ソガイ

批評と創作を行う永久機関

『フラッガーの方程式』感想

 浅倉秋成を、私はなんて評すればいいのだろう。『ノワール・レヴナント』で第十三回講談社BOX新人賞Powers を受賞してデビューした浅倉秋成は、同じく第十三回講談社BOX新人賞Powers の応募作を加筆修正した『フラッガーの方程式』、三年ぶりの新刊となった『失恋覚悟のラウンドアバウト』、いまのところ、この三作しか作品を発表していない。端的に言って、寡作である。

 私もこのひとの新作を心待ちにしているひとりであるが、しかし、ひとたび作品を読めば、なぜこれほどまでに遅筆であるのか、理由は明らかだ。

 浅倉の作風は、「伏線」である。もちろん、小説に限らず、あまねく物語作品において、まったく伏線のない物語というものはきっと存在しないであろう。伏線は、物語に刺激や味をもたらす。

 しかし、浅倉作品の伏線は、もはや物語の添え物、ましてや隠し味ではない。伏線、それ自体が物語、と言ってしまっても過言ではないほど、主役面をしているのである。物語の核であるだけに、その数も尋常ではない。読んでいる最中は、「え、あれも伏線だったのか」、読み終わっては、「いったいどれだけ伏線があったんだ」、唖然としてしまう。どれだけ綿密な設計図を立ててこの物語を作り上げたというのか、その苦労もしのばれるというものである。

 デビュー作『ノワール・レヴナント』は、まずその分厚さにたまげる。二段組み、612頁(書籍全体)。4人の登場人物の群像劇、一人称多元視点で語られる物語は、講談社BOX系の新人賞受賞作品らしく(?)非常にとがった内容となっている。困ったことに、これが頁をめくる手が止まらないのだが、しかし、読了後の頭の疲労感、といったものが凄まじい。伏線につぐ伏線、さらにその下を流れる伏線、といった様相を呈するこの複雑な物語は、しかし非常に感動的だ。よくあれだけはちゃめちゃなことをして、こうもきれいにまとめられるものだ、と職人に対するような感心をしたものだった。

 

 さて、そこでこの二作目の『フラッガーの方程式』だ。浅倉秋成入門(三作しかないのに入門もなにもないだろうが)があるとすれば、私はこの作品を推す。この作者にとっての伏線、というものが、もっともわかりやすい作品だと思うからだ。

 あらすじを説明したいのだが、この作品はいままで書評で採り上げてきた作品にもまして、あらすじをまとめるのが難しい。申し訳ないが、ここは公式の帯文を引用させていただく。

「深夜アニメの主人公のようなドラマティックな人生にしてみませんか?」何気ない行動を「フラグ」として認識し、平凡な日常をドラマに変えてしまう“フラッガーシステム”。そのデバッグテストに選ばれた平凡な高校生・東條涼一の生活は激変! やがてフラッガーシステムは、憧れの佐藤佳子さんとの「ある意味」感動的なラストへ向けて、涼一が思いもよらない暴走をはじめる!

  フラグ、という単語は、ゲームやアニメに親しんでいるひとには身近なものであろう。起源まではわからないが、恋愛シミュレーションゲームなどで、ヒロイン攻略の「フラグが立った」、なんて言い回しを、耳にしたことがあるかもしれない。やや暴論ではあるが、「フラグ」はまさしく、伏線である。まさしく、「伏線」がテーマの物語なのだ。もはや、伏線のためだけの物語。それでいて、ちょっとしたメタフィクションにもなっていて、さらに、極めて爽やかな読後感を残すラブコメディである。なかなか欲張りだ。

 ここで恋愛シミュレーションゲームを喩えにつかったが、この物語を説明するのにおいては、多分これが一番適切であろう。恋愛シミュレーションゲーム、通称ギャルゲー(べつにエロゲでもいいが、そういった性的要素はない。あしからず)の主人公(プレイヤー)の行動、選択は、極論をいえば、すべてヒロイン攻略のためにある。ただ単に好感度を上げる、というのもあれば、ヒロインの秘密を暴く、といった重要なものまで様々であるが、いうなれば、すべてヒロイン攻略のフラグを立てるためにプログラミングされた行動であるわけだ。

 すべての行動を「フラグ」にしてしまう「フラッガーシステム」の被験者となった涼一は、このときギャルゲーの主人公になったのだ。彼の想い人は、佐藤佳子。もちろん彼は、彼女との「エンディング」を期待して被験者となるわけであるのだが、ギャルゲーを知っているひとならご存じだろうが、この手のゲームでは、ヒロインはひとりではない。その多くがマルチエンディング、つまり、各ヒロインとの恋愛模様がそれぞれ用意されている世界であるのだ。ものによっては同時攻略といったものも可能であるこのシステムにのっとるだけに、この作品にも、複数のヒロインがいる。

 物語の性質上ネタバレには慎重にならざるを得ず、非常にもどかしい。こんな伏線の回収の仕方がありなのか、と冗談抜きで嘆息をもらした私の読書体験を語り尽くしたいのを、ここはぐっと堪える。

 少しだけ話すと、よりにもよって、本命である佐藤さんの攻略へと向かうのは最後になるのであるのだ。しかし、この物語はゲームとは異なり、やはり、マルチエンディングではない。それでありながら、完全に一本道のノベルゲームとも、どこか違う気がする。つまり、佐藤さんへと向かう物語ということはわかっていながらも、もしかしたらほかのヒロインとのエンディングも、ないとはわかっていながら、それでもあり得たのではないか、といった様相を呈するのだ。

 そういったものについて、私が近い作品を挙げられるとするならば、『G線上の魔王』というアダルトゲームであろうか。本題ではないのであまり深く掘り下げないようにしようと思うが、軽く説明すると、このゲームは明らかに、メインヒロインである宇佐美ハルと結ばれるまでの道が本筋である。散りばめられた伏線は、このエンディングためにこそある。しかし、この話にはあと3人のヒロインがいる。もちろん彼女たちとのエンディングもあるのだが、一般的なマルチエンディングと異なるのは、宇佐美ハルのエンディングにたどり着くためには、ほかのヒロイン攻略の道を、すべて途中まで辿る必要がある、ということである。他のヒロインとのエンディングは、宇佐美ハルへと続くルートの中途から派生しているようなものであるのだ。

 いわば、一般的なマルチエンディングをツリーダイアグラム、樹形図と見立てられるのに対し、『G線上の魔王』は、一本の太い幹から、いくつかの小枝が伸びている、といったようなものだ。

 『フラッガーの方程式』も、この方式に近い。近いのだが、このフラッガーシステムのシナリオ編成等を受け持ち、フラグというものがよくわからない涼一のアドバイザーとしてともに行動する、ヘビーオタクの村田清山は、やはりあくまでもこのフラッガーシステムが生み出す「ご都合主義」のシナリオを、どこかギャルゲーチックなものとして考えている節がある。私もそう思っていた。だからこそ、だまされた。『G線上の魔王』ではいちおうあった小枝が、『フラッガーの方程式』では、あらかじめ本元の幹に吸収される運命を持たされた幻の枝だった。

 すべてのフラグはこのエンディングのためだけに収斂する。究極の「ご都合主義」の物語である。なにせ、佐藤さんとのエンディングという「都合」のためだけに、それまでの物語すべての存在意義が保証されている、といったようなものなのだから。

 非常に精密でありながら、かつ極めて無理やりな力業で構築される、まさに科学と力が融合した物語を、是非体験してみて欲しい。

 なるほど、ここまでくれば「ご都合主義」も、あなどれない。きっと、そう思えてくるはずだ。

 

(文責 宵野)