ソガイ

批評と創作を行う永久機関

2019年を振り返る

 二十歳を過ぎると一年がどんどん短くなっていく、とよく言われるが、まったくもってその通りだなあ、としみじみ嚙み締める今日この頃。論文だったり進路だったりと、いろいろなことでばたばたしていたせいでもあるのだろうけど、この一年は本当にあっという間だった。

 で、そんな感じでいろいろあった一年間だったのだが、いや本当にいろいろあって、そのなかでは辛いことの方がずっと多かったのだが、四月から、月曜日から金曜日まで仕事をもらえることになりそうなのは、ひとまず良かったことだろう。もちろん、だからといってけっして安泰ではないのだが、まあそういう人生はとっくに諦めているというか、これは私の性というか、宿命のようなものだと思っている。結局私の人生、勉強からは逃れられないのだ。もっとも、これからの社会において死ぬまで安寧の暮らしをできるひとがいったいどれだけいるのだろうか、なんて思わないでもないのだが。

 来年のことを言うと鬼が笑う、とはよく言ったものだ。まあその「来年」はもうすぐそこに迫っている訳であるのだが、ともかく、未来のことは、未来の私に任せておくほかない。しかし、どうしても不安に思ってしまうことがある。それは、働き始めてからも本を読めるか、ということだ。

 先日、学部時代に所属していたサークルの先輩と飲んでいたときのことだ。私たちの代で読書量が一番多かったと思われる同期が、働き始めてからほとんど本を読めていないらしい、とその先輩は話した。これには驚いた。文芸誌を継続して購読し、近代から現代まで、幅広い時代の作品を読んでいた彼が。もちろん、仕事以外にも要因があるのかもしれない。しかし、学生時代のように本を読めていないらしいことには違いない。

 二十五歳にして初めて、いわゆる「社会人」となる(とはいっても、一般的なそれとは少し異なるのだが)私としては、そこが不安のひとつだ。べつに流行に乗れなくなることが怖いのではない。それを言うなら、私は数年前からすでに流行には乗れていない。特に乗る気もない。そうではなく、いま当たり前のように自分のそばにある本に、目を向けられなくなるかもしれない、ということがまったく想像できないのだが、だからこそ、それがしかしまったくあり得ないことではないことが、怖い。

 というわけで、正直この年の瀬をむかえるにあたって私は、未来に目を向けることに少し臆病になっているのだ。目下の楽しみは伊達巻きだろうか。家族のうちであれが好きなのは私だけなのだ。

 

 冗談はこれくらいにして、とはいえ本気で、ちょっと過去に目を向けてみるのも悪くはなかろう。正確に「今年」読んだものを記憶していないのだが、それもそれということで、今年読んだもののなかで印象に残っている本について、ちょっとなにか書いてみようかと思う。

 

 思えば、私の春休み、修士1年と2年のあいだの長期休暇、普通に考えれば修士論文に注力すべきこの時期に、私は2冊の大きな長篇を読んでいた。ひとつの小川国夫『弱い神』で、もうひとつが平出隆『鳥を探しに』。2冊合わせて1200頁ほどの分量がある。言ってしまえば、どちらもちょっと変な作品だ。『弱い神』は、壮大な連作短篇だ。長年、いくつかの文芸誌で断続的に書き続けていた短篇を並べて、ひとつの作品になっている。果たして小川国夫に、最初から完成形の『弱い神』の構想はあったのかなかったのか。『鳥を探しに』にいたっては、果たして小説なのかどうか。現実の筆者に限りなく近いと思われる語り手の個人的な経験と、そのひとの祖父が翻訳した文章が交互に、そして祖父の描いた絵がところどころに挟まれていくこの文章は、分量からするとかなりのものだと思われるのだが、思いのほかすらすらと読めてしまったのだから、おもしろい。

 そういえば、『鳥を探しに』にも出てくるが、平出隆は福岡県門司市(現北九州市門司区)の出身だ。で、門司については、これも今年読んだ本のなかにもある。山田稔『門司の幼少時代』。これはかまくらブックフェスタにて購入。かまくらブックフェスタについては、ちょっとした文章も書いた。

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 この本については、作品もさることながら、ものとしての本のかたちが非常に私の好みだ。ドイツ装で、背は青地の布、そこには金で箔押しされた背文字、ホローバックで開きやすく、版面は天地のど小口にゆったりと余白をもって組まれている。裏表紙には一切文字がなく、紙のクリーム色があるのみ。端正な姿である。

 山田稔については、なんとなく名前を聞いたことはあったが、その文章をちゃんと読んだことはなかった。かまくらブックフェスタを良い機会に、この『門司の幼少時代』と、みすず書房の『別れの手続き』を読んだ。とくにこの表題作「別れの手続き」はとてもよいもので、こんなにもすばらしい散文の書き手がいたのか、と世界の広さを改めて感じた。また、その帰りに寄った古書店で、『別れの手続き』に収録されている「ヘンリ・ライクロフト——または老いの先取り」で語られている岩波文庫の『ヘンリ・ライクロフトの私記』に出会って購入したのも、良い思い出だ。こちらはまだ積んでいるので、近いうちに読みたいと思っている。

 ところで、これは厳密には今年の話ではないのだが、私がこの活動を始めるきっかけにもなった、もっと言ってしまえば、私がこのような文章の書き手になった原因である、ゲッサンの『アイドルマスター ミリオンライブ!』の作者である門司雪は、門司となにか関係あるのだろうか? ふと疑問に思って調べてみると、なんと門司さん、福岡出身らしい(Twitterにて、そのようなツイートがあった)。門司出身であるかどうかまでは調べることができなかったが、ともかく、まさかこんなところでつながるとは。まったく、思いもよらないものである。門司さんは、年が明けてすぐに新作の第一巻を出すらしい。以前と比べるとあまり漫画を読まなくなってしまった私ではあるが、これはとても気になるので、忘れずに買おうと思う。

 さて、そんな山田稔の訳によるシャルル=ルイ・フィリップ『小さな町で』を最近読んだのだが、この「小さな町」系の題を持つ日本の作品が、いくつかある。それについては堀江敏幸『傍らにいた人』で少し触れられているのだが、そのひとつが、小山清『小さな町』だ。小山清は新聞配達をしていたことがあるのだが、おそらくその経験を基にした作品だ。仕事をするなかで、印象に残っているひとを順番に描いていくこの作品は、人々の生活を描くことでひとつの「小さな町」を描き出していったフィリップのそれと同様、人について描いていくことで、その小さな配達区域という場を描いている。この小山清については、『落穂拾い・犬の生活』というちくま文庫の本を買って読んだ(これについても、すこし書いた)。 

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 私小説の趣がある小山清だが、私はとくに「落穂拾い」が好きだ。実話か創作か、最後までぼかされたこの短篇に登場する、古本屋を経営する少女に、私は非常に好感をおぼえている。私は、稀に架空の人物に思慕の念を抱くことがあるのだが、今回がそれだ。もしこのような人が切り盛りする古本屋が近くにあったら、毎日でも通うのになあ、と思ったものだ。

 そして、この作品で好きな一節がある。「仄聞するところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は噓の日記だそうである。」という書き出しも良いが、もうひとつ、「僕はいまの人が忘れて顧みないような本をくりかえし読むのが好きだ。」というところだ。私も、この「僕」に少しずつ近づいてきているようだ。そして、この「僕」はそのような本を、あの少女の古本屋の均一棚で見つけているのだから、これが本当に羨ましい(「落穂拾い」インスパイアで、なにか掌篇でも書いてみようか)。

 古本屋にいくことが増えた一年であったが、新刊書店にも相変わらず通っている。しかし、もしかしたらその頻度は少し下がったかもしれない。それは、最近の私が新刊ではなかなか手に入らないような作品に関心を寄せている、ということもあるかもしれないが、それを抜きにしても、書店での以前のようなわくわくを、あまり感じなくなってきているせいもあるのだろうか。

 永江朗『私は本屋が好きでした』は、書店に「ヘイト本」が並ぶ原因主に流通の面から迫り、さまざまな現場のひとの話をまとめながら考察した本だ。この本の議論を巡っては賛否両論のようだ。私も、永江さんの意見のすべてに肯けるわけではない。しかし、それは当然のことではないだろうか。100パーセント賛成できてしまう本というのも、それはそれで怖い。

 私は「ヘイト本」の類いを読んだことがない。それは思想的な云々というよりも、僕にとってはわざわざお金を払ってまで読みたいようなものでもないな、とちょっと中身を見ただけで感じるからだ。あとは、タイトルや表紙、そして帯に踊る挑発的なコピーに、やたら偉そうな著者近影がうざったい、というのもあるだろう(ヘイト本に限らず、著者の顔がやたら前に出てくる本があまり好きではない)。

 しかし、そういう本を直感的に求めているひとがいることも事実なのだろう。私は直感的に避けているのと同様に。その差は、いったいどこにあるのだろうか。もちろん、感覚的には「ヘイト本」を好んで読むことはあまり良いことではないと思う。しかし、それを論理立てて説明するのは難しい。たまたま僕の感性に合わなかった、ただそれだけのことではないか、と言われたとき、私は明確な反論を持っていない。たしかに、このときの私の感性は、どちらかといえば「正義」側のものに近しいと言えるだろう。しかし、「正義」なんてものは容易に捏造されることは、歴史が嫌になるくらい証明している。自分の「正義」を、私は疑っている。

「出版界はアイヒマンだらけ」という著者の感想が、この本のキーワードであろう。言ってしまえば、アイヒマンはナチス政権下の空間においては「正義」をただ遂行していた人物だった。たまたま地位が高かったこと、役職が強制収容所についてのものだった、というだけのことだ。だからといって、「だったら仕方ないね」とはならない。……難しい問題だ。そして、この本には数々の現場のひとの話が載っているが、話しぶりがどこか他人事だな、と私も感じた。「出版界はアイヒマンだらけ」という言葉はやや刺激が強すぎると思うが、まったくの間違いとも言えないようだ。この問題については、私も考えていかなければいけないな、と思った。

 そして、この本といっしょに買った本のなかに、島田潤一郎『古くてあたらしい仕事』がある。

 ひとり出版社「夏葉社」を営む島田潤一郎のエッセイ、というのが一番近いような気がする。転職活動の失敗と、従兄の死。このふたつの辛い出来事を通して、島田さんは自分にしかできないことを模索した。息子を亡くした叔父と叔母を慰めるための詩の本を作るところから始まった島田さんが、「具体的なだれかを思って、本をつくる。それしかできない。」と語る、その思いを、私は嚙み締めた。島田さんには到底及ばないけれど、私もこれから「本」というものを作るとき、どのような考えをもって臨むのか、しっかり考えようと思った。

 そしてこの本で重要だと私が勝手に思っているのは、冒頭の方で、会社員への憧れはいまでもある、と告白していることであり、そして最後の方で、「ミニマルであることにこそ価値があると考えるようになってしまったら、それは単なる思考停止だ。」と厳しく言いつけていることだ。私の話になってしまうが、就職活動に失敗し、一年浪人して大学院に通い、そして結局、正社員にはならない働き方を選んだ私のことを、ひとは羨むかもしれない。やりたいことができていいね、と直接言われたこともある。否定はしない。いまの道を選ばなければ、たぶん私は潰れていたと思う。

 従兄が亡くなり、転職活動も失敗続きのある日、島田さんはふと自殺したくなったことがある、と書いている。いまだから話せることだが、大学時代、自殺までは考えなかったけれど、すべてを投げ捨てたいと思ったことはあった。いったい何度、休学や退学が頭をよぎったことか。そんな精神状態のまま社会に入っていたら、再起不能に陥っていたかもしれない。

 けれど、矛盾するかもしれないが、飲み会にスーツ姿でやってくる同期に、私はいまだに後ろめたさをおぼえている。ネクタイが大嫌いだから絶対にスーツなんか着たくはないのに、それでも、スーツを着て、それなりの企業で正社員として働く人間に「なり損ねた」という感覚が、いまだにつきまとう。

 けれど、島田さんは死ななかった。それは、従兄のほか、若くして亡くなった友人たちが「なんで死ななければならなかったんだろう」と考え続けたなかで、「人生は嘆いたり、悲しんだりして過ごすには、あまりに短すぎる」、そして、亡くなったひとに「すごく楽しかったねえ」と伝えたい、と思ったからだ。私も二十歳のとき、なぜひとは死なねばならないのか、終わりのない問いを考えざるを得ない状況に陥った。おそらくその結果だろう。文学を通じて、死者とつながりたい。それが私の幹になった。島田さんは、本を一対一の手紙に喩えている。この喩えは私にとって非常に親近感をおぼえるものだ。

 これに近しい感覚を、朝吹真理子も記している。「なにかを書くときは、果てしない海にむかって、壜を投げるような気持ちでいる。」。これは、今年の7月に刊行された朝吹真理子初のエッセイ集『抽斗のなかの海』に、巻頭言のようなかたちで一番最初に収録されている「信号旗K」の一節だ。ボトルメールが物語で重要な役割を果たすことが少なくなっているように思われる。時代遅れと言われようと、私はボトルメールの感覚をいまだ持ち続けているどころか、ますます強くしている。

『抽斗のなかの海』の最後の頁には、「中央公論新社 既刊より」という広告がある。その1冊が、『抽斗のなかの海』の一月前に刊行された、小川洋子と堀江敏幸の共著『あとは切手を、一枚貼るだけ』だ。小川と堀江が交互に書き継ぐかたちで編まれたこの作品は、お互いに送る手紙によって成り立っている。実はここにも、「投罎通信」という言葉が用いられている。もちろん単なる偶然だとは思うが、偶然に気づいてしまったときほど胸躍る瞬間はない。ちなみに、私の数年前、ボトルメールをモチーフに女性と少女の邂逅を描いた短篇小説を書いたことがある。それが、ここでも公開した「優しい海」である。

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  少し話を戻すと、『古くてあたらしい仕事』では庄野潤三について書かれている。島田さんは学生時代から庄野潤三の作品が好きだったようで、会社を立ち上げたその年に亡くなったその作家の作品を復刊させようと手紙を出したことから、庄野家との付き合いが始まった。夏葉社は庄野潤三について2冊の本を刊行している(『親子の時間 庄野潤三小説撰集』『庄野潤三の本 山の上の家』)。どうだろう。庄野潤三も、もしかしたら現代においてはやや忘れられつつある作家のひとりなのかもしれない。かく言う私も、数篇しかその作品を読んだことがなかった。

 ここに描かれる庄野潤三とその家族に魅力を感じ、そういえばと思い、積み本の山をあさった。あった。かつて古書店の均一棚で買った、講談社文庫『夕べの雲』。庄野潤三は晩年、子どもたちが自立したあとの自分たち夫婦の話を延々と書き続けているが、その前日譚にあたるとも言えるのが、この『夕べの雲』だ。連作形式で、山の上の家に引っ越してきた家族の生活が描かれている作品だが、温かい作品だった。いつまでも、この家族のそばにいたい。そんな風に思わせる作品だった。それに合わせて随筆もいくつか読んだ。特筆すべきは、その素直な感情の吐露だ。図書館で借りた本だったのでいま手元にはないから正確な引用はできないが、「おいしかった。」「嬉しい。」「やめてほしい。」といった、あまりにも直接的な感情の一言が、ぽつんと挟まれる。これを稚拙、幼稚と感じるひともあるだろう。だが私は、自分にはこういった一言を書き付けることができるだろうか、とむしろ敬意を払いたくなった。そして、これを書けてしまうことこそが、この作家の資質なんだろう、と思う。書き続けることがまず一番大切だ、とあえていろいろなひとに宣言している身として、いま、この作家の晩年の作品に、非常に興味がある。

 さて、そんな夏葉社の『親子の時間 庄野潤三小説撰集』だが、この装幀は和田誠だ。これは島田さんきっての希望だった。和田誠が亡くなったのは、今年の十月のことだった。

 私は、和田誠の仕事をまだちゃんと追えていない。だから軽はずみなことは言えないのだが、現代の日本出版の装幀を考える際に必読となるだろう、これも今年読んだ臼田捷治『装幀時代』では、和田誠にひとつの章が割かれている。その副題が、「等身大のエンターテインメント」だった。とにかく身の回りのことについて書き続けた庄野潤三の本の装幀者として、相応しい人物だったと言えるだろう。

 

 続けようと思えばまだまだ続けられそうな感じもするが、そろそろ締めに入っていこう。

 さて、ここ一、二年の私の文章を知っているひとがいれば、最近の私がいつもこのような書き方をしていることが、きっとわかるだろう。進歩がない、と言われたらそれまでなのだが、いちおう、信念がないわけではない。

 思考や感情の動きの過程をそのまま書きたい。そんな理想を自分に掲げている。「もちろん単なる偶然だとは思うが、偶然に気づいてしまったときほど胸躍る瞬間はない。」なんて自分でもさっき書いているが、ほんとうにそうで、その瞬間の感動を描き、そして読者にも味わってもらうには、もうそのまま書くしかないんじゃないか、というのが最近の私の考えだ。この文章にもさまざまな本に出てきてもらったが、これは最初からすべて用意していたのではなく、前から書いていくなかで思い出した本を、その度に本棚から探して引っ張り出してきて、ぺらぺらめくりながら記憶を辿って、ということを繰り返した。最初に用意していたのは、『弱い神』と『鳥を探しに』だけだ。お陰様で、書き始めたときにはまだ半分くらい余裕があった勉強机が、いまや完全に本で埋め尽くされている。つぎに私がすべきことは、これらの本たちを戻してあげることである。

 

 来年もこんな文章を書ける自分でいたいな……なんて思う。

 

(宵野)