二十代のうちは、夢を見てはいけないんです。そう言われたことがある。
ならば、それより小さいときに見ておくものなのか。いや、しょせん、子供の夢にすぎない、と言われるのがおちだろう。ならば、もっと大きくなってから? 年甲斐もなくそんな夢見て。そんな声が聞こえてきそうだ。
現実を信奉する者たちの嘲笑と義憤。おそらく、本気で夢を追いかけようとする人間がもれなく経験するものだ。あのイチロー選手でさえも、通算安打数の最多記録を成し遂げた試合後のインタビューで、「子供の頃から、人に笑われてきたことを常に達成してきた自負はあります」、「常に人に笑われてきた(悔しい)歴史が、自分にはある」といった旨のことを語っている。朝起きて、テレビで彼のインタビューを見ながら感じたのは、あるひとつのことを追い続けるひとを笑う人間はどこにだっている、ということだった。
日本人は軽々しく、夢を成し遂げた彼らのような成功者を「日本の誇り」などと語るが、その日本人にも笑われ続けてきた彼らからしてみれば、図々しいこと、このうえないであろう。
ここにもうひとり、夢と現実との狭間に苦しめられる少女がいる。コミック版『アイドルマスター ミリオンライブ!』(門司雪 小学館)は、正面から「夢」をテーマとした作品である。
同名のアプリゲームを原作とするこの作品は、原作ファンからも非常に評価が高く、原作の雰囲気を引き継ぎつつも、「夢」を軸に据えた一本筋の物語を構築している。
この物語のダブルヒロインのうちのひとり、最上静香は、幼いころから歌うことが大好きで、テレビのなかのアイドルに憧れ、おもちゃのマイクを手に、いつも歌って踊っていた。彼女にとってアイドルは、やがて唯一無二の夢となり、14歳となった彼女は、ついにそのアイドルへの道を歩み始めることになる。
しかし、そこには非常に厳しい制約が課されていた。「受験まで」。それが、厳格な父親から課せられた、彼女の夢のリミットだった。
中学生の間はそうやって遊ぶのも仕方ないだろう、今のうちに楽しんでおきなさい。*1
遊び。そのためにならからだを壊すことさえ厭わない、彼女の大きな夢は、おそらく一流の企業に勤めていると思われる父親に、そう映った。あるいは、そうとしか映らなかった。アイドル活動を許可され、最初、「夢みたい!」と満面の笑みを浮かべる静香。そんな彼女を、自分は新聞を読んで一顧だにしないで、続けて口にした言葉だ。
プロダクション入社の日、彼女は父とのこの「約束」を正直にプロデューサーに告白する。夢の始まりの日に、その終わりを話す彼女に、プロデューサーは戸惑う。それでも、「もう決まったこと」「時間がない」と取り合わない彼女に対し、彼は、
先のことはとりあえず置いておこう。(…)きみは若いんだ! 回り道だと思わず何事にも挑戦して楽しんでほしい! ひとつひとつ、一緒に頑張っていこうな!*2
と、笑顔で、こう励ます。それを見た静香は、「この人もお父さんと同じだ。」と落胆する。(先に引用した頁につながる)
一見、静香の夢への理解、応援といった点で、ふたりの大人の立場は正反対であるように思われる。ならば、なぜ静香は、このふたりが「同じだ」と思うのであろうか。
それは、ふたりとも彼女が中学生という子どもである事実を通して、彼女の夢を見ているように、静香には思われるからだ。少なくとも彼女にとって、自分が中学生であるとか、十四歳という若者であるとか、夢を語ることにおいてそのような事情は関係ないことなのだ。
その反動であろう、この物語のもうひとりのヒロイン、同い年の春日未来と比べると、静香は年齢に不相応なくらいに大人びている。(もっとも、未来の方は、中学生にしてもやや幼すぎるきらいもあるのだが……。)
もちろん、十四歳だから子どもらしくいなければいけない、という決まりはない。ひとにはそれぞれ、性格というものがある。男らしさ、女らしさ、という言葉が疑われて久しいが、同様に、大人らしさ、子どもらしさ、というものも、疑われて然るべきものであるだろう。
つまり、静香の「大人びた」性格が、彼女の根幹にあるものならば、問題にするような事ではない。たしかに、彼女は非常に真面目な性格である。常識や礼儀もしっかり持っている。では根っからの「大人」であるのか。そう問われると、断定ができない。たとえば初ステージの舞台袖、プロデューサーとの会話で、彼女はこうこぼしている。
お父さん…父も母も、アイドルは嫌いでずっと反対してますし。*3
少し拗ねていたせいもあるだろうが、外ではいつも「父」と呼んでいる彼女が、家や自分のなかでそう呼んでいる呼び方をしかけ、それを訂正する。たしかに「お父さん」よりは「父」の方が大人っぽい。彼女の大人びた姿勢は、もちろんすべてではないが、作ったものなのだ。子ども扱いされたくない。幾度となくそう口にする彼女は、そのために「大人」としての自分を築かなければならず、この「父」という呼称も、そのひとつだった。
冒頭に戻るが、子どもが語る夢には、ときとして後ろに「物語」の言葉がついて、「夢物語」という、ほとんどおとぎ話のようなものとなって、大人たちは真剣に取り合わないことがしばしばである。ときに自分自身となる「夢」を否定されるのは、やはり悔しい。だったら大人になるしかない。そうすれば、対等の立場から自分の夢を堂々と主張できるのだから。
しかし、これは大きな罠だ。
夢だけでは生きていけない。大人なんだからわかるだろ。待ってました、とばかりに諭すような口調で出てくるこの言葉を、しかし、大人になってしまった自分自身もどこかでわかっているがために、はねつけることが難しい。社会に生きる人間である以上、ひとは長く生きれば生きるほど、しがらみが増えていく。なにより、夢を成し遂げるにも、それ相応の時間とエネルギーが必要なのだ。特定の分野で秀でた人材を育てるための英才教育がさけばれる現代に生きる人間は、本当はそれをよくわかっているはずなのだ。「夢を見るのに遅すぎる、ということはない」という、中学英語の和訳問題で出てきそうな決まり文句は、理想ではあれども、あまり現実的ではない。
「時間がないんです」。繰り返しそう訴える静香は、この年齢にして、夢が抱えるふたつの大きな問題を一挙に背負っていると言える。それを考えると、彼女にかかる重圧は計り知れない。読者の立場としては、彼女の夢を応援したくなる。父親の勝手な決めつけに負けるな、と。
しかし、事態はもう少し複雑だ。ここでひとつ、大きな問題が生じるからだ。それは、静香の見えざる従順である。
物語のなかでは、静香が大人、とりわけ父親の価値観に抗おうとする姿がしきりに描かれている。大人のしがらみから解き放たれている未来とは、正反対である。
父親との仲についても、それは同様だ。静香の方のギスギスした関係は言わずもがなだが、未来の父親は、直接的には登場しない。しかし、静香、未来、そしてもうひとりの重要人物、伊吹翼が、未来の部屋でおしゃべりをしているシーンに、こんな一幕がある。(括弧内はふき出し外のセリフ。)
翼 「(ねーねー)未来ー、これってサボテン?」
未来「うん、たまにお父さんが買って来るんだー。(リビングにもあるよ)」*4
未来の部屋のベッドの頭には、目覚まし時計、三人のそれぞれのシングルCDと並んで、サボテンの鉢植えがふたつ、置かれている。また、そのとなりのタンスのうえにはぬいぐるみがぎっしり並べられている。このぬいぐるみのように、分かりやすくかわいいものが好きな未来の好みが反映された部屋のなか、父親が買ってくるサボテンは、どことなく異質だ。しかし事実、一日のなかでも多くの時間を過ごすベッドに、それは置かれているのだ。
この出来事の少し前には、もうひとつのベッドが出てくる。静香の部屋のベッドだ。
トップアイドルへのステップアップに千載一遇のチャンスであるアイドルフェスを控えた彼女は、夜通し、フェスで披露する楽曲の振り付けが録画されたDVDを見て、勉強していた。それを母親に見つかって、「子供はもう寝る時間でしょう?」と言われると、ノートパソコンをたたんで、ベッドに潜る。しかし彼女は毛布に隠れ、母親の言いつけを守ってクーラーを消した夏の蒸し暑い部屋のなか、汗をかきながら、ノートパソコンでDVDを見続ける。
未来のベッドが、親との親密な関係、そして、両親のアイドルに対する理解をうかがわせる空間であるのと対照的に、静香のベッドは、アイドルに理解のない親からの逃げ場所として描かれている。どこまでいっても、ふたりは正反対である。
とはいえ、本当の問題はここではなく、次の一点にかかってくる。つまり、「静香は本当に、両親に抵抗しているのだろうか」、ということだ。
言うまでもなく、静香は両親の理解のなさに憤っている。ただの十四歳の少女の反抗期、で片付けるにはあまりにも力強い意志と行動力で、それを示している。
しかし、問題は複雑だ。なぜなら、静香はアイドルを目指すのに、最初から父親の引いたリミットを念頭においており、そこだけには、抗い切れていないのだ。
プロデューサーに力強く語った言葉にも、それは表れている。受験まででやめること。父親とのこの約束を受けた静香は、「受験までに文句を言わせない結果を出して、親を説得する」、のではない。「受験まででやめるから、それまでにトップアイドルにならなければならない」、と宣言したのだ。
あれだけ意志が強い彼女にしてはあまりにも意外なまでに、受験まで、という、父親にとって都合のいい勝手なリミットを、もちろん最初は抵抗したのだろう、と想像はできるが、それでも、ある意味では素直に受け入れている。
ほかにも、たとえば勉学の方面について。彼女はアイドル活動で成績が落ちた、と言われないためだろう、空いた時間はいつも勉強している。これも、親から課された条件のひとつかもしれない。そして、先程挙げた、母親から夜更かしを咎められるシーン。クーラーを消して寝なさい、という命令を、彼女は愚直に守る。毛布に潜って、汗でびしょびしょになりながら、である。
こう見ると、その実、静香は両親の制約からほとんど逃れられていない。いや、それどころか、両親への従順さを、見受けることすらできる。
娘の従順さに対し、しかし、その両親はどうだ。
静香の両親は、娘のアイドル活動にまったく理解を示していないばかりか、理解してみようとする姿勢すら見受けられない。たしかに、アイドルは厳しい世界である。憧れだけではやっていけない競争社会に年端もいかない娘が耐えられるのか、心配であるという気持ち(だとすれば)、それも理解できる。たとえ静香にはそうは受け取れなかったとしても、これもまた、親の愛情である。
しかしながら、いまのはすべて仮定の話だ。もっとも、このあたりの静香の両親の事情というのは描かれていないから、想像するしかないのだが、それにしても、この両親が娘と真剣に向き合い、愛情を注いでいるとは、少なくとも物語からはなかなか思えない。
限られた時間ゆえ、根を詰める傾向にある静香は、一度、ライブ当日のリハーサルで高熱を出して倒れたことがあった。診察を終えたのだろう、病室の前のベンチで俯く彼女のそばには、プロデューサーの姿のみ。加えるなら、このとき、静香の穴を、まだステージに上がった経験もない新人の未来が埋めることになり、静香は、本当は穏やかではない胸中を抑えて、未来に感謝と激励のメールを送る。未来の携帯電話はスマートフォン、静香のものは、いわゆるガラケーであった。物語全体を通して携帯電話は何度か登場するが、ガラケーであるのは静香、ただひとりである。
結局、彼女は数日入院することになる。そして、その日の午後にも退院、というその日、彼女の病室には、プロダクションの仲間である二階堂千鶴と箱崎星梨花の姿のみ。二十一歳の千鶴は別として、十三歳の星梨花が午前に見舞いに来られる、ということは、休日である可能性も高い。たしかに、いまどき両親共働きの家庭というのは珍しくもないし、暦のうえでは休日だからといって仕事が休みになるとも限らないのだが、それにしても、入院している十四歳の娘を、もう少しは気に掛けないものだろうか。席を外しているだけ、だというのならば、私は彼女の両親に謝罪せねばなるまいが。
その後、静香はまたいつも通り、学校に通う。放課後、自分の穴埋めをしてくれた未来にお礼を言おうと教室の前で待っていると、母親から電話がかかってきて、まっすぐ帰ってくる、という父親との約束の釘をさしてくる。この電話を、これまで見てきた事情を鑑みて、親の愛情と言えるのかどうか。これは意見が分かれるところだろう、と言いたいところではあるが、これでも相当、先の決めつけに対して、彼女の両親に気をつかったつもりである。
静香のためを思って言っているんだ。そう言う彼女の両親は、結局のところ、「子供」の静香に自分の価値観を押しつけて縛っているだけなのだ。意識的か無意識のうちにか、静香も両親の傲慢には気づいている。だからこそ、彼女は必要以上に両親に反抗しているのだ、といえよう。
しかし、子どもにとって「親」とは、代わりの効かない存在だ。事実、親が稼いだお金がなければ、子どもは、学校に行くこともできないし、ご飯を食べることもできないし、住む場所だってない。つまり、親から捨てられたら、子どもはおしまいなのだ。だからだろう、親に常に反発しているように見える静香も、自分と親とをつなぎとめる最後の一点、「アイドルは受験までにやめる」という一方的な約束だけは、ほとんど無条件のうちに受諾しているのである。
「中学生の間はそうやって遊ぶのも仕方ないだろう、今のうちに楽しんでおきなさい。」一見、譲歩にも思える父親との約束もまた、子どもにとっては絶対に拒絶しえない、最後通牒をちらつかせた不平等条約なのだ。
努力の甲斐があり、アイドルフェスで活躍した静香は、各事務所から新人アイドルを選抜して競わせる企画、その事務所代表に指名される。それを勝ち抜けば、十二月には武道館で歌うことができる。武道館でたくさんのファンを前にして歌うこと。それはいつだったか未来に語った、静香の「本当の夢」だった。
しかし、この企画に出場するためには、念願だった、未来、静香、翼の三人ユニットのデビューを延期せねばならなくなる。これは、三人の「約束」だった。父親との「約束」とは違う、彼女にとって貴い「約束」。それを、自分の「夢」のためには破らなくてはならない。未来は、「来年やろう! 来年!」「それに私、静香ちゃんの夢が叶うほうのが嬉しいんだ!」「アイドル最上静香のファンだから!」と、彼女を送り出す。「アイドル最上静香」に来年がある保証がないことを、未来はまだ知らない。
もし、静香に父親との「約束」がなければ、事務所の方針を押し切って、三人ユニットを優先する、という選択肢も、もう少しは考慮に入れられたかもしれない。しかし、そうはならなかった。
残酷な言い方になるが、このとき静香は、父親との「約束」を履行しつつ自分の「夢」を叶えるために、未来たちとの「約束」を保留にしたのだ。
物語の序盤、静香はふたりの先輩アイドルから、助言をもらっていた。
ひとりは、天海春香。初めてのステージで緊張する静香に、春香はこう言った。
静香ちゃんのその才能があれば苦手なんてへっちゃらだから!
(静香「私の才能って…?」に答えて)
応援したくなるとこだよ♬*6
未来は、出会ってすぐ、静香のファンを自称するようになる。「私のいちばんのアイドル」と、マイクに乗せて全校生徒に向けて語ってしまう彼女は、静香にとって「いちばんの」ファンといっても過言ではない。またプロデューサーも、自分もまた彼女のファンである、と、静香の肩を、その腕で押す。
もうひとりは、如月千早。
静香「私、千早さんみたいにもっと堂々とステージに立ちたいんです。」
「だから、そのためには何をすべきか教えてもらえませんか。」
(…)
千早「…そうね、あくまで私の場合だけど、」
「繋がること。」*7
こちらの話では描かれないが、おそらくこの物語にとって前日譚の位置づけになる、アニメ版、あるいはそれに準拠したコミック版『THE IDOLM@STER』(一迅社)に沿えば、彼女もまた、複雑な家庭環境で育ち、歌に関しては誰にも負けない、と言い放つ、歌のためなら周りも顧みない、孤高の存在であった。そんな彼女は、他でもない、この家庭環境をゴシップ雑誌にすっぱ抜かれ、命そのものであった歌を失う、という大きな挫折を味わった。絶望のなかにいた彼女を救ったのは、春香をはじめとする、プロダクションの仲間だった。「アイドルには興味ありません。」不遜にもそんなことを平気で口にしてしまう彼女が「アイドル」である自分を肯定するようになったのは、仲間との繋がりのなかで、なのであった。
そのとき、プロダクションの仲間は、千早のためにひとつの歌を作った。忙しい仕事の合間を縫って、ときには頭を突き合わせて一生懸命作った、みんなの、彼女への想いがつまったこの曲の名は、「約束」だった。
結果的に、この偉大なふたりの先輩の助言に背くことになってしまった静香を責めることは、作中人物はもちろん、読者にもできない。逃がした機会が戻ってくる保証なんて、どこにもない。現実の厳しさは、十四歳の少女ひとりが立ち向かうには、あまりにも重い。
もし、解決方法があるとすれば、それは静香が、絶対だ、と無意識のうちに受け入れているあの第一条件を、壊すことだ。
すれ違いの日々ののち、未来は、自らも、「行かないで欲しかった」と告白し、こう続ける。
武道館って今行かなきゃいけないの?
静香ちゃんなら絶対にまた行けるよ! 言ってたよね? 時間はたくさんあるって。
だから今は、今は行かないでって、私、私…*8
静香は答える。
時間はあるわ。けど、それは未来の話。私は今しか、今行かなきゃ…
もう遅いのよ。自分で選んで決めたから。*9
自分で選んで決めた。本当にそうだろうか。選んだのではない。選ばされた。選ぶしかなかったのではないか。
いままで黙っていた父親との「約束」を告げ、腕時計に目を落としてからその場を後にしようとした静香のその腕を、未来はつかみ、一言。
嘘つき。*10
未来は、静香の最初から噓を暴き、訴える。まだ、本当のことを言っていない、と。泣きそうな顔で、思ってもいないことを言うな、と。
ほんとうは! 本当は誰よりもいちばんアイドルが好きなくせに!
言ってよ怖がり! 静香ちゃんの本当の気持ちはなに!?*11
静香は、「泣きそうな顔」から本物の涙を流して、ついに口にする。
…アイドル やめたくないよ…
やめたくない、未来と一緒に、ずっとアイドルやってたい…*12
最初からやめることを前提にアイドル活動をしていた静香が、ようやく言葉にした、アイドルを続けていたい、やめたくない、という本当の気持ち。分かっていてもどうしようもないから、心の奥底に沈めて蓋をしていた、少女の夢。偽りの大人の仮面を剥いだとき、そこにあったのは、傷つきやすい、十四歳の夢見る少女の素直な想いだった。
解き放たれた少女は、制約を飛び越える。武道館のスクリーンに定期ライブのシアターの映像を、シアターのスクリーンに武道館の映像を同時生中継することで、静香の武道館ライブと三人のユニットのお披露目を両立させてしまう、という掟破りの離れ業を見せた三人に、この企画のプロデューサー灰島は、「良い夢、見れたわ。」と、かなりの無茶を要求してきた静香を労う。夢を見る少女から、夢を見させる側へと足を踏み入れた少女のお膳立てをしたのは、まぎれもない、あのプロデューサーだった。
最後、静香はプロデューサーに語る。
…………私、お父さんともう一度ちゃんと話し合おうと思うんです。
(…)
それでまだ反対されたとしても伝えたいんです。
私はアイドルでいたいって。*13
プロデューサーの「そんなに焦ることもないか。」という言葉に噛みつくことも、もうない。「父」ではなく「お父さん」、とプロデューサーに対して自然に口にする彼女は、もう、時間に追われた偽りの大人ではない。
私……泣くと思います。これからも何度も何度も。
でも、どんな時だってひとりじゃないから…*14
そうだ。きみにはもう、ときにはともに泣き、ときには涙を拭ってくれるひとがいる。大人の仮面の裏に、涙を隠すことはない。だって、本当のきみの「夢」を応援してくれるのだから。
アイドル、親との対立……。果てしない荒野へと旅立つ少女の肩に手を置き、プロデューサーはひとつの言葉を贈る。
先のことは俺にも分からない。
それでも、ひとつひとつ、一緒に頑張っていこうな。*15
「ひとつひとつ、一緒に頑張っていこうな。」入社の日、彼が静香にかけた言葉だ。そのときは落胆したセリフに、今度は小さく微笑んで答える。
はい、プロデュース、これからもよろしくお願いします。*16
きっと、彼女はわかったのだろう。
彼は確かに、静香のことを子ども扱いしている。しかし、それは現実を知らない、夢見がちで未熟な青二才、としてではない。大きな可能性を秘めた、未来ある若者としての子ども。翼の生えた子ども。最初から、このひとは私の夢のいまと先を、両方見据えていたんだ、と。
ひとの夢に線を引くことは、だれにもできない。思い続ける限り、夢は終わらない。
夢を見続ける限り、ひとは青春のなかにある。それは、若者だけの特権、なんてものではない。少女たちの「夢」を全力で後押しすることを自らに課せられた責務とし、先のことは分からない、と正直に告白するプロデューサーもまた、青春の時代を生きているのだ。
だとすれば、私たちにも、青春を送る権利はある。それを行使するかしないかは自由だが、少なくとも、だれかの夢を、下らないものだ、となんの抵抗なく感じたとき。そして、そんな風に思える自分にどことなく優越感を覚えたとき。それは、「大人」になった自分を一度、じっくり見つめ直すべきときなのかもしれない。
「子ども」を貶めることでようやく保たれる「大人」としての矜持など、「親友」か「夢」か、どちらかひとつを選ばなければならない境遇でその両方を掴んでしまう少女たちの青春の夢物語の前では、観客のひとりにだって、なれやしないのだから。
(文責 宵野)
2018/07/13追記
関連記事のリンクを貼ります。全3部構成となっていますが、よろしければこちらもどうぞ。
2018/10/23追記 関連記事へのリンクです。『アイドルマスター シンデレラガールズ』のDVD・BDの五巻に付属している特典に収録されているオリジナル楽曲『あいくるしい』についての記事です。