ソガイ

批評と創作を行う永久機関

第36回文フリ東京でソガイ第8号を販売します。(試し読みアリ)

5月21日(日)に開催される第36回文フリ東京に出店します。既刊のほか、新刊ソガイ第8号(テーマ 東京)を販売するので試し読みを公開します。ブースはか-17です。

 

目次
(エッセイ)鈴木相「東京はミラクル★」

(評論)矢馬潤「透明化する本屋―私は本屋が好きなのか?」

(エッセイ)長谷川美緒「帰郷」

(小説)雲葉零「迷路」

 

既刊の試し読みはこちらからどうぞ。

www.sogai.net

 

(エッセイ)鈴木相 「東京はミラクル★」

 

去年の暮れ、友人の紹介で「見える人」に会ってきた。どんなに怪しい所で怪しい人に会うのかとどきどきしたが、場所は渋谷のとある公共施設内のホワイトボードなんかが置いてある狭い学習室で、そこにいたのはどこにでもいそうなおしゃれで明るいおばさんだった。挨拶をすると「いまから霊媒師になりますから!!」と言われ、しばらくして始まったのは全く目の合わないマシンガントークである。視線は終始私の頭上や肩あたりにあり、「お父様は山? 富士山のビジョンを見せてくださるのですが、山に関係のある方ですか? あと、山梨か静岡の方ですか?」「お母様とお祖母様はお仲が悪かったのですか?」「いま杉並区らへんにお住まいですか?」「お生まれになるとき難産でしたか?」ちなみに全てそうである。なお、私は名前しか彼女に伝えていない。なんでも、肩にいるのが父母にまつわる亡くなった親類縁者先祖、頭上にいるのが前世や人生を守ってくれる守護霊的な存在なのだそうだ。私の守護霊は「インドの金ピカの花とか舞っている豪華な仏」と「神道系の神」らしい。ちなみに、この人を紹介してくれた友人の前世かつ守護霊はゴッホだった。他にもいろいろな話をしたが、とにかく終始ハイテンションでずっと喋り続けるのですごく元気が出た。たいへん稀有な体験をした。たびたび会う人ではないが、五年後くらいに、また会いたい。

思えば、東京はこういう稀有でミラクルな体験をできる場所なのだった。

(以下、続く)

 

(評論)矢馬潤「透明化する本屋―私は本屋が好きなのか?」

 

二〇一九年の末、散歩がてら、家から歩いて十五分ほどのところにある三省堂書店に来ていた。特に目的を定めないで本屋に行くことが多いが、この日は目当ての本があった。永江朗『私は本屋が好きでした あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏』(太郎次郎社エディタス)。一時は「ブーム」にもなった嫌韓嫌中本などの「ヘイト本」が生まれ、そしてそれが本屋で売られている現状の分析を通し、現代の出版構造に対して問題提起をしている、とのことだった。

書名からしてショッキングな内容であることは目に見えており、若干の眉唾感を覚えつつも、出版行為に関心を持つようになった今、無視はできない本だった。

発売直後だった。学術系の本がほとんどない近くの本屋は見ずに、こちらに来ていた。

見つからない。検索機は入口付近にあるが、できれば使いたくない。本ではなく、棚に付けられた数字を追い求めるという行為が性に合わない。

しかし、やはり見つからない。外国文学やエッセイの辺りに少しだけある「本・出版」に関する本のゾーンにはなく、では業界ものやビジネスのところかとも思うが、ありそうにもない。

観念して検索機を使う。書名を打ち込んで出てきた結果は、「在庫無し」だった。

本当のところは分からないが、売れてしまった、とは思えなかった。なぜだか無性に腹が立った。その店に対する怒り、というのとは違う。もっと漠然とした、大きなものに対して怒っていた。冷静になれば様々な可能性を考えられるし、そもそも欲しい本が入荷しないなんてことは珍しいことでもなかった。それでも、当時の感情が誤っているものとは今になっても思わない。

他の本を見る気も起きず、そのまま店を出た。手元のスマートフォンでAmazonを開けばすぐに購入でき、翌日には家に届くだろう。それも癪だった。

怒りに任せた足は、家からさらに離れる方向へと向かっていた。

あそこならある。私のために、絶対に置いてある。

なんの根拠もなくそう心のなかで呟きながら、思えば定期券の圏内なのだから電車を使えばいいものをなぜか二十分ほど歩き、錦糸町のくまざわ書店に来た。友人に勧められてライトノベルにはまった中学生の頃から、大学受験、大学の授業やサークル、そしてこの年に修了した修士課程においても通い詰めた本屋だ。ある場所は分かっている。まっすぐ向かった棚にはしっかり一冊、黄色い表紙のこの本が挿さっていた。ああ、待っていてくれたと思った。

 

いままでに、いったい何回本屋に入っただろう。

全国的に本屋の数は減っていて、自分の生まれ育った町でも、区画整理など理由は様々あるが、個人経営の本屋はどんどん無くなっている。それでも東京という場所はまだ、本屋にはそれほど困らない。大学時代は早稲田、神田神保町という都内でも有数の古書店街二つが行動範囲に入ったことで本屋通いに拍車がかかり、むしろ一度も本屋に入らない日を探す方が難しかった。大学に来てまず構内の生協を覗き、帰りの駅に向かうまでにあるあゆみBOOK早稲田店(現・文禄堂早稲田店)に寄り、時間があれば少し足をのばしてBOOKOFF早稲田駅前店(二〇二〇年閉店)を一通り見てから電車に乗る。ときには、家とは逆方向なのに高田馬場まで歩きながら古書店を覗き、芳林堂書店高田馬場店や、やはりBOOKOFF高田馬場北店(現在はリニューアル準備のため休店)を冷やかしたり、神保町や錦糸町で途中下車して本屋に入ったりし、おまけに最寄り駅から家の途中にある本屋にも、いつのまにか吸い込まれている。数えてみれば一日に五回から十回。そんな日も決して珍しくはなかった。

挙げ句、大学二年生からは東陽町の本屋でアルバイトを始め、学部卒業後も含め四年ほど勤めることになった。大学にいる時間に匹敵するだけの時を本屋で過ごした様には我ながら呆れる。

 

二〇二〇年二月、乗客の新型コロナウイルス感染が発覚していた大型クルーズ船、ダイヤモンド・プリンス号が横浜港に寄港。世界的なパンデミックのなか、その数カ月後には「緊急事態宣言」が発令され、本屋もまた、営業中止を余儀なくされることになった。東京に生まれ育った私にとってほとんど初めてといっていい、「本屋のない」日々だった。

明確な期限が定められたものではなかった故の不安はあったが、それでも本当に欲しい本があればネットでも買えるし、なんとかなるか、と楽観視しようとした。

その間、本の情報はネットやSNSで得た。「コロナ禍の今だからこそ読みたい本」といった紹介もお節介にもよく流れてきた。「ステイホーム」のいまだからこそ、という響きにきな臭いものを感じ、業界、そして「本好き」が妙に浮き足立っている感もあったが、それでも惰性でチェックしていた。だが、あまり気を惹かれない。その他、同じようなもの、「みんな」向けの似たようなものが繰りかえし繰りかえし流れてくる。思いの外興味は広がらず、本ってこんなに少なかっただろうか、と不思議に思いながら、その間にくだらない「論争」や雑な議論、とにかく「敵」をやり込めようとするだけの汚い言葉が目に入ってきて、段々この空間自体にうんざりしてきた。

それでも、SNSの評判を参考にネットで買った本も数冊あった。Amazonではなく、指定した特定の本屋に利益が入る仕組みがあるe-honなどのサイトで買いましょう、というSNSでの呼びかけもあり、その「みんなで本屋さんを応援する、それが『本好き』として良い、正しい行動だ」という空気にはやはり余計なお世話というか、鬱陶しさを感じたものの、すでに登録はしていて何度か使っていたそれを用いて、やはりくまざわ書店錦糸町店を指定して買ったりもした。しかし家に届いて袋から出した瞬間に、なぜ自分がそれを買ったのかが分からなくなった。ためしに数ページ読んでみるが、まったく読む気にならない。すぐに脇に置いたその本をチラチラと見たりはしていたが、結局は元から持っている本や漫画を再読して過ごした。

そんな悶々とした日々も過ぎ、しばらくしてくまざわ書店の営業再開の日時が通知された。

その後の数日間、妙にそわそわしていた。中高時代、つまりSNSを始める前まではいつもやっていた、各出版社の公式サイト巡りでの新刊チェックなんかもやってその日を待った。

二〇二〇年五月二十九日。午前中ということも相俟って静かな街を自転車で抜け、久しぶりに本屋の棚の前に立ったとき、ああ、ここだ、と妙な感慨に耽った。立ち読みや長時間の滞在はご遠慮願いたいとの案内があったので留意しつつ、しかし棚を見ていていつまでも飽きることはなかった。思えば、ここで『私は本屋が好きでした』を買ってから、半年しか経っていない。

元から予定していた本は三、四冊だった。少々値が張る本もあった。だが案の定、その他にもたくさん気を惹く本がある。自然と本に手が伸びる。取っては開いて戻し、取っては戻しかけて、もう一度眺めて金額を確認し、手の中に積んだり、やっぱり戻したりする。コロナ禍においてはタブーな行為だったかもしれない。しかしこれが本屋という空間だった。

懐具合と相談しながらの徘徊だったが、しかし途中で、いや、この数カ月間、本もそうだし友人との食事などもまったくなかったのだから、その一部をいまこのときに回したっていいじゃないか、という気持ちになった。結局、予定していた本の内一冊は手にしたものの買わず、それでも全八点、税込みほぼ一万円の本をレジに持って行く。十二時十五分に会計を済ませると、重くなったリュックサックに満足しながら帰宅した。帰ると早速、その内の一冊、野呂邦暢『夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選 新装版』(みすず書房)を読み始めていた。その夜、寝る時間を惜しみ、床の中で本を読んだが、それも久方ぶりのものだった。少なくとも自分にとっては、本があるだけでは読書は始まらないということを痛感させられた一日だった。

 

新型コロナウイルスも日常と化してきた二〇二二年の晩夏、もう半年近く前に決めたテーマの原稿がまったく書けず、焦っていた。きっと小説、あるいは小説についての評論が一番分かりやすかったのだろうが、いろいろあって、現代の小説には少々辟易していた。

一年ほど前から月に一回程度、渋谷に用事があって足を運んでいた。

東京生まれ東京育ちだが東の下町に育っており、渋谷や新宿、池袋などの中心地や西側に行く用事がほとんどない。それこそ、大抵の用事が錦糸町で済んでしまう。以前、千葉県民は東京都と言っても錦糸町までしか行かない、などとやや誇張気味に、埼玉県出身の芸人が千葉県出身の芸人に対して皮肉を言っているテレビ番組を観たことがある。以来、果たして自分は本当に東京人と言えるのだろうか、と疑う気持ちがどこかに有る。

錦糸町も休みの日などはそれなりに人は多いが、渋谷のそれは桁違いだ。毎度圧倒され、大きな本屋もたくさんあるのは知っていても、とにかく早く脱出したくて、駅前の啓文堂書店以外には目もくれずにいた。

ふと思いついた。東京都内の書店探訪記なんてどうだろう。これを良いきっかけに、都内の色々な本屋を回るのもおもしろい。安易な発想だった。

後日、さっそく渋谷での用事が午前中に終わった日に、計画を決行した。渋谷の本屋を調べながら歩き回り、外観の写真を撮ってから店内に入って全体を巡り、一冊は本を買いつつ、気がついたことをメモしたりした。

最初の一、二店舗はよかった。三店舗目で飽き始めた。

なんでこんなに本屋を回らなくてはいけないのだろう。人混みを縫って歩いて痛む脚のせいか、自分で決めたことのくせにあまりにも身勝手な怒りまで湧いてきていた。

そうして徐々に膨らみつつあった違和感が、四店舗目、SHIBUYA TSUTAYAの迷路のような配置の棚に苛々していたときに破裂した。

違う。自分の考えたい「本屋」とは、こういうものではない。とうとう本すら買わずに店を出た。

一体こんなことをしてなんの意味があるのか。

このとき自分は、スマートフォンで検索して出てきた「渋谷のおすすめ書店○○選」といったまとめサイトのようなものを使って店を回っていた。紹介程度のことしかできないのであればこれでいいではないか。

それに、いまは渋谷だが、このテーマでやっていこうと思えば早晩、いわゆる独立系書店、下北沢の本屋B&B、荻窪の本屋Titleといったすでにして多くの「本好き」「読書好き」が愛を語る本屋に行こうとするだろう。特に本屋Titleについては、「私はTitleで本を買います」と語る文章に接することが何度もある。

そこで買うこと自体がアイデンティティ、あるいはステータスになる本屋とは凄いものだが、しかし、これだってもういくらでも紹介記事はあるし、あるいは主人による本が出版されたりしている。第一、自分はそのような本屋のやや過剰とも思える持て囃され方にはどことなく居心地の悪さを覚えていた。本屋自体は良いし、感心させられる点もある。しかし「本好きが愛する本屋」などと言われると、妙な同調圧力を感じ、どうしても素直には受け止められない。

本屋なんて、本同様、別にもっと普通でいいのに。これから生き残っていくためにはそのような工夫も必要であることは認めながら、それでも心の片隅でそんな不満を抱いていた。

しかし、「普通の本屋」とはなんだろう。いや、そもそも「本屋」ってなんだ?

永江の本の書名を思い出す。「私は本屋が好きでした」。しかしどうだろう。私は「本屋が好き」なのか?

はたから見ればきっとそうなのだろう。こんなに本屋ばかりに行っている人間が本屋が好きではない訳がない。

しかし、それでも素直には肯けない。第一、本当に「本屋」が好きならばあの日渋谷で本屋を回ったとき、たった数店舗でそれに飽き、あまつさえ怒りに近い感情を覚えることなんてなかったはずではないか。

「君は読書が好きなんだね」「本好きなんでしょ?」と言われるときの、間違ってはいないのだけれどどこか釈然としない感じと同じだ。いや、好きというのとはちょっと違って……と言いたいのだけれど、説明しようとするとまどろっこしく、そもそも自分でも上手く説明できないからとりあえずそういうことにしておく。そんな風にしていままで、この違和感に向き合ってこなかった。

しかし、これでは駄目なのかもしれない。

本屋や書店員が変な持ち上げられ方をしていて、出版社や作家、読者も妙に褒めそやす空気感、「自分たちは文化を守っているんだ」という強烈な使命感、コロナ禍においてより一層増してきた、本を読むことは良いこと、意味のあることなんだ、との上から目線のお説教じみた言葉、その一方で本や読書をとにかくカジュアルに、オシャレなものにしていこうとする意欲―。

本当にこれでいいのか? 日を追うごとに増していく違和感を、もう無視できない。現実に、以前よりも本屋に対する期待が減じている。懐事情ではなく、棚を回っても本に触れる回数が減り、首を傾げ、なにも買わずに店を出ることも多くなった。自分が変わったのか、それとも本屋が変わったのか。自分は本屋になにを求めて、あんなに足を運んでいる/いたのか。「本屋」とはいったい何なのか――。

(以下、続く)

 

(エッセイ)長谷川美緒「帰郷」

 

改札を抜けて丸い天井の下へ出た瞬間、解放感があった。帰ってきた。はっきりそう思った。それから奇妙だと思った。そんなわけないのに。東京は私の故郷ではない。それなのにあの放射状のドーム天井を見上げた瞬間、よかった、と思った。この場所が、東京という場所があってよかった。薄羽をひろげて舞い上がれそうな心地で、私は少しの間そこに立って、ドームの中心を見上げていた。

東京駅、丸の内駅舎。花飾りと羽ばたく鷲のレリーフに縁どられた八角形の天井は、一応「洋風」と形容はできるものの、無国籍な感じのするデザインだ。よく見ないと分からないが、八角形を支える壁の上部には八つの干支のレリーフが据えられている。それらを眺めていると、どこでもない場所に立っている、という気がしてくる。しばらく留まっていたかったけれど、そうもいかないので歩き出す。現実の風景が目の中に戻ってくる。雨が降っている。

その時私は一年ぶりに地元の新潟へ帰省して、数日を過ごし、また関東へ戻ってきたところだった。一年離れていただけなのに、新潟の空気は濃く、鬱蒼として感じられた。旧知の何人かに会った。会ってしまえば懐かしく、再びなじみそうになる。そうなる前に、何だか逃げ出すみたいに、私はまた上越新幹線に乗った。東京方面に向けて車体が滑り出す。ゆるゆると体が軽くなる。若干の、うしろめたい気持ちを置き去りにして、新幹線のスピードが上がる。

(以下、続く)

 

(小説)雲葉零「迷路」

 

それにしてもこの辺りの街路は入り組んでいる。建物や道路を組み合わせて街をつくるシミュレーターゲームがあるが、それで言えば、全く計画性のない人間の所業だろう。そういえば、上京してきて驚いたのはその広さだった。もちろん、土地の単なる面積という面で言えば、田舎のほうが広いに決まっている。だが、実家の周囲には、見渡しても田んぼと畑、せいぜい民家ぐらいしかないような場所もありふれていた。一方でこちらは所狭しと物が詰め込まれているようだ。

ふと缶のコーラが飲みたくなって夜の街に出たことがあった。自販機を数台巡ったが、俺の運が悪かったのか、これがなかなか見つからない。ペットボトルのものが置いてあると何故だか余計に腹が立った。目当てのものがないということには変わりがないのに。自販機巡りに夢中になっていると、気が付かないうちに見覚えのない場所に来てしまっていた。

スマホで探そうとするが、普段外出するときには必ず入れているズボンのポケットの中には見当たらない。近所なのでまあ、大丈夫だろうと思ったのが間違いだった。仕事の時にもあれがないと、次に訪ねるべき家が分からない。スマホが本体なのか。俺が本体なのか……。

ちょっとした絶望感に襲われる。民家、なにがしかの店舗、あるいはふと見ただけでは用途が理解できない建物、それらをつなぐ道々。方向感覚も位置感覚も失ってしまった。結局運がいいことに十分ほどかけて自宅へと戻ることができたのだが。

いつのまにやらお目当てのアパートの前にたどり着いた。築年数はかなり立っているようで、ぶつぶつとした白いモルタルの壁は薄汚れている。黒い金属製の、下に隙間が空いている、うかうかしていると踏み外してしまいそうな階段を一歩ずつ上がっていくと足音がやたらと響く。

「何階?」

手元の白い安物のタブレットを再確認する。

「五階だよ」

俺の答えに相方は絶望したようだった。この仕事に就くまでは気づかなかったが、案外四階や五階建てでもエレベーターがついていない建物が多いものだ。ちょっと損をした気分になる。今日の気候は暑くも寒くもなく、曇りなのが幸いというところか。暴風気味の日など普段の二倍は疲れる気がする。仕事をしているのか、風雨と戦っているのか分からなくなってしまうほどだ。もっとも、対象者も在宅の可能性が高いので、その点では悪い面ばかりではないが。

そんな他愛のないことを思案しているうちに、なんとか目当ての部屋までたどり着いてチャイムを鳴らした。すぐに出てきたのは、五、六十ぐらいのすっぴんの女性だった。最初は何のことやら分からないという顔をしていたが、丁寧に説明を進めると、人当たりは決して悪くないようだった。

「ごめんなさいねえ。いつかしようしようと思っていたのだけれど、忙しくて忘れていたのよ」

配給品のポーチから書類とカラー刷りのパンフレットを取り出して渡す。

「困りますよ。それじゃあ。ちゃんとしてくれないと。今日はここで処理しますけど、次からはセンターに行ってくださいね」

彼女は笑顔でうなずく。

「もちろん。行きます。行きます」

本当に分かったのか、生返事なのかは判然としないがこれ以上念押ししてもしょうがあるまい。一礼して部屋の中へと入っていく。事前に案内の手紙を送っているはずで、それを放置していたのだからずぼらな人物に違いないと思ったが、居室の整理整頓はきちんとなされていた。どこに書いたらいいのと戸惑っている女性に手取り足取り教えて、書類に記入、捺印させる。それから椅子に座らせてベージュのワンピースの袖をまくらせた。最初のころは人間の体に針を刺すことに違和感があったが、いまではもう慣れ切った作業となっている。年を取ってたるんだ皮膚をさすって刺しやすそうなところを、半ば条件反射的な手つきで探していく。対象者のほうにも恐怖感はとくにないようで、その口は軽かった。

「お兄ちゃん格好いいねえ。彼女とかいるんでしょ」

確かに相方は女性受けのよさそうな優男である。それでも愛想笑いをしながら、いませんよと答えていた。その間に俺は注射器の黒いポンプをゆっくりと押した。徐々に液体が女性の体内へと入っていく。

「本当に痛くないんだから不思議だよね」

対象者が自分の左腕を見つめながら言った。

「針が凄く細いんですよ。痛みを感じる痛点に当たらないぐらいに」

女性は感心したようにふうんといって、首をゆっくりと縦に振った。それから手続き書に従って一五分ぐらい様子を観察していたが、特に異変は起こらなかった。なかなか気さくな方で、帰り際には缶のお茶を一本ずつくれた。さして感謝される仕事でもないのでこのような気遣いは稀にしかない。たいして値の張る物品ではないとはいえうれしいものだ。次の目的地へと出向く途中で、相方はお茶のタブを開けるとぐびぐびと飲み始めた。喉が渇いていたのか、それとも缶飲料なので飲み残せないからなのかは分からないが一気に飲み干した。俺はというと、歩きながらさして気にも留めずにその様子を眺めていた。

「おい、次からはやめろよ」

「はあ?」

アスファルトの路上に相方の間抜けな声が響いた。烏が群れを成して頭上を飛んでいるのが見えた。

「今、空き缶を自販機の横にある青いゴミ容器に捨てただろう。おそらくだろうが、ここで買った飲み物じゃないだろう。迷惑じゃないか」

少し間を開けてから早口の返事が返ってきた。

「いやいや誰も困らないじゃない」

俺は屁理屈を言うやつが嫌いだ。

「割れ窓理論って知らないか」

奴は勘が鈍いようで、全く見当がつかないという風に首を振った。

「治安の悪い外国のある街の話でな。そこで治安回復のために割れた窓を直すことから始めたそうだ。まずは小さなことでも人目につくことから世の中を良くしていくんだ。効果は抜群だったそうだ」

沈黙がまた続いたのちに答えが返ってくる。

「分かったよ。これから気を付ける」

納得しているようには思えなかったが、これ以上追及してもあまり意味がないと思い、また仕事中ということもあり、ここはこれぐらいで打ち切ることにした。

俺は秩序を破る人間が昔から大の嫌いなのだ。名前も覚えていないが、外国で無断で壁に絵を描く芸術家のニュースを見たときなどは憤懣やるかたなかった。あんなものは単なる落書きではないか。頭の悪い中学生のやることだ。それに何億とかいう値段が付くのだから、今の世の中は狂っている。ああいう馬鹿なやつを罰するどころか、祭りあげるからどんどん悪くなっていくのである。

(以下、続く)