ソガイ

批評と創作を行う永久機関

筆まかせ4

6/13

 ここはいちおう「書評・創作ブログ」と銘打っているのだが、「創作」はもともとそれほど多くなかったのでまだしも、最近、まともに「書評」記事をあげていないことが否めない。先月後半あたりから本格的に仕事が始まり、ここしばらくは、4月1日ぶりとなった出社が続いていたこともあり、まだ在宅の習慣が抜けきらない心身では、帰宅してから文章を書く気力が湧かなかった(「同人誌の誤字」関係については、それを上回る憤りがあったせいか2日程度で1万字ほど書いてしまったが、それは例外)。ラッシュは避けられるから満員電車には乗らないにもかかわらず、果たして、外に出るのってこんなに疲れることだったっけ、と日々思っている。

 それにしても、駅や電車で不愉快な振る舞いを見ない日がほとんどいっていいほどなく、ああ、そういえば公共の場ってこういうものだったよなあ、と妙な感慨をおぼえる。座席に自分の荷物を置いている社会人は序の口、密閉されていない紙コップの飲み物を手に乗車するひと、列に割り込むひと、スマートフォンを見ながらゆっくり歩いて道を塞ぐひと、周りの乗客にわけもなく切れ散らかしているひと。それほど混んでいない路線、時間帯ですらこれなのだから、満員電車ではどうなってしまうのだろう。自分も学生時代は混雑した電車に乗ることもあったが、たしかに喧嘩の場面を見ることがときどきあった。「ニューノーマル」になろうが、このあたりのことは変わらないのだろう。

 すると、私が感じているのは身体的な疲れよりも、気疲れの方なのかもしれない。

 実は、この期間にも書こうとして途中でやめてしまった文章がいくつもある(文章を書ききることは大変だ)。そのひとつに、文学、小説の価値を巡る意見に対する違和感を書いたものがあった。いまそこに深入りしないが、よく言われることに、小説を読んでいるときは現実逃避ができる、というものがある。かつては、私もその考え方にある程度は同意していた。いまも、完全に否定するわけではない。だが、少なくとも私の場合、精神的に疲れているときには、フィクションフィクションした物語を読む気にならない。だからか、ここ最近ずっと言っているような気がするが、小説小説した作品を読む気にどうしてもなれない。単純に、しっかり構築された物語に入り込むには、かなりの体力が必要なのではないか、と最近は感じている。

 そんな気分も手伝ったのだろうか。半年ほど前に片付けたはずなのにやっぱり溢れだしていた本を整理するために、思いきって100〜200冊ほどを手ばなすことにした。最初は、それでもなかなか踏ん切りが付かず、大して本を選び出すことができなかったのだが、いや、これでは意味がないぞ、と、絶対に残しておきたいもの以外は棚から出した。小説が多くなった。

 それでも、残った本がある。そのひとつが、『ソガイvol.5』にエピグラフとして引用した、小沼丹『懐中時計』(講談社文芸文庫)だった。論考で講談社文芸文庫を批判した私だが、小沼丹の作品をいくつも文庫本として再録していることはありがたいと思っている(新刊と古書でほとんど値段が変わらないことも少なくないのはどうなのだろう、とも思うが、小沼丹の単行本は古書価格が割と高い印象だから、それでも助かっている。講談社文芸文庫が講談社文芸文庫であった時代の仕事であると感じる)。

 相変わらず話が逸れていくのだが、ここ数ヶ月のあいだに読んだ本に、長谷川郁夫『藝文往来』(平凡社)がある。早稲田大学在学中に立ち上げた小沢書店をたたんだ、そのあとに書かれた文章が収められている。私はこの本を、2年ほど前に古書店で見つけて買っていた。それからしばらく読んでいなかったのだが、先日、長谷川郁夫の訃報に接したとき、この本のことを思い出して引っ張り出してきた。長谷川が数々の作家について回想しているなかに、小沼丹の名前もある。小沢書店は小沼丹の作品集も出しているから、不思議ではない。「とりとめのない思い出」と題されたこの文章には、『文藝』編集者時代の平出隆の名前なども出てきて滋味深いのだが、改めて見返すと、私はこんなところに赤鉛筆で印をつけていた。

 記憶とは、不思議なものである。時間が連続して流れていると感じられるような具合には、現在は過去とは繫がるものではないらしい。遡っていくと途中に大きな堰があったり、岩陰の淵にはまったまま、思い出は浮かんでこない。それに、どうやら私のような事情を抱えた人間には、記憶がすっぽり抜け落ちた窟があるのかも知れない。(長谷川、91頁)

 この一節は、小沼の作品を根幹を表しているように思われる。たとえば「懐中時計」は、このように始まる。

 十年ばかり前のことだが、或る晩酒に酔って、翌日気が附くと腕時計が紛失していた。腕時計と共に記憶もどこかに落としてしまったらしく、事の次第が一向に想い出せない。仕方が無いから、一緒に飲んだ友人の上田友男に電話を掛けた。(小沼、221頁) 

  作品は、その友人から購入を持ちかけられた私物の懐中時計を巡る不毛な攻防の回想を通し、いまは亡きこの友人の声を聞いて閉じられる。その最後の場面を、私はエピグラフにした。

 小沼丹は小説でも随筆でも、書くことを通じて記憶を描こうとしているのではないか、と思う。私も最近、自分は書くことによって、なにか忘れているものを思い出そうとしているのではないか、と感じている。もっと言えば、死者と会話をすること。それこそが、いまの私にとって文章を読み、そして書く大きな動機になっている。この作品自体が、私にとっての「文章」そのものの姿だった。

 だからだろうか、今回「懐中時計」を再読して、もともとこの作品は好きだったのだが、いままで以上に染みいるものがあった。自分の中で「新たな始まり」と勝手に位置づけていた第5号の巻頭を飾るのに、ふさわしいのではないか。深夜、スタンドライトの光のもと、そんなふうにを思ったことをおぼえている。

 最近、私は小説や論考に限らず、文章を書くときには既存の作品を横に置き、そして大いに参考にして、いや、そうしなければ文章が書けなくなっている。しかし、意識して作品を書き始めて7年になるだろうか、ようやく、しっくりくるスタイルを見つけかけているような気がしている。あまり話したことはないが、ここに来るまで、私は相当迷走している。学部時代など、スタイルが常にブレブレで、1年どころか、半年単位でスタイルが変わる始末だった。しかも、いまになって思えば無謀と言い様がないが、中世ファンタジーや、王道ラブコメなんかも書こうとしたことがあった。設定を練ることが壊滅的に下手で、かつ設定通りに書くことも苦手な自分には、どだい無理な話だった。もちろん、それだけの失敗、回り道を重ねてきたからこそいまのスタイルに、およそ一般受けはしないスタイルに、それでも自分なりの自信が持てているのだと思う。

 地元の図書館は、いまだ閲覧ができないままだ(追記・地元の図書館は、数日前から閲覧を再開していたらしい。そっちの道を通らないから知らなかった。近々、行ってみようかと思う)。本屋のみならず、図書館を棚を巡ることによって湧いている着想によって、最近の私は文章を書いている。きっとそのうち、私はまた書き始める。いまは慌てず、自分の生活を続けて、そのときを待つことにしよう。

 

(矢馬)