いまから三〇年以上も前、私もうつ病的な症状におちいった経験がある。(…)胃の具合も悪くなり、病院で診察してもらったところ、神経性胃炎とのことで胃薬と精神安定剤を処方された。すると一週間もしないうちに、それまでのうつ状態がウソのように拭い去られて、非常にハイな状態になり、今度はノートなしでも九〇分の授業をしゃべり通しにしゃべりまくるようになった。ストレスの原因は自分でも分かっていたけれど、自分の意志ではどうすることもできなかった。それが毎日ごくわずかな化学物質を体内に取りこむというだけで、自分の気持ちがこんなにも激変するものかと驚かされた。(千葉俊二『文学のなかの科学』230頁)
こんなに晴れているのだから、外にでも出かければ良かったかな。実際には新学期への準備などで、少し遠出をする余裕がないのだから仕方ないのだが、なんだかもったいない気がしてくる。けれども、外に出られないことをもったいない、と感じているだけ、私にとっては随分と、大きな進歩なのかもしれない。
大学1年生の夏休み、外に出ることが怖くなった。外に出ることを考えただけで動悸と吐き気がし、家族の声もまったく耳に入らなくなる。三和土に降りることができず、かろうじて外に出ても、家から距離が遠くなるに従って、僕はここで死ぬんじゃないか、という恐怖が、動悸に比例するようにして大きくなり、頭がいっぱいになる。そんなことがあった。
最初、母親に付き添ってもらって近所の大きな病院に行った。ただ、その待合席での1時間も苦痛で、最終的には母親に引っ張ってもらわないと歩けないくらいだったらしい。らしい、というのも、もうほとんど記憶がないのだ。母親によると、あんたをみて、杖をついたおばあさんが心配そうに見ていたよ、とのこと。そこで心療内科を紹介してもらった。誰もがそうだろうが、心療内科にかかるひとがけっして少なくないことは知っていた。しかし、まさか自分がそうなるなんて、思ってもみなかった。
たぶん、直接的な原因は、その前の免許合宿にある。2週間の合宿の、最後の2日間。夏バテかストレスかはわからないが、朝食を食べてすぐ戻した。そこでゆっくりできればよかったのかもしれないが、送迎のバスが来ている。みんなを待たすわけにはいかないし、なにより受講しないと、修了して帰ることができない。吐きたいけど我慢しなくてはいけない。その葛藤がトラウマになったのだろう。実家に帰ってからも、ご飯がのどを通らないし、すぐに戻してしまう。それが家ならいいが、外だと、ゆっくりと吐くことができる場所は、そう多くない。みんながいる前で吐いてしまったらどうしよう。次第に、なにも食べていなくても、常に嘔吐の恐怖が付きまとうようになる。
心療内科では薬を処方され、そして少しずつでも外に出て、成功体験を積むことが大切だと、いわゆる行動療法(暴露療法とも言うのだったか)を勧められた。少しずつ外には出られるようになったが、問題は電車。広場恐怖だ。しかし、学校に通うには電車に乗らねばならない。そして、一コマ90分、教室にいなければならない。それが怖かった。この時期、私は「〇〇大学 休学」と検索し、本気で休学を考えていた。
ただ、少しずつ改善したこと、薬があること、あとは親と相談し、どうしても無理なときは休んで、それで単位を落としてしまってもいい、と理解を得られたことから、休み休みではあるが、秋学期を迎えることになった。けっして楽ではなかった。電車はやはり怖く、ハンカチを握りしめてこらえることもしばしば。(というのも、吐くことが怖いあまり、なにかを口に入れることができず、一番ひどいときは唾を飲み込むことすらできず、周りからは分からないようにハンカチに吐き出すしかなかった。)教室を途中で出ることもよくあったし、学校まで来たものの気が乗らず、そのまま公園でぼーっとしてたこともあった。一ヶ月半で、体重が8キロ落ちた。我ながら、これでよく単位が来たものだ、と思ったものだ。
以来、好不調を繰り返しながら(特に夏がダメだ)、2、3年前あたりから薬の服用頻度はぐっと下がり、いまは基本的にお守り代わりに身につけているような感じだ。
もっとも、いまでも外食は苦手だ。ひとりで食べているときは比較的平気なのだが、誰かと食べるとき、相手を待たすわけにはいかないと思ってしまうと、まだ苦しい。飲み会は、最初の30分くらいはつらいときもあるが、結局大皿で頼むことが多いので、へんな話だが、食べていなくてもバレない、相手に気を遣わせることも少ないので、案外なんとかなる。そして、それくらいのメンタルでいると、平気で食べて飲むことができるのだ。まあ、人間の心というものは、案外適当なものである。しかし、適当であるがゆえに厄介、ということもあるのだろう。
そんな心って、結局なんなんだろう。大学でいちおう文学を学ぶ身として、文学における「心」を考える契機にもなった。
その時、当然、自己とは何かと考えされられた。近代文学において尊ばれる個の確立、主体性の確保といっても、たかが微量の化学物質ひとつで大きく動かされてしまう個の主体性にどれほどの意味があるのかと考えさせられてしまった。(…)「科学と文学」で寅彦のいうように、「狂人の文学」などといったものがあり得ないかぎり、文学作品も何らかの原理や法則によって統御されていることはいうまでもない。(同230、1頁)
小説など、創作のお話に対する評価として、たとえば「単純すぎる」「オリジナリティがない」というものがあるだろう。登場人物の言動が、あまりにも書き割りというか、分かり易すぎる。どこかで見たことがある。「現実の人間はもっと複雑だ」などなど。自分も含めてしばしば口にしてしまうこともある。
オリジナリティについては私も悩み続けているが、「何らかの原理や法則によって統御されている」のだったら、そもそも完全なオリジナルなど存在しないのだから、悩みすぎても仕方ないだろう(そもそも、誰が作ったのかもわからない「言語」をつかって作っているのだから、源泉がどこかにあるのは決まっているのだし)。
だから、感情についても、よく言われるこれらの評言を否定はしないし、できないのだが、もしかしたらここにはひとつの補足があってもいいのかもしれない。
つまり、創作中の人物ほど、現実の人間はしっかりしていない。複雑というよりは、適当であるに過ぎない。そういうことではないか。文学に限らず、フィクションにおいては人間の感情が主題に置かれることが大半だ。感情を、尊いものとして描いている。ところが、その感情というものが、数mgの化学物質で、あるいはちょっとした気の持ちようで、こうも簡単に変えることができてしまう、となれば……?
もちろん、だからといって私は物語の中の人間の感情を否定しよう、などとは思わない。そもそも、筋が定まった物語にいる人物なのだから、まったく適当ではそれはそれで、読む方としてもかなり困る。登場人物が、毎度毎度考えることや言うことが変わっている小説があったとして、それは前衛的というより、単にめちゃくちゃなだけである。
ただ、こういった個人的な経験から、感情を筋としてではなく、事件として描けないだろうか、と常々考えてはみている。そして多分、私がほかの書き手の例にもれず、書評記事を書くときに自分の経験を話してしまうのも、読書が事件になっているからなのだろう。つまり、私の文章は、事件報告として読んでいただくのが一番合っているのかもしれない。
そのときそのときの事件の感想を記すので、前と言ってることが変わっていることもあるかもしれない。まあしかし、人間なんてみんな多かれ少なかれ、そんなに一貫なんてしてないものだ、と考え、自分にも相手にも求め過ぎないでいると、少し楽かもしれない。
もちろん、程度の問題はあるし、信義則に反するようなものや、政治とか、そういった公のところでギャップを醸し出されても困るのだが。
引用元 千葉俊二『文学のなかの科学ーなぜ飛行機は「僕」の頭の上を通ったのか』勉誠出版、2018年1月
(宵野)