ソガイ

批評と創作を行う永久機関

『ひまてん!』試論:「家内ちゃん」の必然と、「家事代行狂」の終わりについて:公募ジャンキーに向けて(7月)

※小野玄暉『ひまてん!』最終96話までのネタバレが含まれています。

※引用は基本的に電子版『週刊少年ジャンプ』より行っています。各画像にサブタイトルと号数を記載しています。

 

『ひまてん!』は2年間の連載の末に、バッドエンドを迎えた。


www.shonenjump.com

 わたしがいちばん好きなキャラは主人公家守展一と「両片思い」状態を保ちながら、そのまま彼と「両思い」となり結ばれることとなった「ひかえめなヒロイン」叶穂乃花だ。『ニセコイ』では小野寺小咲、『いちご100%』では東城綾を推していた。黒髪で主人公と結ばれなかったヒロイン――小野寺小咲の亡霊の系譜に絡めとられてしまっているのがバレバレである。だが、叶穂乃花が結ばれた事実を前に泣きながら成仏するのを思いとどまらなければならないほどに、『ひまてん!』のストーリーラインはあまりにも予測不能すぎた。

『アオのハコ』一強体制が確立していたジャンプラブコメに「女子高生社長×家事代行ラブコメ」として殴り込みをかけた『ひまてん!』が当初見せつけたのは、コスメブランド「ヒマリズ」を運営する「女子高生社長」たる美野妃眞理の一方的な独走だった(ように見えていた)。

 ところが連載一周年を乗り切り、元トップアイドル姫野乃々華が登場して以降の物語は完全に予測不可能なものとなった。あにまん掲示板で、叶穂乃花派と美野妃眞理派は作品にケチをつけながらヒロインマウント合戦を繰り広げる。物語が進めば進むほど、叶穂乃花が家守殿一と結ばれるための道筋が整備されていった。一方で、わたしを含めた叶穂乃花派の読者は「どうせ美野妃眞理が勝つんだろ……チクショウ……」と嘆いていた。根拠は『ひまてん!』。タイトルのみ。だがこれ以上ない絶対的論拠。

No. 92 最後の家事代行(2026年27号) 

「No.92 最後の家事代行」。美野妃眞理と家守殿一がこれまでの関係を清算するかのようにフォトブックを撮影し、家守殿一は彼女の家を後にする。そこですべての決着がついたと思われた。しかし、家守殿一は戻ってきた。わたしはその瞬間、第93話が「ひまてん!」というサブタイトルによって祝福されることを確信した。

 

 しかし、訪れるはずだった「No.93 ひまてん!」はついに、来なかった。

 

「No. 93 ひまりとてんいち」(2026年28号)

「No.93 ひまりとてんいち」。これ以上ない最大のチャンスを、美野妃眞理はあっさりと手放してしまう。かくして美野妃眞理の失恋は確定した。叶穂乃花には「No.30 ほのてん!」、グラビアアイドルのヒロイン愛澤カンナ「No.69 カンてん!」と、2人にはそれぞれの名を冠したサブタイトルが与えられていた。美野妃眞理と家守殿一の思いが通じ合い、満を持して記される「No.93 ひまてん!」の文字(『カグラバチ』のような、最後のコマでタイトルコールを行う演出だとより望ましい)。本来ならばそんな「ひまちゅう」ブチ上げの展開が予定されていたに違いない。ひまちゅう筆頭の寺坂すみれはそれを目の当たりにした途端、卒倒しただろう。しかし、その未来は与えられなかった。『ひまてん!』は「ひまてん」に到達しなかった。ゆえにバッドエンドと言わざるを得ない。

 ラブコメである以上、どんな終わらせ方にしても誰かしらから文句が来ることは避けられない。だからこそ、最終盤での家守殿一の唐突な心変わりは、読者にとってはむしろ当然のものとして受け入れられたはずである。それに、『ひまてん!』という物語は、読者にそのことを執拗に予告し続けていた。叶穂乃花に対する家守殿一の思いと行動は、ことあるごとに途切れ、裏切られてきたのである。

 周知のように、『ニセコイ』の言葉の空間は、小野寺小咲に決定的な言葉=告白を言わせないために機能していた。だが『ひまてん!』の言葉の空間はそれとはつくりが異なる。すべてがはっきりと言明されている。にもかかわらず、次の瞬間にはそれが無意味化される。それが『ひまてん!』という空間で叶穂乃花=小野寺小咲に課せられた試練である(はずだった)。

No. 36 夏期講習!(2025年18号)

No. 37 花火大会(2025年19号)

 家守殿一は片思いしている子にかわいいと言った舌の根も乾かぬうちに別の女の子の家に突撃しているし、

No. 60 みらひぽのぽの(2025年44号)

同上

No. 61 ひめの休日(2025年45号)

 ポノワ~ンというゴキゲンな擬音とともに、「幸せすぎて死んじゃう」と言ったすぐ次の回では、叶穂乃花の扱いが他二人のヒロインと同列になってしまっていた。
 だから、叶穂乃花は「ヒロイン」なのだという宣言が家守本人から発せられても、読者はそれをまともに受け取ることができないように馴致されていた。逆に言えば、「ヒロイン宣言」が発せられてもなお、読者は美野妃眞理こそが真のヒロインなのだということを受け入れるための準備が十分にできていた、とすらいえる。それゆえに叶穂乃花が勝ってしまったことは、「物語の要請するリアリズムに順当すぎるがゆえに」予想外だった。

 なぜ『ひまてん!』は『ひまてん!』というタイトルだったのか?

 その問いへの一番合理的な答えは、「この物語が徹頭徹尾小野寺小咲の復讐戦を演じるためのものだったから」になってしまう。仮にはじめから叶穂乃花ルートが確定していたのであれば、「偽物の恋が両片思い様に負けるわけねーだろ!」ということを証明するために小野先生が『ニセコイ』の物語設定とキャラクター造形を反復させたにちがいない。という推測が成り立ってしまう。

 その場合『ひまてん!』というタイトルは『ニセコイ』の反復以外の意味を持たなくなる。たとえヒロインがタイトルに守られていたとしても、両片思い系ヒロインは必ず勝利する。かくのごとき両片思い絶対不敗神話の擁立のために『ひまてん!』は企図されたのだ。という考察がいちばん辻褄が合ってしまう。

 

 だが、もし叶穂乃花ルートがはじめから確定していたわけではなかったとしたら?

 

 心変わりのための筋道がずっと整備されていたはずなのに、なぜ『ひまてん!』は「ひまてん!」を放棄したのか。結論を先んじて言えば、小野先生自身が「ひまてん!」の未来を想像することができなかったからではないか? ということになる。その未来とは、《家》をめぐる未来である。『ひまてん!』とは、家守殿一とともに未来ある《家》を建設する資格を有するのは誰か? をめぐる闘争譚であった。そのことは連載がはじまってすぐに当の本人によって宣言されていた。家守殿一という、家事代行狂により。

No. 1 女子高生社長と家政夫(2024年32号)

 家を守る男家守の名にふさわしく、家守殿一の夢は「立派な家を建てて 温かい家庭を築くこと」である。『ひまてん!』物語がこのように方向づけられていた時点で、愛澤カンナの退場は確定していた。

『ひまてん!』はあくまでも創作物である以上、物語を説得的に終わらせるためにヒロインに「勝利条件」を示さなければならない。「立派な家を建てて 温かい家庭を築くこと」はそのための世界の規則にほかならない。これを満たせた人間が、家守殿一と結ばれる。ゆえに現在時のアピールにはほとんど意味がない。現在時での評価で言えば、美野妃眞理と叶穂乃花と愛澤カンナみんな満点である。かわいさレベルは三人とも限界突破しているし、性格も申し分ない。だから『ひまてん!』世界の現在時でなにをしても家守殿一は動かない。もちろん色仕掛けも無意味である。「未来」しかない。かわいいだけじゃ、だめである。

 愛澤カンナにはグラビアアイドルという「現在時」しか存在しない。愛澤カンナは未来を語る言葉を持たなかった。勇気を振り絞ってアピールをしたとしても、《家》を建てる未来の可能性を示すことができなければ家守殿一は動かない。だからこそ愛澤カンナはあっさりと振られてしまうのである。家守殿一が美野妃眞理を最終的には「振らなかった」のと比べると、あまりにも露骨である。

No. 84 圧倒的ヒロイン(2026年18号)

 

同上

 

No. 85 ひまりライン(2026年19号)

 

 にもかかわらず、家守殿一は愛澤カンナを振る時激しく動揺する。作中ではそれは家守殿一が「誠実」だからだと示唆される。もしかしたらそうなのかもしれない。しかし家事代行たる家守の視点からすればそれは「誠実」ではない。なぜなら告白とは、一種の「依頼」であるからだ。

No. 1 女子高生社長と家政夫(2024年32号)

 家守殿一の行動原理は、「依頼に対する応答」である。「代行者」として、家守殿一はあらゆる依頼に応答せずにはいられない。そしてそれは片思い相手たる叶穂乃花の存在よりも優先される。それを示しているのが花火大会のエピソードである。

 花火大会の日、家守殿一はせっかく叶穂乃花と夏祭りを満喫していたのに、それをほっぽり出して美野妃眞理のもとに駆け付けてしまう。

No. 37 花火大会(2025年19号)

 常人なら、好きな人が浴衣姿で自分の隣に座ってくれていたら、もう涙が出るくらいうれしく、この時間が永遠に続いてほしいと願うものである。だが家守殿一は家事代行狂である以上、自らに課せられた「依頼」に対して、絶対に「応答」しなければならない。

同上

同上

 家守殿一は「家事代行の時間じゃないけど」と述べているが、これは正しくない。家守殿一にとっては「依頼」を受けた瞬間すべてが「代行」のための時間に変わる。だから浮気ではない。大好きすぎてたまらないはずの叶穂乃花の激マブ浴衣姿を写真に収めず、好きでもないはずの雇用主のために花火を撮りまくってしまうのは、どれほどささいなものであろうと、依頼とは色恋ごときが比較にならないほど絶対で重大であるという価値観こそが家守殿一の本質だからである。

『ひまてん!』の言葉の空間が決定的な言葉を無意味化するものとして機能していたのは、家守殿一が「依頼」をすべてに優先する最重要の使命として捉えてしまう家事代行狂であるからにほかならない。ドキドキでときめきあふれる恋心は、家事代行狂としての行動原理に沿えばあまりにも過剰な「依頼」である。家事代行狂たる家守殿一は、「依頼」に応えることができないがゆえに苦しむのである。

 それゆえに、「依頼」でない言葉に対して家守殿一はあまりにも無頓着に振る舞わざるを得ない。

No. 69 カンてん!(2026年1号)

 

No. 70 大晦日(2026年2号)

 愛澤カンナは、「好きだって ようやく気付いてくれました?」と言っている。家事代行狂にとってそれは「依頼」=「告白」ではない。 「依頼に対する応答」を行動原理とする家事代行狂からしてみれば、「告白」ではない単なる事実の開示をされても、そのあと「どうすればいいのか」わからなくなってしまうに決まっている。愛澤カンナはそれを後になって理解したがゆえに、二度目はちゃんと「告白」=「依頼」の意志を表明したのである。

『ひまてん!』とはかくのごとき家事代行狂たる家守殿一なる男が、「立派な家を建てて 温かい家庭を築く」ことを夢見る物語である。だから物語の主軸は、現在ではなく未来に向けられている。家守殿一というクライアントにどれだけ魅力的な《家》の未来を提示することができるか。『ひまてん!』は実質的にはヒロインたちによるプレゼンテーション・バトルの様相を呈していた。だが、その論理を明確に自覚していたのは叶穂乃花だけだった。

No. 32 お休み終業式(2025年14号)

 美野妃眞理はしごでき女子高生社長なのだから、そうした商談の機会には慣れていたはずである。だが、家事代行狂たる家守殿一なる男が、「立派な家を建てて 温かい家庭を築く」物語として『ひまてん!』を捉えたとき、そこには致命的な矛盾が潜んでいた。そもそも「女子高生社長×家事代行ラブコメ」としてこの物語がはじまってしまったこと自体が、その後のスリリングな展開を招いたとすらいえるのである。では、その問題とはなんなのか。

 

「女子高生社長×家事代行」という関係は、「立派な家を建てて 温かい家庭を築くこと」にそのまま発展しうるのか?

 

「家事代行たる」ことと、「温かい家庭を築く」ことは、両立しない。家事代行とはあくまで家事の代行でしかない以上、「温かい家庭を築く」ためには、家事代行はどこかで放棄されなければならない。つまり、「女子高生社長×家事代行」ラブコメは、どこかで「女子高生社長×別のなにか」に変質しなければならなかった。『ひまてん!』の後半の混乱は、「家事代行」と「家事」の間の揺らぎに基づいている。にもかかわらず、美野妃眞理はそのことをまったく理解していなかった。

No. 66 家政夫とのクリスマス(2025年50号)

 美野妃眞理は「雇用関係」が「恋愛関係」の邪魔をしていると思い込んでいる。そして、家守殿一になにかをお願いしてばかりいる関係をよくないものだと思い、「家事代行」から離れた関係でありたいと望んでいるようにみえる。

No. 48 打ち上げ(2025年31号)

 叶穂乃花が家守殿一とお笑いライブに行き、夏期講習に誘い、さらに文化祭でアイドルになり、と着々とイベントをこなしている。なのに自分はずっと「雇用関係」でしかない。それが辛いことはものすごく理解できる。しかし、それがゆえに美野妃眞理は、目の前の男が家事代行狂であることに気づかない。よりにもよってクリスマスに、叶穂乃花ではなく自分を選び、めちゃくちゃ凝ったクリスマスのお祝いをしてくれるような男に対して、「依頼主」ではなく「美野妃眞理」として勝負を挑むことは、完全な愚策である。

No. 66 家政夫とのクリスマス(2025年50号)

 高校生の間だけ付き合う。もしくは、その後の将来をぼかすことが許容される物語であれば、家守殿一は美野妃眞理と爆速で付き合えたはずである。だがこの物語の核心が「立派な家を建てて 温かい家庭を築くこと」をめぐるものでなければならない以上、美野妃眞理は「立派な家を建てて 温かい家庭を築くこと」がわたしたちにはできるでしょ家守! と提案を行わなければならなかった。対立軸は「家事代行」と「恋愛」ではない。「家事代行」と「家事」である。家守殿一が「立派な家を建てて 温かい家庭を築く」ことが勝利条件である以上、そこに踏み込まない限り、美野妃眞理の行動はすべて空回りに終わってしまうに決まっている。「依頼主って かわいくないじゃん!」などとごねている場合ではない。

No. 75 輝けるヒロイン(2026年9号)

 ひめのの登場以降、美野妃眞理の行動が精細を欠いたように見えるのは、それが原因である。そしてこの観点で『ひまてん!』を読み直すと、ある事実に気づかされる。それは、『ひまてん!』はNo.60で実質的に最終回を迎えていた。ということである。ポノワ~ンという擬音が読者の脳をシェイクしている間に、『ひまてん!』の問い「立派な家を建てて 温かい家庭を築くこと」への回答はすべて言い尽くされてしまった。そのサブタイトルの名は「No.60 みらひぽのぽの」という。

note.com

 叶穂乃花をめぐるこの後の言及は、みそこんにゃくさんの『ひまてん!』note上の考察に大きく影響されていることをあらかじめ断っておく。

 上の考察で述べられているように、家守殿一と叶穂乃花は、「対等」な関係でありたいという気持ちを軸にして動いている。

No. 60 みらひぽのぽの(2025年44号)

 互いに憧れを抱きすぎた結果気を遣い合ってしまっていた二人が、少しずつその壁を取り払い、歩み寄っていく。「両片思い」だった二人のネックである「気を遣ってしまうこと」がこのエピソードで解消に向かうことが示される。あとから読み直すと、二人の壁がここで取り払われてしまったことが後の展開の障壁にもなっているのだが、いったん措く。とりあえず重要なのは、この「対等」という原理が家守殿一の「家事(家事代行ではない)」の領域においても適用されることである。

 叶穂乃花は「依頼に対する応答」の行動原理を一切悪用しない。それどころか、家守殿一の負担をつねに「半分」肩代わりすることを求める。

No. 3 秘密の関係(2024年34号)

No. 30 ほのてん!(2025年12号)

 叶穂乃花は「代行」構造を無力化し、「依頼に対する応答」の行動原理の外側にいる。叶穂乃花は家守殿一になにも依頼しない。家守殿一が依頼されたものを、分け合うことを求める。その点において叶穂乃花は「ひかえめヒロイン」から隔絶している。惚れた腫れたのラブコメの領域ではたしかに「ひかえめ」かもしれない。しかし現在時のいちゃつきに意味がない『ひまてん!』において「依頼に対する応答」の行動原理を内側から崩そうとする叶穂乃花は、下手をすれば愛澤カンナよりも過激な行動者としてのふるまいをマスターしているとすらいえる。

No. 59 おもひでぽのぽの(2025年43号)

 家守殿一の「家事代行」は分け合いたい。そして家守殿一の根幹たる「家事」は愛する。もはやこれはプロポーズである。あなたの大事にしているものを、わたしもいっしょに分かち合いたい。えげつないほどに告白である。こうした入念な下準備を行った後に、叶穂乃花はなにをしたのか? もちろん、明るい《家》の未来のプレゼンテーションである。叶穂乃花は家守殿一に《家》の未来を提示したのだ。

No. 60 みらひぽのぽの(2025年44号)

 

同上

同上。ポノワ~ン

 勢いあまって追いポノワ~ンをかましてしまったが許してほしい。家守はここで、「何しても温かくて 毎日が楽しそうだね」と言ってしまっている。「立派な家を建てて 温かい家庭を築くこと」の輪郭に、叶穂乃花が示したビジョンは完全に適合してしまっているのだ。ここまでの時点で、家守殿一に《家》のビジョンを示しえたのは叶穂乃花だけだった。つまり、元から両片思いで、唯一のネックだった気を遣いすぎ問題が解消された。「依頼に対する応答」を行動原理とする自分に唯一、寄り添った行動をとってくれた。「温かい家庭」という自分の夢を、叶穂乃花は叶えてくれるとはっきり示してくれた。「No. 60 みらひぽのぽの」で、叶穂乃花はここまでのことをやってのけてしまっていたのである。ひとはそれを、オーバーキルと呼ぶ。

 連載を追っていた読者の当時の認識は「これまでヒロインレースで周回遅れだったほのかが、ようやく追い上げるきっかけをつくった」だったように思われる。その認識を形作っていたのは、この物語の名が『ひまてん!』である以上、むしろここから美野妃眞理による無双がはじまるにちがいないという固定観念によるものだった。しかし、実態はちがった。叶穂乃花はやりすぎた。圧倒的な力で、家守殿一に《家》の結論を示してしまった。にもかかわらず、ポノワ~ンが飛び出た翌週に家守殿一はこうなってしまったのである。

No. 61 ひめの休日(2025年45号)

 No.60からNo.61の間の断絶が、『ひまてん!』の運命を決定づけた。このエピソード以降、『ひまてん!』に対して批判的な意見が目立つようになってしまったように思われる。だが、その断絶は読者よりもむしろ、作者たる小野先生の側に致命的な危機として迫っていた。

 

「No. 60 みらひぽのぽの」を描き、叶穂乃花と家守殿一にできすぎた《家》の未来を示してしまった小野先生は、美野妃眞理と家守殿一がつくりうる《家》の未来が叶穂乃花の示した未来を超えられないことに、途中で気づいてしまったのではないか?

 

 単行本版『ひまてん!』4巻の「No. 33 波打ち際のヒロイン」の幕間において、小野先生は次のような「裏話」を披露している。

すいません…

この回、ほのかがビキニになる方法を

時間いっぱい探しましたが、

不可能でした…

(『ひまてん! 4巻』p170)

  この裏話は奇妙である。この4巻の表紙で、叶穂乃花も含めた三人のヒロインがビキニ姿で描かれていることが奇妙だといいたいのではない。小野先生はむしろ叶穂乃花にビキニを着せたかった。着せたいなら勝手に着せればよかったのに、なぜか着せなかった。という点で奇妙なのである。そもそもジャンプラブコメにおけるお色気展開は、キャラクターの意志を越えて「読者サービス」として示されることが常だった。小野先生はそれをわかっていてあえてやらなかったのではなく、「できなかった」と言っているのである。

www.shueisha.co.jp

 この裏話からうかがえるのは、小野先生はキャラクターの自立性をかなり重視しているということである。キャラクターがとりえない行動は、どんなに読者が求めているもだったとしても、とらせない。キャラクターを作劇の意図に沿って動かすのではなく、自然に動くことに任せるタイプの作家なのだといえる。

 ゆえに、叶穂乃花がビキニを着用できなかったことと、『ひまてん!』が「ひまてん!」を成立させることができなかったことは、おそらくつながっている。叶穂乃花にビキニを着せられる人間ならば、「No.93 ひまりとてんいち」で美野妃眞理と家守殿一が結ばれる展開に持っていくことができたはずだった。なにしろ叶穂乃花が《家》のビジョンを既に示したにもかかわらず、家守殿一はこう口走ってしまっていたのである。

No. 93 ひまりとてんいち(2026年28号)

 大事なことなのでもう一度言うが、家守殿一はわざわざ美野妃眞理のもとに戻ってきている。それなのに、「自分の気持ち」を言うのではなく、美野妃眞理に「気持ちを聞かせてほしい」と言っているのだ。「前への進み方が分からない」から「進み方」を教えてくれと「依頼」しているに等しい。もはやここでは自らの主体性を完全に放棄し、「依頼に対する応答」という行動原理と心中しようとしているとしか思えない。美野妃眞理が「結婚して!」と言ったら、秒で「わかった!」と言い出しかねない雰囲気である。だから、実のところ叶穂乃花が結ばれる未来などほんとうはなかったのだ。家事代行狂たる男の暴走は、両片思いなどでは止まらない。

 ゆえに、こう言い換えることができる。

 それでもなお美野妃眞理が結ばれなかったのは、小野先生の「気持ちの整理」が最後までつかなかったからである、と。

No. 75 輝けるヒロイン(2026年9号)

 そもそも「気持ちの整理」とはなんなのか。矛盾した言い方になるが、作中の現実時における「気持ちの整理」は、はじめからついていたように思われる。

①家守殿一は叶穂乃花と恋愛関係になりたい。

②しかし家守殿一は美野妃眞理との雇用関係を継続したい。

③叶穂乃花と恋愛関係になったら、美野妃眞理との雇用関係を終わらせなければならない。だがそれは覚悟している。

No. 81 本気ほのか(2026年15号)

 現在時における家守殿一は、恋愛対象としてはずっと美野妃眞理よりも叶穂乃花の方がよい。という点で一貫している。つまり本来ならばラブコメとしては既に結論が出ている。しかし『ひまてん!』はラブコメではない。家守殿一の「気持ちの整理」がつかないのは、それがまだ見ぬ《家》の未来をめぐるものだからである。美野妃眞理が未来を語らない以上、家守殿一はどちらの未来が自分にふさわしいのかを比較検討することができない。

 美野妃眞理は「雇用関係」を放棄し、ラブコメに走ってしまった。ラブコメは徹頭徹尾現在をめぐる物語でしかない。いくら自分たちが「お似合い」であるとうそぶき、わたしたちは「カップル」ではないかと外堀を埋めようとしても、「依頼」でもなく、「立派な家を建てて 温かい家庭を築くこと」にもつながらない言葉は、ただただ空転するだけである。

No. 79 バズる想い(2026年13号)

 真っ当な終わり方は、家守殿一と叶穂乃花は付き合うが、家守殿一と美野妃眞理は雇用関係を継続する。だったように思えてならない。常人であれば、それはほとんど浮気同然に見える。しかし、一番大事な恋愛の瀬戸際で「一度しか頑張らない」というわけのわからない縛りプレイをかました叶穂乃花にとっては、その要求はむしろ喜ばしいものだったのではないかと思われる。

No. 89 ほのかとの勉強会(2026年24号)

 美野妃眞理は、自滅したのだ。「雇用関係」による強制力こそが、前半の美野妃眞理の活き活きとした姿を作り出していた。それを失ってしまったら、叶穂乃花への勝ち目はまったくなくなってしまう。美野妃眞理は、最強たる資格を自ら放棄してしまったのである。

 結局、美野妃眞理はなにを示し損ねたのか? 「女子高生社長×別のなにか」という、可能性。その言葉は、実は一度だけ口にされていた。「家事代行狂」のとりえたはずの未来。それは、「主夫」という立場にほかならない。そしておそらく家守殿一は、「家事代行狂」でありながら、「主夫」という立場に自らを置くことを最後まで拒んでいたのだ。

No. 38 打ち上げ花火(2025年20号)

「主夫」という言葉が一度しか出てこないのは、おかしい。なぜならそれは、家守殿一の《家》の未来を指し示すはずの言葉だからだ。仮に家守殿一と美野妃眞理が結ばれるルートだったとしたら、エピローグとして描かれるのは次のような未来のはずである。

 美野妃眞理はヒマリズを成長させ、時代の寵児となる。その様子をテレビで眺めながら、主夫家守殿一は二人の城である《家》を守り、家事に勤しむ。インターホンが鳴る。ドアを開けると、美野妃眞理が抱きついてくる。仕事お疲れ様。そう言って家守殿一は、美野妃眞理を《家》の中に招き入れる。

「女子高生社長×家事代行ラブコメ」のエピローグにおいて、家守殿一が急に働きに出ることは考え難い。「女子高生社長×主夫」が、最終的には「社長×主夫」になる。女子校生社長と家事代行狂の見果てぬ《家》は、そのような形で存在しなければならないはずだった。にもかかわらず、家守殿一は「プライベートで家政夫脳ってただの主夫」ではないかと述べているのだ。「主夫」になることを少しでも検討していたとしたら、もう少しましな反応をするはずである。

No. 37 花火大会(2025年19号)

「社長脳」と「家政夫脳」。この言葉が出るたびに、二人の関係はぎくしゃくしていく。『ひまてん!』において、家事代行はひめのの登場以降、二人の関係を深めるどころか、足を引っ張る要素にしかなっていない。前半部で二人の関係を近づけた家事代行は、後半において単なる恋愛の障壁になってしまっている。

No. 74 新年の門出(2026年8号)

 

同上

 そのような状況下で、「愛」なる言葉は唐突に放たれた。

No. 86 家事代行ライン(2026年20号)

 結局この「愛」は物語に何の影響も与えなかった。ここで「疑似夫婦」という言葉が用いられている以上、やはり『ニセコイ』など不可能な愛なのであり、両片思いという真実の愛こそが報われるべきなのだという読み方こそがいちばん理にかなったものであると思えてならない。だが万が一そうでないとしたら、小野先生は意図せず叶穂乃花が結ばれる方向に進んでしまった物語を美野妃眞理が結ばれる方向に着陸させようと、最後のギリギリまであがいていたのではないかと思われる。「気付いてしまった本心(きもち)」という煽り文までつけて。

 だが、「家事代行」と「主夫」はそっくりそのまま重なるわけではないというごく当たり前の事実が、そこに立ちふさがった。

「仕事と恋愛」は、「女子高生社長と家事代行」の関係においては、重なり合う。ゆえに、「愛」という言葉が許容される。では、「社長と主夫」の間ではどうなのか? 普通ならば成り立つにちがいない。だが家事代行狂にとっては、ちがう。主夫になった瞬間、家守殿一は家事代行たることを放棄しなければならない。

No. 66 家政夫とのクリスマス(2025年50号)

「依頼に対する応答」こそが、家事代行狂家守殿一の行動原理である。だが、主夫は家事「代行」ではない。家事をやる主体である。美野妃眞理の独白とは異なり「依頼主でないと」家守殿一は何かをしてくれない。主夫は依頼によって掃除をしたり、食事を作ったりするわけではないがゆえに、「主」なのである。主夫は家事の「主」役たらざるをえない。叶穂乃花のようにはじめから「依頼に対する応答」の原理を無力化しているわけではなく、それどころかそこにべったりもたれかかってしまっている美野妃眞理は、主夫となった瞬間機能不全に陥ってしまう家守殿一に愕然とすることだろう。

 代わりになにかをやることこそ、家守殿一の特質である。だが、彼には自らの手で成し遂げるべきことが、一つだけあった。「立派な家を建てて 温かい家庭を築くこと」。「立派な家」は、家守殿一自身の手によって建設されなければならない。

No. 1 女子高生社長と家政夫(2024年32号)

 家守殿一の家は、それほど貧乏であるようには思えない。このコマからもわかるように、それなりにいい家に住んでいるようにみえる。「泣けるわー」という家守殿一の母の口ぶりは、あまりにも軽い。貧しさゆえに青春を労働に費やさなければならない息子のことを思うには、ヘラヘラしすぎているとしか思えない。だから内実は、家守殿一は家事代行狂としての力を存分に発揮できる環境に身を置きたがっていて、家族はその思うがままに任せている。というところなのだろう。要するに家守殿一は働き者で、いいことをして「金を稼ぐ」ことにきわめて前向きであるということだ。

 主夫を「ただの主夫」呼ばわりした理由も、それゆえにはっきりしている。家事代行とは異なり、主夫は金を直接稼ぐことはできない。だから、主夫は「立派な家」を建てる主体には、なれない。

 言葉を選ばずに言えば、家守殿一は美野妃眞理のヒモになることへの「気持ちの整理」がつかなかったのである。現在時の愛は、《家》の未来に劣る。小野先生は、美野妃眞理が結ばれるルートにおける『ひまてん!』の終わらせ方が家守殿一ヒモルートであるにもかかわらず、それが破綻してしまうことに後になって気づいてしまったのではないか。叶穂乃花にビキニを着せられないことは、家守殿一をヒモにさせられないことと、同じである。

No. 79 バズる想い(2026年13号)

 現在時においてカップルになりたいと思っている限り、家事代行狂との恋愛が「上手くいく」はずなどないのである。家守殿一は「主夫」になった瞬間から、家事代行としての性質を放棄せざるを得ない。それなのに、《家》を自らの手で建設できなくなる。つまり、無になってしまう。

「クイーンタイム」に美野妃眞理がしなければならなかったのは、家守殿一をヒモとして養う覚悟を持ち、それに値する「女子高生社長」としての責務をまっとうすることであった。

 そもそも家守殿一が家事代行としてはじめから完成された「しごでき」であることが問題だった。

No. 5 しごでき(2024年36・37号)

 未熟な家事代行であれば、美野妃眞理との間に起こるたくさんのトラブルを時にぶつかり合い、時に喜びを分かち合いながら乗り越えていくことで、その都度《家》の未来の輪郭をたどる機会を持つことができたはずだった。

 女子高生かつ社長という特異な存在の家事代行を勤めるのは相当大変なはずである。良かれと思ってやったことが裏目に出るとか、美野妃眞理の要求に応えられず衝突してしまうとか、家事をやってる最中に叶穂乃花がいきなり訪問してきて慌てて隠れるとか、美野妃眞理の仕事に触れ、彼女の信念に触れるとか、いくらでもできることはあったはずで、それらはすべて家守殿一の成長を描くことにつながっただろう。同時にそれは、家守殿一自身が《家》のビジョンを探る契機にもなりえた。そうならなかったことに、当の本人は自覚的である。

最終話 ビューティフルホーム(2026年31号)

 とにもかくにも美野妃眞理はラブコメに走るべきではなかったのだ。みそこんにゃくさんもnoteで述べているように、「恋愛以外の軸」があるべきだった。わたしは『ひまてん!』という漫画に純粋ラブコメという印象を抱いている。ピュアなラブコメという意味ではない。ラブコメ以外の物語の軸を削ぎ落し、ラブコメの物語だけを提示したラブコメだ、という意味である。「社長」と「家事代行」といういくらでも話を広げられそうなテーマがあるのに、すべては純化されたラブコメの閉域に消え去ってしまった。家守殿一をヒモにするには、「社長」ならではの圧倒的暴力が必要だった。

No. 52 勤労感謝(2025年35号)

 この回のアンケートが反映された「No.60 みらひぽのぽの」の掲載順はきわめて高かった。

www.jajanken.net

 美野妃眞理に残されていた道は「カップル」でも「主夫」でもなく、家守殿一を「家政夫」として扱い続けることだった。

 依頼に次ぐ依頼を重ねて家事代行狂としての責務を余すことなくまっとうさせ、社長としての「ヒマリズ」のビジョンを、何度も繰り返し、言い聞かせる。そうして家守殿一に、社長としての活動を「家事代行」として支えることが最上の命題なのだと理解させ、美野妃眞理を支えることが「立派な家を建てて 温かい家庭を築くこと」の実現につながるのだと、わからせる。「立派な家を建てて 温かい家庭を築くこと」は、美野妃眞理が「代行」してくれるから自分は《家》を建てる「主」にならなくていいのだと、気づかせる。そのときはじめて、「家事代行狂」は完成する。

 二人の関係ははじめから十分に「温かい」ものだった。だから小野先生は、美野妃眞理に必要なタスクをすべてやりきらせることができてさえいれば、あとは家守殿一に「ヒモになれ」と依頼するだけですべての「気持ちの整理」をつけることができていたのかもしれないのである。

 

No. 24 いつも通り(2025年4・5号)

 だが、ラブコメに逃げた美野妃眞理(と小野先生)はその言葉を発することができなかった。かくして『ひまてん!』は「ひまてん!」を迎え損ねてしまったのである。

敗北

 だが、まだ話は終わっていない。

「No. 93 ひまりとてんいち」において家守殿一は、美野妃眞理に好意を告げられた直後にすら、「気持ちの整理」をつけられていなかった。

No. 93 ひまりとてんいち(2026年28号)

 

 だから、こう断言する。No. 89 ほのかとの勉強会」で叶穂乃花が家守殿一に手紙を渡したとき、その内容はまだ決まっていなかった、と。

No. 89 ほのかとの勉強会(2026年24号)

「93話」の時点で家守殿一と美野妃眞理の関係がどう決着するかは、89話の時点では確定していなかった。『ひまてん!』がニセコイの復讐戦を演じたものであるなら、手紙の内容は叶穂乃花大勝利の内容で固定されるに決まっている。万一そうでないとしたら、小野先生は最後まで美野妃眞理が結ばれる未来を夢見ていていたのではないか。手紙という形で結論を先延ばしにすれば、美野妃眞理ルートをギリギリまで探求することが可能となる。もしもその目論見が成功して「93話」が「No.93 ひまてん!」になっていたとしたら、「ひかえめなほのか」の手紙はものすごく婉曲的な愛の告白に変わっていたように思えてならない。

 だがそうはならなかった。とすれば、叶穂乃花の手紙の中身は事後的に確定する。「ひかえめ」ではない、ひまりとの関係性を今後一切なくさせるほどの決定的な一撃を、手紙に書き込む自由が与えられる。

 それが、「関白」宣言ならぬ「家内」宣言だった。

No. 94 ほのかとてんいち(2026年29号)

 家内発言は、読者に驚きをもって受け止められた。たしかに、この発言はおかしい。しかし、これがおかしいのは「親父ギャグを急に言い出して寒い」からではない(そもそもほのかは品のないお笑いが好きである)し、令和のラブコメに家内という言葉が時代錯誤すぎるからでもない。家守とほのかの関係性は、家内という言葉が喚起するものとはかけ離れているがゆえに、おかしいのである。

 家内は亭主の一歩後ろに下がる。そうしたアナクロニスティックな常識と比べると、ほのかはあまりにも積極的に家守に干渉しすぎている。そのような関係は「家内」のふるまいとしては不合格である。家守に亭主関白を求めているようにも思えないし、家守は亭主関白たることはできないだろう。中学生で、「初めて家守君とお話し」できた少女が思う欲望としては、あまりにもオヤジすぎるという疑いは確かにぬぐえない。

No.95 自分だけのヒロイン(2026年30号)

 そうであるがゆえに「家内」という言葉は書き込まれなければならなかった。叶穂乃花にとって、自らを不自然に「家内」であると宣言することは、家守の家事代行を終わらせるための言葉として、なくてはならないものだった。叶穂乃花の初恋の相手は、家内宣言の1話前にはすべての意思決定権を美野妃眞理に明け渡してしまうほどには不自然な「家事代行狂」家守殿一である。

 「女子高生社長×家事代行ラブコメ」としてはじまって、「立派な家を建てて 温かい家庭を築くこと」を目標としてきた物語の、終わり。家守殿一は、家事代行であることを終わらせなければならない。家事代行という仕事を辞めるのではない。家事代行という生き方をやめなければならない。それが「依頼に対する応答」に基づく行動原理であることは言うまでもない。叶穂乃花は「好きです。付き合ってください」と「依頼」すれば、連載開始時点から、いやもっと前から、出会った最初の日から、あっけなく家守殿一と付き合うことができただろう。

 だがそれでは、美野妃眞理の亡霊をふりはらうことができない。

 美野妃眞理の方が、叶穂乃花よりもずっとうまく、家守殿一になにかを依頼できる。恋愛的には勝負がついているのだから、ほんとうに叶穂乃花が好きなら絶対に戻るべきではないはずの空間に戻ってきてしまう「No.93 ひまりとてんいち」の異常事態が起こるのは、家守殿一が恋愛よりも「依頼」を重点におく人間だからである。「依頼」が起こる空間に、家守殿一はふらふらと向かってしまう。だから叶穂乃花は、家守殿一に家事代行を諦めさせなければならない。「告白」=「依頼」は、家守殿一自身の手で行われなければならない。そうでなければ、叶穂乃花と家守殿一が建設すべき《家》は永久に完成しない。美野妃眞理が家守殿一と建設しうる《家》が「依頼に対する応答」に基づく受動性の産物であるとすれば、叶穂乃花と家守殿一が建設する《家》は別の形、能動性の産物とならなければならない。

 だからこそ、「家内ちゃん」だったのだ。

「家守」と「家内」。どちらも《家》の中にいる。美野妃眞理は「社長」であるがゆえに《家》の外にいる。そして、この二つの言葉は対比的であるがゆえに、美野妃眞理が家守殿一に対して徹底的に「依頼」をする上位者であるのとは異なり、二人の対等さをも示唆している。「家内」という「主従関係を思わせる」言葉をあえて使わなければならないほどに、家守殿一は自らを劣位に置きすぎていたのだ。

No. 22 天体観測( 2025年2号)

「依頼に対する応答」という行動原理に、叶穂乃花はずっと亀裂を入れ続けていた。それは、叶穂乃花はずっと「依頼」という言葉の持つ重さを家守殿一から奪い続けてきたということを意味する。「家守くんの家内」であることの表明とは、家守殿一に与えられ続けた「依頼」を、自らが代わりに請け負おうとすることの能動的かつ肯定的な宣言である。アナクロ二スティックな「家内」は、そのアナクロニスティックさによって「依頼に対する応答」が家守殿一に強いる主従関係の転換を、ささやかに試みる。すべてでなくていい。あなたはわたしにわがまま=依頼を言っていい。だってわたしは「家守くんの家内」なんだから! 

No. 95 自分だけのヒロイン(2026年30号)

 その言葉に導かれることで、家守殿一ははじめて自分から「依頼」=「告白」を行うことに成功したのだ。「家事代行」は終わり、かくして「家事」がはじまる。

同上

No. 94 ほのかとてんいち(2026年29号)

 家守殿一は、「No.94 ほのかとてんいち」において、叶穂乃花の手紙を読んで号泣している。「No.93 ひまりとてんいち」の大波乱を潜り抜けてしまった読者にとって、叶穂乃花の手紙はほとんど自明なことしか述べていないように思える。ずっと家守殿一のことが好きだった。ということは、もうわかりきっている。この手紙を読んで嬉しいにはちがいないが、泣くほど感情を揺さぶられるかと言えば、疑問が残る。だが、それはわたしたち読者が「家事代行狂」でないから当然のことである。家守殿一は、叶穂乃花が身を挺して「家内ちゃん」になってくれたがゆえに、号泣したのだ。叶穂乃花が「家内ちゃん」たる覚悟を示したことでようやく、家守殿一は自らの「依頼に対する応答」の行動原理を放棄する覚悟を固めることができたのである。エピローグである最終話で、美野妃眞理と連絡を取っていないことが言及されるのも、当然である。もう家守殿一は「家事代行」ではないのだ。


「No. 93 ひまりとてんいち」において家守殿一は、美野妃眞理との関係に、「気持ちの整理」を真の意味ではつけられていなかったのではないかと思われる。

No. 93 ひまりとてんいち(2026年28号)

『ひまてん!』は「ひまてん!」にならなかった。その最大の原因は、小野先生が家守殿一という家事代行狂の行動原理を、最後まで御することができなかったからである。「家事代行」の物語に「気持ちの整理」を最後の最後まで漬けられなかった迷いがそのまま、『ひまてん!』「No. 60 みらひぽのぽの」以降の混乱に現れてしまっている。ポノワ~ンによって一度完全に終わってしまった物語を、なんとかして語りなおそうとした。しかし、「家事代行」のデッドロックが、それを不可能にした。かくして「No. 93 ひまりとてんいち」を迎え、『ひまてん!』は「ひまてん!」に失敗した。結果として、「家事代行」としての性質があまりにも強大になりすぎた家守殿一が、残されてしまった。叶穂乃花にビキニすら着せられなかった小野先生は、下手をしたら「家守殿一が誰とも付きあわない」エンドにするしかないんじゃないか。そうじゃないと家守殿一は「誠実」たりえないのではないかとすら思っていたように思えてならない。『家内ちゃん』は、そのジレンマを打ち壊すために到来したのだ。「家内ちゃん」は、物語を終わらせるために世界に降り立ったのである。だから、家守殿一が手紙を読んで流した涙とは、物語を終わらせられない危機に陥った小野先生が、救済者「家内ちゃん」に向けて流した感謝の涙にほかならない。「気持ちの整理」は、そこではじめてついた。それはバッドエンドになってしまった『ひまてん!』という物語に対する小野先生なりの確かなケジメだったのではないだろうか。

 

 

補遺

ケツカットイン回想は、どうしても擁護できなかった。ほんとうに申し訳なさを感じる。

No. 87 残り半月(2026年21号)

 小野先生は、創作者として最後まできわめて誠実な態度をとろうとしていたように思えてならない。にもかかわらず、その姿勢が逆説的に作中世界に混乱を生む要因になっていたことは否めない。わたしにはその葛藤がとてもスリリングなものに映った。そして、それが物語に過剰なドライブ感を生み出していた。週刊連載で毎週展開を終えたこともよかったと思う。次になにが起こるかわからない緊張感のうちに予想もしない展開が現れる『ひまてん!』は、読んでいてほんとうに楽しかった。単行本で読んでいたら、こうはならなかったにちがいない。

 他の本誌の連載がある程度予定調和的に話が進んでいたが、『ひまてん!』には毎週ずっと驚かされてばかりだった。月曜日が来たら真っ先に『ひまてん!』を読んでいた。いま、わたしはジャンプを読むモチベーションが著しく下がってしまっている。それが『ひまてん!』ロスの結果であることは言うまでもない。

 次に小野先生が連載するとしたら、きっと『ひまてん!』のようにはならないだろう。さまざまな反省点を修正して、次はより洗練された漫画を描いてくださるにちがいない。だから『ひまてん!』の読後感は、もう味わえないのだろうと思っている。結局わたしがなぜこんなに『ひまてん!』にのめりこんだのかはわからずじまいだった。小野先生が、次作で特大のヒットを飛ばすことを心から願っている。

 

 

 

www.shonenjump.com

 

同内容を下記サイトでも公開しています。

 

note.com