このツイートが、いま話題になっている。
話題の『東京の生活史』ですが、当店には流通関係諸々の都合により10/1あたりに入荷予定です。なお、事前予約で5冊を取次(問屋)に頼んでいましたが、入荷するのは2冊のみで、ギリギリ客注分が確保できる数なので、店頭には並びません。ご了承くださいませ。
— 本屋lighthouse(ライトハウス)〈幕張支店〉 (@book_lighthouse) 2021年9月17日
以下に続くツイートでは、事前予約かつ買切り(返品のリスク無し)にもかかわらず、小取次には充分な数が納入されず、大取次を通して仕入れていると思しき都心の大書店では大量に山積みされる現状などについて、業界全体に対して異議を申し立てている。ましてやこの本は、出版社が前々からプロモーションを打って話題となり、発売前重版をかけた本であるのだ(一度発売を延期しているが、それがどういう理由なのかは把握できていないので措く)。
この書店ではかろうじて客注分は確保できたが、どうやら客注割れをした書店も少なくないようだ。この場合、書店は予約してくれた客に謝るしかない。予約していた客は当然、必ず手に入るものだと思っている。というより、確実に手に入れたいから予約するのだ。だから、いきなり予約取り消しになって、慌てて他の入手先を見付けなければならない。しかしそもそもこのような状態だから、近くに大きい書店でもなければ、なかなか手に入らないだろう。最悪の場合はそのあいだに売り切れてしまう、なんてこともあり得る。しかもこの本はいまのところ、重版の予定がないとも聞く。だとすると、一番確実そうなのはすぐさまAmazonで注文することになるのだろうか。たぶん私ならそうする。せっかく書店で買いたいと思ってくれていた人だったのにな、と思ってしまう。
このような問題は、実のところ、長い間出版業界で問題になってきたことだ。もっとも、制作段階から自分でかなり盛り上げて、発売前重版をかけながらこの有様、というのはなかなかレアなケースかもしれないが。
なぜこうしたことが起きてしまうのかと言えば、やはり日本の出版における流通の悪い面が大きな要因であろう。しかしながら、ここでも指摘されているように、それは「本屋は減数を見越して必要以上の発注をする、だから版元はそれを見越して減数して納品する、というくだらなすぎる『駆け引き』」という「悪い習慣」が温床となっているから、一概に出版社であったり取次であったりが悪い、とも言えないと思う。
私も数年間、全国チェーン書店の小さな店舗でアルバイトをしていたが、この「駆け引き」の現場を見たことがある。それは話題書であればあるほど顕著で、10冊欲しいから、注文は20冊と入れる。それで、実際に届くのが本当に10冊前後なのだ。しかも恐ろしいことに、これが実際に店に入ってきて箱を開けてからでないと、何冊が入荷してきたか分からない。幸いチェーン店だから、最悪、他の店舗に余裕があれば、数日はかかるがそこから送ってもらうことも可能だった。
一方で、これは「データで売上を徹底管理している」取次の方針だったらしいが、超有名コミックの新刊は、捌いても捌いても、平台から無くならないうちからどんどん補充が入ってきて、「頼んでもないのに、これはもうこんなにいらないんだよ」と愚痴をこぼしている社員の姿を見てきた。傍から見ていて、正直、そのデータを上手く活用できているようには思えなかったものだ。
もっとも、私はだからといって取次は不要かと言われれば、そう断言することには躊躇する。版元が個別に注文に対応しようとすれば、いまの規模ではあまりにも煩雑になると思われるからだ。なにかと悪者扱いされる取次だが、仮に取次だけが変わったところで、根本的解決にはならないだろう。版元も、そして書店も、問題点は前々から指摘されてきたのになあなあにしてきた。だから私は、筑摩書房だけが悪いとは思っていない。業界をあげて改善されることを期待したい。
この点については、他に多くの、もっと専門的な知識を持つ方が言及してくれることだろうから、詳細はそちらに譲りたい。
この問題の繫がりで、私は昔から、大型書店がしばしばやる「タワー積み」が好きではない。ビルの建て替えのために来年3月に営業を終了する三省堂神保町本店も、多くの人はあの書店のことを褒めるし、私も何度も利用させてもらった身だから良さももちろん分かるが、それでもあれは不快だった。
というのも、あそこでは本は、この本はうちには有り余るほどありますよ、と誇示し、それだけ大人気なんですよと示すためのオブジェ以外のなにものでもないからだ。あれがもし、食品サンプルだったり、ゲームソフトなんかで見られる空き箱であったりするのであればあえて苦言を呈すこともないのだが、しかしあれは商品そのものを使っている。
だいたい、タワーの周りには普通に平積みした同じ本がある。客はそこから取っていく。まさかタワーから取ったりはしないし、そもそも取ることはほとんどできないようになっている。つまりタワーは、言ってしまえば、実物を使った巨大なPOPなのだ。
ここでは本は売り物ではなく、販促道具だ。もちろん、在庫が減ればタワーを崩して平積みにするのだろうが、いったん販促のためだけに使ったものを何事もなかったように、タワーには使わなかったものと並べて売ることに違和感を覚えるのは、私が潔癖すぎるからなのだろうか。
しかし、あんな風にずっと蛍光灯の下に置いておけば、特に上の方の本などは日焼けするのではないか。もちろん、そうでなくても書店にある本は常に日焼けのリスクを抱えてはいるのだが、タワーを作るほど動くものであれば、そこまで神経質にならなくても日焼けする前に売れるはずだから、要らないリスクを増やしているように思われる。そして、まさかこれで日焼けしたものを返品してはいないだろうな、と心配になる。
だとすれば、先の個人書店の問題とも絡んでくるだろう。その期間売る気がない本を100冊も200冊もタワーを作るために確保し、果てには売り物にならなくなるかもしれない商品を生んでいるとなれば、それは事前注文分の1冊を手に入れることにも苦労している個人書店や地方書店、そこの読者を犠牲にしているのではないだろうか。無論、本当に一瞬でタワーが崩れるくらいまで売れるのなら、この問題はないかもしれない。だからといって良いということではないが。
それと、本を扱っていれば分かるはずだが、紙の塊である本は重く、特にハードカバーなどは硬い。だれかが鞄を引っ掛けてしまうとか、あるいは地震が起きたときの安全性を考えているのか。大事な商品が凶器になってしまう可能性を考慮しているのかも疑問だ。(以下のインタビューでは、安全面や本を傷つけないことを大事にしていると語ってはいるが、具体的な方法がほとんど示されておらず、これでは納得できない。むしろ、タワーの本には絶対に触れてはいけない、つまり商品ではないと言っているようにも聞こえた。 https://p-prom.com/promotion/?p=2018)
そして、これはやはり私の考え方が潔癖すぎることを承知で言うのだが、ここまで露骨に「この本は特別ですよ」と示されると、今の時代における書店の意味とはなんなのだろう、と思ってしまう。出版の特質は、書店に並べば新人も有名作家も、新刊も名著も、学術書も実用書も、どんな本も並列に並ぶことにあると思っている。というより、絶えず物事が更新されて古いものは埋もれていく時代においては、もはやそこが書店、出版のほぼ唯一にして無二の強みであるとすら思っている。
もちろん書店も慈善事業ではないから、売れる見込みが高いものをプッシュすること自体は否定しない。しかし、何事にも節度というものがある。もしかしたらビジネスの世界においてそれは無用の長物なのかもしれないが、節度をなくした出版など、無用を通り越して害悪だとすら思うし、それを抜きにしても、これならAmazonの売れ筋ランキングで充分代用可能ではないか、と感じる。まずは足を運んでもらう、という意見は分かるが、それにしても品に欠けるし、これでは自らの強みを消しているのではないか、というのが私の感じ方だ。
最後に、本書に対する熱狂ぶりに違和感があって、入荷することはできたはずだが入れなかった、という書店があった。不思議と、私も少々同じように感じていた。
(矢馬)