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野坂昭如『戦争童話集』をきっかけに考えてみる、「当事者意識」というもの

 インターネットやSNS等で、だれでもどこでも、世界中の情報を得ることができるような社会になったが故に、かえって、「当事者性」といったものが持つ力が、もはや特権的とでも言えるくらいに大きくなっているように感じられる。

 文芸の世界でも、これはホットな話題だ。もちろん、北条裕子『美しい顔』の問題である。

 『美しい顔』が剽窃にあたるのかどうか、正直なところ、その判断は私の手には余る。たしかに、一部の文章は他の書籍の文章と酷似しているようだし、参考文献を明示していれば、あるいは、著者の受賞インタビューでもなんでも、とにかく本人の口から、これらの書籍の影響を受けています、という発言があったのなら、話は変わってきたのだろう。

 震災から7年が経っているとはいえ、被災者にとって震災は、まだ終わっていない。引用元とされてるノンフィクションには、そのノンフィクション作家、インタビュワーを信用して、プライベートなつらい出来事を語ってくれた、そんな被災者だっていたことだろう。そのひとたちにしてみれば、自分は小説に使われるために話をしたのではない、ということにもなろう。だから、とりわけ慎重に扱うべきだった。この点については、完全に著者、そして講談社側の手落ちである。

 私は、この騒動のまえに『美しい顔』を読んでいる。そのときは、ところどころ粗さはあるけれども、これは新人として、強い力を感じる小説だ、と感じた。読んでよかった、と素直に感じた。それだけにこの問題はショックだった。

 しかし、この問題についてしっかり考え直すべきなのは、「当事者性」の問題だと感じている。「剽窃」問題が報じられたとき、批判の方向として、著者が実際に語っているように、この作品が、実際に被災地にいくことなく書かれたということ、それに対する批判が多かったからだ。

 読売新聞の記事*1を読んだとき、私はそれを考えさせられた。概ねは、事実に基づいた報告になっていたのだが、私が問題だと思うのは、その記事の締めの一文だ。

 「同誌6月号に掲載された受賞の言葉で、北条さんは「私は被災地に行ったことは一度もありません」と書いていた。」

 ニュースは中立性を保つべき、というのがもはや建前にしかなっていないとしても、しかしこの一文で記事を締めることに、私は露骨な主観を感じてしまった。もしも記者にはそのつもりがなかったとしても、この記事を読んだひとは、著者について、「被災地にも行かずに、間接的な情報だけで面白半分に震災を描こうとした不届き者」という印象を与えないだろうか。

 新聞社系ですらこれなのだから、もっと露骨な批判がされているサイトは多く存在する。

 いや、この著者についての話だけで済むのなら良い。私は諸手を挙げて賛成することはできないが、この著者についてそういった見方がされてしまうことは、ある程度は仕方ないことなのかもしれない。

 しかし、これが敷衍されて、被災地に行ったことのない人間は震災について書いてはいけない、となってしまったときが怖い。さらに広がると、当事者しかその物事について書いてはいけない、とまでになる。*2

 これが、小説をはじめとしたフィクションからさらに広がって、当事者でなければその問題について語ってはいけない、とはならない、とする根拠はない。

 なぜこれが怖いのか。たしかに、当事者の言葉は大事だ。その問題をもっとも切実に受けている人間のひとりであることは間違いない。だから、当事者の声に真摯に耳を傾けること。それは絶対に必要なことである。

 しかし、そのことが、当事者ではない人間、非当事者の声を無視する理由にはならない。というより、むしろそれは逆効果だ。なぜなら、それでは問題が内輪だけのものになってしまうからだ。

 震災、LGBT、ハラスメント、障害、テロ、ナショナリズムの過激化。ぱっと思い付くだけでも、これだけのホットなテーマはある。これらの問題は、けっして当事者だけにとどめていて良い問題ではない。極端に言えば、全人類が考えるべき問題である。なぜなら、これらの問題について、私たちはいつ自分が当事者になってもおかしくはないのだから。

 人間は、どうしてか世界にこれだけの問題があっても、「自分は大丈夫」と思ってしまう生き物らしい。ここでは、意識的に非当事者に身を置くことで、自分を慰めようとする心理が働いている。そして、「非当事者」は、当事者の言葉に対して、無神経な言動をしたりするものなのだ。所詮、他人事なのだから。

 その問題について切実に思っているのならば、「非当事者」に、彼らが当事者であるということを思い出させなければならない。ナチスの宣伝大臣ゲッベルスの戦略を聴いて、「戦争は怖いですね」なんて感想で済ましているようでは駄目なのだ。(実際に、そういうバラエティ番組があった。さすがに、その番組に先生として来ていた、ゲッベルスについての映画を作った映画監督は違ったが。)

「非当事者」でいることは、はっきり言って楽だ。無責任でいられるのだから。当事者になるのは、つらい。「非当事者」の心ない言葉に、たとえそれが自分に直接向けられているものではなかったとしても、いちいち傷つかなくてはならないのだ。

 身近な例を挙げよう。いつからか「アスペ」という言葉が広く使われるようになった。

 言うまでもなく、これはアスペルガー症候群という、歴とした病名に由来している。しかし、「アスペ」と略されて使われるとき、それは病気としてのアスペルガー症候群では、もはやない。頭が悪い、察しが悪い、空気が読めない。これらの言い換えとして使われているのが、実際のところだろう。

 罵倒として使われることもあれば、単なるからかい、イジりの言葉として使われることもある。なんだったら、後者の使われ方のほうが多いのではないだろうか。

 「非当事者」の間だったら、それでもいいのかもしれない。

 しかし、現にこの世の中には、実際のアスペルガー症候群患者、そしてその家族、友人、関係者がいる。そのひとたち、当事者にとって「アスペ」という言葉は、どう響くだろうか。音を聞くだけでも、文字の並びを見るだけでも、傷つき、憤り、悲しくなるだろう。これは、まあ無理のない想像だと思う。しかしこんな簡単なことでも、当事者になってみないと案外分からないものなのだ。(念の為に付け加えると、ここに頭の良さ云々は関係ない。世に高学歴とされる大学に所属する人間が平気でこのような言葉を使う場面を、私はしばしば見てきた。もっとも、これは私の世界が狭いだけであるがためであることを、心底願っている。)

 東日本大震災に際し、被災地から避難して県外に転校してきた学生に対する「被災者いじめ」が少なくなかったという。この問題に対し、学校でもっと震災や避難者についての理解を深める必要がある、と意見を述べたコメンテーターが何人かいた。間違ってはいないが、いくら小中学生とはいえ、そんなことはテレビや新聞、家族の話を聞くなどして、先生に教えられずとも想像できないものだろうか、家でそういう話は出なかったのだろうか、この国の子ども、家庭の想像力はこの程度のものなのか、と、正直、がっかりさせられたものだ。彼らにとっても、所詮あの震災は他人事なのだ。

 北条裕子のやったことは、出版や表現といった行為をするにおいて、いささか覚悟が足りてなかった、ひとの言葉を自分の表現として使うことに伴う暴力性や責任を軽んじていた点で、大きな問題があったと思う。

 しかし同時に、被災地に行かず、それでもニュースや動画、ノンフィクションを読んで考え、7年という歳月を経て、正直もう忘れられようとしている震災をまだ書こうとした意気だけはともかく、積極的に認めたいと思うのだ。

 念の為いうと、この当事者意識は、共感とは一致しない。共感の問題については私もしっかり勉強しなければならないと思うが、共感は、そこで終わってしまうことも少なくないと感じる。「ああ、わかるなあ」といったように。さらに言えば、共感できるということは、すでに自分はどこかでそれを経験しているかもしれない。

 もちろん、共感そのものが悪いと言うつもり毛頭無い。共感を出発として芽生える当事者意識もある。要はそのひとがいかに、自分に生じた共感を実生活のさまざまな場面で引きつけて考えることができるか、ということになってしまうのだが、せっかくの共感をただの消費材にして欲しくはない、というのが私の意見だ。

 だから、やたら「共感」という言葉に噛みついて、それは安全圏からの感情でしかない、やら、本当に相手のことを思っているのではない、やら、共感すること、それ自体が不道徳であるかのような言い様には、疑問を覚える。なんでもそうであるけれど、大事なのは、そこからどのように考えて、どのように行動していくのか、である。

 第一、ある物事を一緒くたにして、そうもはっきりと、善と悪、どちらかに分けることができたのならば、いったいどれだけ私たちは楽に生きられたことだろうか。

 まとめると、当事者意識を起こさせる、とは、自分が経験していないことでも自分のことのように考えさせられ、以後の生活の中でも、自分がその立場に置かれたらどうするだろう、という疑問を頭の片隅に起き続ける。そういったものではないか、と私は思っている。

 

 さて、だいぶ前置きが長くなってしまったのだが、そもそもなぜこのようなことについて話そうと思ったのかというと、野坂昭如の『戦争童話集』、とりわけそのあとがきを読んだからなのだ。

 中公文庫、その改版に際して加えられた「改版のためのあとがき」にて、野坂は自分についてこのように語っている。

 (…)ぼくは、「戦争」の片鱗を心得るつもりだが、「戦場」は知らない。(…)戦場体験はないから、兵士について、乏しい想像力では筆にできず、やがて、忘れるというより、さらに無いことになってしまった感じの戦争、これを後世に伝えなければという、気負いはないが、「戦争を知らないぼくたち」が大人となり発言しはじめた。(182頁)

 野坂は1930年生まれ。つまり、終戦時には15歳である。このあたりが、大岡昇平や野間宏、武田泰淳などの、従軍経験のある作家との違いだろう。ちなみに、野坂昭如と年齢が近い作家といえば、開高健(30年生まれ)、石原慎太郎(32年生まれ)、井上ひさし(34年生まれ)、大江健三郎(35年生まれ)などが思い浮かぶ。小説家ではないが、手塚治虫は28年生まれで、これもまた近い。

 野坂に戦場体験はない。それでありながら、この『戦争童話集』の話のなかには、野坂が経験し得ないはずの舞台、満州だったり、南洋の島だったり、海の上だったり、そういったものも描かれている。しかし、それが非常に胸を打つ作品になっているのはなぜなのか。それは、野坂は自らの経験、実感などをもとに、想像力、言葉を駆使して作った戦場の物語を通して、戦時下を生きねばならなかった、そして死なねばならなかった人間を描こうとしているからなのだと思う。

 彼もまた戦争の被害者である。有名な話だが、戦後間もなく野坂は妹を栄養失調で亡くしている。この体験が『火垂るの墓』の基となっている。しかし、そんな野坂に戦場体験はない。だったら彼は、戦場を語ってはいけないのか。そんなことはない。人間には想像力というものがある。それこそ、共感という感情もある。その出発として物事を考えて考え抜くことで、そこには野坂昭如が考える「戦場」も生ずることだろう。

 野坂は戦後、急激に経済成長する日本を見て、ひとつの不安を抱いていた。

 この前年、’70年は、今から思えば、戦後の一つの節目だったが、「万博」という賑やかしのあとをひいて、日本は高度経済成長まっ盛り、日本の人口の三分の二ほどは、まだ、鉄の臭い血の臭いを忘れていなかったと思うが、眼先きの繁栄にとりまぎれ、泥沼のベトナム戦争は他人ごと、焼跡闇市の記憶消滅、さらにアジヤ、太平洋戦争の記憶は、ゆるやかなものだが、封印された。(180頁)

 終戦からまだ30年程度しか経っていない。そんな短い時間ですら、人間はいまがよければ、平気に、あの凄惨な体験に蓋をしてしまう。戦争はまだ終わっていない。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争。戦争は定期的に発生している、といってもいいくらいにもかかわらず。

 先ほど引用した言葉のなかに、「「戦争を知らないぼくたち」が大人となり発言しはじめた」とあった。『戦争童話集』のなか「焼跡の、お菓子の木」という話のなかに、このような一節がある。

 そして、大人は、まだしも我慢できましたが、育ち盛りの子供たちは、たまりません。また大人は、自分たちの起こした戦争なんだし、自業自得とあきらめることもできたでしょうけど、子供には何の責任もない。

 まったく、昭和二十年頃に、五歳から十歳くらいだった子供ほど、みじめな存在はなかった。(166ー7頁)

 野坂昭如世代は、物心ついたときから戦時下に生きている。それ以前の豊かな時代は知らない。しかし、そんな状態にした、つまり戦争を起こしたのは、大人たちである。野坂が語るように、戦争においてもっとも悲惨な目に遭うのは、弱者である。だから『戦争童話集』の主人公は、子供や動物といった弱き者たちなのである。

 その大人というものにいざ自分がなったとき、周りの、自分と同じく戦争を経験したはずの大人たちが、戦争のことなんか忘れてしまったかのように、景気の発展にうかれている。子供の生活の責任は、大人が負わねばならない。しかしその大人がこの有様であっては、いつまた、あの戦争と同じようなことが起きても、おかしくはない。そのとき傷つくのは、やはりか弱い子供たちなのだ。この『戦争童話集』の話は、どれも本当に救いがない。しかし、これこそが野坂が書かざるを得なかったものなんだろう、と思う。

 自分と同じような惨めな子供を作ってはいけない。大人として、その責任として、野坂は自分を「戦争を知らないぼくたち」であると認めながら、戦争について語ろうとしているように思われる。そんな彼ですら、「「沖縄」と「原爆」と、旧満州からの引き揚げ者については、書けなかった、「狼と少女」は、舞台がどこであってもさしつかえない。」と言わねばならない。

 

 野坂も言う、この「他人ごと」という言葉。繰り返しになるが、これはまさに、当事者意識の欠如を意味しているだろう。

 海の向こう、とはいっても、ベトナムはけっして遠い国ではない。日本人が「世界」というときにおそらくイメージするだろう欧米より、距離としてはずっと近い国である。同じく戦争を経験したはずの国の人間であっても、やもすればこうも忘れてしまうものなのだ。当事者意識を持ち続けることがいかに難しいことかが、分かるだろう。

 当事者意識を持つのに、必ずしも当事者である必要はない。自分は世界の一員である、という意識を持つのに、世界一周をしなければならないわけではないのと同様だ。

 野坂がここで「童話」という形をとったことは、この点で示唆的だ。戦争を知らない子どもに向かって語りかける、という体。もしこの物語を読んで、そのひとつ、あるいは一節だけでも記憶に残り、折りにふれて、「そういえばこんな話を読んだことがあるなあ」と思い出し、そして戦争について考えることがあれば。それはもう、立派な当事者意識の芽生えである。

 そして当然、この「童話」は、子どもに向かってのみ書かれたものではない。野坂はきっと、同じく戦争を経験したはずの自分と同世代の人間、それでいながら、目先のお金ばかりに囚われ、すぐそばで起きている戦争に眼を向けないでいる大人に向かっても、この物語を書いている。思い出せ。ぼくらはたった30年前まで、戦時下に生きていたのだぞ、と。そんな簡単に忘れられるものなのか、と。

 野坂はそのあたりのことに意識的だった。あれほどの凄惨な体験でも、人間は平気でそのことを忘れてしまいかねない、と。だから死ぬまで、反戦を叫び続けた。当事者意識を失うな、と。

  

 当事者意識。これは、自分は大きな世界の一員であると意識しながら、「私」というひとりの肉体で以て考える、という両義的な言葉なのかもしれない。周りに流されるのでもなく、かといって外への目を閉ざして孤独に陥るのでもない。いってしまえば、このバランス感覚がこれからの社会、ますます求められるようになってくるだろう。

 

 そもそも、小説や文学と呼ばれるものの意義、というものがあるとすれば、読者を当事者にしてゆく、ということにあると思う。

 だから、私はべつに、必ずしも文学を学問として学ばなければならない、と言うつもりはないが、文学が無駄なものだとは思わない。結果、効用はすぐには出ないかもしれないが、その後の生き方如何で、やがてじわじわと効いてくるものだと思う。

 有名ではあろうが、灘中学・高校の国語教師で、中学の3年間をかけて中勘助の『銀の匙』を読む、という授業をした橋本武の言葉を置いておこう。

「すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなります」

「ときには苦しいけれども読む、書く、そして考える。そうしてみると、そのときは目一杯でも、あとで「心のゆとり」となって、必ずわが身に返ってきます。それが”教養”なのです」

 

底本 野坂昭如『戦争童話集』中公文庫 1980年8月初版 2003年2月改版 2017年6月改版9刷

 

(文責 宵野)

*1:「芥川賞候補作に参考文献つけず、掲載誌おわびへ」オンライン上では一般向けへの公開期間は過ぎているようだが、「読売プレミアム」では閲覧できるそうだ。

*2:これは聞いた話だが、ハリウッドだったろうか、同性愛者でない俳優が同性愛者を演じるのはどうなのか、という議論があるらしい。本当だとすれば、これは倒錯した当事者意識だと思う。それでは「演技」という表現行為がなんであるのか、わからなくなってくる。

 同時に、昨今の日本の小説やドラマで、やたらLGBTの登場人物が増えてきているように、私は感じている。LGBTが重要な問題であること、そんなことはいまさら言うまでもない。社会問題となっているのだから、創作にそれが反映されるのも、むしろ健全な動きなのかもしれない。

 しかし、LGBTのひとも、一般とされている異性愛者と変わらない同じ人間なんだ、という方向を社会は目指している、と私は勝手に思っているのだが、だとすれば創作上であっても、そのLGBTが特権的に扱われすぎてしまっては、これは本末転倒ではないか、と感じる。

 私は、これはさすがに都市伝説なのではないか、と疑っているのだが、就職活動の面接で、ボランティアでカンボジアに井戸を掘りに行く学生が続出する、という。そういった状況の根底にあるものと、どこか共通してはいないだろうか。

 難しい問題であることは承知である。小説と社会は結びついている。社会問題を扱う小説が出てくるのは、自然な成り行きである。物語のテーマになる、ということは、それだけ特別な意味を持つ、ということも意味する。推し進められれば、そのテーマは特権的な力を持つ。すると、現実においてもそれは特別なものと受け取られる。

 たとえ、LGBTのひとも普通の人間なんだ、と物語で主張したところで、物語のなかで声高に主張されることでそれは特別な意味を持ってしまう。とはいっても、物語がまったくそれに触れなかったら触れなかったで、非当事者たちは自分が当事者になり得るということに気づかないままである。とんでもないジレンマだ。

 しかし、このような袋小路のような問題に、悩み続けながらも立ち向かうことこそが、表現者におけるひとつの使命なのではないか、と私は思う。

 大事なのは結果ではなく、過程だ。という格言がある。それは正しいと思うが、より正確に言えば、「大事なのは単なる結果ではなく、自分なりに力を尽くした過程を経た結果である」となるだろうか。ちょっと語呂が悪いか。

 このブログの最初の記事でも私はイチロー選手の言葉を引用したのだが、ここでも使わせていただく。『報道ステーション』稲葉篤紀氏との対談においての言葉だ。曰く、最短距離で正解にたどり着くことはできない。たとえできたとしても、そこに深みはない。回り道こそが近道である。僕は無駄に飛びついているつもりはないが、あとから振り返ってみたとき、ああ、あれは無駄だったなあ、ということはたくさんある。でも、そういうことが大事なんだと思う。

 野球に関して言えば、「無駄」に続くのは練習、トレーニング、となるだろうが、ここではたとえば、「無駄な思考」「無駄な読書」と言葉を当てはめることができるだろうか。