ソガイ

批評と創作を行う永久機関

その一冊から ~私の文フリの経験に寄せて~

 何度か宣伝もしてきたとおり、先日、第二十五回文学フリマ東京に参加してきた。大学時代のサークルの仲間が集まって出した冊子は、なんと、刷った分が完売した。嬉しいことである。ソガイのフリーペーパーも、予想を遥かにこえて多くのひとに手に取ってもらえた。

 ここで「なんと」と私が言ったのは、なにも今回の冊子がよもや売り切れるはずがない、などと思っていたからではない。むしろ、メンバーのなかでは時間を持て余していたためにがっつり編集に関わった身としては、いまできる最大限のものを出すことができた、と思っていた。

 この「なんと」には、前回、べつの名義で文フリに出店したときの経験がある。

 前回、私は文フリでコピー誌を出している。冊子制作の経験など無に等しい私が手探りでなんとか完成させた二十部のコピー誌は、身内を除いてしまうと、六時間で二冊しか売れなかった。お隣さんがばんばん売れていくのを横目に缶コーヒーを飲んだり、反応のなにもない宣伝ツイートを確認したりしながら、ついには最後の一時間の間に、「君たち(このとき私はふたりで出展していた)、こんなところで作品とか出してどうするの? 当然文学賞とか出しているんだよね? じゃなかったら、こんなことしたって意味ないじゃん」などなど、拡声器で会場に流したら刃傷沙汰になりかねないことを鼻高々に演説してくる中年男性の相手を三十分近くさせられて(結局、そのひとは一冊100円の冊子を買ってくれることはなかった)、私の文フリは終わった。いまになれば笑えるが、むしゃくしゃした気持ちはまだ解消できていなかったし、そのときは疲労も相俟って、その後の友人たちとの飲みをほっぽり出して帰ってしまいたい気分だった。荷物も大きかった。これでも、帰りは軽くなるから、なんて言っていたのが、本当にお笑い種である。荷物は、むしろ重くなったのだから。

 ここだけ見ると、よくこんな惨憺さる経験をして半年後に冊子を出すは、挙げ句の果てには、次回の文フリではこのソガイとして冊子を出そうとしているな、と自分ながらに思う。しかし、この初陣は、悪いことばかりではなかった。いや、むしろその一点において、あらゆるマイナス面を帳消しにするだけのものを得られたのだ。

 今回のことでわかったことだが、冊子を手に取ってもらわなければなにも始まらない。たとえ買われなかったとしても、手に取って中身を見てもらえた時点で、もう及第点は突破している、といってもよいくらいだ。

 で、私の冊子は、当然ほとんど見向きもされなかった。何度、店仕舞いにして撤退してしまおうか、と思っていた。(事実、私がその日、一番躍動したのは、机、椅子等の片づけだ。早く撤退してしまえば、それすらする必要がなかったのだ。)

 そのときである。ひとりの男性が立ち止まった。銀縁のめがねを掛け、シルクかなにか、なにやらおしゃれな帽子をかぶったひとだった。そのときの私の相方は買い物に出ていて、私はひとりで店番をしていた。

 私のみすぼらしい冊子を手に取ってなかをぱらぱら、と見たその男性は、あなたがこの○○さん? と私に声を掛けた。はい、そうです。久しぶりに出した声は、のどに痰が粘ついていて、しゃがれた声だった。強めに咳払いをするのを待って、男性が問いかけたのは、こういう内容だった。あなたは、この冊子をどんな気持ちで作ったのですか?

 混乱した。てっきり内容や値段を訊かれる、と思っていたから。いちおう想定問答集は考えていた(まあまったく役に立たなかった)が、このような質問は完全に想定の範疇になかった。

 ある種、禅問答に近いこの問いに、私はいったいどのように答えたのだったか。テンパりにテンパった私は、相手の目もほとんど見られず、理路整然なんてものからは到底かけ離れた言葉を、途切れ途切れに、しかし早口にまくし立てるように話していたと思う。ひとつ覚えている。いままでもサークルで冊子を出したことはあります。でも、今回は全部ひとりで作りました。全然うまくいかなくて、でも、これでも自信はあったんです。でも、周りを見ると、自分のものがどうしても見劣りしてしまって。いままでの冊子が売れていたのは、まったくぼくの力なんかどこにもなかった。冊子を作ってくれたひとたちにはいつも感謝していたつもりでした。けど、今回のことで本当によくわかりました。いまは、もっと彼らに感謝したいです。でも、ぼくはこの冊子が好きです。

 だいたい、こんなことを言って終わったのではなかっただろうか。自分でも、なにを言っているんだろう、穴があったら入りたい気持ちになっていると、男性はただひとこと、そうですか、とつぶやき、うんうん、とゆっくり頷いた。そして、では一冊ください。財布から百円を取り出して、私の手の上に乗せた。なにが起きているのか、正直よく分らなかった。私は、ただ、ありがとうございます!と声を上げていた。最初は座っていたはずなのだが、いつからだったのだろうか、私は立ち上がっていた。

 最後にそのひとは、大事に読ませてもらいます、と微笑んで、去っていった。涙、という感じではなかった。ただ、このときの動悸というか、胸のときめきというか、高揚感というか、それは忘れられない。

(本当にこれは偶然であるのだが、いま、私は次回の文フリに向けたひとつの試みとして、『アイドルマスター シンデレラガールズ』を見かえしていた。その第七話は、new generations が解散の危機を迎える話である。城ヶ崎美嘉のバックダンサーとして出たライブと、自分たちのデビューミニライブの観客の数の違いに失望していた未央に、プロデューサーは最後、そのときのミニライブで撮った写真に写る、笑顔の観客を見せる。そのときの台詞。「たしかに、身内を除けば数は多くありません。ですが、そのひとたちは足を止めて、あなたたちの歌を聴いてくれていました。」彼は、これを「当然」の「成功」だと言う。タイミングがタイミングなだけに、何度か見かえしているが、いままでで一番、この台詞が染み入った。

 フィクションの物事を安易に現実の自分に当てはめて考えて、共感する(した気になる)、ということはむやみやたらにすべきことではないのかもしれない。彼我の差は絶対なのだから。我は彼ではないし、彼は我でもない。だからこそ、けっしてひとつにはなれない我々に求められるのは物理的かつ心理的なコミュニケーションなのだろう、と思う。我々はこのコミュニケーションにより、互いの距離を狭めていく。しかし、この距離は漸近線的なものである。つまり、永遠にひとつになることはない。だからといって希望を失うなかれ。なぜなら、ここにこそ希望があるのだから。むしろ、コミュニケーションに必要なのはこの距離なのだ。ゼロの距離の間に、流れは生まれない。我と彼は違うからこそ、そこにコミュニケーションが要求されるし、欲望される。

 これについては、次回の文フリで取り上げてみたい内容のひとつである。このアニメーションが、ひとつのコミュニケーションの物語として見えてくるように思われているからだ。もっとも、いかんせん現状では、その見解はあまりにも野放図に広がりすぎているのだが。いやしかし、だからこそおもしろいのかもしれない。こうするなかでも私は、私にとってのひとつの答えに、やはり漸近線的に近づいていくのだろう。)

 いま、私は今回の文フリで買った本を読んでいる。私の個人的な仲間も含め、私なんかその足下にも及ばないひとたちの文章、そして作品としての書籍に打ちのめされているばかりだ。

 それでも私は、あの日の胸の高鳴りを忘れてしまわない限り、表現することをやめることはないだろう。ひたすら「一」を重ねていくことが、きっとこれからの私をつくってゆくと信じて。

 

(文責 宵野)