ソガイ

批評と創作を行う永久機関

習作としての読書ノート『シュレーディンガーの猫を追って』第10回

 

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 第10回

 

 先日、「すみだ北斎美術館」に行ってきた。行くのを決めたのは前日の夜だった。その理由というのもまあ不純なものである。

 私は半年ほど前からたまにダーツをやっている。これまでは通販で買った初心者セットをなんとなく使っていたのだが、この前、私よりも前にダーツを始めていた従兄弟のダーツを投げさせてもらったとき、それがとても投げやすかった。どこで買ったのか訊いてみると、友人と秋葉原のダーツショップに行って、試投を散々やらせてもらって決めたと言う。

 そうすべきなのは分かっていながら、どこか専門店に入ることに抵抗を感じていた私だったが、身近なひとにそう言われたこともあって、(まことに遺憾ながら増税前に)新しいバレル(真ん中の、手で持つ金属のところ)を選びに行こうと決心。調べると両国に良い感じのお店がある。そこに決める。しかし、ダーツショップの開店はどこも遅めで、このお店も昼の12時の開店。

 せっかく両国に行くなら。ということで、その前に、9時半から開いている「すみだ北斎美術館」にでも行ってみるか、と決めたのだ。入館料も、そんなに高くなかった。それもまた、決め手だったかもしれない。

 

 今回、葛飾北斎の数々の作品を観て感じたことがある。それは、「作品を生み出し続けるひとは、それだけでまず偉い」ということだ。

 葛飾北斎は1760年生まれで、1849年に没する。数え年で90歳(満年齢で88歳)。没年にも作品を残す北斎には、まさに「生涯現役」という言葉が似合う。

「すみだ北斎美術館」では北斎の作品が、習作や黄表紙の挿絵から、晩年の肉筆画まで、年代別に並べられている。まさに北斎の生涯を歩んでいくような展示になっている。そこには、修業時代から変わらないものも、年齢を重ねるなかで変わっていったものも、両方が感じ取られる。けっこう同じモチーフを繰り返し繰り返し描いてもいるのだが、同時に、「こんなものも描いていたのか」と驚かされる幅の広さも持ち合わせる。北斎の息の長い作家人生を鑑みると、テーマではなく編年体での展示が適している、と確かに感じた。

 もちろん有名な『富嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」や、『北斎漫画』もよかった。ただ、今回私が一番印象に残ったのは、最晩年、死の3か月前に描かれ、絶筆と見なされている『富士越龍図』だった。肉筆画なのだが、富士を囲むように立ち上る黒煙のなか、天に向かって登る白い龍。これが3か月後に死ぬひとの描くものなのか。それほどまでに厳か、力強い絵だった。

 北斎は、数え年で75歳のときに刊行した『富嶽百景』(1834年)のなかで、「百数十歳まで努力すれば生きているような絵が描けるだろう」と記しているらしい。これをこの歳で言うのも凄いが、これだけの作品を残したひとの言葉と考えると、これは重い。ただ生きていれば、というのではない、「百数十歳まで努力をすれば」と言っている。努力を続けることがいかに大変なことか、知らないひとはいないだろう。

 北斎ほどの地位を確保したひとなら、現状維持に甘んじたとしても責められやしない(そもそも現状維持だって、簡単なことではない)。それでも、自分はまだ途上にあると思い、上を目指し続ける。とんでもない胆力である。当時にしては相当長生きだっただろう、その長寿も、本物の絵を目指し続ける意志の賜物なのかもしれない。

 この『富士越龍図』の、通路を挟んで後ろには、当時の北斎の制作風景を再現した模型がある。畳の上、布団をかぶり四つん這いになりながら、墨に筆をつけ、紙に向かっている。そばには娘のお栄、部屋には描き損じてくしゃくしゃに丸められた紙が散らばっている。こんなになってまで描き続ける。これを観ていて思い出したのが、正岡子規の執筆風景。『墨汁一滴』や『病牀六尺』を病床で書き続けた彼もまた、北斎とは対照的に若くして命を落とすが、生涯をかけて表現し続けたひとだった。

 現代日本の作家でそういうひとがいるとすれば、たとえば古井由吉になるのだろうか。いまだにコンスタントに連載を続ける彼のバイタリティには本当に恐れ入る。(と言いながら、私はちゃんと古井を読めていないので、これから読んでいこうと思っている。働き始めてから、少しずつ読みたいような気がしている。)

 

 さて、例のごとくかなり長い前置きになってしまい、「これ単体で記事にしちゃえばよかったんじゃないか?」と自分でも思わないでもないが、いちおう、これから話そうと思っていることと無関係ではない。……と言ってしまうことで、無理矢理にでもそこに繋がりを見出し、創り出す状況に追い込むことが、最近の私の良いところなのか悪いところなのか。(が、どちらにしろ、結局この前置きの方が長くなってしまいそうだが……)

 ここまで『シュレーディンガーの猫を追って』という作品を追ってきて感じることのひとつに、この書き手は、ひとつのことをとにかく、いろいろな視点から見つめ、繰り返し繰り返し書き続けている、そんな感じがするのだ。フォレストが小説を書く契機、動機にひとり娘の死があるが、そこから十数年が経過しながらも、その死がいま・ここにあるものに感じられる。

 そのフォレストが見つめているものは、無からなにかが生まれる瞬間やもうひとつの世界の可能性であり、そのために暗闇を見つめ続ける。

 しかし、これが非常に苦しい営みであることは、想像に難くない。なぜなら、それはあるかないか分からない、いや、むしろ存在しない、あるいは、存在するがそれを目にすることは叶わないものであるだろうからだ。フォレストもそれを分かっていて、だから、逡巡しながら文章を綴っている。たとえばこのような文章に、それが表れているだろう。

 無しかない。この無のなかで、 時間は自分に意味を与え、方向を決めてくれる何かにしがみつくことができない。前なのだろうか。人びとが物語る、あの、光が闇から切り離される前、 空が生まれ、天の海と地の海が分かれる前。それとも、後なのだろうか、すべてが無限小のうちに戻り、天
地創造が虚無の王国をふたたび取り戻した後。そして、すべてがふたたび始まる。あるいは、始まらない。それにしても、いつ? 始まりにせよ、終わりにせよ、それを告げる手だてはない。闇夜、圧倒的な闇夜が支配する。前も後もなく、昨日も明日もない。 (65頁)

 フォレストは、ずっとどこかで疑いながら闇夜を見つめている。もしかしたら、これは徒労でしかないのではないか。成果は望めないのではないか。ただそこをぐるぐる回っているだけなのではないか。

 それでも、見つめることを、考えることを、そして書くことを続ける。無駄な努力かもしれないが、それでもその努力を続ける。

 世界は無数の要素に分割される。しかしそれらの要素は、現象が連なって編まれた唯一の糸目を織りなしていて、そのなかではどの現象も他のものから完全に孤立することがない。固定していて、かつ、流動的。つねに同一で、かつ、絶えず異なっている。絶えず捨て去った姿を取り戻し、さっきまで纏っていた姿をつねに手放す。

 

 現れて、消えて。

 

 それをまた繰り返して。(70、1頁)

 

 私は、「大事なのは結果よりも過程だ」と両手を挙げては言えない。自分を鼓舞する意味合いなら構わないのだが、ひとにそれを説くだけの確信と自信を、私は持てない。なぜなら、大抵の場面において過程を意味付けてくれるのは結果である、と否応なしに実感されるからだ。はっきり言ってしまえば、目ぼしい結果が出ない過程は、世間的にはあまり評価されない。無駄なこと、と切り捨てられる。効率、費用対効果に価値を置く現代においてはなおさらだろう。無駄であることが、現代では罪とすらされる。では、それを罪とされないためにはどうすればいいか。無駄でなくせばよい。無駄でなくすには。結果を出して、すべてはその結果のための過程であったという意味づけをすればよい。……つまり、過程単体では「無駄」という評価から抜け出せないのだ。

 となれば、私がいま望みを感じているのは、過程そのものが結果になる、そんな歩みだ。手段が目的化している、と言われればその通りなのだが、とにかく効率が神とされる世界、その世界に背を向けて反逆する以外で、世界のなかであたかも遊歩する者としてやっていくに、ひとつにはこの方法があるのではないか、と思う。(なぜ反逆以外の方法を志向しているのかというと、最近のいろいろな出来事を見聞きしていて、反逆の方法が果たして長い目で見たときに有効であるのか、非常に疑問であるからだ。私が、少なくともこの「ソガイ」という場で、なんらかの作品の批判をメインにしようと思わないのも、おそらく同様の意識からだろう。)

 

 それでも、なにかを続けてきた、その道のりに落としてきた種から咲くものがきっとある。風に乗って、その香りが背中からただよってくることだってある。けれども、その香りをかぐには、その道を歩いていなければならない。

 続けること。その意味を改めて思い知る。だから、私も書き続けていこう。たぶん私にはそれしかできないし、それならできるのだ。

 

「それをまた、繰り返して。」

 

……ところで、常に一定の距離の先にあるボードを狙うダーツとは、まさに再現性のスポーツである。だから、上達への道は、地道な反復練習だ。ここにもきっと、繰り返しの先に見えてくる世界があるに違いない。

 文学だけの問題ではないのだ。すべてのことは。

 

(宵野)