ソガイ

批評と創作を行う永久機関

第32回文学フリマ東京 で「ソガイ」第六号(テーマ・青春)を販売します。※試し読み有り

 ブース番号はソ-13、隣接ブースは君嶋復活祭さんと本棚の陰 さんになります。開始時間の12時から終了の17時までブースを開いている予定なのでお好きな時にお越しください。ソガイの新刊のほかに既刊とソガイ〈封切〉叢書の出張版も数冊用意しております。

 

ソガイ第6号紹介

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 ソガイ第6号のテーマは青春です。以下、個別の文章の試し読みとなります。

目次(クリックすると該当箇所の一部が読めます)

創作 「Vertical Pizza Tracker」灰沢清一 7

 

創作「青空」矢馬潤 31

 

対談 冨所亮介×矢馬潤「制限が場をつくる——インカレポエトリから」 41

 

書評 「青春漫画レビュー『スキップとローファー』雲葉零 59

 

論考「「書物への愛」が生む青春——小沢書店・長谷川郁夫」 矢馬潤67

 

 以下ソガイの本文の試し読みを公開します。それぞれの文章につき、冒頭が対象となっています。また末尾に参考文献を全て公開していますのでご参考にしてください。

        創作 「Vertical Pizza Tracker」灰沢清一 

 ピザは静かに時を刻んでいる。県立麦田高校、放課後の教室。高校二年生の少女と少年たちは木製の机を並べ、消しゴムを弾いて遊びながらピザがその輪郭をあらわにする瞬間を待ち望んでいる。ピザ食いたくね? という誰かの呟きは、モッツァレラチーズのようにとろりと広がっていった。放課後をガストやサイゼリヤで過ごし、カマタニ先輩(好きなピザ:高麗カルビ)は三組のセキノマキ(好きなピザ:シェフの気まぐれ野菜スペシャル)とラブホに行ったらしいというゴシップや先週のMステでやっていたAdo(好きなピザ:トロピカル)のパフォーマンスが超よかったマジうっせぇうっせぇうっせぇわって感じというようなたわいもない話に興じる彼らにとっても、学校でピザを頼むという行為にはどこか後ろめたい気持ちがあった。もっとも、それはクドウミサキ(好きなピザ:シーフード・スペシャル)の家でこっそりビールを空けてタコパをしたときのように、彼らのささいな冒険にちょっとしたタバスコの刺激を与える結果となったのだった。

「今焼き上がってるっぽい」

「え、今焼いてんの?」

「そうだよ、ほら」

 黒髪ショートの少女が指さした画面には、ドミノ・ピザが提供しているサービス「Pizza Tracker」が映し出されている。ピザの調理過程をリアルタイムで追い、焼き上がりのタイミングを確認することができるサービスだ。

「あれ、これってどこに届くの」

 長い髪をいじりながらセンノシュウジ(好きなピザ:ウルトラチーズ)が少女に尋ねる。

「学校の住所打ったからふつうにここに届くと思うけど」

「正門?」

 クドウミサキはもう既にコーラのキャップを開け、喉を炭酸でうるおしはじめていた。黒髪ショートの少女はそれを横目に天井を見上げる。考え事をするとき、少女はいつも上を向く癖があった。英単語のテストでど忘れした単語を思い出そうとするときにも、自分の将来やいつになったら母親を離れて一人で暮らせるかについてぼんやりと考えるときにも、彼女は坂本九(好きなピザ:SUKIYAKI)のように上を向いていたのだった。

「あれ、どっちだろ」

「正門だったらやばくね」

「ハゲ(好きなピザ:クワトロ・ジャイアント)に没収されるよ」

「……やば、もうちょいでピザ来ちゃうよ!」

 少女は再び画面を示す。画面にはピザの代わりに、学校周辺の地図が表示されている。青いアイコンの中に描かれているのはバイクだ。アイコンは、少女たちが通う高校に向かって少しずつ近づいている。二〇一六年四月十八日から運用が始まった「GPS DRIVER TRACKER」は、注文したピザの配達状況を地図上で確認することができるサービスだ。業界初となるデリバリー状況追跡サービスにより、お客様は注文したピザの配達状況を一目で把握することができる。だが本来ワクワクを呼び起こすはずのそれは、今の少女たちにとっては刻一刻と迫る生活指導の男とドライバーの接触を告げる時限爆弾となってしまっていた。

「どうしよ、注文やめる?」

「いまさら無理だろ! とりあえずいくしかないって!」

 センノシュウジは窓に駆け寄り、目を凝らしてドミノ・ピザがある方角を眺める。すると、一台のバイクがこちらに向かって近づいてきているのが見えた。信号が青に変わると、あと少し直進するだけで学校の正門に到達することとなる。センノシュウジは大声で叫んでバイクを止めようかと一瞬考えたが、それをやるとまたクラスで馬鹿扱いされることにすんでのところで気付き、やば! というくぐもった声を出すだけにとどめておいた。

「わたしいってくる!」

 黒髪ショートの少女は財布をつかんで制服の上着とブラウンのカーディガンを脱ぎ捨て、ワイシャツと青地のプリーツスカートという軽装で走り出した。陸上部で100mHを専門にしているので、走ることにはそれなりの自信があった。日々の練習で鍛えたふくらはぎはすらりと引き締まり、ワイシャツの隙間から見える腹筋は美しいシックスパックを描いている。リズムよく腕を振り、少女はぐんぐんと加速していく。ローファーに履き替える時間すら惜しく、上履きのまま校舎から飛びだした。かつてドミノ・ピザは、「三十分を超えた場合は無料」となるサービスを採用していた。これは言うまでもなく、手作りの味を爆速でご家庭にお届けするために設けられていたシステムである。セントルイスで発生した配達員の信号無視による事故をきっかけにこの制度は撤廃されたが、もし彼女が六十年代のアメリカに生きるティーン・エイジャーであったとするならば、全米は彼女を走るピザ配達人、第二のウィルマ・ルドルフ(好きなピザ:アメリカン)として大いにもてはやしていたに違いない。

 校門で時代遅れの頭髪検査をすべく定規を女子生徒の髪に当てようとする生活指導の男の横を颯爽と過ぎ、校門を出て直進する。三十メートルほど走ると、前方の交差点で停止中のドミノ・ピザの配達用バイクが、右方向にウィンカーを鳴らしているのが見えた。少女の顔は、自然とほころんでいた。部活帰り、走り込みと筋トレを終えヘトヘトになった彼女はいつも、ドミノ・ピザ麦田五丁目店のドアの隙間から漏れ出る焼きたてのピザの香りに、ごくりと唾を飲み込んでいた。だが有機野菜を用いた自然食を推進する母親は、たっぷりのチーズによってカロリーの暴力を押しつけて人命を奪い去るドミノ・ピザのような代物を出前で頼むなど言語道断、そんなものより無農薬有機栽培で素材の味を活かしたごはんとサラダと味噌汁を食べておかないと、あなたの体はたちまち化学調味料まみれになって、しまいには家の近くにできた黄色い暖簾のいかがわしいラーメン屋に足しげく通う豚どものように、化調を体中から垂れ流すかわいそうな文字通りの豚野郎、あるいは憎きドミノ・ピザ野郎になってしまうのよと言い張り、彼女が外食をするのを固く禁じていたのだった。もっとも彼女はそうだよねあんな店に通うのはかわいそうな豚かピザ野郎だよね、おやさいばんざい! と同調する素振りを見せつつ、部活が休みの日にはセンノやクドウたちといっしょに外食チェーンに通いまくる生活を送っていたのだった。もちろん豚が通うラーメン屋ではマシマシを完食した。

 そんな彼女にとって学校でピザを食べることは、ひとつの夢だった。ことあるごとにピザ業界の動向や新メニューについて話し、チラシをさりげなく黒板に貼りつけておいた地味な努力が活きた。みんなでピザを分け合って、くだらない話に花を咲かせながら、こんなものを食べたら肥ってしまうという事実に堂々と向き合っていく。全力で、まったく味のしない家の食事では味わえないヘビーなピザの圧力を胃袋に覚え込ませる。それができるのが嬉しかった。自分の母親のことを泣きながら話したとき、クドウたちは「そんなん監視とかできるわけないんだから、いっしょにご飯食べに行こうよ!」と言って、国道沿いのファミレスに連れて行ってくれた。サイゼリヤでミラノ風ドリアにパルメザンチーズをぶっかけろ、全部使い切るつもりでぶっかけろ! あんたのお母さんはここにはいないんだから! と煽ってくれるクドウたちのことが嬉しかった。これから食べるピザの味を、わたしは生涯忘れることなく生きていきたい。黒髪ショートの少女は学校の裏門で、ドライバーに向かって心からの「ありがとう」の気持ちを伝え、顔をくしゃくしゃにして笑いかけた。その笑顔がウルトラチーズのLサイズを一気食いした時のようにガツンと、ドライバーの心を打ちぬいていたことに、少女は永遠に気付くことがなかった。

 

試し読みはここまでです

          創作「青空」矢馬潤

 

 世界が明るい。道行く人の顔もどこか明るい。

 空は雲ひとつない青空。

 私は、この空が嫌いだ。 この空の下にあると、私の頭のなかには無数の思考が言葉となってあらわれる。その言葉のひとつひとつを握りつぶして、地面に叩き付けたくなる。でも、悪いのは言葉ではない。こんなことは言葉への八つ当たりに過ぎない。わかっているから、毎回、自己嫌悪に陥る。

 右肩から滑ったリュックサックを背負い直す。駅まではもう少しある。

 学生時代に戻りたいな、とほろ酔いの赤ら顔で楽しそうに語る同級生たちを隅の席から見ていて、羨ましかった。私には、そんな風にポジティブな意味で戻りたい時がない。それは当然、今が楽しいから、という訳でもない。卒業して二年間のフリーター期間を挟んで入った編集プロダクションを二年半で辞め、それから続けているウェブライターの仕事も、惰性で続けているだけの私だった。

 それでも、ただひとつ、できることならやり直したい場面がある。後悔、という言葉ではとても言い表せない失策。いまその時に戻ったところで、私は結局なにもできはしないのかもしれない。

 七階の病室の窓の外。その空の青さを、私はよく憶えている。私と窓の間、ベッドに横になる彼女の顔は陰になって、表情を窺い知ることはできなかった。でも、もし彼女がこちらを見ていてとしても、私はその顔を見られなかっただろう。

 彼女からの最後の問いへの答えを、私はまだ見付けられないでいる。

 よく、寡黙だと言われる。言外に暗いと言われているのだと思う。けれど、私はかつて誰よりもおしゃべりだった。私がしゃべれば、みんなが笑い、そして喜んでくれた。自分の言葉には人と違う力がある。今になって思えば、当時の私はそんなことを考えていたのではないだろうか。

 私のおしゃべりを誰よりも聞いてくれたのは、彼女だった。小学校に入る前から一緒に育った彼女は、私がどこかで聞いてきた話をところどころ脚色して作った拙い物語を楽しそうに聞いて、いつも続きをねだった。小学校に入ってから、私は偉人伝から集めた名言を、度々彼女に披露した。いい言葉だね。そう言って彼女が笑うのが嬉しかった。高学年になって周りから関係を冷やかされるようになり、教室では自然と、少し距離を置くようになった。その頃、彼女はふと俯いて、つらそうな表情を見せることがあった。下校中、学校から離れてから彼女の背中を追いかけ、最近見たテレビの話や、友達の話なんかをした。少し大袈裟に面白おかしく話すと、ようやく彼女は口をおさえて笑い声をあげた。少し前までは同じくらいの高さにあった頭が、気がついたら少し下にあった。

 そんな大好きだった彼女の笑顔も、もう随分おぼろげになってきている。

 試し読みはここまでです。

 

 

          冨所亮介×矢馬潤「制限が場をつくる——インカレポエトリから」

 

■イベント開催まで

矢馬 お久しぶりです。最後に会ってから、もう一年くらいになりますか。

冨所 いや、それ以上になると思います。

矢馬 そうか、そんなに経つのか……。また落ち着いたら会えるといいですね。さっそくですが、改めて「数寄和」でのインカレポエトリ(以下・インカレ)のイベント、お疲れさまでした。非常に楽しませてもらいました。この前『三田文學』の特集でインカレも取りあげられていましたが(二〇二一年冬季号「大学授業で詩をつくる―『インカレポエトリ』をめぐって」)、このイベントは冨所くんが中心となって学生主体で行われたことを知り、驚きました。僕自身、このイベントに行ってみていろいろと考えることがあり、また、冨所くんが企画を通して「場」について考えている、ということを聞いて、是非ともじっくり話してみたいな、と思っていました。ところで、イベントはいつ頃から動いていたんですか。

冨所 もともとは(二〇二〇年)二月二十二日に、日本近代文学館で朗読会・座談会が予定されてたんです。これは、そのとき日本近代文学館で開催されていた詩の展示(冬季企画展「詩のありかに触れるささやかな試み」)の最終日に合わせて、ということだったんだけど、これがこういう状況でできなくなってしまった。実は、僕はこれに合わせて留学を早めに切り上げていたんですけど、中国あたりを飛んでいるところで中止の連絡が来て……。

矢馬 あらら。

冨所 しかも、遅延、欠航、ロストバゲージなどがあり、散々でした。

矢馬 それは本当に災難ですね……。

冨所 で、このイベントはダメになってしまったのだけど、今回展示をさせてもらったギャラリー「数寄和」の話は前から伊藤(比呂美)先生から聞いていて、「数寄和」でイベントをできないですかね、と言ってみたら、やってみればいいんじゃない、ということになったんです。そこから、協力してくれる学生と話し始めたのが三月の中旬くらい。このときは、日本近代文学館で予定していたイベントをほぼ流用するような形だったんです。学生三十人くらいが朗読をして、そのあとは座談会をするという、詩のイベントとしてはよくある形といえるものでした。それを「数寄和」のオーナーに持っていったら、これじゃ人が集まらない、やるからには学生だろうがなんだろうが、ちゃんと面白いものをやってもらわなきゃいけない。これはギャラリーの株にも関わるのだから、という話をされて。

矢馬 厳しいですね。

冨所 それで、その後は何度か足を運んだり企画をいろいろ持っていったりして、本決まりしたのが七月末くらいだったかな。

矢馬 四カ月。けっこうかかりましたね。

冨所 その際、一個決め手になったのは連詩の案でした。ギャラリーとの話し合いのなかで言われたのが、ギャラリーというのはただ展示する場所ではなくて、人が行き交う、開かれた場所であり、足を運んでもらわなくてはいけない、ということでした。そこで、一種の交通・交流の場所としてのギャラリーを考えなきゃいけないな、と。そこで考えたのがオンライン上での連詩です。インカレには関東圏以外の大学も参加しています。コロナウイルスの流行ということを差し引いても、東京でのイベント開催は遠方の大学を初めから度外視してしまう部分があった。そういう課題が出てきたときに、Googleドキュメントを利用し、連詩ができていく光景を生で公開する「リアルタイムオンライン連詩」という案が思い浮かびました。オンラインなら現場にいる必要はない。また、イベントへの来場者も参加できるようなルールを作りました。普通の連詩のルールはほとんど採用していないかも。この連詩では詩の巧拙よりも、オンラインというヴァーチャルな場で、顔も見えない相手が書いた詩にほかの学生がどう反応するか、詩が発生する場を見せたかった。これだったらギャラリーに足を運ぶ必然性も生まれてくる。日々刻々と連詩は更新されるわけですから。

矢馬 なるほど。リアルとヴァーチャルの両面で、ギャラリーを交通・交流の場にしたということですね。今の話を聞いていると、結果として、このギャラリーでやろうと思わなければこのような展示にはならなかった、ということになるのでしょうか。

冨所 多分そうだったでしょう。たとえば自分たちで貸し会場みたいのを見繕って、とかだったら、こうはしなかった。やっぱり、朗読と座談会という方向に進んでいたと思います。

矢馬 これは、できれば今日話してみたい「場」を考える上でも重要なことだと思います。それと、僕はこのイベントが西荻窪という場所で行われたことも、結果的にとても良かったな、と思ってて。

冨所 うん、そうですね。

矢馬 ギャラリーがそういった意識を持っているから西荻窪を選んだのか、西荻窪という場所がそうさせたのか分からないけど、自分はあのイベントを見た帰りに、町を散策したり、いくつか古書店を回ったりしたんですけど、それが凄く、一日の流れとして良かったんです。振り返ると、イベント自体があの町にとても馴染んでいたな、と思った。なので、僕はあのイベントがあの場所で行われたことはすごく良かったな、と思っています。

 

■朗読とは

 

矢馬 今回のイベントでは、突発的に発生する、学生による朗読パフォーマンスも目玉の一つでした。僕も二人の学生の朗読の場に居合わせ、非常に興味深く聞きました。一方で、朗読された詩は当人が三号に掲載している詩であり、印刷された字を読んだときの声と、書き手によって詠まれたときの声に大きなギャップがありました。もちろんそれが醍醐味ではあるのですが、ときに書き手の声が支配的になってしまうと言うか、パフォーマティブな朗読は、一度聞くと、もうそれ以外では読むことができなくなるのかな、とも思いました。これはとりわけ、詩というジャンルによるところも大きいのかもしれないけど、このプライベートとパブリックのバランスの取り方を、考えさせられたところがあって。

冨所 たしかに、その声が強く聞き手の印象に残ったときには、もうその声なしでは読めないということがあるかもしれないですね。とはいっても、じゃあただ朗読すればいいか、というとそれも違う気がして、パフォーマンス性があった方が、その場を共有できることもある。だからといって行き過ぎると、矢馬くんの言うような「内輪」にもなりかねず、良くないな、とも思ったり。実は、朗読しているときに中に入りづらい、という声は実際にありました。なるほど、確かにその瞬間は閉じられた空間にもなったのかな、と。実際に、朗読をする際には入口のドアを閉めました。

矢馬 たしかに、朗読している最中は入りづらいかもしれませんね。

冨所 でも、やっぱり散文と比べると、詩は自分との距離が近くなりやすいし、そう感じられやすいのかな、とは思います。僕は今回コンドームの詩(「ラバーズ」)を書いたんですけど、直接訊かれたんですよ。あなたはセックスが好きなのって。おお、と思いました。そこまで書き手と結びつけるものか、と。

矢馬 確かに、小説としてそういった作品を提示しても、直接訊かれるってことまではあまりなさそうな気がします。もちろん、僕は「内輪」のすべてが悪いとか、あってはいけないとか言うつもりはなくて、逆にすべてがすべてオープンにされねばならないとは全く思わない。それはそれで、逆にすごく窮屈だと思いますし。現実、いまは誰でも発信できるがゆえに、沈黙を守ることが許されない空気を感じてもいますが……。話を戻すと、しかしこれは自分でも痛感していることで、内輪に慣れきってしまうと、そこでの空気が当たり前のものと勘違いしてしまうことがあります。そのためになにも考えずに外でも内輪での振る舞いをして、ときには人を傷つけてしまうことがある。だから、その空気には自覚的になるべきだと思います。

冨所 いかに無批判でやってきてしまっているか、ということですよね。

矢馬 ましてや、曲がりなりにも表現や出版という行為をしようとしているのであれば、たとえそれが趣味の同人活動であろうと、内輪ネタだから、では許されないことがあるかもしれない、と意識はすべきだと思います。やっぱり出版も発表も、それを公にする、ということだから。そこには責任も伴う。

冨所 政治家みたいに、撤回します、と言うことができたら楽なんですけどね。

矢馬 あれを言うだけで過去に遡ってなかったことにすることができるんですからね。出版はそうはいかない。一文字直すことですら簡単ではないし、直そうと思えばかなりお金もかかる。たとえば本だったら、直すにしても、その前のバージョンの扱いをどうするか。ときには回収して裁断することもありますが、この際の損害はちょっと笑えない。だから慎重を期すわけです。もっとも、絶えず更新可能なメディアに慣れきっていると、そのへんの意識を保つことも難しくなるだろうな、とは思いますが。

冨所 こっちは撤回ができないから、腹をくくるわけですよね。

矢馬 腹くくって公の場に参入するわけです。そういう意味でも、「内輪」を俯瞰することは自分を守るためにも必要なことだと思うんです。「一億総表現者時代」なんて言葉を目にすることも時たまありますが、だとすればなおさら、気を付けなければ思わぬ責任を負うことになる。そんなつもりはなかった、誤解を与えたのなら謝ります、では済まない。まあ、「なんだよ、ちゃんと撤回しただろ」とふんぞり返るだけの厚顔さがあれば構わないのかもしれないけど……。

冨所 だからこそ、どのように外との関係を保っていくのかということだと思うんです。「内輪」のなかに通気孔を開いて、風通しを良くするための外部、というような。

矢馬 通気孔と聞いて少し驚いたのですが、僕が常にイメージしているのはまさに「換気」なんです。これは別にいまの状況になってから考えはじめたことではないですよ(笑)。壁を取っ払うのではなく、壁を保ったままでもいかに新鮮な空気の流れをつくるか。それはたとえ趣味の同人出版であろうと意識しなければいけないところで、だから、趣味の同人だから誤字があってもいい、むしろそれが味、とか言われちゃうと、なんだかな、と。そんなことを言ってて、僕はきっと、口うるさい奴だと思われていることでしょう。

冨所 でも、それは能力とか技術の問題ではなく、意識の問題ということですね。

矢馬 もちろん、頑張ってもできないことは人間、誰しもある。現に、こんなこと言っておきながら、僕の文章にも誤字はあります。ちゃんとチェックしているつもりにもかかわらず、本当に情けない限りだけど……。ただ、だからといって最初から放棄しているのはちょっと違う。第一、本というのは本来多くの人の手があってできるもので、むしろそれを一人でやろうとする個人出版って、ものすごく面倒な道なんですよね。僕、いまだに思うことありますよ。本作るのって面倒だな。それなのに自分、なんで表紙のデザインまでやってるんだろう。こういうの一番苦手なのに、って。

冨所 でも、本来自由ってそういうものですよね。

矢馬 そう、自由って面倒くさい。

冨所 わずらわしさです、自由は。

矢馬 わずらわしさ故に自由がある、とも言える。結局、いいモノを作るのに面倒を厭うてはならないということに尽きると思います。

冨所 一方で、べつにこの文章だったら本じゃなくてもいいんじゃないか、というものもありますね。もちろん、本というパッケージが読み手にとって良い面もあるのだろうということは分かりますが。

矢馬 ですね。いわゆるインフルエンサーというか、時代の最先端を自称し自由を謳う人々が、結局なぜか本という旧態の、制約だらけのメディアで自分を出すことにステータスのようなものを感じているのが、まあ分からないではないのだけど、不思議は不思議。

冨所 そんなに自由を求めているのなら、あえて本でなくても。

矢馬 さらには、いまは技術の進歩でいろいろな版組をすることができるようになって、とても奇抜な、どうやって読んでいいのか分からないような組み方の本も見られるのだけど、僕にはそれは革新というより、無邪気にしか見えないことがあります。本というモノの「場」が見えていない、というか。たとえるなら、サッカーのルールでやっているのに、いきなり手でボールを取って、ゴールに飛び込んで喜んでいるような感じでしょうか。それがアメリカンフットボールのように別の競技に派生するのならまだしも、そこまでは行っていない。なんというか中途半端なんですよね。

 

 試し読みはここまでです。

 

         書評 「青春漫画レビュー『スキップとローファー』」雲葉零

 

 陳腐である。ありきたりである。という言葉は作品に対して使われるとき、良い意味であることはまずない。その点、本作の大まかな構造自体はありきたりなものである。石川県出身の主人公、岩倉美津未は高校進学を機に上京する。入学式の日、東京に不慣れな彼女は迷ってしまう。そしてたまたま、同級生の志摩と出会い助けられる。志摩は東京生まれ東京育ちであるだけでなく、元子役でもあり美形である。

 新入生代表として挨拶する予定だったのに遅刻した美津未は大いにあせる。一方で同じように遅刻している志摩は「たかが入学式じゃん?」と冷めた発言をする。そんな志摩に対して美津未は怒りをあらわにし、彼女は走りづらいローファーを脱いで学校へと走って向かっていく。そんな美津未の姿に志摩と同じように私もすぐに好感を抱いてしまった。正反対の経歴を持つ二人がひかれあうという展開は王道的なものだ。だが、これが面白い。

 先ほどの場面でもわかるように美津未はまっすぐだ。一方で、中学の同級生が八人しかいないという片田舎で育った彼女は、周囲の空気を読むことがうまくできない。そんな彼女と対照的な恋敵として描かれるのが同級生の江頭である。

 彼女は志摩に好意を抱いており、彼と仲が良い美津未を疎ましく思っていた。そのため江頭は美津未に対して、志摩が優しくするのはみんなに対してであり、特別なことではないと吹き込む。クラスメイト一同でカラオケに行く際にも江頭は抜かりなく計算する。男子達を誘う流れで自然に志摩を巻き込む。一方で、美人の同級生である村重が同行してくることには内心、嫌悪感を示す。

 そしてカラオケの際には、美津未を小馬鹿にした態度をとる。具体的には、カラオケが初めてであることや方言を馬鹿にするなどである。美津未はほかの同級生に指摘されるまではそれに気づくこともなかった。しかし、真相を知った美津未は決して明るさを失わない。地元の幼馴染からたまたまかかってきた電話で、彼女はどうやって自分たちが友達になったのかを尋ねる。その答えは意外なもので、最初はムスッとした美津未のことを恐れていたというものだった。

 その後に、他の同級生から自分が身に付けているピンについて質問をされた彼女は、一瞬その裏の意味を読み取ろうとしてやめる。

 

  …どういう意味?

  いや

  わかるわけないか

  出会って2日だもん

 

 そして彼女は素直に質問に対して笑顔で答える。さらにカラオケに疎い彼女は全力でとっとこハム太郎を歌い、周囲の爆笑を誘う。彼女がどこかとぼけた愛嬌のある絶妙な顔の造形をしていることも相まって、いわば江頭の計算を無効化する天然ぶりを発揮しているのだ。江頭は挙句の果てに、好意を見透かされた志摩からこう諭される。

 

  もすこし肩の力

  抜いていいん

  じゃない?

 

  そのほうが

  きっと

  楽しいよ

 

 そして翌日、質問をしてきた同級生の服には美津未と似たようなピンが付けられていた。

 一連の場面からもわかるように、この漫画では人間の可塑性に対する楽観が描かれている。つまり、人間は良くなりうるという楽観である。忙しさのあまり空回りしてしまった美津未が自分に対する陰口を聞いた後の場面にもそれはよく表れている。泣き出した美津未に対して志摩は田舎にいたままのほうが良かったのではないかという印象を抱く。しかし立ち直った彼女は力強く言う。

 

  私はね

  志摩くん

 

  多少ド派手に

  転ぶことが多い

  人間だけど

 

  そのぶん

  起き上がるのも

  ムチャクチャ得意

  なんだから!

 

 この眩しいまでの楽観がどうにも信じられない、あるいは肌には合わない人はおそらくこの漫画を読むのに適していないだろう。美津未の前向きさは周囲の人間にも良い影響を与えていく。例えば、志摩は元子役であったが、スキャンダルに巻き込まれ、さらには友人も巻き添えにしてしまったことで演劇をやめてしまっていた。そのため、志摩が元子役であることに気づいた、演劇部の部長からの誘いも一度は断る。しかし、何事にも一生懸命な美津未の言動や演劇部の素晴らしい芝居に影響され、その後彼は演劇を再び始める。志摩は最初から演劇を再開しようと思っていたわけではない。さきほどのカラオケの場面でもわかるように、この漫画では人間同士が触れ合うことによる、偶然の力が描かれているのだ。それが自己啓発で目指されるような単なる成長志向と、本作の楽観志向が決定的に異なる点だろう。

 不確定なこと、分からないことを避けるべきリスクとして捉える見方もできる。むしろ、この見方のほうが優位ではないか。分刻みで予定が決まっているスケジュール表。誰も読み切れないほどの条項が付された契約書。それらは、不確定性を排し、リスクを避けるためのものである。にもかかわらず、人間はそれらの無味乾燥さによって苦しむ。この漫画に通底する未来への楽観は、そんな現実と相まって心地よく響く。あるいは私は希望よりも絶望を信じられなくなっているのかもしれない。

 まだ単行本で五巻までしか出ていないにもかかわらず、美津未と志摩以外の登場人物についてもしっかりと掘り下げられているのも特徴だ。単に描写の量が多いだけではなく、彼女たちの視点でも物語が描かれる。いわば一人一人が主人公としての役割を持つ、様々な人物の声が響きあう、青春群像劇の側面も多分にあるのだ。例えば、美津未の恋敵である江頭に再度焦点を当ててみよう。

 

試し読みはここまでです。

 

         論考「「書物への愛」が生む青春——小沢書店・長谷川郁夫」矢馬潤

 と、記憶の底から、「青春」を感じた一瞬を拾いあつめてみると、青春とは、精神の緊張の持続を意味する言葉ではないか、という気がする。それなら、私にもあった、と記すことができる。平成十二年の秋に、出版社を倒産させた。それまでの三十年がわが「青春」だった、といまにして実感するからである。遅い挫折が訪れたとき、私は五十歳を二つ三つ超えていた。―長谷川郁夫「思い出のなかから」(『藝文往来』所収)

 

 ゴールデンウィークの最中、持ち帰りの単行本の校正作業に入る前に開いたTwitterのタイムラインにそのニュースは流れてきた。

 二〇二〇年五月一日。小沢書店創業者・長谷川郁夫が食道がんのため死去。享年七十二。

 私がその人について知ることは少ない。いや、ほとんどないと言った方が正しい。なにせそのときの私は、その人の文章を少々と、発行人として刊行した本を一冊読んでいただけだった。私がまだ小学生になるかならないかの時期にその出版社は倒産しているから、並行して自分の生活にあったといった感覚もない。

 それでも、その頃から出版という行為について関心を持ち、本当に小さいながらも同人活動を始めていたこともあってか、その人のしてきた仕事については興味がわいてきた。

 私が持っていたその人の本のうちのひとつである『藝文往来』(平凡社)は回想録で、いろいろな作家についての思い出が記されている。倒産後、しばらく経ってから書き始められたこの文章では、ところどころで出版社を潰してしまった後悔の念が語られる。私はこの本を、修士論文について指導教授と面談する約束の前、大学近くの古書店「古書ソオダ水」で買ったことを憶えている。そのとき一緒に山田稔の本を買ったのだが、修士論文の相談のなかで教授の口から不意に山田稔の名前が出てきたのだから、不思議なものだな、なんて思っていた。ここまで言ってしまえばいずれ分かることだから言ってしまうと、私とその人には出身大学が一緒という、縁と言ってしまうにはあまりにもありきたりな共通点が一応はある。

 すでに一度は読んでいたその本を、体調を崩していたこの五月、ベッドの枕元に置いて少しずつ読んだ。そのとき、特に印象に残ったのが最初に引用した一節だった。

 出版に携わっていた時期を「青春」だったと振り返る。ベッドに横になり天井を見ながら、その言葉の持つ意味について考えていた。

 青春とはなんだろう。

 一般的に青春といわれる学生時代、必ずしも不満があるわけではないのだが、しかし私は、その時期のどこにも戻りたいとはまったく感じられない。二十二歳までの時期において、それが青春だったと言える瞬間を、私は示すことができる気がしない。メディアで喧伝されるような爽やかさを、私は自分の学生時代に感じることができない。いわゆる爽やかな青春ものの物語に怒りや憎しみのようなものを感じることも、ほんの一時期ではあったが、確かにあった。

 しかし、就職活動に失敗して一般的に想定されているルートから外れたのちのこと。大学院を目指すことにしたがそれでも時間ができたので、折角ならということで日本エディタースクールの全日制の校正者養成専門コースに通い、初夏のあたり、これも折角だからということで友人と二人でブログを開設してみて、そのうち冊子を作って文学フリマに参加するようになり、そして大学院では、十八歳のときの出来事に端を発する不安障害や会食恐怖症にもかかわらず、それまでの自分では考えられないような頻度で飲みの席に参加し、文学に関係あることからないことまで語り合った……。いまのところ、あの二年間プラスアルファの期間ほど充実していた時期はない。もしかして私の「青春」は二十三歳から始まっているのではないか、そんな風に感じていた。私の青春には、友人や恩師といった人と同じくらい、出版や本というものが分かちがたく存在した。

 言うまでもなく、私と長谷川では事情がまったく異なる。まさか商業出版社を経営していた長谷川に自分を投影しようなどとは思っていない。それでもなお、最終的には倒産させてしまったことを悔やみ続けながらも、その日々を青春だったと振り返る一人の出版人に、そして人間に、どこか興味を抱かずにはいられない。

 長谷川郁夫とはいったい、何者だったのだろう。

 ところが、出版人のことを調べるのは著者のそれと比べて、非常に困難だ。

 理由は単純で、資料が少ないからだ。それは出版人とは概して表に出ないことを一つの美学としている、ということもあるだろうが、それ以上に、出版人の存在が「文学史」からほとんど無視されていることによるのではないか。

 長谷川が解説を寄せている内堀弘『ボン書店の幻―モダニズム出版社の光と影』(ちくま文庫)は、一九三〇年代に鳥羽茂(茂と書いて「いかし」と読ませたらしい)が営んでいたモダニズム詩やシュールレアリスム文献を刊行した小出版社、ボン書店を追った作品だが、そのなかで長谷川も引用した内堀の憤懣が、この事態を示している。

 

 まことに「文学史」というものは本を書いた人と、書かれた本とによる便宜上の歴史であって、ここには身を削るようにして書物を送り出した「刊行者」の存在など入り込む余地はない。「記録されねばならない」と言ったところで、されようもないのだ。(一六頁)

 

 これを受けて長谷川は、「文学史は著者だけのものではない。出版者(社)の機能を得て、読者が築いたものである。(……)ところが、本は著者だけのものであるとする思い上りによる迷妄は、意外なことに著者や文学史家の間にいまも根強く残っていると観察される。無名の黒子たちの歴史は書かれねばならない」(傍点ママ)と応じる。

 まったくもってその通りである。長谷川の晩期の仕事、『編集者 漱石』(新潮社)は、言わずと知れた文豪・夏目漱石を編集者として見直そうとした労作だが、彼をこの仕事に駆り立てた要因には、もしかしてこの憤懣があったのではないか。

 そして私も、いままさにこの種の「思い上り」が生んだ困難に直面している。

 長谷川、あるいは小沢書店のことを調べようにも、なかなか情報を見付けられない。長谷川自身が書いた文章は多少出てくる。しかしそれまでだ。長谷川、小沢書店のことについて論じた文章を見付けることがなかなかできない。それは死についても同様だ。私の知る限り、彼に対する紙媒体における追悼文は、『図書新聞』第三四四八号における秋葉直哉の文章(「版元と読者をつなぐ一本の糸」)しかない。比べるのも良くないとは思うが、ほぼ同時期に亡くなった古井由吉や戸田ツトムの扱いとの差に、編集者、出版人とは、と私はまた考えさせられてしまう。

 本は、無数の無名の者たちの上に作りあげられる商品であり、モノである。本来、こんなことはどんなモノやコトにおいても同様であるはずだ。しかし、とりわけ本は著者という存在が大きすぎて、その存在が覆い隠される。それは本というモノの特質上、必然なのかもしれない。理解はできる。しかし、どうしても私はそれを納得しかねている……。

 だからこそ私は、こう言うべきなのだろう。

 長谷川郁夫についてもまた、その歴史は書かれねばならない、と。

 もちろん、本来その担い手が私ではないことだけは確かだ。もっと書くにふさわしい人がうんといる。しかし、待っていて、果たしてそれは書かれるのだろうか。今の出版界に、それだけの体力と胆力が残されているのだろうか。分からない。だとしたら、私の本当に限られた範囲の知識で、この出版人について書いてみるのも悪くはないのではないだろうか。 長谷川が第一書房・長谷川巳之吉を追った『美酒と革囊―第一書房・長谷川巳之吉』(河出書房新社)に、こんなエピソードが記されている。

 

 大隈会館の食堂で村上菊一郎さんから、野田書房の野田誠三が早稲田の同級生だったとお聞きした時は吃驚した。昭和十年代を思い浮かべ、頭のなかでお歳を計算して、ああ在学中から出版の仕事をしていたわけかと考えて、不思議な親近感のような気持を抱いたのだが、それも一瞬のことだった。(一三頁)

 

 私は在学中から商業的な意味での出版の仕事をしていたわけではない。だが、それにほんのわずかながらかすると言えないこともない親近感を一瞬だけ覚えるくらいなら、きっと許していただけるだろう。

 この文章は長谷川郁夫という人間の評伝にはならない。これは私にとっての長谷川郁夫でしかない。

試し読みはここまでです。