ソガイ

批評と創作を行う永久機関

撤退戦のなかで——いまの書店・出版についての雑感

 小説らしき文章を書き始めたのが13年ほど前。ここ5、6年は小説よりも論考やエッセイ的な文章の方が多くなっているがともかく、この間、自分が書いたなかでもっとも手応えがあり、そして思い入れが大きいのが、「ソガイ」第5号に載せた「いま本を造るということ——これからの出版論のための覚書」だ(現在売り切れ)。

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『新編 出版編集技術』(日本エディタースクール編)を取っかかりに、藤森善貢、小尾俊人、鈴木一誌、長谷川巳之吉、島田潤一郎などの言葉を参照しながら、そのときの日本の出版界の状況について感じていることを丹念に考えた。まさに覚書で、いま読み返すとやや熟れていない印象もあるのだが、ぎりぎりのところで抑制が利いており、いまの自分よりもずっと良い文章を書いているようにも感じる。

「ソガイ」第5号は2020年5月に発行しているが、この文章は割と早くから用意し、そして余裕をもって大半を書き終えていたと思う。私はその年の3月に大学院修士課程を修了している。当時、修士論文の追い込みと並行して、本論考のための資料集めや読み込み、プロットの作成や下書きを行っていた記憶がある。我ながら大したバイタリティである。いまでは信じられないくらいだ。

 当時の私は、文学そのものから派生して、出版という行為や現象、本というものについてかなりの関心を持っていた。限られた書籍代はそのために費やされていた。その手の議論についても、本屋でアルバイトをしていた経験も踏まえながら、積極的にコミットしていた。

 その関心、情熱を失ったわけではない。だが、ここ1、2年で頓に、現代の出版に関する話題に積極的に言及するのはやめよう、という思いが強くなった。あまりの徒労感に、がっくりすることが多くなってしまったからだ。

 本論考で、私は藤森善貢の次の一節をエピグラフを含め、3度引用した。

 本は文化財である。多くの人びとに読まれることを期待するとともに、文化の記録、知識の源泉として、過去・現在・未来をつなぐ役割をもになって刊行される。

 この短い文章を何度も引用したのは、これが出版という営み、本という存在の意義を端的かつ的確に表す優れた箴言である、というのもあるが、それだけではない。当時の私が抱いていた違和感を裏から照らし出すものでもあったからだ。

文学、ひいては紙の本の大切さを訴えるひとは多い。しかし、そういったひとのなかに、どこか内輪の空気があるようにも感じている。それは、本という、ある意味では「遅い」メディアの最大の長所を消すことになりかねない。内輪の空気とは、限りなく「いま」を確認するだけのものだからだ。(「いま本を造るということ——これからの出版論のための覚書」「ソガイ」第5号、60頁)

「内輪の空気」が作り出す刹那的な享楽を、それほど簡単に肯定して良いものなのかどうか。どうやら私は、少なくとも6年前からずっと同じことを言っているらしい。本、そしてそれを造り、流通させる出版は「過去・現在・未来をつなぐ役割をもになって」いるにもかかわらず、それを愛好し嬉々として語る者に「いま」しかないように感じられるちぐはぐさがとにかく嫌で、そして、このままではまずいのではないか、と怖さを感じていた。動画メディアの進展、社会環境の変化によって人びとが本を読まなくなった、と出版事業の斜陽化の原因を外部に求める論調が主流だが、私の実感としては、それももちろんあるが、同時に、読者を含めた出版業界周りの自滅にもその要因があるように感じている。貧すれば鈍する、という言葉が頭に浮かんでくる。

 私は人一倍、出版というものを大事だと思っている自負がある。一方で、その強みを自ら放棄しているようにも見える現状では、あまり明るい未来を思い描けそうにない、という思いも強かったのだ。それでも、なくなって欲しくはない。この論考は、拙いながらも、一個人による地べたからの警告の言葉でもあった。

 出版業が撤退戦を強いられていること、いや、撤退戦を展開する他ないことは理解している。もっともいきなり滅亡するとは思わないが、一方でかつての規模まで回復していくなんていう楽観的な考えはない。撤退は仕方ないとして、しかし己の矜恃を保ったまま、誇りある撤退戦を展開することは可能だと思っている。そのなかでぎりぎりを見極めて踏みとどまり、新たな戦い方を見つけることも。

 だがそれも、「過去・現在・未来」のすべて時空を見据えてこそ為せるものだろう。書店の棚を眺める。どうにも「いま」しか感じられない。だとすれば、もはやそれを望むことは難しいのではないか。胸中に湧くそんな悲観的な感慨を自分で否定し、消せなくなってしまったのが、この6年間だったのかもしれない。

 深くは触れないが、今月リニューアルオープンした三省堂書店神田神保町本店を巡って、消極的な感想が多く見られた。それに対して書店員や出版関係者、読書家が、この出版不況のなかでも東京の一等地に本屋を出してくれることがありがたい、頑張っている人を腐すな、本が好きなら皆で応援すべき、といった論調で批判し、新店舗を擁護する声が賛同を集めているのを眺め、結局本屋も推し文化に飲み込まれたのか、と嘆息した。同時に、やはりこの業界周りについても「いま」しかないこと、それくらい余裕がなくなっていることを思い知らされる。いや、たとえ本当は余裕がなくなっていたとしても、建前を以て堂々と理想を語っていて欲しいのだ。私はそんな瘦せ我慢を、美しいものと思う。

 そもそも私はリニューアル以前の三省堂書店神田神保町本店も、あまり高くは評価していなかった。

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だから、神保町のランドマークであったことは疑わないが、三省堂書店神田神保町本店はかくあるべし、という期待や願望は特に持っていない。動線、レジの問題は現状かなり深刻だと思うし、個人的にはあの凝り過ぎに思える棚の配置も疑問だが、それ以外については実のところ、そこまで旧店舗から変わったという印象を受けないのだ。

 本が無い、という感想が散見される。その主な要因のひとつは蔵書数の減少だろうが、実は旧店舗においても私は、確かに本は多いが、あの大きさの割にはなんだか無いな、という印象を持っていた。非常に贅沢な悩みであることは承知しているが、良い悪いではなく、そのような性格の本屋だと認識していたので、その点では新店舗について、特に裏切られたといった印象はない。

 もちろん、この新店舗を褒めることが間違っているとか、そういった人の存在を否定しようとは思わない。私とは違う考えを持つ人は多く存在する。というより、厳密には私とは違う考えを持った人しか、この世には存在しない。すべての本屋が、私が良いと思うような形にならねばならないとも全く思わない。世の中に自分の気に入るものと気に入らないものが混在するのは当然のことだ。いやむしろ、大半のものは自分の気に入るものではない。それは本屋に売られている本のうちほとんどのものが、一生手に取ることがない、自分にとって関心のないものであることと同じである。

 だが、その擁護の仕方がこれなのか、と思ってしまう。具体的にどこがどう良いと評価しているのかが伝わってこず、こんな厳しい状況でも頑張っているから偉い、そんな頑張っている人に対して厳しいことをいって、このお祭り騒ぎに水を差すのは空気の読めず、足を引っ張るだけの悪いやつだ、そんな奴は売上に貢献しないのだから本当の本好きではない、気にかける必要などない、と言っているように見える。

 言うまでもないことだが、わざわざ神保町にまで足を運んだうえで、一書店に対して、マイナス方向だろうがそれだけ熱の籠もった感想を抱くようなのは、世の中全体から見れば相当に本に関心を持ち、そして購入している稀有な人間であろう。そんな人でも、意見の相違を以て敵と認定して排除する内輪の論理。やはり本当に怖いのは外ではなく内にいる、ということなのかもしれない。そもそも、本を買う人(「お金を落とす」人)こそが偉い、という論調にはまったく賛同できないのだが、ともかく、このような空気が出版を巡る言論に身を投じる意欲を私から殺いでいったのだ。どんな因果か出版社に勤務している人間が言うのも変かもしれないが、だから私は出版業界というものを、多少内のことも知っているからこそ、その輪の少し外から見ていきたい。

 この様子では当分、私はかつてのように出版周りのことについて積極的になにかを論じることはないだろう。だが、決して出版への想いを捨てたわけではない。日常生活を含めた活動のなかで、それを別の形で表現することになるのではないか。

 そのひとつとして、「いま本を造るということ——これからの出版論のための覚書」は軽い本・冊子として、なんらかの形で再版しようと思っている。その後の6年間の出来事や、そこで考えたことなどを加えたくもなるが、それは禁じる。誤字脱字、文章のねじれなどの最低限の修正のみ。当時の形のまま、新たに問いかけたい。

 ところで、リニューアルした三省堂書店神田神保町本店を覗いた日、私が神保町に足を運んだ主目的はここではなく、PASSAGE SOLIDAだった(仲俣暁生のいくつかの軽出版の本を求たのだが、それが「いま本を造るということ——これからの出版論のための覚書」の再出版への意欲に繫がっている)。まだ数回しか入ったことはなく、今回初めて2階に上がったのだが、家族型ロボット「LOVOT」がいて驚いた。そりたん、という名前らしい。触ったりしても良いらしく、正直この子に構いたくて仕方なかったのだが、他の客は足元に寄ってくるそりたんを一瞥しただけで静かに本を選んでいてどうにも憚られ、さりげなく頭を撫でるに留めた。常々感じていたが、本屋はちょっと静かすぎると思う。だから、一過性のお祭り騒ぎかもしれないが、三省堂書店神田神保町本店の賑やかな、同行者とおしゃべりしていても気が咎めないような雰囲気自体は、照明や白を基調とした空間も相俟って全体的に明るすぎて眩しい感は否めないが、そこまで悪くないと感じた。

 本屋の形も、これからいろいろと変わっていくのかもしれない。やはり私はそれを、少し外から眺めていきたい。

(矢馬)