ソガイ

批評と創作を行う永久機関

筆まかせ 1

 2/27

 なにか新しいことを始めたい、と書いた。そこには具体的に書かなかったけれども、その候補のひとつとして、古井由吉の作品をこつこつ読み進めてみる、というのがあった。古井の作品は『杳子・妻隠』『雪の下の蟹・男たちの円居』くらいしか読めておらず、いつかはしっかり腰を据えて向き合ってみたい、と思っていた。だからここ一年、古書店などで古井の作品を見つけてはこつこつ買い集めていた。

 訃報に接したのは、そんな矢先だった。八十二歳という年齢を考えれば、天寿を全うしたと言えるだろう。しかし、なぜだろう。いつかは必ずこの日が来ると分かっていたはずなのに、このひとは永遠に書き続けているような気がしていた。不思議な感覚だ。

 思い出した。もうひとつ読んでいた。『半自叙伝』。単行本の方を、古書店で買っていた。思えば、家族でお墓参りにいったときに、小さなスーパーの駐車場、皆はお菓子やお供え物を買いにいっている車のなかで、この本を読んでいた記憶がある。外の音がくぐもった車内、日差しが、彼が体験した空襲の炎となって頬を熱するように感じた。聞いた話であるが、古井の作品ではふと空襲の記憶がよみがえることがしばしばあるという。自分の家、そして町が突然焼き尽くされる。そんな経験が、その後の人生に影響を及ぼさないはずがない。この『半自叙伝』でも繰り返し語られる戦時、そして泡沫経済の外に置かれた経験が、きっと彼の作品を支えている。

 見た事とみなかったはずの事との境が私にあってはとかく揺らぐ。あるいは、その境が揺らぐ時、何かを思い出しかけているような気分になる。(193-194頁) 

  私は、昼のお墓の静けさに心地よさを感じる。どうしてだろう。深く考えたことはない。雑草を抜き、墓石を磨き、花を供え、線香の先から揺らめく煙の行く先を目で追ってから、手を合わせて目をつむる。具体的な言葉は、胸に浮かべない。目を開け、大きくひとつ息を吸い込む。すると、少しからだが軽くなっている。私も生と死の境にあって、なにかを思いだしかけているのだろうか。そのとき、私は個をちょっと離れて、なにか大きなものに触れているのかもしれない。

 古井が残した文章が、散らばっている。その限り、古井自身が境にあり、読者は境にある古井に触れる度に「何かを思い出しかけ」るだろう。

 

 2/28

 先日、友人と食事に行ってきた母親が、お土産を買ってきてくれた。なにかお菓子かな、と思って袋のなかをのぞくと、手のひら大の布のかたまりが入っていた。出してみる。マガモのぬいぐるみだった。

 これ見たら、あんたの顔が思い浮かんで。あんたなら分かるでしょ、このかわいさ。相槌は、母親の顔を見ずにうった。目は、すでに手のなかのマガモの、まん丸の瞳に奪われていた。

 数年前、ものが多くなって仕方ない部屋を整理するために、突然思い立って大掃除を敢行した。いつもは開けない棚のなかのものを全部出して、仕分けをしていた。私はものを捨てることがあまり得意ではない。いつか使うから、とかそういうのではなく、単純に「捨てる」という行為が苦手で、だから、幼稚園児のときに趣味で集めていた車のチラシ、それを入れていた、ユニクロがロボットメガストアとコラボしたときの紙袋をいまだに持っていたりする。

 ともかく、そのときひとつのぬいぐるみが出てきた。赤いマントを巻き、右手に、本来左手に持っていたはずのチェロを奏でるための弓を持って直立するカモ。尻尾のところにはプラスチックの巻きネジがあって、回すと、かく、かく、といびつな動きながら首を回し、「かっこうワルツ」のワンフレーズをオルゴールで奏でる。訊くと、ずいぶん小さい頃に買ってもらったぬいぐるみだという。

 もちろん、当時のことを憶えているわけではない。でも、妙に愛着があってやっぱり捨てられず、それどころか勉強机の上の棚に置くことにした。たまにネジを回して、でも最後のほうになると自力で回ってくれないから、自分で少し力を入れて逆回転させてオルゴールを鳴らす、なんてこともしている。

 東京でカモを見る機会は、あまり多くない。けれど、橋から川を見下ろしていると、すいすい泳ぐカモの姿を見つけることがまれにある。そんなとき、私は急いでいない限り(もっとも、私には急がなければならないような用事があることが少ないのだが)、ぼうっと、尾の方から広がる波紋の行方を眺める。あまり意識したことはなかったけれど、私はカモに愛着があるのかもしれない。

 いま、母親が買ってきたマガモはベッドの頭に座っている。こころなしか、最近は眠りが深い。夢のなかで、私はこの子と一緒に川のうえを漂っているのだろうか。

 

2/28 2

 歴史の教科書やテレビで、1973年のオイルショックに際して起きた「トイレットペーパー騒動」の様子を見ることがある。文字通りトイレットペーパーを奪い合うあの光景は、当の本人たちは真剣なんだろうとは思うが、ひとことで言えば「狂乱」といった印象を受けた。結局あれは流言飛語だったらしく、トイレットペーパー不足を招いたのはほかならぬ消費者自身だった、というのは笑えない冗談である。

 で、いまこの国では同じような光景が見られる。ドラッグストアでトイレットペーパーにティッシュペーパーをいくつも手にぶら下げて会計を待つひとの列に、私はもはやなにを言う気にもならなかった。ただ、ハンドソープが品薄で「お一人様一点」となっていたのには驚いた。公共の男子トイレなどでも思うことだが、日頃から石けんやハンドソープで手を洗っているひとが少ない、ということなのだろうか。

 こんなことを言ってしまうと大袈裟だと思われてしまうかもしれないが、この流言飛語に踊らされるひとびとを見ていると、どうしても関東大震災のことを思い起こしてしまう。「朝鮮人が井戸に毒を入れている」などの流言が飛び交い、自警団や一般住民によって多くの朝鮮人や中国人、あるいは地方出身者が虐殺された。最近刊行された『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』(西崎雅夫編、ちくま文庫)には、そのことに関する記録が多くまとめられている。この証言集には子どもの作文もあって、そこには当時九歳の丸山眞男の作文もある。自警団の本来の役割と現におこなっていることとの齟齬から、自警団の行為の誤りを論理的に説く。彼の知性に感心するとともに、この九歳の少年に大抵の大人は及ばないのではないか、と暗澹たる気持ちにさせられたことも事実だ。

 本音を言えば、私はしばらくこういった文章を書かないつもりでいた。もちろん、批判的な眼を忘れたわけではない。が、書いていて楽しくないのだ。だから本当に自分の関心のあることを書いて、表面上、それを無視することによって批判的な態度を示せれば、なんて思っていた。今度こそ、これで最後にしたい。いま、心の底から本が作りたい。

 

 2/28 3

 庄野潤三『せきれい』を読み始めた。心を落ち着けるためでもある。思っていた以上に、庄野さんは「おいしい」とこぼしている。食感がどうこう、香りが、見た目が……といったことを抜きにして、「おいしい」。この率直な言葉が、尊い。

 

(矢馬)