2025年6月
先月から続いていた喉の不調はようやく解消されてきた。3カ月ぶりに有給休暇も取ったし、1泊2日の軽いものではあるが茨城県水戸市に旅行にも行った。梅雨明け前のまだ6月とは思えないような暑さでぐったりしたり、目の前に落ちるオオスズメバチと思しき死骸に震えたりして予定していた行程のかなりを削ることにはなったが、これから本格的に暑くなる前に行けて良かったと思おう。とにもかくにも、月の3分の2以上は体調不良だった先月に比べればずっと楽しかった1カ月だった。
しかしながら、世の中に目を向ければ良い話題を見つける方が難しい。現代は「新しい戦前」にある、との言葉も、あながち大袈裟なものと言えなくなっているのかもしれない。
25日、米国の大統領はイランの核施設への攻撃について、1945年8月の広島・長崎への原爆投下を引き合いに出し、「戦争を終わらせる」ためのものだった、と発言した。国際法に照らしてもかなり問題があると思われる今回の攻撃を正当化する文脈で用いられたのは明白であり、それはすなわち、広島・長崎への原爆投下も、「戦争を終わらせる」という「正義」の目的に適った行為だった、と言っているに等しい。「広島の例は使いたくないし、長崎の例も使いたくない」との前置きなどなんの意味もなさない。
米国はたまたま勝っただけで、もし負けていれば戦後、この行為は自分たちが枢軸国を裁いたのと同じ基準を以て重く罰されたはずだ。だが、いまさらそのダブルスタンダードを批判しようとは思わない。戦争とはそういうものだし、当時の日本もまた捕虜を用いた生体実験をおこなっていたように占領地で非道の限りを尽くし、原子爆弾の開発も進めていた(近代日本における戦争と科学技術の関係性については、山本義隆『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』に詳しい)。米国が勝ったのがたまたまであるならば、日本が原爆の「加害者」とならなかったのもたまたまなのかもしれない。
無論、だからといって、どっちもどっちだったんだから、などと矛を収めることを促すつもりも毛頭ない。このような論理は、やはり認めてはならない。
こうした現状に改めて痛感するのは、80年経ったいまでもこんな詭弁としか言えないロジック、建前を立てなければ正当化することさえできない、それでいて正当化し続けねばならない、戦争という行為のどうしようもないまでの愚かさである。
原爆投下と並び、日米戦争における米国軍の日本人民間人に対する無差別攻撃としてあるのが空襲だ。私が旅行した水戸も1945年8月2日に空襲を受けて、300人以上の死者を出している(水戸空襲)。水戸駅を出てすぐの所にはそのとき焼け残った大銀杏があり、その前には看板を立て、当時の記憶を残している。
3月10日の東京大空襲を始め日本各地で実行された空襲だが、5月29日の昼間、横浜市の中心地域に対して行われた横浜大空襲を物語の核としているのが、小林尽『夏のあらし!』(スクウェア・エニックス、全8巻)だ。
広島に住む中学1年生の13歳、八坂一(はじめ)は、夏休みを使って横浜の祖父の家に泊まりに来ていた。炎天に耐え切れず偶然通り掛かった喫茶店「方舟」に涼みに入ると、そこの従業員、嵐山小夜子(あらし)に一目惚れする。古風な空気を漂わせるあらしだが、彼女は戦中である60年前にこの地で「死んだ」、幽霊のような存在であるという。毎年夏にだけ生きる彼女は、自分と「通じた」相手と体を触れて過去にタイムトリップすることができる。あらしはその能力を使い、戦争で命を落とすはずだった者を助けようとしている。彼女と「通じた」一は彼女に協力するなかで、戦争の現場に身を投じていくことになる。
印象的なシーンはいくつもあるが、ひとつ、難しいなと思ったのはまさに横浜大空襲の日に飛んだときの、次のような場面だ。
戦争末期の食糧難のなか、おじからもらった小麦粉を持つ母親に対し警官が、それは闇市で買ったものだろうと難癖をつけ取りあげようとする場面に出くわす。怒りに震え警官に立ち向かおうとする「現代人」の秀雄(ひでお)に、この時代を生きていた加奈子は「警察の力も道徳観念の土台も」「あなたの時代とは違う」と言う。そして、彼の言いたいことはわかるとしたうえで、「でもそれを私に止めさせないで… それは現代日本人の感覚よ! …私達を貶めないで…」と諭す(下線部は傍点)。
前提として、このとき彼らがなすべきことは別にあって目立つことは避けねばならなかった。そのために彼を思いとどまらせようとして出た言葉でもあるだろう。その上で、この「貶めないで」という言葉の重さを考えさせられる。現代の価値観からすれば、戦時中に日本で起こっていたことは明らかに異常だ。その道徳観念も、到底受け容れられるものではない。それでも、そのような社会で生きてきた、あるいはそう生きるしかなかった……それも、(作中では)たった60年前の同じ土地に生きた人々がいた。そう考えたとき、果たして自分はなにを言えるのだろうか。自分が偉そうなことを言えるのは、その時代を生きたわけではなく、どこか他人事だからではないのか、とも思う。
本作は、日本を被害者としてだけ描いているのではない。「方舟」の初代マスターは、秘密裏に原子爆弾の開発を進めていた科学者でもあった。直接的には多く描かれることのない原爆だが、主人公の一が広島在住であることも考えると、これもまたひとつの裏テーマであるようにも思われる。
当時横浜は、大規模空襲に見舞われることがなかった。人々はその理由を「横浜は歴史的にアメリカと関係が深い町だから標的から外されているため」と考えていたが、実際には違った。横浜は原爆投下の候補地であり、もし原爆を落とすことになった際に正確な破壊力を確認する必要があるため、大規模な攻撃を見逃されていただけだった。正式に横浜が原爆投下の候補地から外されたのは5月28日。横浜大空襲の前日のことだった。
その事実を告げても淡々としている、本来はとても優しいはずの元オーナーにあらしは、なぜそんな風にしていられるのかと怒りをぶつける。すると彼は「戦争だからさ!!!」と一喝し、次のように語る。
これより日本は敵国のあらゆる新兵器の実験場となるだろう。列強による世界の奪い合い 山ほど殺して技術は消費され発展しまた山ほど殺す! 国が滅び生まれる程の金が動き国益の前では人間の尊厳など食い潰される 僕だって自分が怖いんだ… 思うほど良心の呵責を感じないのさ 社会が罰しないのであれば人を殺めてすらも人は罪を感じぬものなのかと…!
そして、あらしの兄、海軍少佐であり、その1カ月ほど前に戦艦大和(物語の最後、一とあらしは広島県呉市の大和ミュージアムの近くで待ち合わせをする)と共に沈んだ麟太郎を引き合いに出し、「麟太郎ほどの男を呑んで まだ足りぬほどの怪物だ 人の集団というものは…!!」と嘆く。
一人であれば到底できないようなことが、「みんな」になれば平気でできてしまう。無論、それが良い方向に作用することもないとは言わない。しかし、その力がもたらした惨事は、枚挙に暇がない。戦争とは、その最悪の形である。
では、どうすればよいのか。空襲の惨状を目の当たりにして深く傷つき、あそこでは人間は物——躰であり関節であり手足であり頭——でしかない、と嘆く潤に対し、一は「それでも心なんだ」と言う。「誰にも伝わらない何か」である「痛み」を抱えた「私」として生きること。あらしもまた、自身のタイムトリップについて量子力学の重ね合わせの原理、すなわち、空襲で死んだ躰と、いま存在する霊体として心が分裂し同時に存在する、という仮説から、自身の決断、意志を決めるのは躰でも歴史でも世界でもなく自分の「心」だと悟る。
これは戦争だけの話ではない。作中では一度「災害」という言葉が出てきたが、一は幼い頃に大きな災害に遭い、父親を失っている。広島に移り住んだのはその後のことだ。明言はされないが、時代的、そして最終話に一が生まれた地が神戸であることが判明することから、その災害とは阪神・淡路大震災とみて間違いないだろう。人の力の遠く及ばない大きな脅威を前に、「私」はどうすればよいのか。
意志の力。ひと夏の小さな恋の物語が現代に伝えるものは大きい。
これは余談だが、ちょうど本作を読んだ後、NHKの朝の連続テレビ小説「あんぱん」でヒロインが高知大空襲に遭うシーンが放送されていた。『夏のあらし!』での空襲の場面における、焼夷弾が人の体に突き刺さったり、粘着性のナパーム弾が付いて燃えたり、川が死体で埋まったり、登場人物の顔が煤で真っ黒になったりしている描写を読んでいたせいか、朝ドラのそれは確かに悲惨だが、そこまでの衝撃は受けなかった。もっとも、朝ドラという性質上、そこを丹念に掘り下げて生々しく描く必要性もそこまでないのだから当たり前だし、なにも間違ってなどいない。だが、CG技術が進歩した現代においてもなお、残酷な表現には実写と漫画、どちらの方が向いているのだろうか、などと考えさせられたりもした。念の為繰り返すが、これは優劣の問題ではない。
太平洋戦争から遡り、今度は日本国内における「戦争」、戊辰戦争後の明治7年を舞台にしたのが、相田裕『勇気あるものより散れ』(白泉社、既刊7巻)である。元会津藩士の武士・春安は、自分は戊辰戦争で死に損なったと考えていた。最後の死に場所として、仇である薩摩藩士・大久保利通を暗殺せんとするが、その決死の覚悟は護衛の少女に阻まれ、致命傷を負う。死を望む春安に対し、少女・シノは自分の血を飲ませる。傷を受けてもたちまち治っていく彼女は、不死の民である化野民(あだしののたみ)と人との間に生まれた「半隠る(はたかくる)化野民」だといい、その血を飲んだ春安は彼女の眷属となり、自身も不死身に近い体となる。死を望む彼に、死から程遠い命を与えたのには理由があった。彼女の目的は、15歳で化野民となってから民の生活を守るために、数百年ものあいだ為政者によって人との子を孕ませられ続け気が触れてしまった母親の命を終わらせてやり、そして自分も死ぬこと。その協力者として、自分たちとは違って自分の命に幕引きでき、「死は救いだ」と言った彼を選んだのだった。政府が持つ、化野民を殺すことができる殺生石を巡り、彼女は新政府、そして兄弟と対立していく。
『夏のあらし!』が、死にたくなかったのに死んでしまったところから始まる物語であるとすれば、こちらは、死にたいのに死ねない、死ぬべきだったのに生き延びてしまったことに端を発する物語と言えるだろう。尊い死に惹かれていたシノであったが、現実に多くの死に触れていくことで、どこかその希求に変化が訪れていく。生と死とは裏返しなのだ、と改めて感じる。
上記2作はタイムトリップや不死の民といったファンタジー、SF的要素が中心となったフィクションであるが、同時に、歴史的事実を基にした作品でもある。時代は下り近現代の日本を舞台にし、ある意味ではかなり現実に即したノンフィクションの感を湛えながら、しかし純度の高いフィクションの小説となっているのが、磯﨑憲一郎『日本蒙昧前史 第二部』(文藝春秋)である。日中共同声明や上野のパンダ、当時大ヒットしたドラマで共演した俳優と女優(作中で名前は出していないが、石坂浩二と浅丘ルリ子)の結婚や、オイルショックに纏わるあれこれをテーマとしている。かなりの部分は現実に即していると思われるのだが、しかし本作を、たとえばその時代や事柄を説明する際に参考にできるかと言うと、それは非常に怪しい。それでいて、その時代が生き生きと立ち上がってくるような感覚もある。特徴として、特定の人物にかなりフォーカスして、その人物の視点から物語っている、ということがある。そこには多分にフィクション的想像力が介入しており、しかしそのフィクション的要素が歴史的事実を引き立てている。そんな印象を抱いた。
本作で一番好きなシーンを引用しておこう。上野動物園の職員が夜遅く、体調を崩した来日して間もないパンダに与えるための漢方薬を調合してもらうため、マスコミの目をかいくぐって漢方薬局を訪れる場面の一幕(なお、動物園がパンダに与えるための漢方薬を調合してもらった、という事実はあるらしい)。
しかし雨の降る晩、午後の九時を回った時間に、薄汚れたジャンパーを羽織った中年男と若者が二人でやってきて、子供用の風邪薬を売ってくれと頼まれた場合、どんな背景が想像できるというのだろう? 二人の素性を怪しまずに済ませられる人など、現実にいるものだろうか? 店主は少しの間考え込んでいたが、仕方ないと観念した表情で、次の質問を継いだ。「お子さんの年齢はいくつですか?」「二歳です」「体重は?」「……少し太っていて、五十五キロあります……」共犯者同士の気脈めいたものが通じ合って、三人ともそれ以上の口はつぐんだ(93頁)
小説を読んでいて笑ったのは久しぶりかもしれない。著者の他の作品にも共通することだが、起きていることはどう考えても異様なのに、それをする人物と、それを語る文体は終始真面目であり真剣であることが、このおかしさを生んでいる。これを受け狙いというか、どこかふざけた文体でやられると、私としてはいささか鼻白んでしまうところだ。やはりそういうものの方が一般受けは良いんだろうな、というのも感じるところだが。
こうした諧謔は本作において戦後日本の風刺になっているのだが、しかし糾弾一辺倒ではない。皮肉が利いていて、どこか愛も感じさせる。この按配は、簡単そうにみえてそうではない。そのバランスを支えているのが「事実」というものなのかもしれない。
さて、ちょっと重いテーマの作品が続いたような気がするが、私は本来、特に漫画なんかはコメディチックであったり、たとえ現実離れしていると言われたとしても、優しい物語の方が好きなのだ。
ヤンキー男子校に通う、心は優しいが見た目で勘違いされやすい凛太郎と、その隣にあるお嬢様学校の薫子の恋愛を中心として、見た目も立場も考えも違う者たちがお互いがお互いを尊重する、という大切さを伝える三香見サカ『薫る花は凛と咲く』(講談社、既刊17巻)は、まさにそんな物語でもある。主要登場人物はみな、形は違えど各々の強さや優しさ、そして同時に弱さを持っていて、みながそれを理解している、あるいはしようとしている。こういった人達が多くなれば、いったいどれだけ世界は生きやすくなるだろう。
お嬢様学校の方に通う沢渡は、教師から、勉強もできず野蛮な人間が集まっていると教え込まれていた隣の学校に通う凛太郎とその友人達が、そんな評判とはまったく違う人間であることに対し、どうして評判通りの人間でいてくれなかったのか、とこぼす。彼女は成績も習い事も上手くいかずに優秀な家族のなかで劣等感を感じていた。そんな自分のことが嫌で嫌で仕方なくなったときには、隣の学校と自分を比べ、彼らを下に見ることで自分を安心させている嫌な人間なのだ、と凛太郎に告白する。だが、このような心情に覚えのあるものは決して少なくないだろう。私自身にだって、ないとは口が裂けても言えない。私はそんな立派な人間ではない。それに、歴史を見渡せば、そんな人間の心情を利用した制度を組み込んで為政者への反発心を抑え込んでいた例もある。
だが、彼女はそれを認め、まさにその相手の一人である人物に打ち明けられるだけの勇気を持っているだけ、とても強い人間ではないだろうか、と私なんかは思う。現実にはそれを分かりつつも自分を誤魔化したり、なかにはもはや開き直っているのか嬉々として人を蔑む言葉をまき散らす者も少なくない。自分の嫌なところを認めるというのは、時として相手の良いところを見つけるよりも難しいことである。
お互いがお互いのことを「凄い」とやや言い過ぎなきらいを感じないでもないが、本作についてはそれでいいと思う。正直なところ、ここ数年で世界に対する期待は失いつつあるが、せめて、彼らのような者たちが幸せに生きられる世界ではあって欲しい、と思う。
iPadを購入してKindleで漫画を多く読むようになって半年以上は経つ。通勤の電車のなかで本を読む気力が起きず、だからといってスマホをいじっているのもなんか嫌だなあ、となったとき、気がついたら頻繁に読み直しているのが、最終電車、「終電」を擬人化したヒューマンドラマオムニバス作品(と私はとりあえず定義している)の藤本正二『終電ちゃん』(講談社、全9巻)だ。元々は中野のまんだらけの棚をみていたときになんとなく気になって1巻だけ買ってみたのが始まりだったのだが、気がつけば妙に好きな作品になっていた。滅茶苦茶好きかと言われるとよく分からないのだが、ふとしたときには読んでいて、そして何度読んでも飽きない。妙に肌に合う。おそらく、このような作品の方が付き合いは長くなるのだろう。基本的には誰かに自分の好きな作品を読むように薦める意欲を持たない私だが、この作品については、読んでみて欲しいなと思う人が結構いる。
私は頻繁に終電に乗ることはないが、終電、あるいはその近辺時間帯の電車というものは人間の悲喜や、良いところと悪いところが混沌としていて、少し怖いが、ちょっとしたワクワクを感じるような空間でもある。
そもそも終電になんか乗らなくて良いようにしろ、と乗客に口酸っぱく言いながら、それでも全員を家に送り返すことをポリシーとする堅物のJR中央線の終電ちゃんを始めとして個性豊かな終電ちゃんを取りあげながら、描くのはそこに乗る者たちの人間ドラマだ。そこで育まれる恋愛や友情といった明るい話も多いが、長年、その場所から人々の成長、老いを見てきた彼女たちの目からだからこそ語れる、悲哀が漂う、切ない挿話も挟まれる(1889年開業の中央線の終電ちゃんは作中で131歳の誕生日を迎える)。これが案外泣かせてくるのが、憎いところだ。
また、人間ではなく、終電ちゃんのドラマの方で切ない物語もある。本作のなかでも私が好きなエピソードである、島根県の江津駅から広島県の三次駅を結んでいた三江線の話なんかがそうだ。「結んでいた」といったが、本線は2018年3月31日をもって廃線となった。運行最終日の終電は、まさに終電ちゃんと人々の別れの時間である。
最後の日も、これまで三江線を利用してきた地元の人々の力も借りながら、なんとか全員を運ぶという自分の仕事を真摯にこなした彼女は、車庫に向かう列車でしんみりした空気もなく運転手に感謝の一言を告げて、音もなく姿を消す。1975年の全線開通から43年弱、幾たびの水害を乗り越えてきた本線の歴史は、人々であり、その町の歴史そのものだ。
私は、物に刻まれた歴史を想像するのが好きだ。建物や道路や標識、調度品や衣服、アクセサリー……。そこに電車や列車も並ぶ。自分の知らない多くの人達が携わってきた物がいま目の前にあるということは、私にとっては希望であり、救いであるような気がする。長い歴史からすれば自分一人の人生なんてちっぽけなものだろうが、こうしてどこかしらに残るのであれば、決して無駄なんかではないと思える。本というものに惹かれてきたのも、きっと同じような理由からだろう。
だから……それが風化であり、時代の流れの中で無くなってしまうことは仕方がないが、やはり戦争という形で跡形もなく破壊されるのは嫌だ。それは、これまで生きてきた命を踏み躙る蛮行でしかない。やはり戦争は駄目だ、というのが私の今月の結論だ。
それにしても、一人の漫画家の本から、やれ7月5日に大災害が起きるやらなにやらと話題になっている。こんなもの、起こるかもしれないし、起こらないかもしれない、としか言いようがない。
これについて、SNSで騒いでいることはアテンションエコノミーが進んだいまにあってはもはやどうしようもないと諦めるとしても、それなりに名の知れた新聞社や出版社、テレビ局が嬉々としてそれを取りあげている様にはただただ呆れる。たとえそれに「不確定な情報には流されないようにしましょう」とつけ加えていたところで、自分たちの報道がどのような影響を生むのか、果たして真剣に考えているのか。こんな良識、リテラシーを疑うメディアが喧伝する人権意識などをいったいどうやって素直に受け止めればいいのだろう、と言いたくもなるが、よくよく考えれば別に彼らに関係なく、「私」はそれらの事柄を考えることはできるのだ。
私は私のペースでやっていくことにする。だからといってヤケになっては駄目だが、こんなものにいちいちかかずらっていられるほど、人生は長くない。私は私の生を、自分なりに全うする。きっとそれしかないのだろう。
(矢馬)