2018年5月6日に開催された第26回文フリ東京にソガイとして参加した。前回の文フリではフリーペーパーしか配布しなかったが、今回は定価500円で『ソガイvol.2 物語と労働』を販売した。今更だが、わざわざソガイのブースを訪れてくれた皆様に感謝。
50部刷って、取り置き含め当日で28部が売れたから、はじめての販売としてはまずまずではないかと思う。ちなみに、これだと少し赤字が出てしまうのだが。
売り子として感じたのは、身もふたもない話だが知人は大切ということである。だいたい10部と少しは知人が買ってくれた。最もいくら知人がいても、文フリに来ない、文芸に興味がない人ならばこうはならないが。
算盤勘定を離れた感想だと、自分の本を買ってくれる、読んでくれる読者の方を実際に目にすることができてよかった。(知人には悪いが)特に、見も知らない方に対してその印象を抱いた。
日によるが、ソガイのページビューはだいたい20から50ぐらいだろうか。大手サイトから見れば、誤差のような数字なのだが、自分としてはそれなりに多くの人々に見てもらえていると思っている。しかし、いくら数字が出てもピンとこない面もある。目の前で自分の文章を読まれるということは、ブログを今読んでいる人がいることと実感として全く違うのである。
書き手、売り手としての感想はこの辺にして、次は読み手、買い手としての感想を書こう。と言っても、二冊しか買わなかったのだが。また、二人で運営しているので、あまり他のブースを見て回る暇がなかったという事情もある。さらに言えば、文フリで毎回感じるのだが、ブースの場所が分かりづらいのだ。ちゃんとたどり着いても、出店者によってはサークル名が大きく書かれたものがないからである。尤も、これはソガイでも似たようなものかもしれないが。
本題に戻ろう。買った本はサブカルチャーと生存『サブカルチャーと生存 第一次生存報告書』とCato Triptyque『『風刺画秘宝館』より日本の風刺画』である。ちなみに後者はフランス語からの翻訳本であり、私は文フリの際に翻訳本を一冊買うようにしている。
とはいえ、今回は前者を取り上げる。
購入した『サブカルチャーと生存 第一次生存報告書』についての感想
このブログで言及することはなかったが私は結構な滝本竜彦ファンである。アニメ化、漫画化された『NKHにようこそ!』や映画化された『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』はもちろん『ムーの少年』『僕のエア』『超人計画』などの比較的マイナーな著作も読んだことがあるぐらいだ。
この冊子を買った理由も『NHKにようこそ!』、ひいては滝本竜彦についての座談会が掲載されているからである。この書評も概ねその座談会に沿って話を進めていきたい。
そのためにまず『NHKにようこそ!』のあらすじをざっくりと紹介しよう。この小説の主人公、語り手は大学を中退した引きこもり佐藤達広である。彼の前に突然、現れた少女が中原岬だ。幾度かの遭遇を経て、彼女は自分が引きこもり脱出法を知っていると語り、佐藤を謎の「プロジェクト」へと誘う。この二人に加え、佐藤の高校時代の先輩であり、初体験の相手でもある柏、いじめられっ子のオタク山崎など一癖も二癖もある登場人物たちが物語を織りなしていく*1。
この冊子では『NHKにようこそ!』を読んだことがある、もっと言えばファン向きに座談会がなされているように感じられた。実際、作品の体系だったあらすじは紹介されていない。
全体的なことを評すると、滝本竜彦、及び彼の作品に対してなかなか説明が詰まっている座談会である。前述したように、滝本ファンだと自認している自分でも完全には知らないような作家の経歴について触れられていた。また、当時まだ幼すぎたので、私がよく知らない時代背景も解説されている。(『NHKにようこそ!』が書かれたのは2001年、初版発行はその翌年である。)他の作品にも触れられているので、作家評としても読める。
この座談会で面白いのは、現状の滝本の迷走ぶりが、冒頭部分で書かれていることだ。いわば、オチが最初に暴露されているわけだ。
滝本の迷走を端的に表すのが「岬を召喚する瞑想」である。何やらギャグのようになってしまったが、たまたまである。これは小説タイトルではなく、滝本が以下のHP上で公表した誘導瞑想用の音声である。
また、それ以前にも滝本は「岬を召喚する方法」というエッセイを公開している。
これらの文章や音声はジョークのたぐいではない。つまり滝本は本気なのだ。彼は突然、突然こうなったわけではない。2003年に単行本化された『超人計画』やその後に掲載された『僕のエア』からその兆候は現れていた。『NHKにようこそ!』では精神的な不安が一定の距離を持って時にはユーモラスに書かれていた。だが、『超人計画』は極めて自虐的なエッセイであり、『僕のエア』文庫版では友人であり解説の海猫沢めろんに「痛い*3」と評されている。『ムーの少年』に至っては良く言えば難解、悪く言えば訳のわからない作品と評するしかない。
彼は近年、商業的な作家活動を行っていない。完結した小説を出版したのが2011年、雑誌に未完作の一部を掲載したのが2013年。これらを最後に、滝本は商業的な出版活動を行っていない。別に病気であるわけでもないのに。
もちろん、商業的に売れるだけが作家としての目標ではないが、滝本にとっては望んでない結末だったように思える。どうして滝本は迷走してしまったのか。もちろん、作家の経歴から細々と説明することはできる。
一例を挙げよう。滝本はイベントでファンの女性と知り合い交際を開始し、2005年には結婚にこぎつける。しかし、奇怪な行動を取る妻に耐えかね数年で結婚生活は破綻した。*4これも理由の一つとして考えられるだろう。
しかし、もっと端的な言葉で根本的な説明ができるのではないか。そんな考えを私は以前から漠然と抱いていた。その言葉は「不器用」である。だから、以下の文章をこの冊子で読んだ時には同じような考えの人がいるものだと感慨が深かった。
きみ それに滝本は作家としてそのあたりのファンの期待に答えていくということが実はあまり得意ではない。むしろどちらかというと、彼は不器用さが魅力的な人であって。そもそも、器用な人ならば『NHK~』が失敗作だったとしても、新しい小説をすぐに書けるはずですよ。(後略)
滝本が『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』や『NHKにようこそ!』のような商業的に売れる作品を書き続けていくことは技術的には決して不可能ではなかっただろう。しかし、彼は自分の劣化コピーを量産することをよしとするような作家ではなかったのだ。
また私生活上の苦闘と創作を切り分けて考えられる作家でもなかった。だからこそ、私は不器用な彼に惹かれて書評まで書いているのかもしれない。
文責 雲葉零
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