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中村光夫の可能性—『虚実』あとがきから

 中村光夫といえば、『風俗小説論』における私小説批判が有名だろう。もちろん、彼の仕事はこれだけではないのだが、とはいえ、もはや『風俗小説論』こそが彼の代名詞のようになってしまっている。そんな風潮を責めているわけではない。事実、私にとってもだいたいそんな認識だ。

 先日、この著作を読み直す機会を得た。初読は学部2、3年生の頃だったと思うが、まあ当時よりは内容を飲み込めるようになった。やっぱり優れた批評眼の持ち主なんだなと思うと同時に、ちょっと納得できない箇所も、まま目についた。私小説、というよりは、正統である西洋文化の正しい摂取に失敗した日本文化を討つ、という意識が先走っていやしないか。それ故に、日本的とされる私小説を、あまりにも類型的なものとして見てはいないだろうか。特にここは、ちょっと反対したくなる。

 作者がみずから作中人物と化して踊ることで、小説をつくりあげ、併せてそこに作品の真実性の保証を見ることに、花袋から田中英光まで一貫した、我国の私小説の背景をなす思想があると思われます。自分のことを自分で書くくらい間違いのないことはない。事実である以上、嘘があるわけはないという考えです。(『風俗小説論』講談社文芸文庫、2011年11月、44頁)

 はたして中村の言うとおり、私小説作家が「自分のことを自分で書くくらい間違いのないことはない。事実である以上、嘘があるわけはないという考え」で小説を書いていたのだろうか。ただ自分の経験したことを思うままに書けば小説になるのなら、それほど簡単なことはないが――

 事実、そのように素朴に考えていた「私小説」作家もいたのかもしれないが、当然のことながら、本来それだけでは「小説」にはならない。

初めて小説を書いてみようと思い立った時、多くの人はまず自分の体験を一人称の「私」で素朴に綴ることから始めてみることだろう。しかし実際に書き始めてみると予想以上に困難なことに気がつき、多くの場合、途中でペンを放り出してしまうことになる。懸賞小説の応募作に多いのは中高年の人々が自身の体験談を素朴に綴った「自分史」であると聞いたことがあるが、実は「自分史」と「小説」とは似て非なるものなのだ。仕事の困難を克服した体験など、一つ一つは胸を打つ話柄ではあっても、実はそれ自体は「小説」ではなく、ノンフィクション等のジャンルでも充分に対応できるものなのである。それが「小説」になるかどうかはひとえに「描く私」の〝よそおい〟をどのようにつくっていくかにかかっている。(安藤宏『「私」をつくる――近代小説の試み』岩波新書、2015年11月、74頁)

  技術、といってしまえば少し大げさだが、個人的体験をひとつの作品にすることは、それほど容易ではない。「私」を語っていくと、自分がその「私」から離れていく。「私」のことを話していたはずなのに、次第に話がずれていく。「あれ、本当にそんなことってあったっけ?」なんて首を傾げることだってある。

 そんな葛藤のなかで、では「描かれる私」をいかに演出していくか、ということに悩み、試行錯誤を重ねたのが日本近代文学であり、その一要素としての「私小説」なのだ、と私は考えてみたい。その結果として、私小説には事実を基にしているはずなのに幻想的世界に到達してしまった作家、作品が見られる。極端な例としては、たとえば藤枝静男が挙げられるだろう。

 いや、そもそも「私小説」を独自のジャンルと見なすことにも、もしかしたら問題があるのかもしれない。第一、その書き手にまったく無関係に生まれる文章作品というものが、果たして存在するのだろうか。物語の舞台が空想世界だったからとして、それが現実世界に、そして作者の生活と無縁ということはあり得るのだろうか。ある登場人物のひとことに、その作者の「思想」がにじみ出てしまったとき、その台詞と現実の作者を結ぶ紐帯が生じているのではないか。

 これは私がしばしば好んで引用するのだが(この引用という行為にも、やはり引用者の私性が出ていると考えることもできる)、夏目漱石「創作家の態度」からの一節は、やはり念頭に置いておきたい。

誰の作は自然派だとか、誰の作は浪漫派だとか、さう一概に云へたものではないでせう。それよりも誰のこゝの所はこんな意味の浪漫的趣味で、こゝの所は、こんな意味の自然派趣味だと、作物を解剖して一々指摘するのみならず、其指摘した場所の趣味迄も、單に浪漫、自然の二字を以て單簡に律し去らないで、どの位の異分子が、どの位の割合で交つたものかを説明する様にしたら今日の弊が救はれるかも知れないと思ひます。(「創作家の態度」)

  つまり「私小説」を、小説の一要素として考えてみる。極端な話、すべての小説に私小説的要素は潜んでいる、と考えてみることで、つい内容面ばかりに押し込められて評価されがちな私小説の可能性を広げられないだろうか。まだなんの理論的根拠も持たない、ほとんど野望に過ぎないようなものではあるけれど、少なくとも私には、なかなか魅力的な仮定である。

 

 ところで、冒頭では少し批判的に論じてしまった中村光夫だが、彼には、私小説の可能性と同様、実はもっと豊穣な可能性があるのに「私小説批判者」というレッテルで覆い隠されてしまっている一面があるのではないか、と先日、いたく感じた出来事があった。

 まず、藤枝静男の書評のなかに、中村光夫の短編集を採りあげたものがあった。藤枝は、批評家としての中村には少し不満も持っていたけれど、この小説作品を読んで、好ましく感じた、とかなり好意的な評価をしている。とくに、中村光夫に特徴的なですます調で、しかもフランス文学者、作家である語り手を立てた、私小説的な形式の二作品「小さなキャベツ」と「サン・グラス」が良い、と。

 その短編集のタイトルが、その名も『虚実』。これはある一編を題名を持ってきたのではなく、総題としてつけられたものだ。この本が出版されたのが1970年。『風俗小説論』が1950年だから、そこから20年もあとの仕事になる。

 私には中村光夫に小説のイメージはなかった。しかし、せっかくだから図書館で借りて、上記の二編だけ読んでみた。まったくつまらなくはないが、正直、そこまでおもしろいとは思わなかった。ただ、中村光夫がこれを書いていたのか、と考えると、なんだか不思議な魅力があることは確かだ。

 しかし、この本で私がもっとも感銘を受けたのは、その「あとがき」の後半部分だ。 

 短編小説は近頃あまり重んじられない文学形式ですが、これを書いたことは僕にはよい勉強になりました。限られた長さのなかにできるだけ内容を盛りこむにはという初歩の工夫から、経験と仮構をどこでつなぐか、自分をどう露わし、どう隠すべきかという点まで、やって見て解ったことがいろいろあります。

 事物を言葉で表現するのは、何らかの形で嘘をつくのを強いられることだが、嘘が嘘としての機能を果すためには、本当に見えなければならない、という当り前のことが、いくぶん実地図に即して呑みこめました。

 総題を「虚実」とつけたのは、そういう気持からです。ここにあることは全部嘘と云えば嘘ですが、だからまた本当かも知れないのです。(『虚実』新潮社、1970年5月、179頁)

  至言だ、と思った。

「経験と仮構をどこでつなぐか、自分をどう露わし、どう隠すべきか」。ある意味ここは私小説の肝であるし、「事物を言葉で表現するのは、何らかの形で嘘をつくのを強いられることだが、嘘が嘘としての機能を果すためには、本当に見えなければならない」とは、そもそもなにかを言葉で表す時点で、まるっきり事実ではありえないという、私小説がもつ決定的な矛盾であり、かつ魅力でもある。

 いや、それ以前に、実はこの実直で誠実な短いあとがきには私小説に限らず、小説を書くときにだれしも悩み、そして常に抱えるべき大命題が詰まっているのではないか。

 中村光夫は、実際に小説を書いてみることで、もしかしたら批評だけでは得られなかったなにかを感じ取ることができたのかもしれない。たぶんそれは、彼の可能性を広げたはずだ。

 

 繰り返すと、『風俗小説論』は1950年、『虚実』は1970年に刊行された。彼は1988年7月12日(単なる偶然だが、このブログに最初の記事をあげた日も7月12日である)に亡くなるが、その2年前の1986年にも著書を出版しているから、生涯現役と言っても差し支えはないだろう。

 1935年にデビューしてから、50年以上にわたって仕事を残した。すると、実は『風俗小説論』は彼の仕事のなかでも前半期のものであって、さらに『虚実』から見て16年間の仕事が、彼にはあったということになる。

『虚実』のあとがきであのように書いた彼の「私小説」への目は、『風俗小説論』を著したときとは少し違ったものになっていたのではないだろうか。これも単なる思いつきに過ぎない仮定ではある。けれども、『風俗小説論』以降の仕事も追っていくことで、もしかしたら、強烈な「私小説批判者」とは異なる中村光夫像が、そこに立ち上がってくるのかもしれない。

 それこそ、彼の著作に潜む私小説的要素を、感じ取っていくことによって。

 

(文責 宵野)