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「素人」の写真、「二流以下」の読書人—『野呂邦暢 古本屋写真集』

大学、大学院と文学系の学部やサークルに身を置いてきたゆえに、私の周りには本を好んで読む人が非常に多い。しかし、そのなかでも古本を好んだり、古書店巡りを趣味にしている人は案外少ない。

通っていた大学の辺りは全国でも有数の古書店街であり、少し足をのばせば神保町にも行ける環境にあってもである。かくいう私も、大学二年生まではそれほど意識的に古書に目を向けてはいなかった。しかし、一度魅力に取りつかれるや、いまや古書店を巡っているときの方がわくわくするくらいだ。今日は一店舗しか入れないとなったら、私は大型書店よりも小さな古書店を選ぶかもしれない。

「本好き」と「古本好き」の間には、実はかなりの壁があるようだ。そしてそれは、プロの作家にも感じられる。作家のエッセイなどを読んでいると、無論、紙幅の関係や編集からの要望によって左右されるのかもしれないが、ある作品を説明するとき、自分がいつ、どこで、どんなときに、どの版で買ったり読んだりしたのかをついつい話さないではいられない作家がいる。本来、それは本の紹介という点では蛇足なのかもしれないが、私が印象に残り、つい手に取ってみたくなるのは、そういった個人的な記憶が滲んだ本なのだ。

 

野呂邦暢が古本好きで、古書店を巡っては均一本の棚を漁っていたことは、エッセイなどでしばしば書いているからなんとなく知っていた。本人の文章のみならず、かつて大森にあった「山王書房」店主・関口良雄のエッセイ『昔日の客』にも、この夭折の芥川賞作家がひょこっと現れたりする。最近で言えば架空の古書店を舞台に、そこの店主を語り手としたミステリー連作『愛についてのデッサン』が文庫化され、この作家らしく、地味に版を重ねている……いや、発売二カ月で四刷というから、この時世においてはなかなか派手かもわからない。

しかしながら、この度文庫化された『野呂邦暢 古本屋写真集』(岡崎武志・古本屋ツアー・イン・ジャパン編、ちくま文庫)に収められたかなりの数の古本屋の写真には、彼はここまでにも古本屋が好きだったのかと、その愛の強さ、深さに驚かされた。

巻末の編者二人の対談でも語られているが、「古本好き」「古書店好き」はいても、「古書店の写真を撮る」人はそういないのではないか。畏怖すら覚えるのと同時に、そのお世辞にも上手とは言えない写真の数々を撮影している野呂の姿を思い浮かべると、どうしようもなく愛しさを感じる。

この本に収められているのは野呂自身が撮影した、1970年代、神保町や早稲田を中心に、渋谷、池袋、広島、荻窪の古書店やその町の風景の写真など、約80枚だ。

もちろん、見つかっていないだけで本当はもっと撮っていると思われる。それは措いて、この枚数を少ないと感じる人も少なくないのではないか。

今でこそ、この枚数の写真を撮ることはさほど苦ではないだろう。しかし当時はフィルムだ。一般的にはフィルム一つで24枚か36枚しか撮れず、当然のことながら、撮り直しもできない。すなわち、一枚の写真を撮るという行為が今よりもずっと高価な時代だったのだ。

野呂がこれらの写真を撮影した当時のフィルムの値段は調べられなかったが、俗に「インスタントカメラ」「使い捨てカメラ」とも呼ばれるフィルム付きレンズのはしり「写ルンです」は1986年に発売されている。「写ルンです」は発表当時24枚撮りで、値段は1380円と「手頃」だった、と特許庁のサイトにはある*1。手頃とは言うが、しかしこれでも一枚当たり60円弱だし、しかも現像代もかかる。1986年の大卒初任給は144500円。もしかしたら本体を買わなくてもよいから、という意味かもしれないが、だとしても、本書の写真が撮られた当時は、現在の感覚で言うと一枚当たり150円くらいはかかっていたのかもしれない。やり直しがきかないことを考えると、いま自由に消したり撮り直したりしている私たちからすると、なおさらかなり高く感じられるのではないか。それを野呂は、古書店を撮ることに使ったのだ。

当時の野呂は郷里の長崎県、諫早に住んでいる。この距離もまた、現代とはまったく異なると考えるべきだ。東京に出てくるだけでも一苦労である。

野呂は、作品の打ち合わせ等で東京に出てくる必要があったとのことである。エッセイでは、初めて行った鹿児島市で、船が出るまでの短い時間にお急ぎで天文館周辺の古書店を探し回ったとも語っている彼のことだから、合間を縫ってでも古書店を回り、レンズを向け、貴重なシャッターを切っていたと思われる。先述したように、その写真は決して上手いものではない。当時のカメラの機能面の問題も無きにしも非ずかもしれないが、アングルは素人くさく、そのほかに手ぶれ、ピンボケ、ガラスへの映り込みなどと、やはり素人の写真である。しかし、それは彼の写真の腕だけではなく、どこか後ろめたさを感じながらこそこそと撮っていたからだと想像もできる。私ですら、古書店を堂々と写真に収めるのに躊躇する。何度か古書店を写真に収めたことはあるが、それは大抵道路などを挟んで少し離れたところから、かつ、そのお店で3冊ほど本を買った後のことだった。そうでないといけない気がしてしまうのだ。古書店とは、そういうちょっと怖い場所でもある。だからこそ、それでも写真に収めたいという野呂の熱意が伝わる。

あるいは、多少はその窃視的なスリルもあったのかもしれない。というのも、これらの写真には人間が写っているものも多い。ものによっては人物、とりわけ女性に焦点が当てられている。それは隠し撮りとも言えるわけで、見方によってはなかなかスリリングだ。そこに叙情やフェティッシュも漂っている。

これらの写真から、野呂は古書店そのものばかりではなく、古書店のある空間に強く惹かれていたのではないか、と想像される。そう思って、併録されている彼の古書にまつわるエッセイを読むと、彼自身が古書店のある空間にあることに悦びを感じているのがよく分かる。写真の常で、撮影者はそこには写らない。しかし、何枚かのショーウィンドウを正面から撮影した写真に、カメラを構える彼が図らずも写りこんでいる。たしかにそこに野呂はいる。

 

諫早の自宅でちょっとしたときに写真を眺め、そこにたくさんの古書店がある空間、そしてそこにいた自分に思いを馳せていたのだろうか。それを思うと、のちに『愛についてのデッサン』という、古書店を舞台に、古書を縁にしながら人間の「愛」を奇をてらわずに描いたことが得心される。古書が重要な役割を果たす「古本屋小説」ではあるが、あくまでも主眼は人間の心の機微にある。思うに、野呂はいわゆる「書痴」ではない。本を愛してはいるが、本そのものだけを愛し、コレクションするのとは違う。それは常に叔父や友人、あるいは過去の自分など、人間というものが不可欠だ。だからこそ彼は、古書(secondhand book)を好んだのだろう。古書には、かつての使用者の個人的な跡がある。均一棚漁りを好んだのは、もちろん懐の事情もあったろうが、同時に、ありふれた本から漂う「普通」の人間の香りに惹かれていたとは言えないだろうか。

 

付録されているエッセイ「魔の山」に、印象的な一節がある。

本を読んだ記憶というものは、内容のほかにもその本の紙質や活字の形、装丁、本を読んでいた自分の前にどんな形の電気スタンドがあったかということまでいっしょくたになったものである。一流の読書人は内容しか問題にしないが、二流以下は内容以外のことをよく覚えているものなのだ。(140-141頁)

こういった五感を使った読書こそを本当の読書、とする言説は多いところ、そうなってしまう読書人を「二流以下」と言ってみせるところが野呂のユーモアだが、内容に没入できないから他の状況なんかが記憶に残ってしまうと考えれば、なるほど、これは二流以下かもしれない、と納得させられる。

翻せばそれは、当時の状況などの記憶がなければまったくといっていいほど読んだ本の内容を憶えていない私のような人間が、内容を紹介することに優れた一流の読書人の書評などにいまいち惹かれない要因の一つでもあるのかもしれない。無論、書評家などはそれが求められている仕事であるのだから、非常に限られた紙幅で私のような読者の要望まで充たすことを求めるのはあまりにも酷だし、お門違いでもある。しかし、この考え方に従うならば従来の書評欄は必然的に一流の読書人以外には届きづらいものとなっているとも言える。これは私も最近考えていたことだ。いろいろな媒体の書評を見ていると、これは本を相当読み慣れている人でなければまず読まないだろうし、読んだとして、果たしてどれだけの人が取りあげられた作品に興味を持つのだろうか、と感じていた。

だからといって、なにか具体的な案が出せるわけではない。それでも、こういったことを踏まえれば、少し前になされた書評の必要性や意味についての議論にもう少し生産的な視野をもたらし、そして、これからの書評について考える機会にすることができたのかもしれない。

 

「素人」の写真と「二流以下」の読書人の文章から感じられるものがある。

技術によって、少し頑張れば一定程度の水準に達することはそこまで難しくはなくなった時代だからこそ、アマチュア(amator=愛する人)の精神を改めて見つめ直す必要があるのではないか、と感じさせられた。

 

(矢馬)