ソガイ

批評と創作を行う永久機関

神社、駄菓子、文学

 2024年12月1日、日曜日。

 朝7時に目が覚める。前日までの旅行の疲れはほとんど残っていなかった。昨日はホテルのベッドで、内容はよく憶えていないがなにやらとんでもない悪夢を見て、夜中の3時に一度、意識を覚醒させられた。その後も5時に目が開き、そのせいか昼前まで左目の奥の方が痛むような頭痛とほのかな吐き気があった。せっかく早起きして近くのパン屋で買ってきたおいしそうなパンをあまり食べられず、2日目の行程の手荷物に加えることになると同時に、その日の間食と昼食が確定したのだった。やはり自分に合った枕は大事なのだと思った。

 この日はちゃんと朝食を摂って、9時半頃に家を出た。1時間ほどで東京ビッグサイトに着く。それまでの文学フリマ東京の会場であった東京流通センターと、時間距離自体は大して変わらない。だがホームの広さとかだろうか、ストレス具合はビッグサイトの方がずっと小さい。最近の文学フリマ東京にとって、東京流通センターは箱として手狭になっていたのは確かだったようだ。

 出店者入口から文学フリマ東京の会場に入ると、分かってはいたが会場の広さに改めて驚く。東京流通センター第2展示場のみで開催していたときを知る身からすると、隔世の感がある。

 10時半の出店者入場開始からはまだ間もないが、それでも思っていた以上には人がいた。周りの人が来る前に設置してしまおう、という目論見は外れた。設置といっても、4つの作品をならべて集金ボックスとメモ書きを置くだけだ。10分ほどで準備を終わらせ、会場を出た。

 外のベンチに腰を下ろして、地図アプリを開く。元々の予定では大森あたりまで出て、そこから北上するように神社を巡りつつ、りんかい線が通る大崎駅を目指すつもりだった。かなりタイトだが、4時半頃にはビッグサイトに戻ってこられる目算だった。

 だが、前日までの2日間、1日あたり3万歩近く歩いたこともあって、身体の調子自体は悪くないが、脚の方はさすがに筋肉が張っている。特にすねの辺りの前脛骨筋の筋肉痛がひどい。酷使は控えた方がいいだろう。三十路になって数カ月、もう10代、20代の頃のような無理は利かない。

 軽くご飯を食べる時間も作りたくなった。そこで予定を大幅に変更し、大井町で降りて、戸越、大崎と曲線を描くように回ることにする。これなら、歩いている時間は1時間半程度になるはずだ。その中で2つほど、御朱印がいただける神社に行ければ、という青写真を描いた。

 この一年で何度となく御朱印巡りのための行程を練ってきた。その中で学んだのは、スケジュールには多分に余裕を作っておく必要がある、ということだ。最初の頃は、特に自宅から遠い場所になると勿体なく感じて、物理的に行けるところすべてを回ろうとするような道筋を立ててしまっていた。すると、とにかく予定をこなすことばかりに目が向いて、楽しむどころではなくなってくる。そんな失敗を何度かし、それからは絶対に行きたい場所を2、3個くらい決め、あとの場所は時間と体力に余裕があればついでに行ければいいな、くらいに留めるようにした。結果的に回れた数は同じか、あるいは少なくなるけれども、想定以上の場所に行けた、という結果が、むしろ満足度を増してくれる。また、途中で気に入った場所があれば、余分に取っておいた時間をそこに回しても良い。これが大きかった。おかげで、事前の調べでは把握できていなかったような場所やお店で、とてもいい時間を過ごすことができた経験が何度もある。インターネットはたしかに便利ではあるが、結局はそこに行ってみないと分からないことが大半なのである。

 こう学んできているはずであるのに、今回の文学フリマの準備に際しては、半年前から、やるぞやるぞ、と決めていたにもかかわらず、延々気分が乗らず、本格的に動き始めたのは2週間前。値札の貼り付けは前日の夜、寝る前にようやく終わらせたという有様だった。せっかくの余裕を自分で食い潰して結局ぎりぎりにしているのだから、我ながら世話がないというものだ。思えばここ数年、この同人活動においても、あれをやりたい、これをやりたい、とリストに書き連ねてきたものの、そのなかで物になったものは片手で数えるほどしかない。いや、そもそも指を一本折ることすらできるかどうか……。そんな現状に自己嫌悪に陥ったりもした。とりあえず一つか二つ、これだけはということを決めて、来年からは頑張ることにする。

 大井町からほど近く、一本裏道に入ったところにぽつりと、大井蔵王権現神社があった。この場所に遷座して三十余年ということもあって、全体的に綺麗な印象だ。この「権現さま」は厄除け火伏の神として愛されてきたという。前日、東京では今シーズン初の乾燥注意報が発令された。ニュースでも火災についてのものをしばしば聞くようになった。決して他人事ではない。これもまた先延ばしになり続けている大掃除だが、一度、大きな家具の陰になっている場所にあるコンセント周りのホコリなどもちゃんと綺麗にしなくては、と思うだけは思う。

 西に進み、下神明駅近くの下神明天祖神社に向かう。寺社巡りを始めてみて気づいたが、東京だけでも至るところに天祖神社がある。天祖神社とは天照大神が祀られている神社だが、もとは神明社とも言った。下神明という地名は、もとは下蛇窪村といったらしい。それが東京市内編入の際に神明社に因んで下神明となった。蛇窪といえば、ここから数駅の中延駅が最寄りの蛇窪神社は有名だ。もとから蛇を前面に押し出しているこの神社だが、来年は巳年ということで、いつも以上に盛況となりそうである。

 下神明神社だが、元を辿ると藤原秀郷の末裔にルーツがあるようで、藤原氏の祖神である天児屋根命を祀った春日社であったらしい。それが江戸時代に天照大神と応神天皇を迎えて神明社になった、とのこと。地名もそうだが、歴史というのは追ってみるとなんだか不思議なものだ。

 天児屋根命は日本神話において、岩戸に隠れた天照大神に祝詞をあげた神である。この岩戸隠れの話から、天児屋根命は言霊の神とされる。言葉に霊が宿るという言霊信仰は文学と無関係ではない、といったらさすがに牽強付会になるだろうか。思えばこの一年は、言葉の力というものについて、あまり前向きではない方向で悩み、考え続けた時間だった。かつてのようには素朴にそれを信じることができなくなり、言葉から離れる時間もあった。ようやく少し、自分なりの方向性が見えてきた気がする。

 その下神明天祖神社だが、遠目でも賑わっているのが分かる。たしかに七五三詣の季節ではあるが、それにしても人が多すぎないかと思っていたが、それは縁日に集まる人々だった。

 大井町駅に着いた辺りからお腹が空いてきていて、ホットドッグでも食べたいなあ、と少し前に考えていた。道中で覗いた喫茶店は思いの外混み合っていて諦めていたのだが、まさにそこに、ホットドッグのキッチンカーが来ていた。縁日で売られる食べ物としてホットドッグはかなりレアな部類だと思われるのだが、おもしろい偶然もあるものだ。

 先に参拝をし、そのサルサドッグを食べてから社務所に向かう。これだけの人だかりだし、忙しそうだから書き置き対応かなと思っていたのだが、存外にも書き入れをしてもらえるようだった。よろこんでお願いすると、待っているあいだに、ということで温かいお茶と都こんぶが供された。

 都こんぶ。おそらく区分的には駄菓子になるのだが、果たしてこれをお菓子といっていいのかどうか、小さい頃、コンビニで母に買ってもらうお菓子を選ぶときに棚に並ぶこれを横目で見ながら考えていたそんなこの菓子を最後に手にしたのは、もう10年以上前のことになると思う。

 そんな都こんぶだが、じつはつい数日前に、この存在には偶然にも接していた。というのも、1週間ほど前から駄菓子屋を舞台にしたコメディ漫画『だがしかし』を読んでいて、その第52話のテーマが都こんぶなのだ。まさにこの菓子の「駄菓子っぽくなさ」についても触れられていたのだが、久しぶりにその名前を聞いたなあ、と懐かしく思っていたら、こうして日を置かずに目の前に出てきた。偶然というものはおもしろいなあ、と手元の小さな袋に見入った。せっかくもらったので、さっそく袋を開けて口に入れる。小さい頃はそんなに好きではなかったのだが、こうして大人になってからしゃぶってみると案外いける。お茶もいいが、辛口の日本酒にも合いそうだな、と当時であれば絶対に考えなかった食い合わせに思いを巡らせていることに、時間の経過を感じた。

 しばらく縁日の雰囲気に浸っていたが、そろそろ次に向かおうと参道を左右の屋台を眺めながら歩く。すると、ふとうまい棒の袋が目に入った。思わず立ち止まり、親子の間からその屋台を覗くと、うまい棒だけではなく、十数種類の駄菓子を売っていた。こういう屋台にありがちな若干ぼったくり的な価格でもなく、10円単位のまさに駄菓子プライス。うまい棒も、もうしばらく食べていない。それこそ、祭りのときだけに食べることがあるものになっていた。

 値段を計算しているのか、熱心に選ぶ少年の後ろにカゴを持って並び、一番好きなコンポタージュ味のうまい棒のほか、金貨チョコ、きなこ棒、みつあんずなどをカゴに入れた。調子に乗ったか、と思ったがこれでも120円。もっと買ってあげた方がよかったか、と思ったくらいだった。

 最近はポテトチップスなんかも、量が減っているうえに一袋200円とかするような値上げの嵐だ。しかし駄菓子は、そう簡単に値上げできない。というより、限界がある。たとえば20円の駄菓子を値上げしようとしたとき、まさか21円とか22円にはできない。一番近いキリのいい数字、30円にするとなると、価格は1.5倍だ。消費者が感じる値上げ感は相当なものになる。だったら値段はそのままに量を減らす「ステルス値上げ」か、となるが、もとの量が少ないのだから、これもまた難しい。安いことを宿命付けられている駄菓子にとって、現代は厳しい時代なのかもしれない。そしてこれは、薄利多売方式でやってきた出版業界においても同様なのである。

 せっかく買ったのだから、すぐにでも食べたい。少し歩いたところに公園があることは地図を見て分かっていた。だったらベンチで日向ぼっこでもしながら、コーヒーなんかと一緒におやつタイムとしゃれ込むか、と思いつく。残念ながら近辺に喫茶店はなかったので、一番近くにあったコンビニのローソンで妥協する。まあ最近のコンビニのコーヒーもなかなかバカにならない。そんな話も『だがしかし』にはあった。

 ホットカフェオレをこぼさないよう少しゆっくり歩を進めて、「文庫の森」という名の公園に入る。不思議な名前だな、と思っていたら、現在は立川に移転した国文学研究資料館(旧三井文庫)の跡地にできた公園らしい。時計を見ると、12時を少し回ったところ。ちょうど文学フリマの一般入場が始まったところだ。あえてあの場から離れることを選んだはずなのに、言霊もそうだが、なぜだか文学や言葉に関係のあるところに縁のある一日だ。

 公園の真ん中には池があり、芝生に茣蓙を敷いた家族がちらほらいた。日が当たるとほのかに暖かく、ちょうどいいピクニック日和だった。「こわーい」と笑いながら高い声をあげて女性と少女が走っている。後ろから、少女の父親らしき男性がなかなかの速さで追いかけていく。鬼ごっこをしているらしい。まったく手を抜くつもりのなさそうな妙に綺麗なフォームに、しばし目が惹かれた。

 買った駄菓子を広げ、さっそくコンポタージュ味のうまい棒を開ける。一口囓り、そうそうこれこれ、という懐かしい気持ちと、あれ、こんなに美味しかったかな、との驚きが混じる中、日曜日の昼にひとり公園のベンチでうまい棒を食べている30歳の男って傍から見てどうなんだ、と今更ながら思いが至る。だが、きなこ棒をねちゃねちゃと丹念に嚙んでいるうちに、どうでもよくなった。そんな風に周りの目を気にしすぎてやらなかったで後悔したこと。自分の10代後半から20代前半は、そうした事柄を繫げるだけで概ね完成してしまうような歴史だった。

 池に架かった橋にしゃがみ、鴨が泳いだり潜ったりするのを見てずっとケラケラ笑っている幼子の声が響く。口の中に張り付いたみつあんずをカフェオレで流しながら、『だがしかし』の続きを、自分への誕生日プレゼントとして2か月前に思い切って買ったiPadで読む。Kindleは以前に専用端末を買ってみたのだが、微妙に使い勝手が悪く、結局は使わなくなっていた。ただiPadの大きさなら横にして、漫画を見開きで読むのにちょうどいい。これまでにそれなりの数の漫画を全巻まとめ買いして読んでしまった。キーボードも買ったから、外で書き物をしたり、いろいろな使い方を模索している。

 カフェオレをちびちび飲みながら『だがしかし』を読んでいる自分をふと俯瞰して、なんだか変というか、我ながら意外な感に打たれる。というのも、この作品が流行ったとき、自分はむしろ意識的に読む選択肢から外していたのだ。皆が読んでいる、語っているものからは距離を置こうとする癖が当時からあった。元来がへそ曲がりらしい。

 それが、少し前に久しぶりに会った友人と書店に寄って漫画の話をしているときに、同じ作者の『よふかしのうた』が良かったと勧められて読んだことで、自然とこの作品にも手を伸ばすことになった。少し前から、親しい人からの勧めには時に素直にのってみることにしている。結局、一人の人間が独力で見聞できるものなど相当に限られているのだ。そして、作品との出会いには各々のタイミングがある。なにも流行に乗らなくていいのだ。むしろ熱が落ち着いてからの方が、余計な文脈少なく、作品を味わえることもあるのかもしれない。

 結局1時間弱ほど休んだ。公園にはゴミ箱がなく、なんだか品川区っぽいなあ、とあとから思えばいささか偏見じみた感想を抱きながら駄菓子のゴミを突っ込んだカップをコートのポケットに入れ、すぐ北にある戸越八幡神社に向かう。小さいながら長い参道が特徴で、雰囲気がある。何人もの人が立ち止まって木々を見上げていた。ここにもいくつか屋台が出ていて、そのひとつがコーヒーを出していた。見るとなかなかにこだわりのあるものだった。悔しさで、舌打ち代わりに指を鳴らす。コーヒーを探すのに、まさか神社の屋台までを想定することはできなかった。ローソンから文庫の森と戸越八幡神社から文庫の森の距離は、正直あまり変わらなかった。

 しかし、駄菓子もそうだが今日はなんだかいろいろな縁ができすぎなくらい繫がっていたのだから、近くの神社でコーヒーが売られているかもしれない、と想像することもできて良かったのかもしれない。飲んでみたいが、カフェインを取り過ぎると気分が悪くなることがしばしばあって、コーヒーは一日一杯と決めている。泣く泣く断念して、参拝に向かった。ここにも七五三詣の親子がいて、少女が碁盤に乗って両親と記念撮影してから、母親に手を取ってもらってぴょんと飛び降りた。

 全国に数多ある八幡神社だが、その八幡神とは誉田別命、すなわち応神天皇が祀られている。応神天皇は文学を奨励した天皇とされる。また文学だ。どうしても自分は文学から逃れられないのだろうか。

 最後に向かう居木神社までは20分ほど歩く。坂を登って見えてきたその神社は、縁日とは違った意味で妙に賑わっていた。見渡すと、多くの人がなにか同じパンフレットらしきものを手に持って各々話し合っていた。横目で覗くと、どうやら「山手線謎めぐり」という街歩き型の謎解きゲームのもので、ここがチェックポイントになっているらしい。親子、カップル、友人の集まり、老夫婦といろいろな人が楽しそうだ。

 金曜、土曜に行った高崎や前橋、今日の神社もそうだったが、今ちょうど、紅葉が見頃を迎えている。こんな風景にあずかれて運が良かったと思うが、考えてみればもう12月である。紅葉狩りといえば10月とか、そのあたりの時期のものだった印象だが、この数年で季節感もだいぶ変わってしまったものだ。

 3時ごろに大崎駅に着き、りんかい線で国際展示場駅に降りる。少しばかり歩いて東京ビッグサイトに戻る。相変わらずの方向音痴で自分が朝にどこから出てきたのか分からなくなるが、なんとか西館を見つける。閉場は5時。それよりは前に撤収する気ではいたが、まだ3時半前。少し早過ぎた。かといって会場に戻る気もなんだか起きず、奥の方の誰もいないところのベンチに座って漫画を読み、時間を潰していた。

 4時を回り、空が茜がかってきた。風も冷たい。それに、モバイルバッテリーは持ってきたのに肝心のコードの方を家に忘れて受電できないスマートフォンの電池は風前の灯火だ。重い腰を上げて、再入場する。終了まで1時間を切っているとは思えない、まだ会の半ばかのような人だかりに圧倒される。せっかくなので全体を軽く回ってみようと思うが、今回については事前に目星を付けるといったこともまったくしておらず、ただやみくもに回るにはあまりにも規模が大きすぎ、そして人の波が激しすぎた。諦めて自分のブースに向かう。予想売り上げはゼロだったが、どうやら硬貨が一枚と、メモ書きのようなものが入っている。

 集金ボックスの南京錠の鍵を忘れたので、傾けながら中のメモ書きを見ると、友人の署名があった。最もこういう場に来ないだろうと思っていた名前に驚くが、大変ありがたい。さっさと帰り支度を済ませて会場を出てゆりかもめのホームに向かっていると、なんだか彼とおしゃべりをしたくなり、急で申し訳ないが夜に電話できないか、と電車の中でLINEを送る。少しして色よい返事がもらえた。今日の楽しみはまだ続きそうだ。

 窓の外に目を向ける。夕日は地平線に沈み、空は瞬く間に青みを増していた。