ソガイ

批評と創作を行う永久機関

迷いながら書く―小川国夫を読みながら感じたこと

 先年、日本近代文学館に初めて行ってきた。「没後十年 小川国夫展―はじめに言葉/光ありき―」を観に行くためだ。私は最近、小川国夫という作家に興味を持ち始めた。そんな折にTwitterをのぞいていたら、まさに渡りに船、こんな展示が催されていることを知ったのだ。

 しかし、この日本近代文学館に行くまでが一苦労だった。

 私は、とにかく地図を読むのが苦手で仕方がない。方向音痴なのだ。特に、右と左が、とっさに言われると分からなくなることが多くて困っている。(私の場合、一度自分の手を見るか思い浮かべるかすると確実に左右を判断できるのだが、パニックになると本当にこれが分からない。)これには「左右盲」という症状があることを最近知った。どうやら私にもそのきらいがありそうだ。そんなこともたたってか、道に迷った挙げ句に、駒場公園と駒場野公園を混同する、というミスを犯し、午後に予定があったために初日は日本近代文学館を見つけるのがやっとで展示を観ることが叶わず、なんと2日連続で駒場東大前駅に行く羽目になった。しかし、それを差し引いても良い経験だった。

 生原稿だとか直筆の絵だとか、豪華な面々の同人誌、さらには、小川国夫による聖書の朗読音声なんてものもあって飽きることがなく、小さいながらも充実した展示だった。そんななかで最も印象に残ったのが、「小川国夫旧蔵の新約聖書」だった。

 小川国夫は二十歳のときにカトリックの洗礼を受けていて、彼自身の作品のなかでも、「聖書もの」と呼ばれるような、聖書について扱った流れのものがある。そうでなくても、とりわけ初期の私小説的な作品では、しばしば聖書を読んでいたり、引用していたりする。小川国夫と聖書は、切っても切り離せないものだろう。

 では、その小川国夫が持っていた聖書とはどんなものであったのか。展示されていたのは、エ・ラゲ訳、中央出版社、1952年3月1日刊行ものである。国立国会図書館の検索では、同作の1947年刊行のものが9刷とのことだから、比較的流通したヴァージョンでありそうだ。

 つまり、テクストとしてはありふれたものである。しかし、その状態が尋常ではない。表紙は剥がれ、ページは背から離れてバラバラ。インクや水の染みで汚れ、破れているところもあれば、くしゃくしゃに折れ曲がっているところもある。もはや原型をとどめていない。本の状態から、これだけ読み手の執拗さというか、執念のようなものを感じたことはなかった。背筋が凍る思いすらした。

 活版印刷は、聖書の普及のために欧州で発展した技術でもある。複製技術によってテクストは、オリジナルを失っていく。つまり、近代の出版の、まさに正統的な産物である普及版の聖書(しかも翻訳)が、しかしここでは一周回ってオリジナルのものとなっている。このボロボロの聖書は、小川国夫のものでしかあり得ない。

 

 いまの時代、いったいオリジナルといったものはどこに存在するのだろうか、と途方に暮れることがある。コピーのコピーの、そのまたコピーの……。匿名性が強いネット世界に顕著ではあるが、情報に溢れる現代、ネットの不確かな情報を切り貼りすれば「作品」が成立してしまうのだから、そもそも新たなオリジナルなんてものは不可能なのではないか、とすら感じる。

 そんなことを考えてしまって、なかなかものを書けなくなっているのがいまの私だろう。いや、開き直ってしまえば自ら「力作」と称すような作品を、意外にもぽんぽん書けてしまうのかもしれないが、そこはどうにも夢想家の側面があるのか、割り切れないでいる。書くことって、そんなもので良いのだろうか。いや、もちろん程度の問題はあるけれども、それはそれで良いのだろうし、そもそもそれが悪い理由も思いあたらない。私は、書くという行為には大きな意味があると信じている人間ではあるが、それをだれかに押しつけようとまでは思わない。けれども、やっぱり……。こんな感じで、まだ私は、迷子になり続けている。

 そんななかで小川国夫の聖書は、ああ、もしかしたら執拗な読書が、オリジナルの欠片をつかむための営みなのかもしれない、と感じさせられた。いま私は小川国夫の遺作『弱い神』を読んでいるところだが、この作品には、暗闇のなかに光を求めていく人物が数多く描かれている印象だ。そんな登場人物たちの苦悩が、私には、小川国夫自身の聖書への、そして人生への向き合い方と重なって見えてくる。まだ最後まで読めていないのではっきりとは言えないが、『弱い神』のテーマは多分「死」であるし、さらに突き詰めれば、「自殺」である。テーマとしては普遍的、あえて言い方を悪くすればありきたり。しかし、それを死者の声に耳を傾けながら、このひとが書くと、こうにもなるのか、と感心する。

 あれだけ聖書を読み込んだひとが、晩年になってようやく到達することができた境地がこれだったのかもしれない、と考えると、それこそ一本の大河ドラマをみてきたような、壮大な気持ちになってくる。

 そして思う。これだけ読み込んだからこそ、小川国夫は聖書を下敷きに、多くの作品を書き残すことができたのだ、と。そして、それだけ読み込んだからこそ、たとえばこれは旧約聖書について、このような言葉も出てくるのだろう。

〈骨王〉は旧約聖書から素材を得ました。この本を読んでいると、多くの作家たちのように、これこそ物語の本だと舌を巻きながらも、なんでこれが聖なる書なんだ、といぶかしく思います。人間はやはり、容赦ない殺し合いのなかから生い立ったんだ、と思うばかりです。ちなみに、聖書はみずからのことを聖書とは言っていません。文書と言っているのみです。この血なまぐさい文書を、だれが聖書とよび始めたのでしょうか。(239頁)

 これは、『あじさしの洲・骨王―小川国夫自薦短篇集』(講談社文芸文庫)のあとがき、「書きたい、見たい、聞きたい」の一節だ。「骨王」は平成3年の発表の作品である。これは、この自薦短篇集の後ろから2番目に収録されている。そして、この次、トリをつとめる作品が、「海からの光」。原題は「葡萄の枝」で、これを加筆修正したもの。発表は昭和33年。掲載誌は「青銅時代」。小川国夫がデビューする前の同人誌である。これについての自作解説。

〈海からの光〉は新約聖書の影響下で書きました。もう四十五年前も前のことです。そのころから私は、イエスはなぜ神なのか、そのわけを言葉で表現できるものなのか、と考えていました。探求は今に続いていますが、行きまどっています。流れをこしらえようとしているのに、氾濫となっています。終止符を打つことはできないかも、しかし続けなければ、と思っています。(239頁)

 「イエスはなぜ神なのか」。『弱い神』というタイトルは、その途方もない問いに対する、彼なりの答えのひとつだったのだろう。文字通り、デビュー前から遺作まで、作家人生の一生を通して、たどり着く。

 そのとき、彼は「氾濫となっていた」ところに、「流れをこしらえ」ることができたのだろうか。小川国夫の作品を考えるとき、「流れ」という言葉は、彼自身のこのような言葉を思い起こさせる。

私は将来書いて行くべき小説の流れを、三筋に分けようと決意した。第一の筋は、聖書の世界を拡大したり変形したりした物語の流れにしよう、第二の筋は、故郷大井川流域を舞台にした架構のドラマの流れに、三番目の筋は、実際の体験、交際、見聞に多少の潤色を加えた私小説風の流れにしようということであった。(『逸民』「後記」より)

 『弱い神』は、この3つにわかれた支流が、再び合流した下流の穏やかな流れのなかで語られた物語であるように感じられる。その水は、やがて海へと放たれる。海が、彼の思い浮かべるであろう天国のイメージと、どこかつながりを持っているようにも思われる。もしかして、と思い、『弱い神』の最終盤をちらとのぞく。「――これも大井川河口の魔力ですかね。」「天国は網を投げて魚を捕らえるようなものだ、漁師は良い魚をビクにいれ、役立たずの魚を海に捨てる、というくだりを批評して、しかしビクに入れられた魚は食用になってしまう、不幸だ。海に戻される魚のほうが幸せだ、と言うのです。」といった文章が目に入ってきた。私の感触は、あながち的外れなものではないのかもしれない。

 

 なにかひとつの本を、執拗に読み込むことができたとき。私はまた、文章を書きはじめられるようになるのだろうか。

 それは、とても幸せな想像だ。しかし、それを目的に読書をするのも違う、とまたもや夢想家みたいなことを言ってみたくなる。こんな歳でなにを、と言われるかもしれない。でも、私はもう、つねになんらかの目的があることを前提に行動を求められることに、疲れてしまったのだ。結局、いまの私など、偶然の結果の集合体に過ぎないのだ。しかし、そのことに希望も持っている。自分が偶然の結果の集合体に過ぎないのならば、自分の行く先も、予測なんてできない。私の場合はそれがすぐに自分の書くものに直結してしまうわけなのだが、いつか、いまの自分が思いもよらないようなものを書く可能性がある。そんなことを思うと、なんだかこれからの人生も楽しめそうな気がする。

 

 つまるところ、私はこれからも迷子を続けながら、生きていく。右と左を間違えることでこそ初めて見えてくる景色というものも、きっとあるだろうから。

 

(文責 宵野)