最近、主に友人と二人で佐伯一麦の文章を読む勉強会、という名の会合を定期的に行っている。佐伯一麦の近刊『Nさんの机で ものをめぐる文学的自叙伝』(田畑書店)を私が読んだことを聞いて、私小説というものについて気になっていた彼から声をかけてもらって始まったものだ。
最初は初期の方の作品をということで『ア・ルース・ボーイ』を題材にした。私はかつて読んだことがあったのだが、改めて読み直すと、初期の作品ということもあって粗削りな部分が多く見受けられた。
もっとも、私たちの間では、話の構成や、主軸になるべき駆け落ち相手と血の繫がらない子供に対する描写があまりにもあっさりしていることなどに疑問を感じ、決して評価は高くなかった。それでも、佐伯の初期作品としてはやや虚構性が強いながらやはり後の作品にも繫がるテーマが流れていることや、恋愛よりも明らかに熱がこもっている新聞配達などの労働の描写は見事であることなどを再発見し、私の知る範囲ではあるが、現代の日本文学にはあまり見られないものだと感じた。こうして誰かと一緒に読んでみて、良かったと思う。
今回は小学館P+D BOOKS版を使ってみたのだが、この裏表紙の紹介には「生きる意味を必死に探す“ドロップアウト少年”の爽やか青春小説」とある。前半はまだ分かるが、果たしてこれが「爽やか青春小説」か? むしろ汗臭いし、後味も決して良いものではないよな、と二人で首を傾げたことなどは面白かった。
そして、佐伯は数々の文学賞を受賞している現役作家でありながら、非常に地味な存在であることを不思議に思った。それなりにコンスタントに作品を書いているにもかかわらず、佐伯の名前、作品について言及されること自体があまりないように感じる。現代作家において数少ない「私小説作家」と言っても違和感のない人物である気がするのだが、そもそも私小説自体がそれほどはやらない、ということなのかもしれない。
ところで、対話の常としてこの会合も、とにかく脱線を繰り返す。いや、八割方は別のことを喋っているのではないか、ということすらある。無論、それも求めてのことであるので良いのだが、脱線が脱線を呼び、今は『還れぬ家』に入る前に、佐伯と古井由吉の往復書簡を読みつつ、最近刊行された『文藝』の「私小説」特集号を覗いてみよう、ということになってきた。
私は最近の『文藝』、ひいては河出書房新社に対してかなり否定的な立場であるから、こういうことでもなければ手を伸ばさなかったであろう。良い機会だと思い、お互いに半ば怖いもの見たさで、随分と久しぶりに『文藝』を購入した(その前だと、谷崎由依「囚われの島」を友人に勧められ、それが載った号を買ったくらいだ)。
まだ流し読みの段階だが、私は評価できそうにない。もう少しちゃんと読んでからいま一度評価したいとは思うが、破滅的な私小説という風潮からのアップデートといういささか時代錯誤なテーマ設定(そもそも私は「破滅型/調和型」という私小説の分類にも懐疑的だが)や、私小説・小説/エッセイをそれほど区別していない(「エッセイも私小説として書いてもらってもいいかもしれない」)ことを示す編集側の文言を見て、果たして真正面から「私小説」という近代日本文学からの現象に取り組む意志があるのかどうか、非常に疑問に思った。いまどきの作品で破滅的な私小説はそう見られないし、私小説とエッセイは確かに近しいものではあるものの、それを同じと言ってしまえば「私小説」を論ずるにあたって身も蓋もないのではないか。
いや、本特集ではそもそも日本文学における現象としてではなく、金原がいう「オートフィクション」「自分自身の虚構」が書かれた文章をざっくりと「私小説」と表現していると解釈すれば、理解できなくもない。むしろ、それが本当であるようだから、私が勝手に期待し、裏切られただけのことなのかもしれない。この特集を「私小説」ではなく、「自分自身について書くこと」と読み直せば、多少は咀嚼もできよう。それでも……と思う。せめて私小説とエッセイはどう違うのか、あるいはどう違わないのかというアポリアについて、大前提として意識的であっては欲しかった。このテーマを立てた責任編集に、「個人的には、エッセイか小説かという区分にはあまり意味がないと思っています」と言われてしまうと、こちらとして肩すかしを食らったような気分になる。
また、本特集ではたとえば佐伯一麦や笙野頼子、最近亡くなったが西村賢太などの名前は文章中にも見えない(笙野の場合は、特集以前の種々の問題に因るのかもしれないが)。だからか、どうしても金原ひとみの仲間たちという印象が拭えない。これは、編集のプロではない作家に責任編集を任せたならば避けがたいことで、そもそもそれが今号に求められているといえばそうなのかもしれない。第一「○○がない」というのは際限のない水掛け論になりがちなのは認める。しかし現代の私小説を考える上で「私」あるいは「私たち」というものがそんなに閉じ籠もったものでいいのか、佐伯などの作家は現代の私小説を考える上で無視できる存在なのかどうか。これらの点についてある意志を以て言及しているのかいないのか。それはちゃんと読んでから、後々考えることにしよう。
そこへ行くと、古井と佐伯の言葉のやり取りには目を見張る。
この往復書簡でも、少なくとも私たち二人はそこまで意識せずに扱うことを決めたのであるが、私小説、自然主義文学というものについて、そして「私」というもの、現象について言葉を重ねている。二人の作品の他、葛西善蔵や嘉村礒多、瀧井孝作などの私小説作家、そして自身の記憶や現在おかれた状況などを具にみつめ、そして慎重に言葉にしていく過程は、公に読まれることを想定したものとはいえ、一対一の書簡の言葉としては非常に密度が高いものになっている。そんな言葉を見ていると、果たして自分たちはいま、このような密度で言葉を交わす機会があったか、と反省させられる。東京とオスロ、東京と仙台という物理的距離、そして短くない時間の間隔が、二人の言葉を切り詰め、そして洗練させていくのではないか。一方で私たちは、即時的な言葉のやり取りに浸かりすぎているのかもしれない、と身につまされる。
あたりがにわかに暗くなると、人は耳を澄ますものです。するとその耳から、まるで百年の記憶のように、深い静まりが私の内へ流れ込んでくる。いや、それとは逆です。その静まりの中へ、耳から、そして肌から、私の内部のほうが吸い込まれていく。(『往復書簡——『遠くからの声』『言葉の兆し』』講談社文芸文庫、66頁)
たとえば古井のこの言葉は、私小説に限らず「私」というものを考える上で興味深い現象と考えることもできる。絶対的な「私」ではなく、自と他、内と外、現在・過去・未来を絶えず往還するなかでその時々に生成惹起される「私」。世界との交叉点、あるいは社会現象としての「私」。日本文学においても、このような「私」を愚直に追究してきた作品がいくらでも存在する。スキャンダラスな私小説というのは、実はかなり限定的なものなのではないか、その衝撃度ゆえに単に目立っただけという可能性もあるのではないか、と私の肌感覚としては思うのだが、如何。……いや、そもそも平野謙などもいわゆる理念型として分類してみせたのであり、それをあまりにも素朴に受け止めることは本来慎むべきなのかもしれない。近々、私小説というものについてももっとしっかり調べていこうと思う。
閑話休題。
そんなこの古井の言葉は、それよりも前に佐伯が語っていた、飛行機で隣に座った不機嫌な日本人に対する思索にもどこか触発されているのではないか。
それにしても、あの仏頂面は……。帰りの機内で反芻していた私に、ふと思い当たるものがありました。それは、私の祖母が危篤に陥った報を夕食の途中で電報で受けて、慌ただしく駆けつける支度をしていた父親の姿です。私は小学生の低学年でしたが、いまだに記憶に鮮明に残っています。
そして、あの拒絶反応に凝り固まったような隣人をこう解したのです。そうだ、あれは、身内の者の一大事に向かう人の姿だ、いや現在の日本の火急へと向かう、余裕を失った人の姿にちがいない、と。(同34頁)
この想像が正しかったかどうかは分からない。それでも、佐伯の小説的想像力にはこのようなものが根底にあるのではないか、と思わされた。他→自→他……と往還する流れ、そして個から国、社会へと拡散する視線があって初めて、不安定な「私」という現象をかろうじて語り得るのではないか。
そしてこの往復書簡ではしばしばその不安定な「私」についての逡巡が語られる。これから取り組むつもりの『還れぬ家』は、まさに連載中に東日本大震災が起きて、仙台に住む佐伯が否応なしに変わってしまった「私」と向き合わねばならなくなった作品だ。このときの事は『震災と言葉』(岩波ブックレット)などでも語られている(その割には、『還れぬ家』などが「震災文学」として論じられている場面もあまり見ない気がする)。佐伯がこのとき、どのようにして「私」と向き合ったのか、会合ではそれを自分にも引きつけながら思索を重ねていくことになるだろう。
他方、見た感じでは「内輪」に閉じ籠もっているように見える(偶然かもしれないが、水上文の評論で取りあげられている具体的な作家が悉く本特集に寄稿している面々であったことが象徴的だ)『文藝』の特集はどうなっているのか。実のところ、この特集の成否には作品の内容や完成度は些末なことで、このような不安定な「私」を引き受けて書いていく覚悟があるかどうか、その一点に懸かっているのではないだろうか。どちらにせよ、ある程度読まず嫌いはしないに越したことはない。(概ね恐れながら)期待したい。
ここからは今後の課題になりそうなことのメモなのだが、このようなことを考える上で、私としては外せない人物に秋山駿がいる。例の会合でも少しだけ触れたのだが、「私小説」「私哲学」というものを考えていた秋山の最後の仕事が「エッセイ」だったこと。なにより、最後のライフワーク「『生』の日ばかり」が結果的に「おじいさん、として、こんな生き方でいいのだろうか」という一文で締められていることが、私のなかで反響している。
私も、かつてはフィクション性の高い作品を読み、そして書いてきた。束の間の空白期間を経て、いつしか「私」という現象に摑まれていた。いくつか書いた評論もまたある種の「私」が根底にある。これからは、どんな形の文章を書くときも「私」によるものになるだろう。
ここ最近、あまり文章を発表できていない。どうしても途中で詰まってしまう。表層を撫でているだけであるような感覚に、自分自身に呆れてしまうのだ。
だが、この会合もそうだし、自分の胸にわだかまっているものを聞いて欲しくて信頼している人に送ったかなり長い文章は、自分でも驚くほど芯から言葉が出てきた。私は、あまりにも多くの人の目を、そんなものはありもしないのに勝手に作りあげて、気にしすぎていたのかもしれない。
一対一の言葉のやりとり。これは対話の起源であり本当ではないか。そう思い直している。
もっとも、それは「内輪」と紙一重でもあろう。小さなやり取りで、しかし「内輪」に陥らないために必要なもの、それもやはり、社会現象としての「私」を引き受ける意志だ。楽しみながらも、その緊張感だけは忘れずに続いていく会合にしていきたい。
次回がまた楽しみだ。
(矢馬)