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習作としての読書ノート『シュレーディンガーの猫を追って』第8回

 

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 第8回

 

 書評のようなものをはじめてから2年くらい経つが、ときどき思うのだ。もうこれ、内容をそのまま差し出すだけでいいんじゃないか、と。もちろん著作権的には問題があるのだが、しかし、本音を言えば、やっぱり文章のどこかを切り取るというのは本当に難しい、いや、実はそんなことは元々無理なことなのではないだろうか。だって、そのままの文章がやっぱり一番きれいなのだから。

 もちろん、できることなら私は、自分が紹介した作品をだれかに読んでもらいたい。私がここで採りあげるのは、まず私が読んでおもしろかったと感じ、そして、あまり知られてはいないけれど、世の中にこの作品を真に求めているひとがいるに違いない、とにかく、この作品の存在だけでも伝えたい。そう思ったものだけだ。

 いまこの作品を採りあげればレビュー数稼げるんだろうなあ、と思うことがまったくないと言ったら嘘になる。そりゃあ、自分の書いた文章が多くのひとに読んでもらえて、ましてや感想なんかもらえれば嬉しいことこの上ない。しかし、私なんかよりもずっとそういったことに向いているひとは他にいる。私は一度、「地味なことをやり続ける才能がある」と友人に評されたことがある。多分その評価は間違っていない。それどころか、的確ですらあるかもしれない。あくまで現状ではあるけれど、私は多分、誰にも読まれなかったとしても、放っておいてもなにか文章を書いているだろう。だったら、そんな私が紹介するのは、著名なものに限る必要はないだろう。むしろ、放っておいたら忘れられてしまうような作品を、掬い上げようではないか。そんな風に感じている。

 つまり、そのとき私の名前などはべつに忘れ去られていても構わないわけだ。となると、やっぱり元の文章をそのまま届けたい、なんて思ってしまうのだ。ちょっとした葛藤のなかにある。

 

 長い前置きになったがこの第5章、このように強く感じてしまうくらい、胸を打つ文章が詰まっている。ここで立ち往生するのも悪くはないのだが、いちおう、これは私が「習作」として書いているものなのだ。自分でも忘れがちだが。

 だから、多少は前に進んでいかないと、元も子もない結果になってしまう。それゆえ、なんとか進めていこうと思う。

 

 問答は続く。子どものほうが、人間や植物より「もっと前」、地球や太陽や月、さらにそれよりもずっと遠い星の前にはなにがあったのか、と尋ねる。大人は、「その前はわからない」と認めてから、「もし何かがあったとしても、それを見られるひとは誰もいなかった」と答える。それに対して子どもが、「真っ暗闇ね」と言う。

 すべての始まりとしての暗闇。光よりも前にある闇については、これまでも繰り返し述べられてきた。しかし、子どもの「なぜ?」はこんなところでは止まらない。だったら空や太陽などは、いったいどこから来たのか、と問う。大人は、どこからも来ていないと言う。ならばと子どもは、「じゃあ誰かがそこに置いたのかしら?」と広げる。この「誰か」を名付けるとすれば、それは「神様」だ。しかし、神様を信じているひともいれば、信じていないひともいる。

 子どもは問う。

「パパはどうなの?」
「パパは信じていない。はじめは無しかなかったと思っているだけだ」 (49頁)

 しかし、信じていようがいまいが、世界はたしかにある。ここで思い出されるのが、第1章、ニールス・ボーアの馬の蹄鉄の逸話だ。「信じていなくても効き目があるらしい」。つまりそういうことなのだ。

 ところで、ここで「パパ」という言葉が出てくる。やはり、この少女らしき者は「わたし」の娘だったらしい。もちろん、実在の娘かどうかはわからない。彼の記憶のなかで作られていった娘という可能性もある。だから、直後の段落には少し驚いた。

 娘がまだ生きていた頃。とても小さかったのに、彼女は病気のせいで夜中によく目を覚ました。彼女に呼ばれるとわたしは寝室へと通じる古い赤い木の階段をのぼって娘のもとにいった。モルヒネを使っても痛みが取れず眠れないときには、娘のそばに横になってお話をして聞かせた。彼女の
こと、そしてわたしたちのことを物語る、子どものためのおとぎ話。(50頁) 

  すると、あのやりとりは実際にあったものだったのだろうか。いったん保留にしておこう。

 ここで注目したいのは、「わたし」が、痛みに苦しむ娘を癒やすために、物語を語り始めたということだ。娘、ただひとりだけのための物語。なんと私的な物語だろうか。娘の死以来、フォレストは小説のような文章を書き始めた。いまの彼の作品は、やはりそのとき娘に語っていたような物語の延長にあるのだろう。

「わたし」はいまになって思う。

(…)彼女が望んでいたのは、手遅れになる前に、わたしが世界中の物語を、まるですべて知っていたかのように、ぜんぶ話して聞かせることだったのだ。いまのこと、かつてのこと、これからのこと、あるいは、そうありえたかもしれないことのすべて。想像もつかないような世界の始まり以来の物語だ。それを知らなかったわたしは、ぜんぶ自分で編み上げたのだ。

 

 わたしが語りはじめたのは、人生のその時期だったと思う。いまとなっては十五年以上前だ。それ以前のわたしは、何ひとつ語りはしなかった。単に親しみを込めた声で紡ぐ言葉によって彼女に寄り添うこと。彼女のためにできることは他になかった。それ以来、方法はちがえども、わたしは
話しつづけている。自分で質問をしてそれに答える。娘の代わりに話をする。いやむしろ、彼女がわたしの代わりに話しているのだ。どんどん夢を見なくなる。それでも夜中には、頭のなかで内緒話をしているときもあった。二人の会話の糸が途切れたところから再開する。娘にはおしまいまで
話をすると約束していた。わたしはどうにかして約束を守る。(同)

 前回、小川国夫の、死者の声に「耳を澄ます」意識について紹介した。やはり、フォレストも亡き娘の声に、十五年以上、耳を澄まし続けている。その声を、語りを文字にしていくことが、彼の小説的作品を形作っている。彼は、「約束を守る」という意味のフランス語、「トゥニール・ラ・パロール」という言葉を紹介している。綴りは「tenir la parole」だろうか。これはイディオム的用法で、直訳すると、「言葉をつかむ」となる。いや、「la」は定冠詞だから、そこまで忠実に訳出すれば、「その言葉をつかむ」だろうか。まあ、細かいことはいい。ともかく、言葉によって世界を作るのではなく、そこにある言葉をつかむことが彼の創作である、ということを象徴している言葉だろう。これが「耳を澄ます」という行為と近しいことは、言うまでもないだろう。

 となると、つかんだ言葉であるのだから、いまここに書かれている言葉は「わたし」であると同時に、娘でもあるのだ。では、その娘の語った言葉とはいったい、どんなものであったのだろうか。

いっときでも苦しみが和らげば、それで十分だった。そうなると、彼女はとても穏やかな一種の錯乱状態になったかのようだった。話し方にとても不思議な詩情があった。同年代の子どもがみなそうだったように。しかし彼女の場合、そこにはもっと異様な何かがあった。薬が脳に作用したのかもしれない。あるいは、病気のせいで背負い込んだ状況に必死で抗おうとしていたのかもしれない。大きな声で物語をいくつも空想するときがあった。真剣に耳を傾けないと何の筋もないように聞こえるが、彼女に寄り添って物語のなかに足を踏み入れれば、曲がりくねってはいるがまったく途切れない絹糸が、暗闇のなかを手探りで進む言葉に紡がれて広がってゆくのがわかる。彼女は、自分なりに作ったおとぎ話のなかに、月明かりに輝く白い小石にも似た言葉をちりばめて、鬼や、鬼のいる森から遠くに導いてくれるはずの小道に目印をつけていたのだ。(51、2頁)

 「暗闇」「おとぎ話」「鬼」。これまで出てきたこの作品のキーワードが、娘の語る物語に由来していることが確認される。フォレストは、かつて娘が語った物語のなかに入り、そしてその続きを見つめている。その結果のひとつが、『シュレーディンガーの猫を追って』という作品なのだ。彼のなかで娘の存在は、その死によって断ち切られていない。

 彼女が亡くなった夜は、人生で過ごした唯一の不眠の夜だったと思う。彼女の枕元で、わたしは眠れずにいた。いまや残された時間はあまりに少なく、一秒たりとも失うまいと心に決めていた。ガンはもうひとつの肺にも転移してしまっていた。気道挿管された状態の彼女。心臓が止まるその
時を待ちながら、薬のせいで深く眠り込んでいた彼女は、とても規則的な間隔でぼんやりと目を覚ます。舌圧子がのどに入り込んでいて、言葉を発することができなかった。そこでわたしは、集中治療室のベッドの脇に腰かけて、今度は自分の番だとばかりに何時間ものあいだ話しつづけたのだ。わたしは話すのを止めなかった。彼女に何が聞こえているのかわからず、そもそも聞こえているのかどうかもわからないままに。 (54頁)

  話すことが、言葉を紡ぐことができなくなった娘に代わり話し始めた。そのときの「何時間」は、十五年以上経った現在まで伸びている。彼はずっと、話し続けているのだ。

「ずっと前に死んでしまったのに、いまも光が見えるの?」
「誰のことだい?」
「お星さまよ。そう言ったでしょ?」
「そうだね」
「死ぬって、暗闇のなかで眠るみたいなことだと思っていたわ」
「ああ、そうだね、きっと」
「でも悪夢は見ない?」
「ああ、悪夢は見ない」
「それでどうなるの?」
「死んだひとは暗闇のなかで眠る。でも他のひとたちは、彼らが残す光を見つづけるんだ」
「ずっと?」
「光が虚空を旅しているあいだ、そして、その光が通ってゆく空をどこかで誰かが眺めているあいだはね」
「じゃあ、けっして終わりはないのね」
「ああ、ある意味では、けっして終わりはない」(55、6頁)

  この直後、「もちろんこれまでに書いたことはわたしの空想だ」と白状するが、それには驚かない。彼はただ過去を振り返っていて、思い出したことを書いているのではない。耳を澄ませて娘の声を聞き取ろうとしている、その「いま」にいるのだから。いくら印象的な出来事だったとしても、十五年以上も経てば、そのすべてを正確に思い起こすことはなかなかできない。

 こんな風に書いて思い起こされたのは、保坂和志『未明の闘争』の冒頭だった。

 ずいぶん鮮明だった夢でも九年も経つと細部の不確かさが現実と変わらなくなるのを避けられない。明治通りを雑司ヶ谷の方から北へ池袋に向かって歩いていると、西武百貨店の手前にある「ビックリガードの五叉路」と呼ばれているところで、私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた。(『未明の闘争』講談社、3頁) 

  実はこの第5章には「夢」という言葉も頻出していた。娘が語った「夢想」を語り継ぐ者によっていま語られる物語。つまり、『未明の闘争』の書き出しの、「夢」と「現実」を入れ替えても、同じことが言えるだろう。「ずいぶん鮮明だった現実でも十五年以上も経つと細部の不確かさが夢と変わらなくなるのを避けられない」のだ。その証拠ではないけれど、この章で「わたし」は頻りに、覚えていない、思い出せない、とこぼしている。描くのは「空想」なのだ。

 今日では、彼女が言っていたことも、わたしが彼女に言っていたことも、もう何ひとつわからない。まるで虚空を漂う言葉たちのようだ。(56頁)

  だからこそ、「わたし」はその言葉をつかもうと耳を澄ませるのだ。そこにはどうしても「私」が出てきてしまう。この「私」は、いま・ここの「私」だ。『未明の闘争』の冒頭、「私は」を取れば、ホラーチックにはなるものの文法的には意味が通るようになるが、しかし、これを取ってしまったら絶対に『未明の闘争』が成り立たないのと同じ、ではないだろうか。

 

 このような流れで保坂和志が出てきて、だとしたら小島信夫を補助線に引くとおもしろいのではないか。そう思ったのだが、問題は、私がちゃんと小島信夫を読んだことがないのだ。『美濃』や『各務原・名古屋・国立』は、並べてみるとおもしろい化学反応が生まれそうではあるのだが、まあこれは機会があれば、ということで。

(第9回に続く)

 

参考文献

保坂和志『未明の闘争』講談社、2013年9月

 

(宵野)