ソガイ

批評と創作を行う永久機関

まかせた筆が描くもの

 思えばここ一年、「本」や「出版」ということについて、折に触れて考え続けていたような気がする。

 そのきっかけは、みすず書房創業者・小尾俊人の著作『出版と社会』(幻戯書房)を読んだことである。本書の大部分は引用が占めており、果たして純粋な「小尾俊人の著作」と言えるのかどうかはいまだに疑問ではあるのだが、円本現象を中心に、昭和初期の出版現象を追った本書によって、いま自分たちが享受している「本」というものの遍歴を知った。そして感じた。果たして、現在の本はその歴史を糧にできているのだろうか、と。

 この本を読んだあとでは、私は以前のように無邪気に書店の棚を巡ることができなくなった。それでも書店があれば足は自然とそちらに向かってしまうのだけど、不愉快な気持ちになることもしばしばだ。まさか一万円以上する『出版と社会』を皆が読むべきだ、とはちょっと自分からは言えないが(私は三五〇〇円くらいの古本を奇跡的に見つけた)、ここに詳細に語られる「円本競争」の滑稽さは、多くの人に知ってほしいと思っている。広告の文言、競合他社を批判する文面のあられもなさ、節操のない幟の数、結局ほとんどの出版社が採算がとれないという結末(円本で成功したのは、新潮社、平凡社、改造社だけだったとも言われている)までの流れは、読んでいて変な笑いがもれてしまうほどだ。1927年、芥川龍之介の自殺は文学史にとどまらない大きな出来事である。一般に芥川の自殺の動機としては「ぼんやりとした不安」が挙げられるが、訴訟沙汰まで及んだ、アルス『日本兒童文庫』 対 文藝春秋社・興文社『小學生全集』、芥川は菊池寛と連名で、この『小學生全集』の編集のひとりとして名前を使われていた。芥川はこの自分も巻き込まれた円本競争に相当うんざりしていた。自殺の前年、芥川は新潮社と全集の刊行を契約していたのだが、遺書においてそれを破棄、岩波書店での刊行を希望し、刊行された。小尾も言うように、芥川の死にはこのような社会的要因もある、と私も思う。出版界は円本競争によって、日本において抜きん出た才を持った文学者を自らの手で死に追いやってしまった、と言えるだろう。

 もちろん円本にも功罪の両面があり、本の大量生産への道を開いたのは、円本の功績とも言える。しかし、やはり『出版と社会』が示す資料の数々が、その狂乱ぶりを教える。とんでもない時代もあったものだ、と思う。

 だが、少し立ち止まって現在地点に目を向けると、この円本時代のごたごたは今にも引き継がれていることに気がつく。売れなくなっているのに点数は多いとか、雨後の筍のようにわいてくる類似本は言わずもがな。いや、過激な新聞広告なんて、いまはほとんど見ないではないか。たしかにそうかもしれない。が、それは広告の場を移しただけのことだ。それはSNSなどのネット空間もそうだが、なにより、まさに書店その場所だ。つまりカバー、雑誌だったら表紙。あるいは帯。目立つ色使い、大きな文字、刺激的なタイトルに煽り、著者や推薦者の近影。平台は、さながら小さな中吊り広告のモザイクアートの様相を呈している。

 私は本が好きだ。そして、一部の「先進的」なひとたちが言うように紙の本が駆逐されることはないと思っている。が、いまの規模を維持することは厳しいだろう、とも思っている。というより、いまだってできていないのだ。とにかく数を出すことでその場をしのいでる。はっきりってしまえば、そのような状況なのだ。そういった時代において本を読み、そして造っていくとはどういうことなのか。これを真剣に考えなければならないのではないか、と感じながらいろいろな本を手に取り、ものを読み、そして文章を書いてきた。というより、ここ最近はそんなことばかり考えて、書いてきた。それも今度の文学フリマ東京(はたして開催されるのかどうか)で頒布する予定の冊子に載せる文章で、ひとまずの集大成となると思っている。

 

 四月から、私はとうとう学生ではなくなる。外面だけは、週五で出勤して仕事をする社会人(あまり好きな言葉ではない)になる。

 これを機に、ちょっと新しいことを始めてみたいと思っている。いや、訳あって中断している『シュレーディンガーの猫を追って』の連載も、それこそ四、五月あたりには再開するつもりだが(ちょこちょこ原稿も用意している)、それとはべつに、である。

 以前、「子規の筆まかせのようなことをやるといいんじゃないかな、って勝手に思っているけど」と言われたことがある。私はその人から『出版と社会』もそうだが、森内俊雄『道の向こうの道』、小川国夫などを教えてもらっている。無論、押しつけられたわけではなく、世間話のようなおしゃべりをするなかで出てきた名前を書き留めておいて、機会があれば手に入れて読んだのだ。この時期の私は、とにかく人から勧められたものには触れてみよう、と積極的だった。結果的には、それが良かった。やはり自分ひとりの視野で見られるものなど、たかがしれている。

 まだ候補のひとつであるが、いまこそ、私の「筆まかせ」をやってみるのはどうだろうか。いま、いやいや、いま書いているような文章だってそんな感じではないか、と言われたら返す言葉がないのだが、もう少し押し上げるような感じで。前回の「私的な宣言」から一年近く経った。良い感じで助走をつけられたのではないか。あまりにも自分に都合の良い解釈だろうか。

 ともかく、

 ただ筆にまかせて書くなんて、簡単なことではないか。いや、いま目の前にある『子規全集 第十巻 初期全集』(講談社)、つまり丸々「筆まかせ」の一冊をぺらぺら捲ってみると、もし子規のような「筆まかせ」をお手本とするなら、これも容易なことではないことが分かる。

 子規だから俳句のことについて書いているものもあるが、もっと細かく漢字についてだったり、ゾラの小説についてだったり、子規が好きな野球についてだったり、十一時間寝てしまったときのことだったり、なかには「車を無難に轉覆せしむる法」やら「のぼせぬ法」やら、本当にしょうもないことだったりを並べるのは、かえって一貫したものがなければできない無秩序である。

『墨汁一滴』や『病牀六尺』でも思うことだが、子規は本当によく書く。子規は三十四歳の若さでこの世を去るが、彼の倍生きても、果たして私は彼より多くの文章を書くことができるだろうか。私はいま生きているからこそ、本を読み、そして文章を書くことができる。これはある意味では大きな特権ではないか。

 そんなことを考えるようになったのは、ひとつ、金子直史『生きることばへ—余命宣告されたら何を読みますか?』を読んだことが要因だろう。 

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  この本の後半部は著者の日記だ。この日記単体でも読み応えのあるものなのだが、私は特に、癌による余命を宣告され、体調も崩しながらも「死」について考え続けて言葉を残していった著者がそっけなく残した、「夜 人身事故 横須賀線一時間まち。」という一行を、いったいどんな気持ちで書き残したのだろう、と今でも考え続けている。

 

 これもどこかで書いたかもしれないが、私はかつて、極度に死を恐れた。それも要因となって、心身の調子を崩した。いまも、完全に回復したわけではない。これでもかなりましになったが、それでもことあるごとにそのときの不安が顔を出し、足が竦む。十八歳以前と比べ、自分がずいぶん臆病になっていることは嫌になるくらい分かっている。

 たぶん、それに対する絶対的な解消法はない。けれど、生きているからこそできることが、ある。自分にとってそれは、読むことであり、そして書くことではないのか。

 大学に入ってから、浪人して大学院にまでいって勉強して、わかったことはそんな小さなことか。そう笑われるかもしれない。反論はしない。けれど、彼らの文章を読んでいると、感じる。まだまだ書きたいことがある、そんな声を。いま自分は、それができる立場にある。だったら、確かめたい。こんなちっぽけな自分でも、書き続けることで、なにかを残すことができるのではないか。その可能性を、見てみたい。

 

(宵野)