ソガイ

批評と創作を行う永久機関

「第29回文学フリマ東京」感想

 ソガイは、スペースを間借りして配布したフリーペーパーで1回、個人での出店が3回と、計4回の文学フリマ東京に参加している。文学フリマ東京は半年に一度開催されているから、毎回参加するとなると、結構大変なのだ。打ち上げの飲みの席で半年後の計画を練り始める、というように。

 

 というわけで、ソガイは先日開催された第29回文学フリマ東京に出店することができなかった。継続こそが重要、と言い続けていながら情けない限りだ。私が個人的に追い続けているサークルさんがひとつあり、そこは比較的ソガイと活動開始時期が近いところなのだが、これまでに作った冊子の厚みを比べて、珍しく落ち込んでいたりする、今日この頃。

 少しつけ加えると、私が最初にソガイであげた『アイドルマスターミリオンライブ!』の書評記事は、このサークルさんの創刊号に寄稿されていた随筆に触発されて、いつの間にか書いてしまっていたものである。

 

www.sogai.net

 

つまり、このサークルさんとの出会いがなければ、私はこのような活動を始めていなかったかもしれないのだ。そういった意味で、私がまったくもって勝手に追い続けている背中である。

 

 とはいえ、何度かツイートしたが、私宵野は今回、矢馬潤という別名義で小説アンソロジーに参加した。なので、いちおう私の文学フリマ東京連続出店は続いている。この筆名は今回のために作ったものだが、本名をもじったこの筆名は結構気に入っており、そのうちこの筆名をメインで使おうか、と思っている。

 ともかく、今回私は久々に小説をしっかり書いたのだが、これがいままでに書いてきたものとは大きく変わり始めてきており、自分のことながら興味深い。言ってしまえば、私小説っぽくなってきたのだ。これは、読んでいるものの変化による影響が大きいのだろう。ここ1、2年、たしかに私は私小説的な作品を多く読んでいる。何度も言及している小川国夫『弱い神』は、厳密には「私小説」ではないだろうが、それでも「私」の影が色濃く投げかけられていることにちがいはない。

 その作品は、同人仲間にもまずまずの評価で、私としても強く愛着のある作品のひとつとなった。そのうえでしかし、読み直すなかで、まだまだだなと思わされた。現実と虚構の止揚を、もっと昇華できるはずだと思った。

 これより前に書いた、ここではない場所で発表する予定になっている小説も実体験を基にした作品だが、戻ってきたゲラを読み直すと、これは疑いようもなく大失敗作であった。小説になっていない。あまりにも現実に引っ張られすぎていた。自分で読んでいて、痛々しかった。

 それと比べると、今回の作品は、現実と虚構がずっと溶け込んではいる。つまり、多少は成長が見られるということではあるのだが、これでもまだまだ。あまりにも物語が弱すぎた。これは大きな課題だ。

 

 というわけで、なんとも中身のない文章になってしまったのだが、とにかく文学フリマに出て毎度思うのは、ここにいると本を作りたくなるということだ。修士論文に職探しにいろいろ忙しい時期でありながら、今すぐにでも本が作りたくてうずうずしている。計画が、頭の中をぐるぐる回っている。小説も書きたいし、評論も書きたい。このような感じで、次回に向けて意欲の充填だけはばっちりだ。

 

 個人ブースか間借りかなど、どのような形になるかは分かりませんが、次回は本を作って参加しますので、よろしくお願いします。(第2号 5部、第3号 16部、第4号 23部と、そろそろ重くなってきた在庫も携えて)

 

(宵野)