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習作としての読書ノート『シュレーディンガーの猫を追って』第5回

 

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 第5回

  第4章「中国影絵」。そもそも中国影絵ってなんなんだ、とも思うけれど、ひとまず先に進む。ともかく、「わたし」のもとに一匹の猫がやってきたのだ。

「わたし」は、その猫によって思考のあり方が変わってくる。「何でもないようなことに注意を払うようになった」「わたし」は、しかしその猫を「わたしの猫」とはけっして言わない。むしろ「きみの猫」と言う。「きみ」とはだれか。この猫を最初に目にした「彼女」だ。で、「彼女」とはだれか。これはまだ曖昧で、どうやら「わたし」とこの家を共有する人物であることはたしかだ。常にこの家にいるわけではない「わたし」と「彼女」とは対照的に、大半の時間をそこで過ごす猫。自然、この家の主は猫になった。犬は主につく、猫は家につく、なんて言ったりもするが、ここでも猫は家を我が物にしている。

 ところで、ここまで追ってきても、「わたし」がいったい何をしているひとなのか、いまだによくわかってこない。ずいぶんとのんびりした生活をしているように感じるが、それもそのはずだった。この時期のことを「わたし」は振り返って、「それはわたしの生涯でもっとも静かな時期のひとつだった。まるで人生から長期休暇を取ったかのような感覚。」「世界と交渉し、世界から与えられた休暇。」などと表現しているのだから。

 文字面をそのまま受け取るならば羨ましい限りなのだが、なぜだろう、最初からずっとそうなのだが、どことなく淋しげな空気を感じずにはいられないのは。

 大いなる無為。終わりなき日曜日。ひとは、真っ当な活動に時間を使えないとなると、あらゆる類いの重要な使命を編み出して、密かにその任を受けた自分を思い描く。雲がすぎてゆくのを眺めるとか、草が生長する音に耳を傾けるとか、潮の動きを確かめにゆくとか。わたしの場合は、猫の世話だった。(37頁) 

  やはり、どこか空虚だ。あんまり楽しそうではない。ぽっかり穴が空いているようだ。けっして埋まらない穴を、それでもなにかで埋め合わせようとする、そんな痛々しさすら感じる。

 その理由が、ようやく明らかになってくる。

 自分の人生の総括を試みると、他人からどんな意味が与えられていたのかが見えてくる。わたしの生き方がひとに与えていた印象といえば、完全に気が触れていたとまではいかないが、精神にいくらかの変調をきたした人物というところだった。一人娘を亡くしてから十五年以上にわたって営んできたわたしの生活について彼らが知っている——あるいは知っているつもりの——ことからすれば、それも当然だろう。(38頁)

 ここでひとつ、フィリップ・フォレストについて触れておこう。彼はもともと小説を書き始める前は、フィリップ・ソルレスをはじめとした前衛の文学や芸術に関して批評を行っていた。そんな彼の転機を作った、いや、より正確には転機を余儀なくしたのが、4歳の一人娘を癌で亡くしたことだった。

 わたしがフォレストについて知っていることは少ない。初めて彼の名前を目にしたのは、堀江敏幸『アイロンと朝の詩人 回送電車Ⅲ』(中央公論新社)に収録されている「時間の森への切り込み」のなかでだ。しばらくこの文章を引きながら、フォレストと小説の関係を考える。

 危機にある娘を基準にして「絵札」をならべようとしたとたん、価値の範列が崩れていく。思想や理論に縁のなかった日常のこまごまとしたものが新鮮な意味の光を放ち、うるわしい混乱を生じさせる。子どもに襲いかかる社会的な事件が、子どもの死をめぐる文学作品が、これまでにない鋭敏な、生の反応を父親に強いるのだ。ジェームズ・バリーのピーターパン、娘が水死したことを知ったユゴーの詩、五歳で母を喪い、十五歳で妹を喪い、二十歳で初恋の女性を喪い、自身の息子アナトールをまた病で亡くしたマラルメの詩行。大学で講じていた文学理論の数々、世間に受けのよい一見高尚な仕掛けを支えていた偽りの皮膜が、ぼろぼろ落ちてくる。(『アイロンと朝の詩人』55頁)

 自分の身に起きた出来事によって、それまで接していた作品の見え方が、文学観そのものが変わってしまう。これはおかしなことではない。

 それでも、アカデミズムの領域における文学研究では客観性が重視されるだろう。それはそれで、当然である。批評もまた、ある意味では同じかもしれない。主観を避けるため、ある論を組み立てるときに、そのひとの個人的体験は無関係であることを要請されるかもしれない。

 しかし、ひとつの文章において、客観と主観は共存すると私は思う。

 第一、まったく「私」性のない文章が、果たしてあり得るのだろうか。書くこと、それには「私」が必ず伴う。そして、書くことと読むことは表裏一体の行為だ。だから、読むことにも「私」が伴う。フォレストの場合、娘の死により、読みに変化が生じた。ゆえに書きも、変化する。

 この堀江の文章の題は、「小説は、時間の森への切り込みである」というフォレストの言葉に基づく。

「小説は、時間の森への切り込みである」とフォレストは書く。ただし、そのような認識に達したあと書きはじめたのではない。『永遠の子ども』(堀内ゆかり訳)と題された「小説」に生じている重みは、批評文とそうでない文章の障壁について考え抜くごつごつした断章群が、娘との日々を生き直す行為と共存し、「無用なセンチメンタリスム」をみごとに殺しているからだ。みずからに封印していたもの、封印しようと思っていたものへの客観的なまなざしが、ここから徐々に機能しはじめる。(同56頁)

  この『永遠の子ども』では、4冊の本が大きな役割を果たしている。そのうちの2冊が、大江健三郎『懐かしい年への手紙』と『静かな生活』のフランス語訳なのだ。

 私は『懐かしい年への手紙』だけは一度、読んだことがある。ある時期からの大江の作品は、彼の子ども、生まれつき障害を持っている大江光の存在を抜きにして語ることができないが、とにかく大江の作品には、私小説的要素が多分だ。しかし、それはただ自己の体験を語るだけではない。大江の作品は、過去に遡ってやり直しを試みようとする。あるいは、べつの可能性があったのではないか。その疑いを、小説という形で繰り返し繰り返し問おうとしているかのようだ。

『懐かしい年への手紙』は、『万延元年のフットボール』の再プロットが大枠だ、とかなり乱暴ではあるが、言えないことはない。そして作中では、ほとんど同じでありながら結末が真逆になっている『個人的な体験』と『空の怪物アグイー』のあいだにおける「書き換え」、あるいは「やり直し」に自ら触れている。自己の体験をこのように語ろうとすること。フォレストが惹かれたのは、大江のこうした執筆の姿勢だったのかもしれない。

 すると、彼が量子力学、「シュレーディンガーの猫」において問われる「重ね合わせの原理」に入れ込むのも、同様の理由からだろう。もうひとつの世界。フォレストが見つめようとするものは、そこにある。

 

 娘の死、という重い出来事を契機としながら、フィリップの自分を見る目は冷静であり、冷徹ですらある。

 私は人生の内側、かつ、外側にいた。だが、それは誇張だろう。自分の運命だけが特別だと、誰もが思いたがるものだ。(39頁) 

  そして、自分について語る、という行為についても、冷静に分析している。

一時的で無害な偏愛程度のことでしかないものが、口にされた途端、過剰な重要性を帯びてしまう。自分の人生を語ることは、このように絶えず視野を歪めてしまう。だから、どれほど誠実であったとしても、他人が自分について話す中身を信用することほど軽率なことはない。何もないところからすぐに物語が作りあげられてしまうからだ。(39頁) 

  娘の死に、物語的な意味を与えようとすれば、それはそれほど困難なことでもない。あるいは、そうすることによって自分を納得させ、癒やすこともできるだろう。しかし、きっとフォレストは、必ずしもそれをよしとはしていない。夜空の星を結んで、その線でイメージを描く。それとはまたべつの方法、闇夜を見つめ続けることによって、輪郭の溶けたなにかを捉えようとする。そこになにかがあろうがなかろうが。

 フォレストにとって小説を書くという行為そのものが、量子力学的実験であるのかもしれない。

すべての寓話は、どのようにして暗闇が光を産み落としたのかを物語る。そう、つねに夜が昼に先んじるのだ。昼は夜から生じる。そしてふたたび訪れるのは、夜、人生でもっとも真実な瞬間なのだ。(40頁)

 

 この章は長くなりそうなので、一旦ここで分ける。「中国影絵」についてはまた次回。

 

 せっかくなので余談をすると、この章は引用したい箇所が多すぎて困っている。長くなっている要因も、そこにある。

 最近は、この「引用」という行為にも難しさとおもしろさを感じている。もちろん、引用した文章は他人のものだ。けれども、どこをどのように抜き出して引用するのかを決めるのは、引用者だ。ミハイル・バフチンは『小説の言葉』(平凡社ライブラリー)で、「コンテキストの中に含まれた他者のことばは、それがいかに正確に伝達されたとしても、一定の意味の改変を常に蒙るのである」と言うが、おそらく、私が引用という行為に感じている難しさも、そこに起因するのではないかと思う。文章は、前後とのつながりでできている。だから、そこを抜き出すことによって、元々その文章が含んでいた意味やニュアンスの一部が抜け落ちてしまわないだろうか、あるいは、自分の都合の良いように抜き出して使ってはいないだろうか、などと思ってしまう。

 だったら全体を引用すればいいかと言うと、自分の文章よりも長くなるような引用は、これもちょっと違う。もはや引用の域を越えているような気がする。

 引用。フィリップ・フォレストは「小説」を書くときに多くの書物や作品を下敷きにしているが、元ネタがあるからといって簡単になるわけではまったくなく、むしろ困難になることも多い。可能ならば、この引用という観点からも論じることができれば、と思う。

 最後。今回は一部、「書き換え」について論じてみた。最初にも申し上げたとおり、この一連の文章も、最終的には編集して、つまり書き直して、ひとまとまりの文章にできれば、と思っている。この文章そのものもまた「私小説」になり得るのではないか、と感じているのも、そういった理由からである。

(第6回に続く)

 

参考文献

大江健三郎『懐かしい年への手紙』講談社文芸文庫、1992年10月

堀江敏幸『アイロンと朝の詩人』中央公論新社、2007年9月

ミハイル・バフチン『小説の言葉』伊東一郎訳、平凡社ライブラリー、1996年6月初版、2013年8月第8版

 

(宵野)