いつごろからなのかははっきりと覚えていないが、都心ではコンビニや飲食チェーンで外国人店員を多く見かけるようになってきた。日本人よりも外国人のほうが多いのではないかとすら感じる。そこまでではないにせよ、都会とは程遠い私の田舎でも外国人店員をよく見かけるようになった。よほどの過疎地域でもない限り、外出すれば外国人労働者を見かけない日のほうが珍しいのではないか。
また、店員のような普段目に入りやすい労働者ばかりではない。工場や農場で働く人達もいるのだから、その数は莫大なものだろう。厚労省によれば去年10月時点で外国人労働者総数は128万に達し、過去最高を記録したという。(特別永住者、在留資格「外交」・「公用」の者を除く。)
「外国人雇用状況」の届出状況まとめ(平成29年10月末現在) |報道発表資料|厚生労働省
(2018年9月10日最終閲覧)
『ルポ ニッポン絶望工場』は井出康博による、そんな日本の外国人労働者問題を描いたルポルタージュである。
具体的には留学ではなく就労が目的で来日する外国人留学生、外国人技能実習生、外国人犯罪などが問題として取り上げられている。念のために説明すると外国人技能実習制度とは国が
外国人技能実習制度は、我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力することを目的としております。
(2018年9月19日最終閲覧)
と謳う制度のことである。ただしその内実は本書でも指摘されるように、労働者不足を補うための制度である。その上、パスポート取り上げ等の人権侵害、低賃金、残業代未払い、日本国内の監督機関によるピンはねなどの諸問題が発生している。
ただし、筆者は自ら「偽装留学生」と名付ける外国人留学生の労働条件のほうがさらに悲惨であると指摘する。その理由はまさに彼らが留学生であるからにほかならない。就学する必要がない実習生と違い、留学生は昼間は語学学校や大学に行き、その合間を縫って働くという過酷な生活を強いられる。その上、学費も稼ぐ必要があるのだ*1。
そのためルポルタージュというものは大体そうだが、全体的に告発調が強い書籍である。また具体性のある記述が多く、筆者が足を使って地道にこの問題に取り組んでいることが感じられる。
私が注目したのは外国人留学生、ひいては「偽装留学生」問題が新聞やテレビで取り上げられることはほとんどないという視点である。その理由は新聞配達が外国人留学生を労働力として頼っているからである。つまり、偽装留学生問題を批判すると自分たちまで批判されかねないのだ。そうすると、新聞社と資本関係がある大手テレビ局も問題を取り上げづらい*2。
外国人留学生の大量雇用のきっかけとなったのが朝日奨学会によるベトナム人奨学生の受け入れ成功だった。当初は国際貢献という面が強かったという*3。そのため、現在でも新聞販売店で働く外国人留学生にはベトナム人が多い。なお、販売店と新聞社との間に資本関係は通常ない。
そもそも新聞奨学生とは住み込みで新聞販売店で働き、学費も新聞社側が負担する制度のことである。元々は日本人のための制度であり、現在も日本人奨学生は存在する。ただ近年では待遇の悪さを嫌って、日本人採用者が激減している。
確かに自分ごととして考えてみれば、まず応募しようと考える人すら少ないのではないか。住み込みで働くというのも住居費は確実に減らせるが、人間関係が狭すぎて気詰まりしそうである。
このような状況下で、朝日の外国人奨学生受け入れは単なる労働力不足解消の道具と化していく。なお、補足すると新聞配達を外国人労働力に頼っているのは朝日に限らず、また奨学生以外の外国人留学生も働いている。
大きな問題の一つは外国人奨学生の多くが違法就労を強いられていることである。建前としては就労が目的ではない、外国人留学生は法的に週28時間までしか働けない。しかし、筆者は取材したベトナム人留学生が全員その時間を超えて労働しており、しかもその時間を超えた残業代は支払われないという実態を顕にする*4。
筆者はこの外国人留学生問題について朝日新聞東京本社に取材を申し込んだが、その回答を行ったのは朝日奨学会だった。なお朝日新聞と朝日奨学会に資本関係はないが、朝日新聞からの天下りが多数いて、奨学会の実質的トップもその一人である。
回答の内容は、同誌の普段の社会問題についての報道姿勢から考えると皮肉めいている。公表していないを連発して、違法な長時間就労問題については法遵守を販売店に呼びかけているという建前を答える。極めつけは日本人奨学生よりも外国人奨学生のほうが休日が少ない問題への回答だ。
招聘外国人留学生の文化・生活習慣を考慮して、日本人奨学生と異なる要項に基づい て受け入れています(後略)
この文章を考えた朝日奨学会の人間はどうしてこんな理屈の合わない弁解を思いついたのだろうか。たぶんその人も文章を考えた時に、一人の人間としてこれはおかしいと感じたはずである。そもそもが差別的な待遇なのだから、合理的な弁解をすることは不可能である。そのことにも気づいたはずだ。
それでもその人は自分が朝日の人間である以上、差別的待遇を認めるわけには行かなかったのだろう。苦肉の策として文化・生活習慣の考慮という文章が生み出された。
しかしこれでは、朝日が普段批判している国や大手企業の不正の構造とそっくりである。都合が悪いことは答えない、違法行為をしている組織とは法的関係がないと言って自分たちの責任逃れをする、組織のために違法行為や差別を黙認する。極めて官僚的である。
もう少し広い観点から言えば、巨大組織は言論機関には向いてないのかもしれない(。構成員が直接的に関係していないところで不正が起こってしまうからだ。しかし、組織の人間からすれば自分事ではなくても、周囲から見ればそんな人間の言葉は説得力をなくすだろう。朝日記者は高給取りであり、一方外国人奨学生達には残業代すら払われていない。この現実を知っている人間に、彼らが書いた格差を糾弾する文章があまり響かないように。
あえて希望を言えば、そんな巨大組織の問題点をまずは自分たちで解決した時に朝日を始めとする大手メディアの言論は強い説得力を持つのかもしれない。
例えば、このブログ「ソガイ」は零細であり、ほとんど金銭的収入も発生していない。そのような言論機関の巨大組織への批判は自分たちが朝日のような過ちを犯しうるという当事者性を欠いてしまうからだ。巨大組織をなくしてしまえばいいという考えならば、それでもいいかもしれないが、世の中零細組織ばかりでは回らないだろう。
なお、朝日奨学生の問題については、以下のように筆者の記事がネットで読める。
文責 雲葉零