ソガイ

批評と創作を行う永久機関

ブックオフについて

 地元に初めてブックオフができたのは、たしか小学校中学年くらいのときだったと記憶している。そこはもともとケンタッキーフライドチキンだったような記憶がかすかに残ってもいるが、母親に聞くと、そのテナントは不吉な場所だったらしく、かつて火事があったとかなかったとか、そんな話も聞いた。ここに入ったお店は長続きしない。そのように言われていたのだが、そのブックオフは最近閉店(正確には、すぐ近くの別のビルに移転)してしまったが、私の学生時代をすっぽり覆うくらいには続いたお店だった。

 オープンの日は、まさにすし詰め状態だった。みんなが待ち望んでいたお店だったのだろうか。ともかく、それは恐ろしく小さいワンフロアのブックオフで、とにかく通路が狭かった。すれ違うのも一苦労で、正直、立ち読み客が多い休日に行こうとは思えない場所だった。そういえば、かつてのブックオフは、いまよりもずっと立ち読み客が多かったような気がする。いつのまにかレジ袋もパステルな黄色から濃紺になり、かつての「定価の半額以下」といったアバウトもいいところの価格設定から、市場の動きを反映した単品管理に変わり、ずいぶん大人しくなったものだ。

 本好きにとって、ブックオフとはどういう存在なのだろうか。買取金額の安さも相まって、どちらかといえば揶揄されることが多いように感じる。あるいは、新刊書店の敵として非難されることもある。わからないではない。ブックオフの棚を覗いて、まだ発売してそれほど間もない本が、定価よりは安い値段で売られているのを見ると、これでは新刊書店も商売あがったりだな、と感じることもある(とはいっても、最近はそれほど定価と変わらない本も増えているが)。自分が売ったのと同じ本が、買取価格からは想像もできないような価格で売られているのを見たとき、阿漕な商売だなあ、と思うことだってある。

 だが、あまり行動範囲の広くない私ではあるが、出先でブックオフを見つければ、急いでいない限り、ほぼ必ず入る。べつに特別ブックオフが好きだとは思っていないが、見方によっては好きを通り越して習性になりつつある、と言えるのかもしれない。

 これは新刊書店や、選書が行き届いた古書店を悪く言うわけではないが、しかしブックオフには、最低限しかセレクトされていないしできないし多分やるつもりもないために、一般的な書店にはない幅があると感じる。まず、新刊書店ではどうしても「いま」の本が中心になる。そして、ジャンルもある程度は限られてしまうし、流通の関係で絶対に入らない本というものもある(その代表例が岩波書店)。また、選書が行き届いた古書店では、いわゆるベストセラーはあまり置かれない。もちろん文庫本なども均一棚に置かれたりしているが、やはり「古書」として価値があり、需要があるものが中心になる(たとえば東野圭吾の本を探しに、古書店には行かないだろう。均一棚にあるかもしれないが、あまりにも打率が低くなるに違いない)。その点、ブックオフはそんな区別もしない。ベストセラーもあるし、ニッチなジャンルの本もあれば、まれに自費出版の本も見つかり、ときには雑誌のバックナンバーだったり、画集や美術館の図録が手に入る。あるいは、岩波文庫が手に入る一番近い書店はブックオフだ、というひとも少なくはないのではないだろうか。なにを隠そう、東京23区(下町であるが)に住む私もそうだ。そして、そこにある本は一度は買われた本だということで、時として新刊書店よりも世相を反映しているのではないか、と思うこともある。

 人文書や岩波書店から、見るからにうさんくさいビジネス本に暴露本、果てにはヌード写真集にアダルトムックやエロ本まで普通に置いてあるブックオフのこの雑多な感じには、縁日の通りを練り歩くような楽しさがある。あの、少しいかがわしい空気がまさに、ブックオフの棚であるような気がする。古書店でしか出会えない本があるのと同様に、新古書店最大手ブックオフでなければ見つからないし手に入らないような本があることも事実だ。それゆえに、興奮のあまりついついいろいろな本に手が伸びる。1冊、1200円程度の人文書、800円程度の単行本を手に持って110円、220円の棚でおもしろそうなものを見つけると、もう2000円分あるんだし、これくらい足しても変わらない、誤差のようなもんか、という謎の発想が生まれ、結局この棚から5冊も6冊も引っ張ってきてしまう、ときにはCDまで買ってしまう始末である。それゆえ、買ったはいいものの、数か月後に整理をしていると、なんで自分はこんなものを買ったんだろうと思い、読まないままになっている本も非常に多いのだが、それでも私は2、3か月に一度くらい、ブックオフでまとめ買いをしてしまう(その結果のひとつとして、ポール・ギャリコ『雪のひとひら』がなぜか3冊も家にあるということにもなってしまっているのだが)。

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 私が書店や出版社を経営しているわけではないからかもしれないが、私はブックオフがべつに嫌いではない(難点があるとすれば、私は最近本に積極的に書き込みをするようになったので、今後ブックオフで買い取ってもらうことが難しくなるだろう、ということである)。というより、ここでは深く触れないけれども、日本の出版の濫造傾向がブックオフのような新古書店の進展の土壌になっていた、あるいは現在進行形でそうなっているようにも感じるのだが、どうだろうか。島田潤一郎がいうように(『ブックオフ大学ぶらぶら学部』岬書店)、ブックオフは「大量生産・大量消費の申し子」である。そして、ある時期まで日本の出版はまさに大量生産・大量消費で回り、そして「出版不況」と言われる時代になってからもそのスタイルを完全には捨て切れていない、もっといえば拍車がかかっている。そんな風に感じる。また、ブックオフは本を大切にしていない、という声も聞き、それもそうなのかもなと思うが、そもそも出版社や取次、新刊書店が本を大切にしているかと訊かれれば、私は、すべてがそうだ、と自信を持って首肯することはできそうにない。そう感じてしまう話を、いくつも聞いている。

 今年になって本格的に仕事を始めたため、多少懐に余裕ができてはきたが、それまでは長らく、ちょっとしたアルバイトや校正の仕事の報酬で食事代や交際費、交通費に、そして本代をやりくりをしていた。欲しい本があっても、値段をみて1冊3000円とかであればすっと棚に戻すし、1800円の本が3冊あったら、なくなく1冊は戻すことになる。古書店でも、やはり均一棚以外の本を気安く買えるものでもなかった。そんな時代、ブックオフはなにも買わないにしても、その気になれば買える本がそこにある、という点で、その棚を巡ることは心の支えでもあった。

 こんなことを書いていて、思い出したことがあった。たしか本全品20パーセントオフの日だったと思うが、文芸、新書、コミックの棚などを回ったあと、なんとなく美術の棚を眺めていた。私は美術にそれほど明るくはないのだが、むしろそういう棚を見ることがブックオフの楽しみでもある。大判の本が多く、中を見てみるのも疲れる重さばかりだったのだが、ふと留まった本があった。『現代日本の美術第3巻 速水御舟 愛蔵普及版』(集英社)。トップを飾る「炎舞」という作品がおそらく最も有名なのではないか、と思う。というより、当時の私は「炎舞」しか知らなかった。それくらいの知識しかなかった。しかし、なんだか妙に気になった。

 シールを見ると500円。しかも20パーセントオフだから、400円。これは買いではないか。何冊かすでに文庫本と単行本を持っていたのだが、その重い本を加え、腕に抱えてレジに向かった。おかげで帰りはかなり腕に負担をかける羽目になった。買ってからも、決して熱心に読むわけでもない。稀に山から引っ張り出してきて、ぱらぱら眺めるくらいだ。でも、それでいいのではないだろうか。そういう使い方ができるのがブックオフであり、新刊が買えるようになっても、やっぱり私はたびたびブックオフを覗いて、自分でもよく分からない理由で、よく分からない本を買うのだろう。

 以上、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』(岬書店)に刺激を受けて、自分にとってのブックオフについて、少しだけ書いてみました。

 

(矢馬)