ソガイ

批評と創作を行う永久機関

日本酒とノスタルジー

 近頃、日本酒というものに興味を持ちはじめた。

 これまでは、チェーン店の居酒屋で出てくるような、銘柄もわからない、安い日本酒しかほとんど飲んだこともなかった。それでも、私の舌にはそれなりに合っていたのだが、ある日の飲みの席で、地元が新潟である友人が、「このまえ帰省したときに飲んだ地元の日本酒は、本当にうまかった」、と話すのを聞いた。

 お酒については、それほどでもない、と自分では思っていたのだが、けっこうお酒に強いよね、としばしばいわれる。思い返してみれば、ゆっくりとしたペースではあるが、次々とお酒を注文している自分の姿は、容易に描けるのであった。しかし、それもほとんどが、ハイボール、ビール、サワー系といったもので、なんとなくではあるが、日本酒には、近づきがたさ、みたいなものを感じていた。

 みんなでワイワイするのも悪くはないが、ひとり自分の部屋でしっぽりとやる方が性に合っている私は、さっそくインターネットで、日本酒の相場を調べてみた。もちろん銘柄にもよるが、思いの外、良心的な価格が並んでいた。あの八海山でも、七二〇ミリリットルで二〇〇〇円強、といったところ。飲み屋よりも自室の方が酔いが回るのが早い自分には、日頃の昼食代、本の衝動買いを抑えれば、まったく手が出ない、というほどではない。やはり、とでも言おうか、このとき、月によっては無の交際費のことは、欠片も気に留めていなかった。

 近くのコンビニで買ってみた安い日本酒でも十分いける、と確認した私は、これまたインターネットで、近くにある酒屋を調べてみる。自転車で十分ほどの場所に、小さいながら、大きなチェーン店とは違う酒屋があった。これは、と思い立ち、優柔不断な自分らしくもなく、すぐ次の休日、散歩がてらに、小学校六年生以来の愛用の自転車を走らせた。

 ショッピングモールの一角にあるこのお店は、広さはそこまででもなかったが、周りのお店と比べてシックな雰囲気で、照明も薄暗く、非常に私好みだった。

 入って一番奥の三段の冷蔵棚に、さまざまな日本酒の瓶が並んでいた。向かって左手に、純米大吟醸など、箱入りのものも目に付くやや高価な銘柄、右手には、下調べでも、お手軽な日本酒、として紹介されていた比較的リーズナブルな銘柄、と大まかにだが、分けられていた。

 これだけの数でも、いざ目の前にしてみると目が回る。唯一、目星をつけていた銘柄は、一升瓶のものしか置いていなかった。七二〇ミリリットルのものがあれば迷わずそれに決めたのだが、さすがに一升には手が出ない。我が家で日本酒を飲むのは私だけなのだ。

 これまた美味しそうな果実酒を選んでいる夫婦と思しきお客さんの脇を横歩きで抜けて、入り口まで戻る。するとその棚に、このショッピングモールをイメージした、三七五ミリリットルで七〇〇円程度の、純米吟醸酒が陳列されていた。量も値段も、ちょうどいい。

 ラベルの水色の爽やかさ、その左に立てかけられている、この日本酒を製造している宮城県の方々の笑顔にも心動かされ、私はそれを一本手に取り、ちょうどその下の棚で売られていた徳利とお猪口の高価さに驚きながら、レジに向かった。

 いらっしゃいませ。レジのなかにいた女性の店員さんの声に、どこか聞き覚えがあった。そうっと瓶をカウンターに置いてから、私は顔をあげる。その顔にも、見覚えがある。

 いや、まさか。たしかに、数年前にこちらに引っ越してきていて、このショッピングモールで働いている、ということは、成人式で再会したときに聞いた。しかし、それはパン屋だったはずだ。いや、それにしても、このショッピングモールにパン屋はあったか? いいや、間違いない、それはある。だとすれば移ったのか? それとも、「ぱんや」と「さかや」の聞き間違い? 待て待て、そもそも、他人の空似かもしれないではないか。

 バーコードを打ってもらい、ご自宅用ですか? という問いには反射的に、はい、と答えながら、いったん呼吸を落ち着けて、その右胸につけられた名札に目を向ける。名字だけではなく、丁寧にも下の名前までしっかり漢字で書かれていた。

 もう逃げようがない。この顔で、この声で、この名前。間違いない。彼女は小学校のときの同級生で、しかも、初恋のひとだった。

 あれ? ○○さん? そんな風にさり気なく声を掛けよう、と思ったのも一瞬だけで、半開きになった口からはのどの奥で言葉がつまった喘ぎだけが漏れた私は、鞄のなかから小銭入れを取る振りをして、斜めにうつむいた。

 幸い、相手も気付いていないようだった。私自身の接客業の経験を基にすれば、レジのなかにいると、知人が目の前にいても、向こうから話しかけられるまで全然気付かない、ということは十分にありえる。とても愛嬌の良い彼女を、それが見知らぬひとだったら好感を覚えたのだろうが、それが初恋のひととなれば、これは自分の意気地のなさがいけないのだが、その店員としての愛嬌は、他人行儀なものに映る。

 カルトンに千円札と五円玉を出す。彼女が、あの発泡スチロールが網状になっている緩衝材を瓶に巻いてくれている間、私はカジュアルワイシャツの襟を整えながら、ちら、ちら、と目だけで彼女の顔を盗み見た。彼女の横顔に、私はもう十年以上も前になるあの日々のことを思い出す。

 たぶん、ひとめ惚れだった。三年生のクラス替えで初めていっしょになった彼女を、六月には、もう目で追っていたんじゃないかと思う。二学期に入ったころだったろうか。昼休み、仲の良い男子がニヤニヤ笑みを浮かべながら寄ってきて、あいつ、おまえのことが好きらしいよ、と耳打ちしてきた。いまほどではないだろうが、やっぱりどの時代も小学生というのはませているものなのだろうか。いや、そもそも、「ませている」という形容詞が付くのは子どもなのだから、それも当たり前な話かもしれない。

 閑話休題。それから間もなく、クラス全体に、私と彼女に対する冷やかしの声が多く聞かれるようになった。私も彼女も、表面上はそんな声に怒りながら、しかし、本当に否定したことはなかった、と記憶している。

 私と彼女の帰り道は、校舎を出て数分で反対方向に別れてしまう。ある日、私は左右に別れて数歩進んでから、何気なしに後ろを振り返った。彼女のランドセルは、完全な赤よりは少し淡いくらいのピンクだったので、後ろ姿の群れのなかからでもすぐに見つけられたのだ。しかし、その日私の目に彼女のランドセルは目に入らなかった。彼女もまた、こちらを振り向いていたからだ。

 文字通り、心臓が跳ねた。彼女の目が丸くなるのも、遠くからであってもよくわかった。

 彼女が手をあげた。腰のあたりに、小さく。そして、二回、三回と横に振った。私もまた、手を振り返した。お互い、同級生が前を歩いている。あまりもたもたしていると、また見咎められて、冷やかしの種を与えてしまう。だから、時間にして五秒にも満たなかった。前に向き直って歩きながら、脳裏には彼女の手、そして微笑みが浮かぶ。四年生の終わりまで行われる秘密の逢瀬、その始まりだった。

 クラスのみならず、学年全体から公認カップルのように扱われるだけではなく、当人たちも両想いを確信していた私たちだったが、お互いに告白はしていなかった。ただなんとなく、班はいっしょになるし、校外学習のバスもとなりになる。帰りのバス、眠くなっちゃった、と口にして目をつむり、うとり、うとり、と舟を漕ぐ左の席の彼女の頭が、どうかこの肩に触れてはくれないだろうか、と密かに願ってからだをすり寄せたこともあった。

 告白は、彼女の方からだった。四年生の修了式。五年生ではまたクラス替えがある。同じクラスになれる保証はない。大事な話があるの。全校集会が終わり、校庭から教室へと戻る道すがら、彼女に耳打ちされた。だから、帰り、ちょっといい?

 帰り道、道の端に寄っていた彼女が、周りの目を気にしているのか、小さく手招きする。私は、いっしょに帰っている男友達の様子をうかがいながら輪を離れ、彼女の許へ寄る。えっとね。うつむいた彼女の声は、とてもか細い。だいたいの予想ができている私も、息がくるしくなってくる。私、○○くんのこと、好きなんだけど。うん、僕もだよ。私はノータイムで応えた。え、ほんと? 彼女はようやく顔をあげて、まっすぐと私の目を見つめる。うれしい、やった! 声を絞って、でも感情を抑えきれていない彼女は、とにかく愛おしかった。

 その帰りも、また私たちは手を振り合った。いつもよりも大きく、長く。彼女の姿が見えなくなり、ようやく実感が湧いてきた。本当に両想いに、なれたんだ。浮かれていた私は、男友達の肩をばんばん叩いた。なにするんだ。そう振り向いた友人も、私の浮かれっぷりに呆れたのか、それ以上なにも言わなかった。

 当時、もうちょっと携帯電話が普及していれば、あとの展開はまた違っていたのかもしれない。春休み、という期間がいけなかったのか、それとも、所詮はその程度のもの、ということだったのか、ほどなく、この関係は自然消滅する。その後、再会するまでは八年、つまり成人式の日を待たねばならなかった。後日おこなわれた飲み会の二次会で、彼女は自分の彼氏の話をしていて、となりに座る男子に最近できた、という彼女の写真を見て、どこまでいったの? と、周りの女子といっしょになって、その男子を質問責めしていた。いつまでも子どものままでいるのは自分だけなんだ。このときほど、それを強く思い知らされたことはない。一刻も早く、この場を抜け出したい。しかしそういうわけにもいかず、約二時間、私はホット緑茶をちびちび飲んで、気分を紛らわそう、としていた。それが完全にはできていなかったことは、翌日、特にひととのつながりも作れていない自分のSNSに「たすけて」の四文字が投稿されていたことによって、判明することとなる。

 三二〇円のお返しです。差し出されたお釣りを、はい、ありがとうございます、と手を出して受け取る。少し、手が触れた。お釣りをレシートごと握り込んで、ポケットのなかに仕舞った。

 ありがとうございました。その笑顔は美しかったが、あの告白の日、私に見せてくれたあの無邪気な笑みとは違う。きっと、いまはだれか別の男性に、あの笑顔は向けられているのだろう。私は、その顔も名前も知らない男性に、しかし嫉妬も覚えなかった。

 受け取った品物を鞄に仕舞っていて、そういえば、記憶にある彼女の横顔はすべて、彼女の右側だったことに気付いた。帰り道、私は右に、彼女は左に曲がる。だから、私は彼女の右を歩いていた。一度、席がとなりになったことがある。私は彼女の右の席だった。告白のときも、やっぱり私は彼女の右にいた。それが今日、カウンターを挟んで向かい合った彼女は、品物を入れる袋を取るため、右側に屈んだ。だからいま、私は彼女の左半分を見たのだ。

 夜、野菜室で冷やしたその日本酒を、マグカップに少し注いで飲んだ。いままで飲んだなかではやや辛口な風味が舌を刺激し、仄かな果実の香りが鼻を抜けると、一拍おいて、食道、胃がぽわあと温まる。これもなかなかいける。

 あの日、最寄り駅が同じで、帰りの電車でふたりきりなった私は、彼女になにを話したのだろう。あの七駅間で唯一憶えているのは、彼女が、自宅近くのスーパーで私の幼稚園からの幼馴染の女子ふたりと、しばしば出くわす、ということだ。そのスーパーは私の自宅から目と鼻の先で、私自身よく利用しているのだが、そのだれとも、会ったことはない。

 駅を降りて、自転車を引いて帰る、という彼女を、せめて駐輪場まで送ると引き留めて、やっぱり彼女の右隣りに並んで歩いていると、まだ目的地までは横断歩道をふたつ越えないといけない場所で、もう大丈夫だから、と彼女から言われた。その笑顔が愛想笑いというものであること、それが拒絶の意思表示であること、それくらいは、恋の駆け引きなるものを書物と友人の話のなかでしか知らない私にでも、直観された。

 遅れてやってきた鼻の奥につん、と突き刺さる刺激が思いの外強く、両の目から一粒ずつ、涙がこぼれる。

 安いやつでもいい。徳利とお猪口も、どこかで買おう。そんなことを思う。時刻は、夜十一時を回ったところだった。

 

(宵野)