学になれ、と言っているのではない。広い視野を持たなくてはならない、そうでないと危険だ、ということだ。寺田は科学が急速に発展していくなかで、しかし科学を万能と思ってはならない、と言う。そして、すべてが数式に還元できる、数式に還元できるものだけが科学だ、と思い込む人が多くなっていることを指摘する。直観。その能力が優れていない人で優れた科学者はいない、と。また、彼が提示した科学的テーマは、複雑系科学の先駆けでもあったことが丹念に示されている。

本書は、寺田が書いてきた文章の広いテーマをひとつひとつ検討し、それを近・現代科学史の中に位置づけようとした意欲作だ。その過程では、戦争に対して反対を示しながら、しかしそこで示される科学的成果にはつい「おもしろい」と言ってしまうアンビバレントな反応や、晩年、自然災害をある種、宿命論的に論じてしまう寅彦の姿についても述べ、ただの寺田寅彦礼讃に堕することがない。

旧版は2005年の刊行だが、疫病が蔓延するいま、寺田を通して現代の科学を取り巻く状況を論じている本書が新装版として刊行されたのにはそれ相応の背景があるのではないだろうか。寺田の言葉を各々が批判的に(むろん、良いところと悪いところをはっきりと見分ける、との意)見ることで得られるところ、少なからずであろう。

余談であるが、本書では寅彦の思想のひとつの実例として、セレンディピティーの概念が紹介されている。失敗や偶然を見つめるなかで生まれる思わぬ発見。道草を食う余裕がなければみすみす逃してしまう欠片。学生時代に寺田寅彦の文章にはまったという外山滋比古がのちに『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)という本を刊行するのは、きっと偶然ばかりではないだろう。

 

10.山本貴光『マルジナリアでつかまえて——書かずば読めぬの巻』(本の雑誌社、2020年)

 

紙の本にはかならず「余白」がある。もっとも、最近ではこの余白の意識が非常に乏しい本も散見されるのであるが、その点については「ソガイ」第五号の論考でも触れたので、ここでは措く。

マルジナリアとは、そんな本の「余白」への書き込みのこと。本書の帯では「人類は大きく二つに分かれる。本に書き込みをする者と、しない者に——」と壮大な命題が掲げられているが、あながち大袈裟でもない。本への書き込みを絶対に受け入れられない人や、そこまでいかずとも、自分で買った本に書き込みをするという発想自体を持たない人は案外少なくないらしい。どちらが良い悪いということはないが、この両者の間の壁は、案外厚い。

数年前から、私は積極的に本に書き込みをするようになった。というよりは、書き込むことをまったくためらわなくなった。メインは、上下で赤鉛筆と青鉛筆になっている鉛筆で線を引いたり、丸をつけたり、言葉と言葉を繫いだり、といったものだが、ときどき、思いついたことや気になったことを天地小口の余白に書き込む。その1冊を読み終えたら、頭からぺらぺらめくり、色のついているところや余白の書き込みに目を通す。必然、たくさん書き込みがあるものは、書き込みを追っていけば全体の流れをなんとなく思い出せる。それだけのめり込んでいるからだ。ほとんど書き込みがなかったものは、現時点ではそれほど響かなかった本、という可能性が高い。自分にとって、わりかしいいバロメーターになっているようだ。

マルジナリアによる効用は様々あるが、ざっくりまとめると、それは本との対話を促し、そしてその本を育てていくということになるだろう。

たくさん本を読むことを自慢する人をしばしば見るが、多読それ自体は悪いことではないとはいえ、それ故にただ受動的にテクストを読んでいるばかりであれば、無用というより有害とすら言える。先に挙げた外山滋比古の言葉を借りれば「知的メタボリック症候群」、知識で頭でっかちになり、思考力が落ちることを表した言葉だ。知識は豊富だが、著名な人物の言葉を引用するばかりで自分の考えに乏しい……誰しも、周りに一人や二人くらいはいるだろう。

本書の冒頭、夏目漱石のマルジナリアをあげながら、「読書とはツッコム事と見付たり」と言うが、まさにその通り。「分かってんじゃん」「んなばかな……」「それは無理があるのでは?」「これはすごい!」「何言ってるのか全然わかんないぞ」「いやいや……」——こんな風に、簡単な反応を残すだけでも十分だ。とにかく無批判に書いてあることを受け入れるだけになるのは避けたい。

無論、マルジナリアをするにあたって、それが正常性バイアスに影響され得る可能性があることは意識する必要がある。つまり、自分の考えに合う箇所ばかり注目してしまう、ということだ。だから、まずマルジナリアをすること自体を目的にはしない。そして、ツッコむ。良くも悪くも印象に残ったところ、なぜかよく分からないが引っかかったところ、直接関係があるかどうか分からないけれどふと思い出したことなどをとりあえず残しておく、くらいのスタンスがちょうどいいのではないか、と個人的には思う。

ここだけやたら長くなってしまったので、この本で個人的に一番面白いと思った一文を引用して終わる。

「余白が少ない本は、読者が書き込むという使い方を想定していないとも言えそう」(86頁)

結局本づくりの話に戻ってしまった。すると、やはりこの1年、私にとっては「本」とその周辺を巡ることを考え続けた1年であったのかもしれない。

 

(矢馬)