ソガイ

批評と創作を行う永久機関

2026年抱負

 年末年始、去年のようにインフルエンザに罹ることはなんとか回避したものの、休み明け直前あたりから風邪をひいてしまった。やはり人生とはままならぬものである。

 今回は、直接的には「本」とは関係なくなってしまうだろうが、2026年の抱負をあげつつ、いま思っている事を書いてみることにする。絵空事のようなものになる可能性もあるが、人生なんてどんなに現実的な視点で考えてみたところで結局どのように転ぶのかはそのときになってみないと分からないのだから、あまり生真面目になっても仕方ない気もする。

 

 1.映画を100本観る

 去年、というよりもここ10年くらいを振り返ったときの一番の後悔は、時間があったときに映画をあまり観てこなかったことだ。少ないときには1年に1本観るか観ないか、というレベルで、私は映画を観てこなかった。頭痛持ちということもあって、映画館で映画を観ると中盤あたりから絶対に頭が痛くなって辛い、という事情もあるにはあるが、せっかくサブスクリプションでの配信という便利なツールもあるにもかかわらず、それも十分には活用できていなかった。

 というのも、なにか映画でも観ようかなあ、と思い立ってサイトを開いても、多すぎる選択肢を前に、いったいどれを観れば良いものかわからず、探している内にだんだん面倒くさくなって、ただただ疲労を募らせるだけで終わってしまうことがしばしばだったのだ。

 ただ、私の友人には映画好きもいて、その話を聞いていると、全然映画を観ていない自分はほんの少し、居心地の悪さというか、後ろめたさを覚えるところもあったのだ。

 そういう動機で観るのはどうなんだ、という意見もありそうだが、そもそも私は本についても、まともに文学的な作品を読み始めたのが高校卒業直前ということもあって、大学時代は、周りの小中学生のころからたくさんの小説を読んでいる人へのコンプレックスが読書の原動力の一つであった人間であったから、自分ではこのような動機を否定する気にはなれない(本当は読んでいないのに知ったかぶりをしてしまったが故に、こっそり書名をメモして慌てて入手して読むことで帳尻を合わせた、なんてこともちょこちょこある)。

 2025年の反省から時事的な問題とは距離を置くことを決めたのも良いきっかけにして、主に名作と呼ばれる過去の作品と、単純な自分の趣味に合いそうなものから適当にリストアップし、順番に観ていく、という方法で意識的に映画を観るというのも面白いだろう。そんなことを思いついたのは、12月末のことだった。

 100という数字にはあまり意味はない。ただ、映画マニアなら平気でこの本数は観るだろうし、なんとなく大きくてキリの良い数字だ、というだけのことである。と同時に、1年でこの本数を観ることがどれだけ大変なのかを肌で実感してみたい、という関心もあった。去年1年間、読書日記を書きつづける中で、数・量にこだわることの無意味さを痛感した一方、しかし、そもそも自分はいったいどれだけ作品を読んだり観たりできるのだろう、ということはよくわからないままだった。

 去年は読書日記を書く関係で時事的な問題を追うことで時間と精神をかなり消耗していた。今年は、ほとんど徒労でしかなかったそれを極力ゼロに近づけるつもりだ。その上で、自分はいまの労働と生活のなかで、作品鑑賞にどれだけのリソースをつぎ込めるのかを知りたい。そんな実験のひとつの指針にしよう、という目論見もある。

 1/10時点で4本の映画を観た(『街の灯』『モダン・タイムス』『バルカン超特急』『独裁者』)。年始の休みとモチベーションの高さがあってこれだから、100という数は簡単ではなさそうだ。年に何百本も映画を観ている人もそうだし、流行りの映画を観て、ドラマを毎週欠かさずチェックして、アニメも観て、本も読んで、至るところに文章を書いて、本を何冊も出しているような人はいったいどんな生活をしているのだろう。不思議である。

 

 2.ブログの更新、24本

 さすがに去年は少なすぎた。もちろん、ただ書けばいいということではない。しかし、いざ文章を書こうとして、いままでとは比べものにならないくらい、なにを書けばいいのかわからない、とにかく手が進まない、言葉が出てこない、といった場面が多く、危機感を覚えている。

 すべて手癖で済ましてしまうのはよくないが、運動と一緒で、つねにトレーニングしていなければ動きは必然、ぎこちなくなる。意識、意識の先に無意識がある。

 目安として2週に一本、まとまった文章を書く。いまの自分には少しキツいくらいの、ちょうどいい負荷のように思う。本当は軽いエッセイのようなものばかりではなく、少し骨の折れる書評などを書きたいとは思うのだが、それはいまの自分の力量と相談しながら考えていくことにする。

 

 3.2025年の「読書日記」の刊行

 これは去年の早い時点から考えていた。分量としても一冊の小さな本とするには十分だし、自分自身にとっての備忘録としても綴じておくべきだろう、という直感があったからだ。

 問題は、その形だ。最初は「上製本を作ってみたい」などの調子に乗ったとしか思えない青写真を描いてもいたのだが、この考えは先月に至って完全に捨てた。紙の値段も上がるなか、たかだか50〜100部、頁数もおそらく100に満たない個人的な本、しかも「日記」を作るのに、きらびやかな製本を施す必要が本当にあるのか。もっと言えば、印刷所を使う必然性もあるのか。もっと自分(たち)の手を動かして本を作ればいいではないか。そういった方向にシフトしている。

 あまり先延ばしにするようなものでもないから、2月までには方針を固めて、5月には完成させたい。

 

 4.5〜6回、旅行する

 昨年も3回ほど旅行をしたが、今年はもうちょっとその頻度をあげたい。地震や猛暑、熊など、状況的になかなか難しいところもあるが、まだ比較的身軽な内にいろいろなところに行っておいたほうがいい、と強く感じさせられることが近年、ちょこちょこあった。

 2023年に始めた御朱印集めは、現在334個。居住地である東京とその近郊はだいぶ行き尽くしてしまったためにいままでのようなペースで新たな寺社を訪問することは不可能だが、旅行先のほか、少し遠出もして、結果として400という数字が見えてきたらいいな、と思っている。

 

 5.痩せる

 これはただただ情けないのだが、10月に健康診断を終えて気が抜けてしまい、結構体重が増えてしまった。運動不足も痛感していたところだったので、いまの風邪が治ってからは生活に有酸素運動を取り入れ、食事も見直して、ゆっくりと元の体重にまで戻せるように努めたい。

 また、運動に時間を割くと本が読めなくなるように思う人もいるかもしれないが、これは案外、そうでもない。頭の疲労と身体の疲労は少し異なるのか、かえって頭の方がリセットされて文章が入ってくることも多々ある。

 本を読んでばかりいてはいけない、と思う理由の一つはここにある。

 

 本当は、ノベルゲームを6本ほどプレイする、なにか楽器を始める、そして本を読む、といった目標も加えたいのだが、少し多すぎるような気がしたのでひとまずここで抑えた。まずはこのあたりのことの目処が立ってからだろう。

 それでも十分なキャパシティが求められる目標となってしまったが、しかし、どうなのだろう。先述したが、去年を振り返ったとき、時事的な問題について考えたり情報を収集したりするために要した時間と体力は本当に大きく、結果的にかなりのリソースを徒に費やした自覚がある。それが無くなれば、心がけ次第では案外良いところまでいけるのではないか。そんな楽観的な見通しも、強がりばかりではなく、ある程度の実感を伴ったものになっている。

 

(矢馬)