ソガイ

批評と創作を行う永久機関

第34回文フリ東京でソガイ第7号を販売します。(試し読みアリ)

 

5月29日(日)に開催される第34回文フリ東京に出店します。既刊のほか、新刊ソガイ第7号(テーマ デビュー)を販売するので試し読みを公開します。ブースはツ13です。

 

目次
(エッセイ)鈴木相「出版ぴよぴよ記」
出版社で働きながら考えた「本」というものについてのエッセイ

(創作)矢馬潤「前略、コースの上より」
ある日突然、高田馬場のロータリーが閉鎖された。果たして自分にとって本を読む、文章を書くとはどういうことなのか。一冊の本を片手に、過去の記憶を織り交ぜ、コースを歩きながら考えていく。

(創作)雲葉零「深淵」
人気ソーシャルゲーム「ブルーファンタジア」の広報部として働く主人公は、なりきりアカウントの運用にやりがいを感じていた。しかし、そこにゲーム内の看板声優が傷害事件を起こした、とのニュースが入り——。

(書評)矢馬潤「これからのための格納庫——書評『近代出版研究 創刊号』

 

出版ぴよぴよ記 鈴木相(すずきあい)

 「出版社の仕事」とテーマをもらってうきうき書き始めてすぐに、ちょっと困った。いろいろと話したいことはあれ、書けないことが多かった。それにまだまだ働き出して数年の新米で、書けるほどのこともなかった。それでも最近、ようやっと卵から孵ってヨタヨタ歩いて、ぴよぴよぐらいは言えるようになったと思いたい。

 それはそうと、いまさら『ザ・ファブル』に夢中。なんでかというと、友だちに「ギャグ漫画だ」と言われたから。映画化していたからタイトルと「殺さない殺し屋」の話だということだけは知っていて、でも、ツイッターでやたら流れてくる広告は女がバーで相手を飲み潰していたり、かと思うとちょっと緊迫した感じだったり、ツイッター広告は大概が何かうさんくさい、怖い話なの? 酒の話なの? と混乱し手を伸ばすのをのびのびにしていたら、友だちが「あれは、ギャグ漫画だと思って読んでる。面白い」と言っていたのでようやく手を伸ばした。で、面白くって毎日読んでいる。癒される。初めて電子書籍を買った。すきあらば読める。便利だ。けれど、飛ばし読みや同時読みが上手にできない。ページが偶然開かない。コミックスにすればよかった。セリフの語尾につく「――」がとても好きだ。漫画でしかできない表現だと思う。映画も観た。続編も観た。漫画の続編はヤンマガの公式ウェブを毎週チェックしている。最新刊が大変待ち遠しい。結局、がまんできなくて単話ごと買っている。ときどき、雑誌も覗く。すると、他の連載作品も気になってきた。とこう辿ってみて、なるほどこうして「読者」になっていくのかと自分の例で実感する。映像化は内容はどうあれ、かなり広くいろんなひとにその名前だけでも知らせることができる、すごく訴求力ある「広告塔」なんだな――と、至極当たり前のことを、これまたしみじみと実感した。この間読んだジャンプの編集長の本に、『幽☆遊☆白書』は人気声優をつかってアニメ化したことでアニメファンがついて雑誌での人気以上にコミックスの売り上げが伸び、「少年ジャンプの漫画」という、それまで雑誌と一体だったあり方から離れた、といったことが書かれていた。『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』はそれの超パワーアップバージョンといえるのかもしれない。誰かがツイッターで、鬼滅が大好きの小さい子に「ジャンプ? 何それ」と言われ衝撃を受けた、と書いていた。ここまで来るともう、むしろアニメや映画の方がメインみたいで、じゃあ漫画って何だ? とか考え始めてしまうので、やっぱりもう少し漫画の話がしたい。

 前に、かけると真実が見えるメガネの話で、それをかけて広告塔を見るとそこにはただひとこと「OBEY」とだけ映っていた、という映画を観た。ともかく私は今、映画化で知ったファブルにOBEY状態なわけだけれど、考えてみたら雑誌を読まなくなったある時期から、漫画にハマるきっかけが大抵こういう広告的なものになった気がする。『キングダム』は「アメトーーク!」だったし、『BEASTARS』はツイッター広告で名前を知って無料試し読みでハマり、『進撃の巨人』は一巻から四十何巻までが電子書籍で無料公開されたときに一気に読んだ、あのときは電車に乗っている間とか、とにかくすきあらば進撃を読み、人生で一番効率的に時間をつかえたと思う。『ONE PIECE』もアプリでの無料公開で百巻まで読んで、見開きページを堪能したくてコミックスを全巻買い直し、そのときに知った「少年ジャンプ+」は最近チェックできていなかったが、『怪獣8号』の続きも気になるし、この間「アフター6ジャンクション」で聴いて今さら知った『タコピーの原罪』も読まないといけない。それから、それから……とこういう話は切りがないのだけれど、本当は漫画を読んでいる時間はない。でも漫画を読みたい。出版社の営業部で働き出して、もう仕事とは無関係に、ただ純粋に楽しみだけを求めて読めるのは漫画しかないんだ! と思った。思っていたらこの間、これから出る本のタイトル会議で「そういえば『殺さない殺し屋』ってキャッチコピー、内容もぴったり言い当てているし、ちょっとありえない言葉の組み合わせだからめっちゃ印象に残るよね」と誰かが言った。ああ! と、私だけがその会議で、タイトルに悩むためでなく頭を抱えた。

試し読みはここまでです。

(創作)矢馬潤「前略、コースの上より」

 ある日突然、高田馬場のロータリーが閉鎖された。

 疫病禍のなか、人が集まる場所だからというのがその理由だった。

 吾郎がこの場所を最後に訪れたのは、大学院の同期と飲みに行った昨秋のことだった。それまでは毎週か、少なくとも月に一度は足を運んでいた場所の変わり果てた、物々しい姿を前に、しかし彼はそれほど心が動きはしなかった。

 この場所についてよく憶えているのは、学部生の頃、この円形の中心から少し外れた地べたに座り込んだ大学生らしき男の脚に、これまた大学生と思しき女が泥酔した様子で突っ伏していた景色だ。男は女の頭をわざとらしく撫で、連れらしき複数人の男女が、それを缶チューハイ片手に囲んでおり、その周りでは、よく肥えたドブネズミたちが走り回っていた。

 そんな場所を、吾郎は束の間の夏休みの一日を使ってわざわざ訪れて、閉鎖後、いつからかフェンスの金網に付けられるようになったという南京錠を眺めていた。

「ちょっと」 突然肩を叩かれて振り返ると、黒縁眼鏡の恰幅のいい巡査が片手を腰に当てて立っている。彼は目で、すぐ右に提げられた「フェンスに私物の設置は止めてください」という若干ぎこちない日本語の注意書きを示した。

「ああ、違います。僕はただ見ていただけです」

 吾郎は両手を広げて何も持っていないことを示した。巡査はまだいぶかしげな表情をくずさなかったが、まあ見るだけならいいですけど、とそれ以上追及はしなかった。

「でも、あれです。SNSに上げるのとかはやめて下さいよ。真似する人、出てくるんで」

 何度も同じことを言っているのだろう。彼の顔には面倒さが滲んでいた。

「分かりました」

 いささか同情して返してから、それに、と続ける。

「僕、こういうの好きじゃないんです」

 吾郎の言葉に、巡査はタオルハンカチで帽子の下の汗を拭いながら、はあ、と気のない返事をした。

 吾郎は、通りを早稲田方面に歩いていた。

 ニュースでは、全国の多くの場所でテナントが空きになっていると報じられていた。秋葉原の大通りに面した交差点のビルが丸ごと空っぽになっている光景には、さすがの吾郎も驚かされた。事実、この早稲田近辺も、吾郎が学生時代に利用したいくつかの店が閉じたと聞いている。しかしこうして歩いているだけでは、以前とそれほど変わったようにも感じられなかった。実のところ、以前の光景を憶えていないだけなのかもしれない。

 実質七年の学生時代、その間に彼はいったい何度、この道を歩いたろう。あのロータリーでもうすぐ待ち合わせがあるというのに、悠長に脇の古本屋のワゴンを眺めて歩いたあの期間も、この道は小さな変化を繰り返していたはずだ。

 とはいえ、やはりこれほどのことが自分の生きている間に起きるなど、当時学生だった自分は考えもしなかっただろう。人生とは何が起きるか分からないものだ、と正社員としてではない働き方という、かつての自分では夢想だにしなかったいまの自分の姿なども顧みて思うのだった。

 ふと想像する。もしいまここで過去の自分が向こう側からワゴンを眺めながら歩いてきたとしたら、すれ違いざまに、変に理由などつけず、周りの学生がやっているような就職活動、してみた方がいいぞ、君は特別などではないのだから、とささやきかけるだろう。そんな事を考えながら、吾郎は通っていたキャンパスの方へと向かっていた。

 そんなかつての自分には思いも寄らなかったもうひとつのことに、高校時代の新聞部からあれほど当たり前にあった読む、書く、という営みが、やや遠いものになってしまったことがある。

 修了間際にありつけた校閲の仕事はいまのところ、周りと比べて特別に忙しいというほどではない。時間だって、ないわけではない。しかし、それでも本を読む、文章を書くという行為に入るまでに、ある程度の勢いがどうしても必要になっていることを、吾郎は感じていた。本は生きていくために必要だ、と言う人がいる。吾郎もそれに賛成したいのだが、心のどこかで、いや、しかし本を読まないでも生きていけてしまうのではないか、と感じているのも事実だった。

 いやそもそも自分は、いままでなにを思って本を読み、そして頼まれもせずほとんど褒められもしない文章などを書いてきたのだろうか。

 どうしてもそれを確かめずにはいられないような気がして、彼はある日、自室の本棚の前に立った。かつて彼は、ライトノベル、外国文学、ミステリ、ファンタジー、児童文学、現代文学など、その時々で、創作の勉強だとか周りの話についていくためだとか、いろいろ理由をつけて様々なジャンルに手を出していった。いまになって思えば、大学に進んで周りを見てみると自分はほとんど何も読んでこなかったかのように感じ、いささか焦ってもいたのだろう。

 そんな理由で買った本はほとんどにそれほどの愛着を抱けなかったのだろうか、数年前から、半年程度に一度おこなっている本棚整理のたびに棚から抜かれ、あるいは一度も読むこともなく、売られていくことになった。

 一方で、そんな本棚整理を経てもいまだに残っている、これからも到底手放すとは考えられない本もある。そこには自分のなにかがあるのではないか。そんな期待をもって眺めていると、一冊の本が目に留まった。

 考える前に取り出し、そのまま床に座り込んで読み始める。

 二時間後、彼は二カ月後の連休のどこかでこの場所に行くことを決めていた。  何かあるかもしれない。何も得られず徒労に終わるだけかもしれない。けれど、それでもいい。いまの自分に必要なのは、体を動かすことなのだ。頭でっかちになるのが自分の悪い所だ。読み書きも身体的行為である、体を動かしてみれば、何か違うものも見えてくるのではないか。

 吾郎は堀江敏幸『いつか王子駅で』の少しざらざらした表紙を触りながら、久方ぶりにわくわくしている自分の胸中を感じていた。

 途中、彼はいったん右に曲がり、副都心線西早稲田駅の方へと向かった。その先には戸山公園がある。吾郎も夜遅くに友人と語らったことのあるこの場所は、かつて射撃場などがある陸軍学校だった。そしてここには、短い時期ではあるが、競馬場があった。明治十二年七月竣工。日本人の手による初めての本格的な競馬場である戸山競馬場。もうその痕跡は残されていないが、いまのようなサラブレッドとは違う、おそらくポニーのような国産馬が多く走っていたと思われるこの場所には、いったいどんな風景が広がっていたのだろうか、と思いを馳せる。思えば、あの高田馬場という地名の「馬場」は、江戸時代に旗本が馬術の訓練をする「馬場」があったことに由来するという。その後、八代将軍徳川吉宗の時代、家重の疱瘡治癒を祈願して騎射挟物を穴八幡宮に奉納したことを起源として、ここでは毎年体育の日に(この年は中止となったが)、流鏑馬神事が行われている。思いの外、馬との繫がりが強い場所である。

 競馬は触る程度の吾郎であるが、そんな彼と競馬との接点を辿ったときにあるのは、当時はまったく意識しなかったが、大学に入ってすぐに生協で文庫本を買った、都電荒川線を舞台にしたこの作品なのかもしれない。

 本の陽焼けを避けるため、あえて陽当たりの悪い電車道沿いの部屋を借りて住む「私」。時間給講師と翻訳の仕事で生活する彼の思索が、「左肩から上腕にかけてびっしりと彫られた紺青の龍の刺青」を持つ印章彫りの正吉さんや、そんな正吉さんと出会った、本格的な珈琲を出す居酒屋「かおり」の女将さん、誠実な古書店主の筧さん、旋盤工場を営む大家の米倉さん、そしてその娘で、「私」が時々勉強を教えている中学生の陸上部のスプリンター、咲ちゃんといった人々との交流に、ジャック・オーディベルや島村利正、安岡章太郎といった文学作品、そしてテンポイントやエリモジョージなどの昭和の名馬たちの記憶を縒り合わせながら、静謐に、しかしときにやや熱を帯びて綴られていく。

 やがてこの本は幾度か再読を重ねることになるのだったが、何度目かの再読で、彼はこの作品には固有名詞にまつわる「私」の記憶などには留まらないくらい、競馬、馬のモチーフが満ちていることに気付いた。それまでは引用される文学作品にばかり目が向いていた。事実、この作品がなければ彼は「ぬめっとした透明のビニールにくるまれている」、島村利正の『妙高の秋』を手に取ることなどなかっただろう。それは当時の彼の関心がとにかく文学にばかりあったことももちろん影響している。しかし、それだけではない。最初彼が手に取った文庫版の「解説」も、それは同じだったのだ。六頁に渡る文章は、作中に引用された文学作品、とりわけ島村利正についてのものであり、競馬について触れられたのは、わずか一文。それも「競走馬の話なども、楽しげにおりまぜながら」といささか補足のような形でだった。

 しかし、やはりこの作品における競馬の要素を、そのような作品を彩る蘊蓄的なものとして片付けるには、このモチーフはあまりにも強烈だ。

 なにせ冒頭、「大切なひと」に渡すものと思しき紙の手提げを「かおり」に忘れた正吉さんを追って「私」が追いかける荒川線の電車は「一両編成の黄色い逃げ馬」と称され、陸上部の短距離走選手である咲ちゃんは、得意の百メートルではなく、カーブ——競馬には直線のレースも存在するが、日本の主流はカーブのあるコースでのレースだ——がある二百メートルにこだわっており、その脚や走る姿は競走馬、特に一九七五年に桜花賞を歴史的大差で制した牝馬テスコガビーに喩えられる。

 とかく注目されがちな文学の要素もまた、むしろ競馬、馬の側から選ばれているとしか思えない。島村利正の『殘菊抄』は菊花賞の菊から来ているし、安岡章太郎の「サアカスの馬」はもちろん馬だ。岡本綺堂の「大森の鶏」は一見馬と関係がなさそうだが、この作品は「私」がかつて女性と鮫洲の自動車教習所に通った記憶を呼び起こす契機として引かれる。現在の鮫洲に足を運んだ「私」は、「いっそ終点の大井競馬場まで走ろうか」と、バスで数分の距離にある競馬場の名前を挙げるのだから、むしろあからさまなくらいなのだ。

 他にももっと細かい比喩表現にまで馬の要素は見られるのだが、そうなってくると、むしろなぜ今までこれを気にも留めなかったのだろう、と思えて仕方ない。しかも、実際のところそれはけっして吾郎に限った話ではないようだ。人間の読みとは、案外適当、そう言って悪ければ随分と恣意的なものなのだと改めて痛感させられた。

 そんなときだった。修士課程の演習後、空いた時間を使い、いつもは使わないメインキャンパスに足を運んだ。そこで開かれている青空古本市を覗きに行くためだった。のんびり眺めていると、この作品の単行本を見付けた。少し前から古書に興味を持ち始め、同作品の別バージョンを買うことに抵抗がなかったうえ、四百円と安かったこともあり、他の本と併せて購入した。そのときはいろいろ落ち着いたら読もうと考えていたはずだが、帰りの電車で手持ち無沙汰で頁をめくっていると、いつのまにか二日後の講義の課題図書もそっちのけで読み始めていた。

 当然のことながら、この単行本には「解説」はない。作品の後ろには、この作品の初出が小さく記されている。文庫では「この作品は二〇〇一年六月新潮社より刊行された」とあるところだ。単行本には、こうあった。

 

*『いつか王子駅で』一章から七章は雑誌「書斎の競馬」(飛鳥新社発行、一九九九年四・六・十・十二月、二〇〇〇年二・四月)に掲載された。八章から十一章は書下し。

 

 これが答えだった。つまり、この作品はそもそも競馬雑誌において書かれたものだった。 いまや過激な保守系雑誌の版元という印象の出版社 からこのような雑誌が出ていた、ということにまず感慨を覚えるが、一九九九年四月に発行されたその創刊号を取り寄せてみると、このとき、武豊をダービージョッキーにしたスペシャルウィーク、凱旋門賞で世界的名牝・モンジューに肉薄したエルコンドルパサー、欧州最強馬ダンシングブレーヴを父、アメリカGⅠ七勝のグッバイヘイローを母に持つ超良血馬キングヘイロー、地方所属馬として唯一、中央競馬のGⅠを制したメイセイオペラといった、いまでも名前が残る競走馬が古馬として活躍、また四歳世代(現三歳世代)の皐月賞前、ここで注目されているのはアドマイヤベガ、ナリタトップロード。実際にこの皐月賞を制すのは翌年に年間八戦全勝でグランドスラムを達成する、クラシック追加登録で走ったテイエムオペラオーなのだが、この時点では名前が挙がらないのも当然といえば当然か。

 ともかく、JRAの売上のピーク、一九九七年を通り過ぎており、この雑誌でもそうであるように競馬人気の衰退が嘆かれている時代ではあったものの、それでも入場者数は一千万人を超えていた時代だ。やはり競馬に対する注目度の違いを感じる。そういえば、日本における出版のピークは一九九六年だから、ある意味でこの二つが歩みを同じにしていた時代の産物とも言えるのかもしれない。  この号には、テリー伊藤と競馬関係者数名による座談会や、地方競馬の予想屋吉富隆安のインタビューのほか、血統分析に日本の厩舎制度への提言など、いかにも競馬雑誌らしい記事もある。しかし、それでは「書斎」の競馬にはならない。そこに古井由吉や高橋源一郎、柳瀬尚紀などの文学系の書き手の文章や小説作品、あるいは「ギャンブル小説特選」として織田作之助「競馬」の紹介、そして「競馬文学館」という名の書評欄がある。

 それらの文章も興味深く読みながら、なにより吾郎が惹かれたのは、立川健治の連載「失われた競馬場を訪ねて」である。居留地競馬などを研究している学者の読み物であるが、なかなか骨のある内容だ。戸山競馬場も、その連載第四回目に取りあげられる。

 ジャンルの細分化、いやそもそも作品が個々に享受されるようになった今ではあまり見られない文字通りの「雑誌」に感慨を覚えながら、五十頁目を開く。二段組の「いつか王子駅で」第一回に、これまた文庫とも単行本とも違った面持ちを感じるが、なによりも五十三頁の縦長の写真だ。当然のことながら、単行本にも文庫にもないこの写真には、王子駅前駅から早稲田行きの路面電車が出ていく光景が写されている。ここはまさに「私」がキタノカチドキの菊花賞の映像、そして杉本清の実況を響かせながらふらふら走った場所だ。この写真もまた、直線ではなくカーブに焦点が当てられていることを見るに、やはりこの作品はこの「曲がる」ということになにか大きな意味を感じているように思われるのだった。

 彼が大学院での研究を通してもっとも学んだことは、初出をあたるという基本中の基本の意味だった。そんなこと、わざわざ院に行かないでも分かることだろう、と言われるかもしれない。そうであればどれだけ良かったことか、と吾郎は思わずにはいられない。いま、人々はますます情報の出所というものを意識しなくなっている。新聞社の情報とゴシップ週刊誌の情報の別もなく飛びつく電脳空間での反応の「速さ」、しかもそこに著名な作家も多数参入しているのを見るにつけ、吾郎はそれを感じずにはいられなかった。当人等は真剣なのかもしれないが、それは滑稽な光景であった。

 その文章の「場」への意識が欠けている、地に足のつかない姿勢では到底、地を轟かせる力強い走りなどできない。

 そうだった。あの人はそういうことを教えてくれたのだった。もう十年も前、物置部屋と見紛う無機質な、けれどこちらは陽当たりだけは良い部室で、彼の字で埋められた原稿用紙を前に背筋を伸ばし、唇をきゅっと結んで読んでいた女性の姿を思い起こす。

 気がつけばどこかに出かけているあの人は、いまのこんな世の中でなにを考え、そしてどんな風に生きているのだろう。吾郎が働き始めてからは、こんなこともあって会うことも少なくなっていたのだが、一カ月前に急に絵はがきを寄越してきたその人のことを考えながら、吾郎は穴八幡宮を越え、かつてこの単行本を買ったキャンパスのさらにその先、新目白通り、都電荒川線の早稲田駅を目指していた。

 

試し読みはここまでです。

 

雲葉零「深淵」

「池袋の看板広告の件だけど、次のバージョンのやつもう、業者さんに連絡した?」 喫緊の作業が一息ついたので、こう言うと、隣の席に座っている高木ははっとしたように言った。

「あっ、まだですね。今すぐやります」 呆れてため息をつきそうになった。色眼鏡で見るのは良くないとはわかっているが、彼女はあまり優秀な部下ではない。仕事のスピードも早くはないし、その割にはミスも多い。コラボカフェを初めて開催した時には提携先との連絡がうまくいっておらず、ひやひやした。 付き合っている恋人との交際が順調で結婚と退社を考えているらしく、言葉の端々にしょせん腰掛仕事と思っているような節が窺えるのも不愉快だった。派遣社員にいろいろと求めすぎなのかもしれないが、ブルファンの広報担当は俺と彼女だけであり、もう少ししっかりしてもらいたいものだ。それに広報なのにゲーム全般にもあまり関心がないのにも閉口する。

 もちろん人間関係を木端微塵に破壊するそんな本音は口にすることはない。それに今時、セクハラとか、パワハラとか言われて処分が下りかねない。恐ろしい世の中である。触らぬ神に祟りはない。分かった、頼んだよとだけ言って、パソコンでツイッターを開く。

 

 皆元気にしてるか、おらは元気いっぱいだぞ。新年度になった今日も頑張ろうな。もちろん体調には気を付けるんだぞ。

 

 アモスのデフォルメされた人形の写真付きで、そうツイートするや否やたくさんの反応が返ってきた。ほとんどが手軽にできるリツイートやいいねだが、中にはいくつかリプライもあった。一番上に表示される、最新のものを見てみる。

 

 アモス! 今日もかわいいね! おかげで元気出る。

 

 すかさず、いいねを押してリプライを送る。

 

 もちろん、おらはいつもかわいいぞ。

 

 相手はアモスから返信されたとすぐにツイートしてくれた。さらにそのツイートにそのプレイヤーの友人たちからのいいねやリプライが付く。微笑ましい展開に思わずにっこりする。それから明日の分のツイートを予約投稿しておいた。  

 今日もお疲れさま。チョコケーキ買ってきたぞ! もちろん冒険者の分もあるぞ。美味しそうだろ! 

 

 そして、あらかじめ撮影しておいた画像を添付しておく。白いお皿の上に乗ったガトーショコラの横にアモスの人形が立っているものだ。

「なんだか仕事しているんだか、遊んでいるんだか、分からないな」

 たまたま傍を通りがかった同僚が、ツイッターの画面を見ながらそんな軽口をたたいた。もちろん、嫌みなどではなくて単なる冗談ではあるが、自分自身その通りだなと苦笑する。開発チームの一員である彼の目は充血していて、白いTシャツは襟のところが少し黄ばんでいる。元々、格好にはこだわらない奴だが、それでもアプデが控えて仕事が立て込んでいるのだろうということはわかる。そんな彼と比べたら、この作業などお遊びのようなものだ。

 オンラインRPGゲームであるブルーファンタジア、略称ブルファンはわが社の中でも五指にはいる人気作品だ。可愛らしい絵柄のキャラクター、広大で奇麗なフィールド、頻繁なイベント等が作品の売りである。広報上、プレイヤーは冒険者という二人称で呼ばれる。 アモスはそんなブルファンのマスコットキャラクターだ。物語の最序盤から登場し、主人公への案内役を務め、舞台回しの役を担っている。中性的で、他の登場人物の半分にも満たないほど背が低く、丸っこい顔という幼児的な容貌をしている。お金や美食に目がなく欲望に忠実で、喜怒哀楽が激しいコメディチックな性格が特徴である。声優を務める、有名声優の三笠さんの演技も独特かつ抜群で余すところなくアモスの魅力を表現してくれている。他を寄せ付けぬその愛らしさで、このゲームの中でトップクラスの人気を誇るキャラクターだ。

 先ほどツイートしたのは、そのアモスのなりきりアカウントである。ゲームの情報を告知する公式アカウントとは別に用意している。広報担当として俺は色々なゲームのツイッターを運営してきたが、なりきりアカウントは初めてだった。公式アカウントが真面目なゲーム情報を提供するのに対し、なりきりアカウントはもちろんゲームの宣伝もするが、それだけにとらわれないゆるい日常もつぶやいていくのが特徴だ。

 俺はプライベートでツイッターをしたことがない。自分のことをつぶやいて、何が面白いのやら理解できなかったからだ。そのため、最初のころは勝手が分からず、戸惑うことが多かった。だが、他のなりきりアカウントを見て勉強したり、試行錯誤していくうちに徐々に何をやればバズるのかがつかめてきた。心がけとしてはビジネス臭さを感じさせないのがまずは第一である。とにもかくにもくだけたほうがいい。もちろん、炎上には気を付けつつ、誰も傷つけないような投稿をしなければならない。極端なことを言ったりすれば、耳目を集めることができるが、俺は炎上系YouTuberではない。ゲームのブランドを守りつつ、バズらなければならないのだ。

 

 試し読みはここまでです。

 

矢馬潤「これからのための格納庫——書評『近代出版研究 創刊号』

 「図書」を研究対象とする学問である書誌学とは、元々がbibliographyの訳語であり、この国の出版事情に置き換えようとすると、厳密な定義が意外にも難しい学問だ。

 「図書」というのだからあらゆる図、そして書物が研究対象となりそうだが、日本で「書誌学」というときには、それは近世以前の書物を対象にした、流通や異同の研究が主となっている。

 たとえば、一九九八年刊行の『日本書誌学を学ぶ人のために』(廣庭基介・長友千代治著、世界思想社)は、「伝統的で多種多様な和本の調査には相応の知識と技術を必要とする。その手がかりを得るため図版に基づきわかりやすく解説した初めて通読できる書誌学の本」と紹介されているし、二〇一〇年刊行の堀川貴司『書誌学入門』(勉誠出版)の副題は、「古典籍を見る・知る・読む」である。その他、日本の書誌学に関する書籍は、ほぼなんの留保もなく、その対象が古書、和本となっている。

 しかし、明治二十年代にほとんどの本が洋装本となって以来、この国で「本」といえばそれは現代に至るまで、洋紙が束ねられ、表紙にくるまれて背表紙があり、棚には立った状態で架けられる洋装本のことである。これはただ本の形態が変わったということに留まらない。そこには印刷方法や流通手段、受容のされ方など、近世以前とは大きく異なる点が数多く存在する。和本の研究を、そのまま洋装本の時代に適用させることは不可能だ。

 現代に至るまで無数に作られ、そして受容されてきたこの洋装本というものを中心に回ってきた出版について、しかしそれを専門とするディシプリンはいまだ確立されていない。確かに個々に論考はあるだろうが、その議論は文学研究、社会研究、歴史研究、メディア研究など、様々な学問領域に散らばっているような印象が否めない。

 そのような問題意識から二〇二一年に発足した近代出版研究会、その機関誌『近代出版研究』が二〇二二年三月に創刊された。

 巻頭言で、所長の小林昌樹はこう述べる。

 

 人類の知識は全体が一つの袋に格納されてはおらず、大抵、ディシプリン(知識分野:分科学、業界、趣味界)ごとに格納され、そこで保存され、随時参照されることで更新され、伝承される。定番のレファレンス・ツール、定番のコア・ジャーナル、定評ある専門家たち、こういった道具だてが揃うことによって、その知識群は一つのディシプリンになるし、世間的にも認められ、一部は学問として大学の中に入り、参照可能となる。

(中略)

 ふつうに転がっている「本」——つまり印字された洋紙が束ねられ背表紙などがついた表紙にくるまれた冊子——についての疑問は答えるディシプリンは日本にまだないのが実情だ。

 

 かつて近代書誌学を成立させようと励んだ人もいたが、確立までには至らずにいる。そのため、近代以降の図書について調べようとするとそれは様々な分野を横断的に探していく他ないのだが、そこでは前提とするもの、スタンスも共有されていない。また、そうして得られた研究も、どこかしらの近接ディシプリンに格納されることになるため、後世の者が網羅的に参照することが難しくなってしまう。この負のスパイラルを解消させようとする意欲を、ここに感じる。

 今号の執筆陣は、学問畑の人から、主にネットで活動する趣味人まで幅広い。内容も、必ずしもガチガチの論考ばかりではなく、エッセイ風のものや復刻資料まで様々だ。そのためにやや全体的に話が広がりすぎているきらいもあるのは事実だ。しかし、裏を返せばそれもこの分野が未開拓であるが故でもあるだろうし、いまはとにかく「問いを貯める」ことから始める、という意思表示でもある。また、それだけ懐の深いテーマである証左とも言えよう。 かつて近代書誌学の必要性を主張した斎藤昌三が、研究者であると同時に古書コレクターの趣味人であったことから、本研究会も「趣味から出発しながら、近代書誌学、近代出版史を楽しい学問たらしむるべく、その準備段階としての環境整備を行いたいと願って」いる。あまり「学問」という固定観念にとらわれず、というよりも、この分野においては趣味人のコレクションが大きな発見の足がかりになることも珍しくないという実感からか、とにかく多くの知識を「格納」することに努めているようだ。

 実際、偶然や、それを引き寄せるコレクター気質がかなり重要な分野である。本書でも紹介されているエピソードでもその一端がうかがえるが、個人の趣味人の活動によって学者系の人の論考に重要な資料が提供されることもあるのだ。  このような意味で、ネットでの活動を取り込むことに大きな抵抗がなく活動を開始できたということによって、もしかしたらこれだけこの分野の確立が遅れてきたことが、怪我の功名になるかもしれない。