ソガイ

批評と創作を行う永久機関

島村利正を読んでみて

(…)昨日の晩は娘の友だちに頼まれて音楽と社会科の教科書にパラフィン紙をかけてたんですよと相好を崩す筧さんがいま私のためにあたらしくカバーをかけているのは、一九五七年に三笠書房から出た島村利正の短篇集『殘菊抄』だった。(…)函入りの『奈良登大路町』やぬめっとした透明のビニールにくるまれている『妙高の秋』がひどく心に残って、この著者の旧著がまわってきたら取り置いてくださいと頼んであったのだが、すっかり忘れたころ、いい品が入ったからカタログに載せる前に買わないかと打診してくれたのである。(堀江敏幸『いつか王子駅で』37、8頁)

 果たして島村利正の名前を知っているひとがどれだけいるだろうか。少なくとも私は、この作品を読むまで知らなかった。

 わからない言葉や人物があれば、とりあえずインターネットで調べることが多い。とくに、複数の辞典・事典を横断して検索できる「コトバンク」が便利だ。ここで「島村利正」で検索してみると、「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」と「20世紀日本人名大事典」でヒットする。そのうち、記述が詳しい、「20世紀日本人名大事典」を引いてみよう。

生年 明治45(1912)年3月25日
没年 昭和56(1981)年11月25日
出生地 長野県上伊那郡高遠町
学歴〔年〕 正則英語学校卒
主な受賞名〔年〕 平林たい子文学賞(第4回)〔昭和51年〕「青い沼」,読売文学賞(第31回・小説賞)〔昭和54年〕「妙高の秋」
経歴 信州高遠に商家の総領息子として生まれる。文学少年で家業に興味を持てなかったことから、15歳の時に奈良の出版社・飛鳥園に入社。在住時代、志賀直哉滝井孝作に師事する。昭和16年処女作長編「高麗人」が芥川賞候補となる。32年より文筆生活に入る。第3次「素直」同人。地味で静かな作品が多く、51年短編集「青い沼」で第4回平林たい子文学賞、54年作品集「妙高の秋」で第31回読売文学賞を受賞した。ほかに「残菊抄」「奈良登大路町」「碧水館残照」「奈良飛鳥園」、「島村利正全集」(全4巻 未知谷)などがある。

 あっさりした記述である。それにしても、その作風が「地味で静かな作品」と言われているのもおもしろい。『いつか王子駅で』では、先ほど引用した箇所の続きに「こんなふうに予約でも入っていないかぎり島村利正の本なんてさばけないのではないかと勘ぐりもした。」と書かれている。事実、その通りだと思われる。「地味で静かな作品」は、読者を集めにくい。ところが、困ったことに、「地味で静かな作品」と言われるとむしろ気になってしまうのが、私の性である。

 というわけで、そもそも私は島村利正の本をひとつ、持っていた。古書市で300円で見つけた、『妙高の秋』(中央公論社、昭和54年6月)だ。買ったはいいものの、例のごとく積んでいたのだった。「ぬめっとした透明のビニールにくるまれている」と書かれていたが、たしかにこの本は、ビニールに包まれている。けっこうぴっちり包まれているので、カバーと帯がずれず、非常に開きやすい。正直、最近の本(特に文庫)はカバーの作りや折りが甘く、寸法が合っていなかったり、浮いていることも多いから、ストレスになるので読むときには外してしまう。その点、これはいい。

 さて、『妙高の秋』には6篇の短篇が収録されている。本人が語るように、そのうち、表題作を含めた3篇が私小説、3篇がフィクションである。読んでみてわかる。うむ。たしかにこれは地味だ。試みに、「妙高の秋」の冒頭一段落を引用してみる。

 色づいた欅の落葉が、音もなく散りはじめている。気候不順の夏もすぎて、漸く、多摩川沿いの杜も、秋の気配がふかくなった感じである。旅先でひいた風邪も漸く癒ったようだ。今年は志賀直哉先生が亡くなって七年になる。去年も都合で命日にお伺い出来なかったので、今年は青山のお墓に参ってから、渋谷の志賀邸に伺おうと思っていた。しかし、そのときはまだ、咳と微熱がどうしても除れなかった。こんな軀で命日に伺って、皆さんに風邪を伝染したら大へんである。結局、断念して、連絡を下さったM氏にそのことを電話する。(7頁) 

 まさに私小説、といった感じだ。ところが、この作品の肝は、父親をめぐる回想が、現実の時間と並行するようにして描かれていることだ。講演をするために地元に戻る「私」が、そのなかで父を思い起こす。妙高は、徴兵された末弟を見送ったとき、父といっしょに泊まった場所でもあった。その記憶の場所に向かうにつれて、思い出される記憶も、妙高へと近づいていく。

 このように書くと、島村利正という人間が前面に出てきてしまっているような感じもするが、この作品はまた、風景にも等しく目が向けられている。それは、作品冒頭の、こんな言葉にも表れているかもしれない。

人間の世界ばかりを思い描いていると、それがたまらなく嫌になることがある。そんなとき、風景を思い出すと救われる。風景には惨烈な人間模様に負けないつよさがあるようだ。しかし、自然の美しさの移ろいばかり追っていると、こんどはまた、人間の世界に還りたくなる。このごろ思い出す風光の彩りが、以前に比べて淡くなったように感じられるのは、年齢と精神の衰弱からくるのだろうか。まだまだ人間の愛憎を、いっぱい描かなければ死ねない筈だ。(8頁)

 この揺れ動く振幅のなかで生ずる。最近、さし合わせたわけではないにも関わらず、読むもの読むもの、志賀直哉の門下にあたる作家の作品が多い。あるいは、志賀直哉の作品に感じられる素直さ、かつ得体の知れなさも、島村が語る、このような意識によっていたのかもしれない。