ソガイ

批評と創作を行う永久機関

第36回文フリ東京でソガイ第8号を販売します。(試し読みアリ)

5月21日(日)に開催される第36回文フリ東京に出店します。既刊のほか、新刊ソガイ第8号(テーマ 東京)を販売するので試し読みを公開します。ブースはか-17です。 目次(エッセイ)鈴木相「東京はミラクル★」 (評論)矢馬潤「透明化する本屋―私は本屋が好きな…

限定本と「貧しい」本—「美しい本—湯川書房の書物と版画」

日本の出版において豪華本・限定本といえば、長谷川巳之吉の第一書房を初めとして、野田誠三の野田書房、江川正之の江川書房、斎藤昌三の書物展望社など、主には戦前昭和期に隆盛を極めた出版社とその社主の名前が思い浮かぶ。 だが、1969年に設立してから、…

「本」への信頼——書評『本屋で待つ』

本以外のものも売る「複合型書店」が増え始めたのは、2000年代中盤から2010年代初頭あたりのことだろうか。代官山蔦屋書店がオープンしたのが2011年末とのことで、その辺りからこの複合化の勢いが加速していったようだ。1994年生まれの私が意識的に本を読み…

筆まかせ17

1月9日 鴻上尚史が書いたという新成人への言葉にあつまる称賛には、いささか気味の悪さを覚えた*1。もちろん感性は人それぞれではあるが、だとしてもここまで称賛される意味は分からない。理由は単純で、別に大した文章ではないからだ。「自分の頭で考えよう…

『イブニング』休刊と文芸文庫

『イブニング』休刊のニュースには驚いた。たしかに『モーニング』や『アフタヌーン』と比べると最近はあまりヒット作に恵まれていない印象はあるが、それほど漫画好きでもない私ですらよく知っている名前だし、それに版元はあの講談社だ。しかし、それくら…

筆まかせ16

12月5日 出版のことを少し追わなくなってある程度の時間が経った。 それでもちょこちょこと嫌な話は耳に入ってくるが、良い話については皆無に近い。実際には良い話題もあるにはあるのだろうが、数やインパクトにおいては、やはり悪い話の方に分があるという…

筆まかせ15

11月9日 最近、仕事から帰ったあともなかなか本を読んだり、ものを書いたりできていない。その一番の原因は、部屋にものが、主に本が溢れていていちいちそれを動かしてからではないと次の行動に移れない億劫さにあるのではないか。 私はもう1年以上も、本を…

文庫化で削除される初出情報から—堀江敏幸『オールドレンズの神のもとで』文庫版あとがきから

日本の出版においては、最初に単行本で刊行されて、数年経ってから文庫本として刊行される文学作品やエッセイは多い。 主となる中身自体は基本的に単行本でも文庫本でも大きく変わるわけではない。新刊が出ると、文庫になるまで待とうかな、といった声がとこ…

筆まかせ14

8月24日 最近、別にそんなにたくさん本を読もうとしなくてもいいのではないか、と思うようになった。 これは、「本なんて読まなくてもいい」ということではもちろんなくて、本を読むことを目的として本を読むのはどうなんだろう、という疑問によるものだ。 …

「書評」再考—漫画8作品の感想

決して本を読んでいないわけではないのだが、最近は「そもそも本って、『読まなきゃいけない』ものなのだろうか」という根本的な疑問が湧いてきて、それこそ無理して読もうとしなくなった。読みたいとき、より厳密に言えば、読まずにはいられないときに初め…

社会現象としての「私」を引き受けるために—佐伯一麦を巡る対話から広がる随想

最近、主に友人と二人で佐伯一麦の文章を読む勉強会、という名の会合を定期的に行っている。佐伯一麦の近刊『Nさんの机で ものをめぐる文学的自叙伝』(田畑書店)を私が読んだことを聞いて、私小説というものについて気になっていた彼から声をかけてもらっ…

消えゆくレーベル意識—出版社別か五十音順か

書店において、文庫本の棚づくりには大きく分けて2種類の方法が考えられる。 一つが、出版社、レーベルごとに分けた上で作者の五十音順や、各レーベルの番号で並べる方法。 もう一つが、出版社の別なく、作者の五十音順で並べる方法。 多くの書店、とりわけ…

筆まかせ13(「こそ」について)

6月3日 「〜こそ」という言葉、とくに言論の界隈で使われているそれが、少し前から妙に気になっていた。 疫病禍、災害、戦争、その他諸々の事件……いま起きている様々な事象から、「今こそ○○を知らなければならない」「こんな時代だからこそ、○○を読まねばな…

ソガイ第7号通販開始のお知らせと「読み過ぎ」の現状について

聞くところによると、今回の文学フリマ東京はコロナ禍以降で最高の盛り上がりだったそうだ。一方で私たちは、確かに人が多いことは感じていたが、数字上はそれを見受けられずに終わった。様々な要因はあるだろうが、まずは反省をして次回に繫げていきたい。 …

第34回文フリ東京でソガイ第7号を販売します。(試し読みアリ)

5月29日(日)に開催される第34回文フリ東京に出店します。既刊のほか、新刊ソガイ第7号(テーマ デビュー)を販売するので試し読みを公開します。ブースはツ13です。 目次(エッセイ)鈴木相「出版ぴよぴよ記」出版社で働きながら考えた「本」というものについ…

コミティア・中村ゆうひ・「印西あるある物語」—物語と表現について

友人が出店側として参加するということで、初めてコミティアに行ってきた。 高校生のときに一度だけコミケに行ったことがある以外では、文学フリマ東京以外に同人誌即売会系のイベントに参加したことはなかったが、文フリと比較して、東京ビッグサイトという…

速読へのコンプレックス——『本の読み方 スロー・リーディングの実践』批判

私はかつて、「遅読のすすめ」と題して、宮沢章夫『時間のかかる読書』を紹介したことがある。 www.sogai.net 速読に対するちょっとした違和感についても書いていて、いま読みかえすと少々読書というものを神聖視しているような感じもあり、かなり恥ずかしい…

「再会」(小説)

ある日突然、高田馬場のロータリーが閉鎖された。それがすべての始まりだった。 彼はレインボーファルトの上に置いてある飲みかけのストロングゼロの缶を拾うと、器用に中身をいろはすのペットボトルの中へ注ぐ。不器用な僕は、同じような作業をするといつも…

「素人」の写真、「二流以下」の読書人—『野呂邦暢 古本屋写真集』

大学、大学院と文学系の学部やサークルに身を置いてきたゆえに、私の周りには本を好んで読む人が非常に多い。しかし、そのなかでも古本を好んだり、古書店巡りを趣味にしている人は案外少ない。 通っていた大学の辺りは全国でも有数の古書店街であり、少し足…

「出版=publish」認識の欠如〜「幻の絶版本」企画から

「publish」には「出版する」という意味の他に、「公開する」「発表する」という意味がある。 出版というと紙、電子問わず本という形で発表することを指す印象だが、後者を含めれば、たとえばこのようにブログを公開することやSNSの投稿も、広い意味では「pu…

DISPLAY BOOK

2022年2月1日に開館予定の中野区立中野東図書館の「巨大本棚」が問題になったことが記憶に新しい。吹き抜けに3階分もの高さがある本棚の写真は、それだけの反応を呼ぶには充分すぎた。その殆どが否定的な反応だったようだ。 もっとも、一言に「否定的」とい…

ZINE紹介 『よくわかる出版流通の実務』『あの本屋のこんな本 本屋本書評集Ⅰ』

新刊はないし、仕事もあるしで、出店側としても客側としてもほとんど参加できなかった文学フリマ東京であるが、前情報から、これは絶対に欲しいと思っていた本があった。 H.A.B ZINE seriesから、『よくわかる出版流通の実務』と『あの本屋のこんな本 本屋本…

「本屋」の包容力

「本」というものが指す範囲は広い。 とりわけ日本では本と雑誌の境界すらかなり曖昧だ。漫画雑誌を求めて「本屋」に行くなんてことはありふれている。 そして、読んで字の如く「書を読む」という「読書」もまた、本を読むことから雑誌、あるいは漫画や新聞…

逡巡すること

「逡巡」という言葉が好きだ。 思い悩み、ためらい、尻込みすること。語釈だけみるとネガティブなイメージの言葉だが、しかし人生とはこのような逡巡の連続ではないか。私が書物に求めているのは答えそのものよりも、むしろその答えに辿り着こうとするための…

客注問題から、タワー積みについての雑感

このツイートが、いま話題になっている。 話題の『東京の生活史』ですが、当店には流通関係諸々の都合により10/1あたりに入荷予定です。なお、事前予約で5冊を取次(問屋)に頼んでいましたが、入荷するのは2冊のみで、ギリギリ客注分が確保できる数なので、店…

秋文フリ不参加のお知らせと、次号について。(近況報告あり)

11月23日に開催予定の第33回文学フリマ東京ですが、新刊がないこともあり、今回は出店を見送ります(矢馬については、他のサークルに作品を寄稿するかもしれません)。 来年春の新刊刊行を目標に、活動を続けていきます。まだほとんど動き出せていませんが、…

筆まかせ12(修正について)

8月9日 ようやく「ルックバック」を読んだ。 配信開始当日から、嫌でもその存在は知っていたのだが、ものすごく話題になっているものはすぐに手を出す気にならない、といういつもの悪い癖が出て、また、その後にいろいろとこの作品について語るツイートが氾…

フィルムパックについて感じたこと

4月の講談社文庫、講談社タイガの新刊から、フィルムパックが実施されることになった。この前、改めてその光景を書店で見てきた。やはり違和感は拭えなかった。少なくとも私はいまのところ、フィルムパックに包まれた本はいままでほど、「書店で気になったか…

筆まかせ11(あっという間に過ぎ去ってしまった「希望と喜び」の議論と、潮流からの訣別)

7月24日 実は、直木賞の選評を巡ってのごたごたについて思うことがあったので、それなりの分量を使って記事を書いていた、いやほぼ書き終わっていた。だが、いま公開するのはやめることにした。 SNS、ことTwitterは文字数のこともあってか、どうにもみな、簡…

新書というメディア

最近、ことあるごとに考えさせられていることがある。それは、本を読む人は、一冊の本を読み通すことをあまりにも簡単に考えすぎるきらいがないだろうか、ということだ。 私はここ数年ずっと「これからの出版」を私なりに考えている。無論、メディアがここま…