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下流文学、あるいは読まれない小説達のために

 下流文学とはなにか? この単語を知らないと言って恥じることはないし、検索する必要もない。何故ならば、私が創造した単語であるからだ。しかも、その概念を公開するのはこれが初めてなので、知っているはずがない。だから、まずは簡潔に下流文学の定義を述べよう。下流文学とは、他の言語へと訳されない、他の地域では読まれない、影響力が弱いような文学だ。作品の存在や作者の名前すらろくに知られていないような文学だ。念のために言っておくと、経済的や社会的に下流階層の主人公や登場人物を描いた文学ではない。

  この概念を初めて思いついたときに、浮かんだ単語はマイナー文学だった。しかし、フランス現代思想に詳しい読者の方なら知っているように、この単語はドゥルーズ=ガタリによって使用されてしまっている。その名も『カフカ マイナー文学のために』という本の中で。

  ごく簡単に言ってしまえば、マイナー文学とは少数民が広く用いられている言語を使用して創造する文学である。具体例としてはワルシャワやプラハのユダヤ人の文学が挙げられている*1。わざわざ、既存の概念と同じ名称を用いて、ズレを楽しむというやり口もあるだろう。しかし、私は下流文学という、別の名称を用いることにした。

  余談ではあるが、マイナー文学と下流文学はしばしば重なり合う。それは多くの場合、下流文学が営まれる場が植民地あるいは元植民地であるからだ。その結果として、下流文学者たちはしばしば母語でない言語、先祖たちの母語でない言語を使用する。時として、やむを得ずに。時として、戦略的に。ただし、カフカが世界的に高名な作家であることは疑いようもないように、マイナー文学が上流文学の地位を占めることもありうる。

 

 話を戻そう。ドゥルーズ=ガタリの経緯を知らなければ、マイナー文学という名称もなかなか良い。実際、その名称は上述した定義をある程度はうまく表している。それに下流よりもマイナーという言葉のほうが分かりやすいのは確かだ。

 ただ、混乱を防ぐためだけに私は下流文学という言葉を捻り出したわけではない。下流文学という言葉で表現したかったイメージはまさしく川の流れである。下流という言葉は単に規模が小さいとか、注目されないと言った以上の意味を醸し出してくれる。標高の高い上流から低い下流へ向かって、水が流れていく。イギリスやフランスの大作家達が下流文学に影響を及ぼす。

 

 ここで、重要なのは上流がなければ下流も存在しないことだ。この場合、逆もまた真である。上流と下流はつながっている。単に規模の大小や有名さが問題になっているのではないということだ。例えば、明治以前の日本文学は西洋文学の下流であったとは言えないだろう。その二つの文学は強い関係性を持っていなかった。その代わりに中華圏の文学の下流であったとは言える。

 また、論文の被引用回数というアナロジーも分かりやすいかもしれない。論文では、引用するよりも引用される側のほうが偉いのである。論文の被引用回数は、その論文の重要性を指し示す指標として重要視される。被引用回数が多い論文ほど重要であるということだ。言及するものよりも言及されるのものの方が優位を占めるのである。例えば、ある学術誌に掲載される論文がどれだけ平均的に引用されるかを表した、インパクトファクターという指標も存在する。通常、よりインパクトファクターが高いほど価値が高い学術誌とみなされる。下流文学よりも上流文学のほうが価値が高いとみなされるように。しかし、ここでも上流下流と同じように引用する論文がなければ引用される論文も存在しないのである。

  

 ここで、下流文学の対義語としての上流文学を検討しよう。上流文学の定義は下流文学の定義を逆さまにすればいいだけだ。すなわち、多くの言語に訳され、他の地域でも読まれ、影響力が強いような文学だ。作家の存在や作者の名前がよく知られているような文学だ。もっとも、小説好きには世界的に有名な作家でも殆どの人が知っているかは怪しいところだ。よって、これはある意味、相対的な基準である。せいぜい、文学部の講義で頻出する程度の知名度はあるといえば分かりやすいかもしれない。

  私が具体的に抱いている上流文学のイメージを開陳しよう。ドストエフスキー、ジェイムズ・ジョイス、ピンチョン、フォークナー、アルベール・カミュ。時代も国も小説の中身もバラバラであるが、彼らは疑いもなく上流文学に属する。

  上記でJ・Kローリング(ハリー・ポッターシリーズの作者) やダン・ブラウン(ダヴィンチ・コードシリーズの作者)のような作家を挙げなかったのは意図的なものだ。確かに売上という面での影響力では彼らは十二分に上流文学の作家といえるかもしれない。だが、本稿では彼女あるいは彼のような作家は取り上げない。上述したようなアカデミズムで取り扱われる頻度が多い作家たちを取り上げる。これは、本稿が取り扱う対象が広がりすぎないためである。

  

 上流文学の影響力として、具体的な例を出そう。明治以降の日本文学が西洋文学から影響を与えられたかを考えてみるといい。ロマン主義、自然主義、プロレタリア文学、いくらでも例が挙げられる。それに上流文学の影響はある作家が単に手法や問題意識を模倣した、ということに留まらない。意図的に上流文学を模倣しなかった、というところにまで及んでいるのである。これはどういうことか。例えば、馬琴が西洋文学を拒絶し、日本独自の文学の確立を目指すなど考えられないことだろう。それは彼が西洋文学から、広い意味で影響を受けていないからである。そもそも視野に入っていないという説明が分かりやすいかもしれない。西洋ではない独自な文学を作ろうとする、その時点で広い意味での影響を受けているのだ。たとえ直接的に選択されなくても、上流文学は作家の態度に反発や意図的な黙殺として、影響をおよぼすのである。

 

 しかし、何故、下流文学に注目しなければならないのか。むしろ、上流の方こそ、大切なのではないか。その疑問を持たれる方もいるかもしれない。そこで、私が下流文学という概念を思いついたきっかけとなった出来事、小説を説明することから説明しよう。それが最も具体的で、かつ分かりやすい方法だ。

  図書館で海外文学を読もうとしていたときのことである。海外文学のコーナーに厚手の世界文学全集が置いてあった。全巻で二〇冊ほどはあったと思う。その中で、アジア・アフリカの作家が占めたのは僅か二冊に過ぎなかった。記憶違いのせいで、正確には少し違うかもしれないが。いずれにせよ、世界文学全集に収められるような高名な小説に地域差があると言うのは明らかだろう。多く収められてたのは、欧米、せいぜいラテンアメリカの作家である。

  そのこともあって、本稿では下流文学をもっぱら、地域的な文脈の中で検討する。地域的に上流と下流を切り分けて考えていく。実際には、地域内部でも作家や小説ジャンルの影響力に差があるのは当然である。地域としての上流文学の中にも、勝ち組と負け組は出る。とはいえ、どの言語を使うか、どの国の作家であるかによって大きく影響力に差が出るのも事実なのである。.またある国から別の国に移住する作家も多くいるが、その問題も捨象することにする。

 

 最近、私が読んだ下流文学を紹介しよう。『パプア・ニューギニア小説集』と、スリランカの作家マーティン・ウィクラマシンハの長編『変わりゆく村』である。

 『変わりゆく村』は『変革の時代』、『時の終焉』へと続く三部作の第一作目である*2。『変わりゆく村』のあらすじを紹介しよう。

 

 第一部『変わりゆく村』には、二〇世紀の初頭、この国がまだ英国植民地下にあった頃、島の南部に位置するコッガラ村に暮らす中産階級の旧家の人々が描かれている。由緒ある家柄の伝統とその威厳を固持しつつ、"マハ・ゲダラ"(大家)の主ドン・アディリアン・カイサールワッテー・ムハンディラムは、妻マータラ・ハーミネーと一男二女とで暮らしていた。しかし、ムハンディラムの死後、新しい資産階級の台頭の煽りを受け、一家は経済苦に追いやられる。保守的な両親と中道の長女アヌラー、そして新しい思想を持つ長男ティッサと次女ナンダーとの世代間のギャップ。この"マハ・ゲダラ"に出入りが許されていた英語の家庭教師ピヤルは、のちにコロンボにでて実業家として成功し、やがてナンダーの再婚相手となる*3

 

 『パプア・ニューギニア小説集』は三人の作者が書いた一作ずつの作品から構成されている。ベンジャミン『夜明けの炎』、オーガスト・キトゥアイ『家出』ジム・バイタル『タリ』である。いずれも原文は英語とトク・ピシン(英語を元にしたピジン言語の一種)で書かれている。本稿では『夜明けの炎』を中心に解説する。

 『夜明けの炎』のあらすじは、下流文学ならではの特異さを持っている。舞台はビスマルク山脈の山奥。近代化の波に全く関係のない、昔ながらの生活を送っている村人たちにある重大な問題が持ち上がる。白人の宣教師の出現とそれに伴う村人の改宗である。村で起きた不幸とその出来事が結び付けられ、村人たちは宣教師達の殺害を決意する。村人たちは改宗した村人を火あぶりにして、鬨の声を声を上げるが白人の反撃に遭う。銃の力の前に、弓、斧、槍などで武装した戦士たちは為す術もなく敗れる。もちろん、この話自体は虚構だろうが、パプア・ニューギニアの植民地化と改宗の史実が背景にあるのは間違いない。

 

 そしてこれらの作品は下流文学という概念の成立、そのもののもう一つのきっかけでもある。これらの具体例を引きながら、ようやく私は下流文学の重要性を主張することができる。

  一つには、下流文学が描く風土や文化が、親しみのない者にとっては、強烈な異化*4作用として働くということである。ここで注目に値するのは、『変わりゆく村』も『パプア・ニューギニア小説集』も小説の手法自体は洗練されているとはいい難いことだ。むしろ古典的なリアリズムである。(公平を期するならば、これらの小説が数十年以上前に書かれたということを付け加える必要はあるだろうが)例えばベンジャミン・ウンバ『夜明けの炎』のこの一節は、およそ上流文学で目にかかることがないものだ。

 

 家の前で豚が鳴くのが聞こえた。「ああ、コノクガだわ。アアアアアアアアツィウ、アアアアアアアアアアアアアアアツィウ、アアアアアアアアア、コノクガ!(伝統的な豚の呼び方)」*5

 

 また『変わりゆく村』の注釈は一〇〇近くにも及ぶ。黒魔術といった禍々しい単語から、地名、スリランカの古典文化、植物まで多種多様だ。そして、それらの多くが耳慣れない単語なのである。また、人名も男であるのか女であるのか、どこがファーストネームでどこがファミリーネームなのか(そもそも、そのような区分が有効なのか)判然としないほど、馴染みがない。余談ではあるが、本稿を書くために確認するまで「ムハンディラム」という人名を「ムハンディラ」と思い込んでいたほどだ。それらの単語が現実のスリランカではありふれたことであっても、まるで虚構の世界観を目の当たりにしているような錯覚にすら至る。『パプア・ニューギニア小説集』でも事情は同じである。例えば『夜明けの炎の中』である村人は銃のことを「例の妙ちくりんな棒切れ」と表現する*6。また偶然ではあるが『夜明けの炎』にも魔術師という言葉が出てくるのも面白い。こうして、我々は手法ではなく素材(それも現地人にとっては、それほど異化的な効果を持たないような素材)によって異化されるのである。

  

 これらの強烈な異化作用は単に私やあなたが日本で生まれ育ったから、ということを意味するのではない。私があなたがスリランカやパプア・ニューギニアについて、ほとんど何も知らないということを意味するのである。例えば、英文学や仏文学を読んでも、ここまでの異化作用は生まれまい。それは事前に、ある程度イギリスやフランスの文化を知っているからである。もちろん、スリランカやパプア・ニューギニアに比べればということだが。逆説的に言うと、『変わりゆく村』における仏教の描写は比較的違和感なく読みことが出来る。これは日本とスリランカが同じ仏教文化圏であるからだろう。日本とスリランカでは同じ仏教でも違いがあるのは当然だが。題材による異化作用は文化的な隔たりによって起きるのである。他の地域で読まれない下流文学のみにこそなせる技である。

 

 そしてもう一つ言えることは、下流が上流からの水脈を豊かに受け継いでいることである。ここで私は言及するものと言及されるものの地位の転倒を目論む。例えば、ウィクラマシンハは英語を操り、西欧の文学、合理主義思想、歴史学、生態学、社会人類学、考古学などに触れていた。それのみならず、チェーホフ、トルストイ、ドストエフスキーなどのロシア文学に傾倒してもいた*7仮に同時代を生きていたとしても、ドストエフスキーがウィクラマシンハのようなスリランカの作家を知り、読むことはなかっただろう。

  正直に言うと、ウィクラマシンハに対して『パプア・ニューギニア小説集』の著者たちの情報は乏しい*8それでも、彼らが英語教育の結果、小説を書くようになったということは確かだ。それに、そもそもパプア・ニューギニアには文字が存在していなかった。伝統的な口承文学のみならず、彼らは英文学から影響を受けているはずなのである。

 

 辛口な方は、これでは、下流文学は独自性がないと感じられるかもしれない。だが、そうではない。上流文学からの多大な影響を受けつつ、下流文学者は自分たちの文学に固有の意味を込めている。そもそも文学という枠組みそのものを上流文学が規定した、あるいはしている現実の中で。もっとも、分かりやすい例を挙げるならば、伝統的な文化や、思想、風土の影響が下流文学の固有性を支えている。

  ただ、血眼になっていかにもパプア・ニューギニア的な、あるいはスリランカ的な作品だけを評価する必要もない。これは日本の芸術作品があまり日本的*9でないと言って、外国人に評価されない場合を考えれば分かるだろう。彼らはもっと日本的な作品を作ったほうがいいと言うかもしれない。日本の芸術作品が時にあまり日本的でないように、ある国の小説が、外国人から見た時に、あまりその国の特色を活かしていないように見えることもあるだろう。そのような場面に遭遇したとき、私たちはクリエイターに元々抱いたイメージに沿うような作品の作り直しを要求することができるだけではない。イメージの方を修正することもできるのである。それのみならず、既成観念とのズレを楽しみことさえできるのである。実際、現代の下流文学ではあまり地域を感じさせない小説が出現しているようである。

 例えば、現代の東南アジアでは、国家、民族、公用語を超えるトランスカルチュアルな作家が登場しているという。宇戸(2012)ではタイの作家プラープダー・ユンの短編集『鏡の中を数える』の主人公は以下のように表現される。「オタク行為によってしか家族の紐帯を確認できないファミリーや、公園でジョギングする人々をひたすら観察するし続けるだけの孤高の非行為者であり、そこには主人公の名前や地名を除けば、タイ的なものの表象はほとんどといってよいほどない」*10

  

 最後に本題から少々外れるが、下流文学に属する作品の商業出版が芳しくないという事実が見受けられることを指摘する。『パプア・ニューギニア小説集』を出版したのは三重大学出版会。ウィクラマシンハの三部作は大同生命のアジアの現代文芸を翻訳する文化事業によって邦訳された。アカデミズムと文化事業が、現代日本で下流文学の表現の場を支えている。これは下流文学の定義からして必然的かもしれないが。

 

文責 雲葉零

 

 

 

 引用文献一覧

 『カフカ マイナー文学のために』ジル・ドゥルーズ フェリックス・ガタリ 宇波彰 岩田行一 訳(1985)法政大学出版局 

 『パプア・ニューギニア小説集』(2008) マイク・グレイカス編集 グレイヴァ・オーラ イラスト 塚本晃久 翻訳 三重大学出版会

  『変わりゆく村』マーテン・ウィクラマシンハ 野口忠司 縫田健一 訳(2010) 財団法人大同生命国際文化基金

 『変革の時代』マーテン・ウィクラマシンハ 野口忠司 訳(2011) 財団法人大同生命国際文化基金

『時の終焉』マーテン・ウィクラマシンハ 野口忠司 訳(2012) 財団法人大同生命国際文化基金

 『現代タイのポストモダン短編集』 宇戸清治 編訳(2012) 財団法人大同生命国際文化基金

 

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*1:『カフカ マイナー文学のために』 27頁。

*2:

『変わりゆく村』を含むウィクラマシンハの三部作全ての訳者である野口忠司(ただし、第一作目だけは共訳である)はスリランカ文学の日本における草分け的存在である。ここで、彼の興味深い逸話を紹介しよう。 

 

 シンハラ文学研究者の一人である私は、今から数年前、ある人から「スリランカに文学があるんですか」という素朴な質問を投げかけられたことがある。頭にハンマーを食らったような、あのときの衝撃は今でも脳裏に刻みこまれている。なにがなんでも私の翻訳作業は地道に続けていかなければならないと意を決したのもそれ以降である。

 

『変革の時代』 288頁から引用。

 

 野口には失礼な話であるが、ひょっとしたら頭をハンマーで打たれたのは彼だけではないのかもしれない。スリランカに文学があるということを知った人もまた、頭をハンマーで打たれていたかもしれない。

*3:『時の終焉』342頁及び343頁。

*4:本稿ではこの言葉を原義とは少々異なる意味で使っている

*5:『パプア・ニューギニア小説集』41頁。

*6:『パプア・ニューギニア小説集』19頁。

*7:『変わりゆく村』 295頁から297頁を参照。

*8:『パプア・ニューギニア小説集』230頁から232頁に僅かな著者紹介がある程度である。

*9:日本の作品を日本的でないというのは奇妙な表現ではあるが。例えば、欧米人が日本アニメの登場人物の造形を日本人的でないと評する場合がある。

*10:段落冒頭の事情を含めて『現代タイのポストモダン短編集』260頁から262頁を参照。