ソガイ

批評と創作を行う永久機関

対症療法の次へ——ソガイ〈封切〉叢書第二号刊行に際し

 ソガイ〈封切〉叢書第二号「埠頭警備人」をようやく刊行した。第一号から3カ月ほどかかってしまった。当初の計画では、せめて2カ月に一号は新刊を出すつもりだったのだが、先延ばし先延ばしにしているうちにこんなことになってしまった。

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 そもそも記事の更新頻度すら落ちているのだから、まずはそっちから頑張れ、という話なのかもしれない。書きたいことがないわけではないのだが、最近はどうも頭の中がまとまっておらず、なかなか書き始められない状況だ。

 もともと能動的に書く題材を探すたちではなく、基本的には受動的。ひらめき待ち。学生時代からそうだが、ノートを整理するようなこともほとんどしたことがない。年に一度は、ちゃんとまとめノート的なものを作ろうと思うのだけど、もって2週間といったところ。積極的にまとめようとすると、碌なことがない。

 とはいえ、ある時期まではちょこちょこ文章を書けていたわけだから、もしかしたら私もちょっと疲れているのかもしれない。体と精神には密接な関係があり、やはり体調が良いときの方が思考も筆も進むのである。そういえば、ちょっと前から症状はあったのだが、先日、その右太ももの裏のしびれが酷くなって病院へ行ったところ、軽い坐骨神経痛だとのこと。現在、週2回程度のリハビリテーションに通っている。自粛期間あたりから運動する機会もめっきり減っていた。やはり、これは良くないのかもしれない。私は、書くことが生きることに内包されるような書き方を心掛けたいと思っており、だとすると、まずは生活の方を見直すべきなのかもしれない。そういえば、最近口内炎も少しできやすくなっているような気もする。

 

 ところで、リハビリテーションを受けていると、筋肉の凝り固まっているところを強く意識させられる。脚のしびれで病院に行ったのに、自分では意識していなかった腰の凝りがお尻の梨状筋というところの負担に繫がり、その梨状筋の近くに坐骨神経が通っているため、脚のしびれとして出てきているのではないか、ということだった。

 それで思い出したのが、イチローの話だった。たしか、イチローは自分の体の仕組みを理解しておくことが大切だ、という話のなかで、自分の感覚では、肩の力を抜くためにはまず膝を意識する必要があり、ただ肩だけを意識しても肩の力は抜けるものではない、といったことを話していた。肩と膝が連動しているなんて、考えたこともなかった。

 最近はめっきり減ったものの、私は高校から大学1、2年生にかけて偏頭痛に悩まされていた。いまでも偶に頭痛はあるものの、それはおそらく緊張型頭痛と呼ばれるものであり、偏頭痛の痛みと比べれば随分とましなものだ。とはいえ、どちらの頭痛もやはり、ストレスはもちろん、眼精疲労や肩の凝り、寝不足などの様々な要因で起こることが多く、痛み自体は薬で抑えられるかもしれないが、抜本的な解決のためには、もっと生活の観点から見直していく必要がある。

 話が逸れてしまった。つまり、表に出る現象には隠れた要因があり、そしてそれは、元を辿ればその部位からは少し離れたところにある、ということを考えた。しかし、世の中得てして、対症療法的な対処に留まっているのかもしれない。

 今回の話で言えば、「最近ものが書けない」に対し、じゃあ毎日500字書こう、とか、テーマを決めて調べ物しよう、という方法がぱっと思い浮かぶ。もちろんそれも大事だが、そもそもそれができていないから書けていない、という側面もあるのではないか。ここで、たとえば、まず早寝早起きをしよう、栄養のある食事を取ろう、軽い運動をしよう、部屋を片付けてみよう、このようなところから始めてみることが肝要なのかもしれない。まあ、これもある意味では言い訳に過ぎないのかもしれないけれども……。

 ともかく、第三号は2か月以内に出せれば、と思っている。本当は私以外の人に執筆してもらって、ということも考えたのだが、2か月という期間を考えると、いまから頼んで……というのは難しいだろうか。となると次も自分になるが、それはやむを得ないか。今のうちに、第四号、第五号を見据えて執筆依頼をしていきたいと思う。人にものを頼む(しかも執筆を)というのは、とても難しいことなのだが、私はこの〈封切〉叢書を、小さいながらも広がりのある「場」にしたいという野望を持っているから、頑張っていきたい。

 なお、現状この第二号の売上は2部である。第一号も、目標としては20部を掲げていたのだが、半分がやっとといったところだ。難しさを痛感している。とはいえ、私はたとえ売上が0となろうがしばらくは続けていくので、ちょっとでも興味があれば、のぞいてみてほしい。なにも、第一号からすべて買う必要はないのだから。

 まあ、仮に十号連続で売上が0となったときには、なにか根本的な問題があると考え、継続を悩むことにはなるだろうけれど……。ただし、そうなっても価格を大きく下げるつもりはない。

 これについてはまた後々、思考が整理されたら書きたいと思うけれど、最近のとかく「得」をしようとする風潮、ややもすると、定価で買うことが損であるかのような空気には強く疑問を覚えている。この400円という定価は、材料費、送料等を考慮し、これなら持続可能だろう、といういちおうの計算をした上での価格だ。私はかつて、いまの本は高すぎるのではないか、と思っていた。いまでもその考えは完全には変わっていない。しかし、それは定価で買うことを前提とした上での意見だ。私が疑問を覚えるのは、定価を高くするために本づくりをしているのではないか、と思われることが多々あったからであり、当然の帰結として高くなるのならば、それはまったく構わない。出版好況期、雑誌の広告費で大きな利益を上げたことを背景にあまりにも本が安すぎた(そしてそれで成り立っていた)、という面があることを、いまは理解している。

 またまた話が逸れたが、〈封切〉叢書にしても、たしかに安くすれば買ってくれる人が増えるのかもしれないが、いまはまだ、そこには慎重でありたい。

 限りなく小さい規模ながら、ひとりの出版人として、これからの同人活動を考えていきたい。

 

(矢馬)