ソガイ

批評と創作を行う永久機関

作品によって変わる作者の顔、それでも変わらない場所~私にとっての柴崎友香の場合~

 正直なところ、柴崎友香の作品に苦手意識を持っていた時期があった。それは、芥川賞受賞作『春の庭』(文春文庫)をすぐさま購入し、読んだときにも拭えなかった。(思えば、なぜなかば読まず嫌いになっていた作家の作品を迷わず購入したのか、いまになってもよく分からない。)

 以来、2年間ほど手に取る機会もなかったのだが、3ヶ月前に、少しまとめて彼女の作品を手に取った。このときは、『ショートカット』(河出文庫)を読んだ後で、『春の庭』を再読した。これがかなりおもしろく感じられたのだから、再読とは本当に不思議なものである。

 このとき、『春の庭』を読みながらとったメモをこの前見つけたので、ちょっと載せてみる。

 

・お姉さんの「私」に視点の移るところは間違いなく目をひくが、それより前にも、いくつかきわどいポイントがある。

・水色の家と「春の庭」。家を外からも見て、中からも見る(見たい)。

・水色の家の中を見ようとする西を見る太郎。太郎の部屋からは見えないものを見ている西を見る太郎。そのような視点の移動性が、やがて最後の大きな視点移動を生む。太郎の様子をときどきうかがう巳さん。見る、見られるの関係、外と内の関係。

・雲の上。飛行機の視点。三人称一元視点から、一人称、そして「わたし」は最後、なめらかに消えていく。「わたし」が明らかに知り得ない太郎の行動や心情を語っているのは、憑依しているというよりは、やがて「わたし」が消えていく、そのための準備のようにも思える。

・不発弾。長年、足下にあったものでありながら、それに気づかず普通に生活していた。しかし、その存在が明らかになると避けられる。それまで、不発弾の時間は止まっているようなものでありながら、見つかった瞬間に、それまでの時間も一気に回収される。不発弾は掘り出されて、父の骨を摺ったすり鉢、乳棒、骨壺にも似たトックリバチの巣を埋める。やがて父を思い出すよすがとなるのは、これらのアイテムではなくなる。時間が眠る?

・だんだんと、いろいろな人物が入り交じって、固有性があいまいになっていく。西の描くイラストは、ひとがヘビ(巳)みたいになっているもので、そう考えるとおもしろい(巳さんはあだ名のようなものではあるけれど)。突然あらわれた女優は、馬村に似ているようでもあったけれど、じつは似ていなくて、むしろ西に似ている? 太郎、という特徴のない名前。「わたし」の「私」性をあいまいにしていくために必要だった人称や視点の移動?

 

 メモそのままなので、あまり分かりやすくはない文章になっていることは否めない。というよりも、メモを書いたはずの自分ですら、細かいところはあやしい。(私はずいぶん前、ブクログを使っていて、ときどきコメントを投稿してもいた。半年ほど経って、ほかのひとの感想も読んでみたいな、とコメント一覧を眺めていると、お、これはおもしろいこと言ってるぞ。自分の感じ方とも近い、わかるわかる。そう思って投稿者の名前を見てみると、なんと自分だった、なんてこともあった。)

 が、おそらくこのときの私が考えていたことの根幹はひとつ。『春の庭』の視点移動、三人称一元視点「太郎」から太郎の姉である一人称「わたし」への人称操作は、すべて、最後に「わたし」をも消すためにおこなわれていたことだったのではないか、という思いつきだ。そしてそのとき、「見る/見られる」の関係が重視されている、とも考えていたらしい。

 

 さて、『春の庭』は本題ではないので、このあたりで切り上げる。個人的に、もっと深く考えてみたいな、と感じる作品なので、また次の機会にしっかりとした形でやるつもりだ。では、なぜこのメモを転記したのか。それは、今回読んだ柴崎友香の作品と、どこか通じるところがある、と感じたからである。

 

 今回読んだのは、『かわうそ堀怪談見習い』(角川書店)。

 題名の通り、怪談である。一般的な柴崎友香のイメージから離れているかもしれない。この作品の主人公は女性の作家、谷崎友希。ドラマ化された作品が恋愛を中心に描いたものであったことから、世間から「恋愛小説家」と呼ばれている。けれども、本当は恋愛にはそれほど興味はない。そんな看板は下ろしてしまいたい。そう思った彼女が心機一転、書き始めたのが、怪談だった。なんだか、現実の柴崎友香とも少し重なるところがあるように思われて仕方ない。

 そうは言いながら、谷崎はなかなか怪談を書けない。そんな彼女が怪談小説を出版するまでに見聞きした数々の奇妙な出来事を描いたのが、この『かわうそ堀怪談見習い』という作品となる。

 私は怪談小説を読み慣れているわけではないから、ここに描かれる怪談が、どれほどのレベルのものであるのかは分からない。しかし、高をくくっていると、かなり驚かされる箇所も少なくなく、なかなか怖い。

 そして、この作品で語られる怪談話は、ほとんどすべて、怪異的な存在に「見られる」という点で共通している。「見た」というより、「見られた」話なのだ。

 一般的な創作技法においてもしばしば言われることだが、「私」は「私」を見ることができない。少なくとも、だれかに見られているときの自分を、現在進行形で知る術はない。だから、だれかに見られている、というのはけっこう不気味なことでもあるのかもしれない。

 なにか得体の知れないものに「見られた」ひとびとは、そのものの正体を突きとめようとするよりも先に怯え、それがなにか分からないまま逃げ、その後の生活のなかでもそのものの視線を抱え続ける。直接的に危害を加えられるわけではないのに、怯え続ける。このあたりが、ホラーというよりは怪談、といったところか。

 それを「視線の内面化」、といえば、なんだかフーコーぽい気もする。『監獄の誕生』では、ベンサムが考案したパノプティコン(一望監視システム)がその一例に挙げられている。が、身近な例で言えば、授業参観の様子を思い浮かべればいいだろう。教室の後ろには、視界には入らないけれど、親がいる。そう思うと、もしそこで親が外を見ていたり、居眠りをしていたとしても、子どもは、絶えず親の視線を意識させられる。下手なことはできない。

 話を戻すと、この「見る/見られる」のテーマは、『春の庭』にも見られたものだ。語弊を恐れずに言えば、『春の庭』は、ほかの柴崎友香の作品と並べれば、芥川賞っぽい作品と、言えないことはないだろう。(版元も文藝春秋であることだし。)

 対して、この『かわうそ堀怪談見習い』をはじめとして、遠距離恋愛をテーマにした『ショートカット』や、映画化もした『寝ても覚めても』など、柴崎友香には恋愛の要素を前面に出した作品が多い。このあたりの作品はエンターテイメント性も程よくあって、かなり読みやすいものが少なくない。

 たしかに、この二方向の作品は、作風や空気感には違いがあるかもしれない。しかし、根幹にあるテーマは共通しているのかもしれないな、と『ショートカット』と『春の庭』を続けて読んだときに感じたことが、強化された。

 

 ある作家を読み始めるとき、まず大きな賞を取った作品から読む、というひとも少なくないだろう。私もその口だった。ただ、それが本当に良い出会いとなるかどうかは、かなり微妙なところもある。(それも、いくつかの作品を読んでみないことには始まらないのだけど)

 私の読んだ限りではあるが、柴崎友香の書きたいことはかなり一貫しているように思える。『ショートカット』は恋愛小説集、『かわうそ堀怪談見習い』は怪談としても読めるので入りやすく、柴崎友香入門としても最適だと思う。そこから『春の庭』に入る、という読み方を、私はおすすめしたい。

 もし『春の庭』で止まってしまっている読者がいれば。そんなひとにも届くといいな、なんて思っている。

 

(文責 宵野)

「危うさ」と「きわどさ」の魅力としての、堀江敏幸『砂売りが通る』

 読書の醍醐味のひとつに「再読」があることは、論をまたない。とはいえ、折に触れて何度も何度も紐解きたくなるような作品なんてものは、そうそう出会えるものではない。一般的に評価が高くても、それは、その作品が自分にとって何度も読みたくなるものになる、ということを保証してはくれない。経験として、はじめてその作品に触れたときにひどく感動したり、おもしろいと思ったりしたとしても、のちに再びその作品を手に取りたくなるかどうかは、また別問題のようだ。

 飛び抜けて読書量が多いわけでもない私にも、そのような、何度も読み返したくなる作品がいくつか存在する。小説作品のなかから一例を挙げると、谷崎だったら『春琴抄』『吉野葛』、川端康成『伊豆の踊子』『片腕』『雨傘』、ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』、小沼丹『黒と白の猫』など。漫画だと、過去に記事として挙げたもの以外に、一時期『神のみぞ知るセカイ』(小学館)や『P2!』(集英社)を繰り返し繰り返し読んでいた記憶がある。ベタっちゃベタだが、『涼宮ハルヒの消失』は、シリーズのなかでこれだけは何回か読み返したはずだ。

 

 さて、いま挙げた作品は、比較的有名な作品であるかと思う。で、ここでひとつ、「僕にとって再読したくなる作品は?」と考えたとき、名前はすぐに浮かんだのだが挙げなかった作品がある。

 作者は有名だろう。堀江敏幸。その、『砂売りが通る』という初期の短編小説である。「俺、『砂売りが通る』が好きなんだよ」と話しても、なかなか通じない。

 いちおう、芥川賞受賞作『熊の敷石』を表題に持つ単行本にも収録されている作品だ。

 『熊の敷石』ももちろんいいのだが、やはり私は、この『砂売りが通る』だけを何度も何度も読み返してしまう。それくらい好きなのだが、なかなかその想いをひとに話す機会にも恵まれず……。なので、ここでちょっと語ってみようと思う。感情が先走りそうで少し不安でもあるが、過去の文章を見ていると、どうも私は多少感情がたかぶっていた方がおもしろい文章を書けているようなので、その確認もかねてみようか、と思っている。

 

 さて、堀江敏幸の小説、と聞いたとき、ひとはどういったイメージを思い浮かべるのだろうか。端正な日本語で書かれた、どこか優しい物語、なんて思い浮かべるひとが少なくないだろうか。それについては私もそう思う。

 なのだが、けっして優しいだけではないのではないか、と僕は最近、思うようになった。『河岸忘日抄』のような終始いらいらしている空気があったり、世間に対して厳しい言葉を発していたり、ときには官能的な表現が飛び出したり。そういった面も、気にしてみてみるとけっこうある。

 そして、この『砂売りが通る』である。

 物語は、「私」の友人の三回忌のあと、その友人の妹と娘と「私」、その三人で砂浜を歩く場面から始まる。「私」と友人の出会いは大学、妹との出会いは大学に入った翌年の夏である。

 大学に入った翌年の夏、親しい友人の年の離れた妹として、私は彼女に出会った。ねちりとした掌で左手の小指を握ってくれる彼女の手を引いて友人の実家に近い房総の浜を歩いて以来、兄を仲介にしてつかず離れずのつきあいをつづけてきたから、実の妹とまではいかなくとも姪っ子のようなものだ。私が二十歳のとき彼女は六つだった。あの湿った掌の感触は、もう十八年もむかしのことになるのか。(118ー9頁)

  不思議な関係である。ここだけを見れば微笑ましい関係、と言えないこともない。しかし、その仲介であった兄は亡くなってしまったし、その18年のあいだに彼女は結婚し、娘を産み、そして離婚をしている。そんなふたりが、彼女の娘と並んで、いつも砂浜の城をつくっていた思い出の場所で邂逅している。この微妙な距離、背徳的な雰囲気が、こころをくすぐる。

 そして、その当時のことを思い出して語る場面が、この空気をよりこそばゆく彩る。

 かがみ込むともう十分ふくらみかけた乳房がのぞくくらいの年頃になっても、夏休みのたびに彼女は学校のプールで使っている紺色の水着をまとって私たちと浜に行き、最初の城づくりの思い出をこちらには不可解なほどの情熱をこめて語りながら、儀式のように、あるいは義務のように砂の城をつくった。泳いだりビーチボールで遊んだりするのならともかく、女の子が異性の友だちも見つけずこんな遊びに熱中するのは少々考えものじゃないかと兄の方に訊ねた私の言葉を耳ざとく聞きつけ、札幌には雪祭りがあるんだから、どこかに砂祭りがあってもいいでしょ、もし砂の城の世界選手権があったらぜったいに出場してみたいの、とどこまで本気なのか語尾の柔らかさとは裏腹な勁い眼で見返したときの表情が心に焼きついている。(119ー120頁)

  特に好きな箇所である。それを思い出している「いま」を考えると、かなりきわどい官能性やフェティシズムを感じさせる場面だ。

 

 この作品はとにかく、あらゆる次元で錯綜や混同が起きている。タイトルの「砂売りが通る」は、フランス語で眠くなることを言うらしい。過去(「私」、友人、妹)と現在(「私」、妹、娘)が思い出の場で混在し、ときに重なる。淡い雰囲気のなか語られていくこの作品は、まさしく眠気、あるいは微睡みそのものであるといってもよい。このタイトルとのつながりも良い。時間、関係、地の文とセリフ(この作品では、それこそ小沼丹のように、セリフをかぎ括弧でくくるのではなく、頭にダッシュ(――)をつけて示している)、顔、風景……あらゆるものたちが、絶妙に入り交じっている。

 そして、終始ふわふわしたこの空気のなか、それに馴染みすぎるまでに馴染んでいる物語……にいっけん思えるのだが、よく読むと、なかなかきわどい表現、そしてきわどい状況が描かれていることがわかってくる。分かりやすいようで、実はつかみ所が見つからない。この危うい関係性こそが、この作品の魅力だと私は思っている。

 なにより、年下の女性の描き方が良い。これは『砂売りが通る』に限らない。私が好きな作品に、たとえば『いつか王子駅で』がある。

 

 この作品には家庭教師をしてあげている咲ちゃんという中学生の女の子がいるのだが、この子が本当に可愛らしい。じつはまだ読めていないのだが、『なずな』も子育てがテーマとなっているだけあって、気になるところだ。

 『砂売りが通る』は、とても短い作品であるが、物語、文章、登場人物……すべてをまるっとまるごと、そのまま魅力を味わえるものとなっている。自信をもっておすすめできる。

 

底本 堀江敏幸『熊の敷石』講談社 2001年2月

 

(文責 宵野)

 

野坂昭如『戦争童話集』をきっかけに考えてみる、「当事者意識」というもの

 インターネットやSNS等で、だれでもどこでも、世界中の情報を得ることができるような社会になったが故に、かえって、「当事者性」といったものが持つ力が、もはや特権的とでも言えるくらいに大きくなっているように感じられる。

 文芸の世界でも、これはホットな話題だ。もちろん、北条裕子『美しい顔』の問題である。

 『美しい顔』が剽窃にあたるのかどうか、正直なところ、その判断は私の手には余る。たしかに、一部の文章は他の書籍の文章と酷似しているようだし、参考文献を明示していれば、あるいは、著者の受賞インタビューでもなんでも、とにかく本人の口から、これらの書籍の影響を受けています、という発言があったのなら、話は変わってきたのだろう。

 震災から7年が経っているとはいえ、被災者にとって震災は、まだ終わっていない。引用元とされてるノンフィクションには、そのノンフィクション作家、インタビュワーを信用して、プライベートなつらい出来事を語ってくれた、そんな被災者だっていたことだろう。そのひとたちにしてみれば、自分は小説に使われるために話をしたのではない、ということにもなろう。だから、とりわけ慎重に扱うべきだった。この点については、完全に著者、そして講談社側の手落ちである。

 私は、この騒動のまえに『美しい顔』を読んでいる。そのときは、ところどころ粗さはあるけれども、これは新人として、強い力を感じる小説だ、と感じた。読んでよかった、と素直に感じた。それだけにこの問題はショックだった。

 しかし、この問題についてしっかり考え直すべきなのは、「当事者性」の問題だと感じている。「剽窃」問題が報じられたとき、批判の方向として、著者が実際に語っているように、この作品が、実際に被災地にいくことなく書かれたということ、それに対する批判が多かったからだ。

 読売新聞の記事*1を読んだとき、私はそれを考えさせられた。概ねは、事実に基づいた報告になっていたのだが、私が問題だと思うのは、その記事の締めの一文だ。

 「同誌6月号に掲載された受賞の言葉で、北条さんは「私は被災地に行ったことは一度もありません」と書いていた。」

 ニュースは中立性を保つべき、というのがもはや建前にしかなっていないとしても、しかしこの一文で記事を締めることに、私は露骨な主観を感じてしまった。もしも記者にはそのつもりがなかったとしても、この記事を読んだひとは、著者について、「被災地にも行かずに、間接的な情報だけで面白半分に震災を描こうとした不届き者」という印象を与えないだろうか。

 新聞社系ですらこれなのだから、もっと露骨な批判がされているサイトは多く存在する。

 いや、この著者についての話だけで済むのなら良い。私は諸手を挙げて賛成することはできないが、この著者についてそういった見方がされてしまうことは、ある程度は仕方ないことなのかもしれない。

 しかし、これが敷衍されて、被災地に行ったことのない人間は震災について書いてはいけない、となってしまったときが怖い。さらに広がると、当事者しかその物事について書いてはいけない、とまでになる。*2

 これが、小説をはじめとしたフィクションからさらに広がって、当事者でなければその問題について語ってはいけない、とはならない、とする根拠はない。

 なぜこれが怖いのか。たしかに、当事者の言葉は大事だ。その問題をもっとも切実に受けている人間のひとりであることは間違いない。だから、当事者の声に真摯に耳を傾けること。それは絶対に必要なことである。

 しかし、そのことが、当事者ではない人間、非当事者の声を無視する理由にはならない。というより、むしろそれは逆効果だ。なぜなら、それでは問題が内輪だけのものになってしまうからだ。

 震災、LGBT、ハラスメント、障害、テロ、ナショナリズムの過激化。ぱっと思い付くだけでも、これだけのホットなテーマはある。これらの問題は、けっして当事者だけにとどめていて良い問題ではない。極端に言えば、全人類が考えるべき問題である。なぜなら、これらの問題について、私たちはいつ自分が当事者になってもおかしくはないのだから。

 人間は、どうしてか世界にこれだけの問題があっても、「自分は大丈夫」と思ってしまう生き物らしい。ここでは、意識的に非当事者に身を置くことで、自分を慰めようとする心理が働いている。そして、「非当事者」は、当事者の言葉に対して、無神経な言動をしたりするものなのだ。所詮、他人事なのだから。

 その問題について切実に思っているのならば、「非当事者」に、彼らが当事者であるということを思い出させなければならない。ナチスの宣伝大臣ゲッベルスの戦略を聴いて、「戦争は怖いですね」なんて感想で済ましているようでは駄目なのだ。(実際に、そういうバラエティ番組があった。さすがに、その番組に先生として来ていた、ゲッベルスについての映画を作った映画監督は違ったが。)

「非当事者」でいることは、はっきり言って楽だ。無責任でいられるのだから。当事者になるのは、つらい。「非当事者」の心ない言葉に、たとえそれが自分に直接向けられているものではなかったとしても、いちいち傷つかなくてはならないのだ。

 身近な例を挙げよう。いつからか「アスペ」という言葉が広く使われるようになった。

 言うまでもなく、これはアスペルガー症候群という、歴とした病名に由来している。しかし、「アスペ」と略されて使われるとき、それは病気としてのアスペルガー症候群では、もはやない。頭が悪い、察しが悪い、空気が読めない。これらの言い換えとして使われているのが、実際のところだろう。

 罵倒として使われることもあれば、単なるからかい、イジりの言葉として使われることもある。なんだったら、後者の使われ方のほうが多いのではないだろうか。

 「非当事者」の間だったら、それでもいいのかもしれない。

 しかし、現にこの世の中には、実際のアスペルガー症候群患者、そしてその家族、友人、関係者がいる。そのひとたち、当事者にとって「アスペ」という言葉は、どう響くだろうか。音を聞くだけでも、文字の並びを見るだけでも、傷つき、憤り、悲しくなるだろう。これは、まあ無理のない想像だと思う。しかしこんな簡単なことでも、当事者になってみないと案外分からないものなのだ。(念の為に付け加えると、ここに頭の良さ云々は関係ない。世に高学歴とされる大学に所属する人間が平気でこのような言葉を使う場面を、私はしばしば見てきた。もっとも、これは私の世界が狭いだけであるがためであることを、心底願っている。)

 東日本大震災に際し、被災地から避難して県外に転校してきた学生に対する「被災者いじめ」が少なくなかったという。この問題に対し、学校でもっと震災や避難者についての理解を深める必要がある、と意見を述べたコメンテーターが何人かいた。間違ってはいないが、いくら小中学生とはいえ、そんなことはテレビや新聞、家族の話を聞くなどして、先生に教えられずとも想像できないものだろうか、家でそういう話は出なかったのだろうか、この国の子ども、家庭の想像力はこの程度のものなのか、と、正直、がっかりさせられたものだ。彼らにとっても、所詮あの震災は他人事なのだ。

 北条裕子のやったことは、出版や表現といった行為をするにおいて、いささか覚悟が足りてなかった、ひとの言葉を自分の表現として使うことに伴う暴力性や責任を軽んじていた点で、大きな問題があったと思う。

 しかし同時に、被災地に行かず、それでもニュースや動画、ノンフィクションを読んで考え、7年という歳月を経て、正直もう忘れられようとしている震災をまだ書こうとした意気だけはともかく、積極的に認めたいと思うのだ。

 念の為いうと、この当事者意識は、共感とは一致しない。共感の問題については私もしっかり勉強しなければならないと思うが、共感は、そこで終わってしまうことも少なくないと感じる。「ああ、わかるなあ」といったように。さらに言えば、共感できるということは、すでに自分はどこかでそれを経験しているかもしれない。

 もちろん、共感そのものが悪いと言うつもり毛頭無い。共感を出発として芽生える当事者意識もある。要はそのひとがいかに、自分に生じた共感を実生活のさまざまな場面で引きつけて考えることができるか、ということになってしまうのだが、せっかくの共感をただの消費材にして欲しくはない、というのが私の意見だ。

 だから、やたら「共感」という言葉に噛みついて、それは安全圏からの感情でしかない、やら、本当に相手のことを思っているのではない、やら、共感すること、それ自体が不道徳であるかのような言い様には、疑問を覚える。なんでもそうであるけれど、大事なのは、そこからどのように考えて、どのように行動していくのか、である。

 第一、ある物事を一緒くたにして、そうもはっきりと、善と悪、どちらかに分けることができたのならば、いったいどれだけ私たちは楽に生きられたことだろうか。

 まとめると、当事者意識を起こさせる、とは、自分が経験していないことでも自分のことのように考えさせられ、以後の生活の中でも、自分がその立場に置かれたらどうするだろう、という疑問を頭の片隅に起き続ける。そういったものではないか、と私は思っている。

 

 さて、だいぶ前置きが長くなってしまったのだが、そもそもなぜこのようなことについて話そうと思ったのかというと、野坂昭如の『戦争童話集』、とりわけそのあとがきを読んだからなのだ。

 中公文庫、その改版に際して加えられた「改版のためのあとがき」にて、野坂は自分についてこのように語っている。

 (…)ぼくは、「戦争」の片鱗を心得るつもりだが、「戦場」は知らない。(…)戦場体験はないから、兵士について、乏しい想像力では筆にできず、やがて、忘れるというより、さらに無いことになってしまった感じの戦争、これを後世に伝えなければという、気負いはないが、「戦争を知らないぼくたち」が大人となり発言しはじめた。(182頁)

 野坂は1930年生まれ。つまり、終戦時には15歳である。このあたりが、大岡昇平や野間宏、武田泰淳などの、従軍経験のある作家との違いだろう。ちなみに、野坂昭如と年齢が近い作家といえば、開高健(30年生まれ)、石原慎太郎(32年生まれ)、井上ひさし(34年生まれ)、大江健三郎(35年生まれ)などが思い浮かぶ。小説家ではないが、手塚治虫は28年生まれで、これもまた近い。

 野坂に戦場体験はない。それでありながら、この『戦争童話集』の話のなかには、野坂が経験し得ないはずの舞台、満州だったり、南洋の島だったり、海の上だったり、そういったものも描かれている。しかし、それが非常に胸を打つ作品になっているのはなぜなのか。それは、野坂は自らの経験、実感などをもとに、想像力、言葉を駆使して作った戦場の物語を通して、戦時下を生きねばならなかった、そして死なねばならなかった人間を描こうとしているからなのだと思う。

 彼もまた戦争の被害者である。有名な話だが、戦後間もなく野坂は妹を栄養失調で亡くしている。この体験が『火垂るの墓』の基となっている。しかし、そんな野坂に戦場体験はない。だったら彼は、戦場を語ってはいけないのか。そんなことはない。人間には想像力というものがある。それこそ、共感という感情もある。その出発として物事を考えて考え抜くことで、そこには野坂昭如が考える「戦場」も生ずることだろう。

 野坂は戦後、急激に経済成長する日本を見て、ひとつの不安を抱いていた。

 この前年、’70年は、今から思えば、戦後の一つの節目だったが、「万博」という賑やかしのあとをひいて、日本は高度経済成長まっ盛り、日本の人口の三分の二ほどは、まだ、鉄の臭い血の臭いを忘れていなかったと思うが、眼先きの繁栄にとりまぎれ、泥沼のベトナム戦争は他人ごと、焼跡闇市の記憶消滅、さらにアジヤ、太平洋戦争の記憶は、ゆるやかなものだが、封印された。(180頁)

 終戦からまだ30年程度しか経っていない。そんな短い時間ですら、人間はいまがよければ、平気に、あの凄惨な体験に蓋をしてしまう。戦争はまだ終わっていない。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争。戦争は定期的に発生している、といってもいいくらいにもかかわらず。

 先ほど引用した言葉のなかに、「「戦争を知らないぼくたち」が大人となり発言しはじめた」とあった。『戦争童話集』のなか「焼跡の、お菓子の木」という話のなかに、このような一節がある。

 そして、大人は、まだしも我慢できましたが、育ち盛りの子供たちは、たまりません。また大人は、自分たちの起こした戦争なんだし、自業自得とあきらめることもできたでしょうけど、子供には何の責任もない。

 まったく、昭和二十年頃に、五歳から十歳くらいだった子供ほど、みじめな存在はなかった。(166ー7頁)

 野坂昭如世代は、物心ついたときから戦時下に生きている。それ以前の豊かな時代は知らない。しかし、そんな状態にした、つまり戦争を起こしたのは、大人たちである。野坂が語るように、戦争においてもっとも悲惨な目に遭うのは、弱者である。だから『戦争童話集』の主人公は、子供や動物といった弱き者たちなのである。

 その大人というものにいざ自分がなったとき、周りの、自分と同じく戦争を経験したはずの大人たちが、戦争のことなんか忘れてしまったかのように、景気の発展にうかれている。子供の生活の責任は、大人が負わねばならない。しかしその大人がこの有様であっては、いつまた、あの戦争と同じようなことが起きても、おかしくはない。そのとき傷つくのは、やはりか弱い子供たちなのだ。この『戦争童話集』の話は、どれも本当に救いがない。しかし、これこそが野坂が書かざるを得なかったものなんだろう、と思う。

 自分と同じような惨めな子供を作ってはいけない。大人として、その責任として、野坂は自分を「戦争を知らないぼくたち」であると認めながら、戦争について語ろうとしているように思われる。そんな彼ですら、「「沖縄」と「原爆」と、旧満州からの引き揚げ者については、書けなかった、「狼と少女」は、舞台がどこであってもさしつかえない。」と言わねばならない。

 

 野坂も言う、この「他人ごと」という言葉。繰り返しになるが、これはまさに、当事者意識の欠如を意味しているだろう。

 海の向こう、とはいっても、ベトナムはけっして遠い国ではない。日本人が「世界」というときにおそらくイメージするだろう欧米より、距離としてはずっと近い国である。同じく戦争を経験したはずの国の人間であっても、やもすればこうも忘れてしまうものなのだ。当事者意識を持ち続けることがいかに難しいことかが、分かるだろう。

 当事者意識を持つのに、必ずしも当事者である必要はない。自分は世界の一員である、という意識を持つのに、世界一周をしなければならないわけではないのと同様だ。

 野坂がここで「童話」という形をとったことは、この点で示唆的だ。戦争を知らない子どもに向かって語りかける、という体。もしこの物語を読んで、そのひとつ、あるいは一節だけでも記憶に残り、折りにふれて、「そういえばこんな話を読んだことがあるなあ」と思い出し、そして戦争について考えることがあれば。それはもう、立派な当事者意識の芽生えである。

 そして当然、この「童話」は、子どもに向かってのみ書かれたものではない。野坂はきっと、同じく戦争を経験したはずの自分と同世代の人間、それでいながら、目先のお金ばかりに囚われ、すぐそばで起きている戦争に眼を向けないでいる大人に向かっても、この物語を書いている。思い出せ。ぼくらはたった30年前まで、戦時下に生きていたのだぞ、と。そんな簡単に忘れられるものなのか、と。

 野坂はそのあたりのことに意識的だった。あれほどの凄惨な体験でも、人間は平気でそのことを忘れてしまいかねない、と。だから死ぬまで、反戦を叫び続けた。当事者意識を失うな、と。

  

 当事者意識。これは、自分は大きな世界の一員であると意識しながら、「私」というひとりの肉体で以て考える、という両義的な言葉なのかもしれない。周りに流されるのでもなく、かといって外への目を閉ざして孤独に陥るのでもない。いってしまえば、このバランス感覚がこれからの社会、ますます求められるようになってくるだろう。

 

 そもそも、小説や文学と呼ばれるものの意義、というものがあるとすれば、読者を当事者にしてゆく、ということにあると思う。

 だから、私はべつに、必ずしも文学を学問として学ばなければならない、と言うつもりはないが、文学が無駄なものだとは思わない。結果、効用はすぐには出ないかもしれないが、その後の生き方如何で、やがてじわじわと効いてくるものだと思う。

 有名ではあろうが、灘中学・高校の国語教師で、中学の3年間をかけて中勘助の『銀の匙』を読む、という授業をした橋本武の言葉を置いておこう。

「すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなります」

「ときには苦しいけれども読む、書く、そして考える。そうしてみると、そのときは目一杯でも、あとで「心のゆとり」となって、必ずわが身に返ってきます。それが”教養”なのです」

 

底本 野坂昭如『戦争童話集』中公文庫 1980年8月初版 2003年2月改版 2017年6月改版9刷

 

(文責 宵野)

*1:「芥川賞候補作に参考文献つけず、掲載誌おわびへ」オンライン上では一般向けへの公開期間は過ぎているようだが、「読売プレミアム」では閲覧できるそうだ。

*2:これは聞いた話だが、ハリウッドだったろうか、同性愛者でない俳優が同性愛者を演じるのはどうなのか、という議論があるらしい。本当だとすれば、これは倒錯した当事者意識だと思う。それでは「演技」という表現行為がなんであるのか、わからなくなってくる。

 同時に、昨今の日本の小説やドラマで、やたらLGBTの登場人物が増えてきているように、私は感じている。LGBTが重要な問題であること、そんなことはいまさら言うまでもない。社会問題となっているのだから、創作にそれが反映されるのも、むしろ健全な動きなのかもしれない。

 しかし、LGBTのひとも、一般とされている異性愛者と変わらない同じ人間なんだ、という方向を社会は目指している、と私は勝手に思っているのだが、だとすれば創作上であっても、そのLGBTが特権的に扱われすぎてしまっては、これは本末転倒ではないか、と感じる。

 私は、これはさすがに都市伝説なのではないか、と疑っているのだが、就職活動の面接で、ボランティアでカンボジアに井戸を掘りに行く学生が続出する、という。そういった状況の根底にあるものと、どこか共通してはいないだろうか。

 難しい問題であることは承知である。小説と社会は結びついている。社会問題を扱う小説が出てくるのは、自然な成り行きである。物語のテーマになる、ということは、それだけ特別な意味を持つ、ということも意味する。推し進められれば、そのテーマは特権的な力を持つ。すると、現実においてもそれは特別なものと受け取られる。

 たとえ、LGBTのひとも普通の人間なんだ、と物語で主張したところで、物語のなかで声高に主張されることでそれは特別な意味を持ってしまう。とはいっても、物語がまったくそれに触れなかったら触れなかったで、非当事者たちは自分が当事者になり得るということに気づかないままである。とんでもないジレンマだ。

 しかし、このような袋小路のような問題に、悩み続けながらも立ち向かうことこそが、表現者におけるひとつの使命なのではないか、と私は思う。

 大事なのは結果ではなく、過程だ。という格言がある。それは正しいと思うが、より正確に言えば、「大事なのは単なる結果ではなく、自分なりに力を尽くした過程を経た結果である」となるだろうか。ちょっと語呂が悪いか。

 このブログの最初の記事でも私はイチロー選手の言葉を引用したのだが、ここでも使わせていただく。『報道ステーション』稲葉篤紀氏との対談においての言葉だ。曰く、最短距離で正解にたどり着くことはできない。たとえできたとしても、そこに深みはない。回り道こそが近道である。僕は無駄に飛びついているつもりはないが、あとから振り返ってみたとき、ああ、あれは無駄だったなあ、ということはたくさんある。でも、そういうことが大事なんだと思う。

 野球に関して言えば、「無駄」に続くのは練習、トレーニング、となるだろうが、ここではたとえば、「無駄な思考」「無駄な読書」と言葉を当てはめることができるだろうか。

情報化社会の極限の可能性としての、野﨑まど『know』

 野﨑まど作『know』(2013年 早川書房)は、人造の脳葉<電子葉>を人間の脳に移植することが義務化された、2081年の京都が舞台の作品である。

 常に周囲の情報をモニタリングしている「情報素子」を散布された≪情報材≫がいたるところに設置されており、人間は<電子葉>を用いて通信をおこなうことでそれらの情報を得ることができる。まさしく、インターネットが人間の脳に内蔵された、高度に情報化が進んだ社会である。

 しかし、すべての人間が平等に情報を得られるわけではない。そのための仕組みが、≪情報格規定法≫によって定められる「情報格(クラス)」である。

 

 情報格規定法は、人々の情報の取り扱いに関する権限を規定する。

 情報格は各個人の社会的貢献度、公共的な評価、生活態度、そして納税額で上下する。それは情報省人事局が総括する市民情報を元に査定され、すべての市民は市民基本情報格1から3までを振り分けられる。(56、7頁)

 

 情報材によってあらゆる情報が無差別に取得されるこの世界では、プライバシー権を主張するような要求はできない。そこで、その情報の管理の方で差別化を図ろうというのがこの法律だ。

 クラス4~6という高官や内閣総理大臣に与えられるものもあるが、基本的に市民はクラス1から3を付与される。クラスが高ければ高いほど、より多くの情報にアクセスでき、そして、より多くの情報が保護される。このクラスによって、保険料が変わるなどの様々な影響が存在する。*1

 しかし、さらにその下、いわゆる生活保護を受けている市民(この世界での生活保護では、衣食住は絶対に保障されている)は、クラスが剥奪され、「クラス0」となる。

 彼らはほとんどの情報を得られないばかりか、ほとんどの情報が保護されない。その裸の画像や性的な情報が丸裸(オープンソース)になる。これは作中にも登場するエピソードだ。生活保護を受けている同級生のプライベートな情報を、悪戯感覚で覗く男子中学生三人組がいる。これは倫理的には問題のある行為だが、しかしそれを裁く法律はない。なにせ、オープンソースになっているのだから。オープンにされているものを見てはいけない、という由はない。これを問題視している人間もいるが、それはあくまでも一部でしかない。

 

 物語の主役は、この<電子葉>を開発しながら失踪した道終・条イチの「最後の教え子」で、クラス5の御野・連レル。彼が、最後に道終から託された、「クラス0」(少女は、児童養護施設で育っていることもあり、すべてがオープンソース、つまり、自分の情報をすべてのひとに見られる)でありながら、生まれながらにして、道終の発明した、<電子葉>の強化版、<量子葉>を備えた「クラス9」(あらゆる情報を得ることができる)の少女、知ルと共に、「すべてを知る」ために奔走する激動の四日間が、この物語の軸である。

 この小説を考えるときにやはり思い浮かぶのは、インターネットに象徴される現代の情報化社会である。この作品ほどではないとしても、現代は高度に情報化が進んだ社会である。インターネットを使えばあらゆる情報を即座に検索することはできるし、SNSで世界中の人々の「つながる」こともできる。

 この情報化社会のなかで、この作品でも描かれているが、このとき、「知っている」という言葉の持つ意味が、インターネットの普及の前と後で変わってきている。

 たとえば作中では、<電子葉>導入当初の上の世代の人間は、<電子葉>を使って得た情報を、「いま調べたんだけど」と前置きしてから話す。一方で、生まれてこのかた、<電子葉>が当たり前となっている下の世代は、いままさに<電子葉>で得た情報を、「知っている」こととして話す。この差が、世代間の対立の原因ともなっている。

 これは、あながち、現実とまったく乖離したものとは言えない。実際、ネットでかじった断片的な情報を、まるで見てきたかのように語る場面はしばしばみられる。ニュース番組やワイドショーといった、それまで大衆の情報源としての役割を担っていたメディア媒体でさえも、「いまネット(SNS)で話題のニュース」といった枕言葉がつき、「市民の声」と称したSNSのプライベートな発言を取り上げるなど、それこそ半ばネットと視聴者を介する媒体と化している。*2あるいは、実際に会ったこともなく、ときには本名すら知らずとも、SNSでフォローしている相手のことを「知っているひと」と言い、これが相互フォローになれば「知り合い」になる。

 「知っている」、あるいは「知」といった言葉の持つ意味は、すでに変わりつつあるのかもしれない。

 

 そんななか、作中、ひとの心を読むこともできるほどにだれよりも物を知っている「クラス9」の知ルであるが、彼女は自らの<量子葉>で得られる情報だけでは満足せず、連レルを、文字通りいたるところに連れ回す。

 「私、取り調べって初めてでした」「私、男の人を名前で呼ぶのって初めてです」「私、人を脅したのって初めてです」などと、どんな些細なこと、どんな危険なことでも、それが初めての経験であれば、その度に嬉しそうな反応を示す。

 思えば、この「経験」というものも、「知る」ことの一部である。知ルは、「クラス9」の力に甘んじることなく、経験による知を追求していく。*3

 この物語の主軸は、知ルが、古今東西の人類共通の謎ともいえる「死」を「知る」ための冒険譚である。天国、エデン、極楽浄土……、死後の世界を表す言葉はいくつもあるが、それはすべて人間の想像、妄想に過ぎない。

 「知る」といった行為が脳の働きによってなされる限り、その死とほぼイコールである人間の「死」を人間が「知る」ことは絶対に不可能である。絶対に不可避でありながら、「知る」ことは絶対に不可能。だから人間はそれを恐れ、架空の世界を物語ることで、なんとか「死」に形を与えようとしてきた。

 この世にはさまざまな宗教があるが、そのどれも、究極的には「死」に意味を与えることに腐心してきた歴史である、ということもできよう。この物語でも、まず知ルは真言宗の僧を訪ね、彼らの知識を文字通り「吸収」する。真言宗は密教であり、「隠された知」の側面を持つと言えよう。そのとき、知ルはその気になれば僧の<電子葉>とリンクして知識を得ることもできたろうに、実際に相対し、対話を通じて知識を吸収することを選ぶ。

 この対話のなかで、大僧正は金剛界と胎蔵界、ふたつの曼陀羅をふたりに見せながら、知ルの「悟りとは、なんでしょうか」という問いに、「知ることじゃ」と説く。曰く、「覚悟」とは、「覚える」ことと「悟ること」のふたつでできている。覚えていることとは「過去」を表し、対して悟ることは「未来」を表している。本来、「未来」は知ることができないが、人間は過去から学び、経験則で未来を思い描くことができる。こうしてなんとか覚悟をしている人間であるが、それでも唯一、絶対に覚悟できないこと、それが「死」である。

 知ルの<量子葉>を用いれば、「死」に関するあらゆる情報を収集し、分析することは容易であろう。しかし、知ルにとって「知る」ことは経験することである。だから、知ルがこの目的を果たそうとするとき、とるべき方法は、言われてみればひとつしかない――。

 

 さて、そこに至るまでの過程で特徴的なのは、「回転」と「対話」である。

 まず、道終が死の間際、連レルに講義した「メゾ回路(メゾスコピック神経回路)」。これは、ニューロンで作られる回路の名称であり、神経細胞クラスのミクロな機構と、葉や脳全体といったマクロな機構の中間に位置する、情報処理機構のことである。ひとつのメゾ回路がひとつの機能を表し、その大小さまざまなメゾ回路が三次元的に交わる状態を、道終は想像する。人間の脳を「回転」の集合体と見なした、というところだろうか。正直、このあたりは話が難しい。とりあえずは、クラウドを想像すればいいのだろうか。

 そして、知ルもまた、連レルに、「知識」の門番であるケルビムの話をする。これは、この小説のエピグラムにもなっている『創世記』の一節に由来する。この話のなかで彼女は、「人の脳が最も活性化する」のは「炎の剣が輪を描いて回る時」と言う。

 この「回転」は、先の真言宗の話から連想するに、「輪廻」の意味も含まれているだろう。

 

 物語は終盤、もうひとりの「クラス9」、有栖照・問ウが登場し、急展開を迎える。彼がCEOを務めるアイオーン社は、独自に<量子葉>の開発を進め、そして完成品を自分の脳に移植した。そのとき彼は、自分がもうひとりの「クラス9」と出会う運命にあることを悟ったという。そしてそれは、知ルも承知していたことだった。ふたりが望むのは、同じ領域の者同士の「対話」。面と向かって話をすることを、お互いに求めたのである。真言宗の僧侶と直に顔を合わせたときのように顔を合わせて行う対話では、お互いに目まぐるしい速さで情報を受容し、発信する。

 そうして始まったふたりの「対話」のなかで、知ルの脳神経が最高潮を向かえ、まさしく「回転灯」のように回りだす。「revolving lantern」すなわち「走馬灯」の状態を作り出し、死の間際の脳が最も活性化する瞬間を生み出して、「行ってきます」と言い残し、彼女は向こうの世界へと旅立っていった。

 

 メディア、とりわけインターネットを通じて得られる情報は、間接的なものである。そこにある情報が「いま、ここ」のものである確証はなく、むしろどれだけの時間を経ても、その情報は変わることがない。SNSの発言は、たしかに市井の人間の発言をも世界中に発信するという点において大きな意味があるとは言え、時も場所も無差別に摂取され、往々にしてその一部だけが切り取られて、誇張、曲解される。

 「クラス9」という破格の知識を持つものが、その身を以って得る経験、直接的な対話によって新たな知を求めようとするこの姿勢が、本来の「知る」という行為であろう、と思われる。

 しかし、このように便利に情報が得られるようになったにも関わらず、多くの人がそれをしようとしないのはなぜなのか。それは、莫大な量の情報が身近になりすぎたがゆえの徒労感のようなものと思われる。

 例として、佐々木敦『未知への遭遇【完全版】』(2016年 星海社)に印象的な実例がある。

 

   

 佐々木氏はテクノミュージックをはじめとしてさまざまな領域の講義を受け持っているが、あるときから学生に、たとえば「テクノに興味があるんですが、どこから聴いたらいいのかわからないんです。いったい、何から入ってどこまでいけば、テクノを極めたことになるんでしょうか?」といった類の質問をされるようになったという。そして、そのような質問をする学生からは、「これから未知の領域に入り込んでいく者ならではの、浮き浮きとして前向きな様子が(…)感じられないのです。どちらかといえば、ちょっと困っているようにさえ見える」と言う。

 その原因として、佐々木氏の言葉を借りれば、インターネットの登場による情報の氾濫により、学生に「「すべて」という幻想」にとらわれていることが挙げられる。つまり、その領域において学ばなければならないことが「無限」であるか、たとえ有限であっても、もはや無限に等しい天文学的数字に感じられ、その達成が絶対的に無理なものにしか思えなくなっている、ということだ。

 そんななかで、いったいどこから手をつけたらいいのか、分からない。ましてやテクノミュージックは、それこそ受験勉強のように体系立ったものとも言い難いから、勉強方法すら分からない。しかも、これは現在進行形の分野である。となると、先達人には情報量の点で絶対に及ばない。いまさら自分がなにをやっても、という気になってしまうのかもしれない。*4

 インターネットで表層的な情報を手あたり次第に網羅し、SNSでとにかく多くの人と「つながり」、その言動を逐一チェックするひとのメンタリティも、この学生たちの「無限」感と共通しており、その行動が表裏一体の関係にあるように思われる。

 佐々木氏に上のような質問をする学生は、その「無限」に圧倒され、困惑し、半ば諦めている。対して「インターネット民」「SNS依存者」は、「無限」を意識的に無視し、形だけでもとにかく多くの情報に触れ、流行に後れないようもがく。

 「知らない」ものとは、得体のしれないものと同義であり、そんなものが世の中にあふれている、と考えると怖い。だったら、とにかく多くの情報を摂取するしかない。しかし、そうして摂取している間にも情報は更新され、SNSのコメントは増え続ける。ただでさえ、過去に蓄積された「無限」の情報があるというのに。それでも、「知らない」、つまり「置いていかれる」のが怖いから、画面をスクロールし続けるしかない。このとき、過去は置き去りにされる。

 大量の情報へのアクセス権を得た人間は、果たして情報を自家薬籠中の物とすることができただろうか。むしろ、情報の力に圧倒され、流され、本来的な「知」を見失ってはいないだろうか。

 

 そこで、現在の「無限」の情報への無力感に対する方法として、この作品の結末、<電子葉>を開発した道終が描いた理想、「オープンソース」が、ひとつの答えとなるかもしれない。知ルの「死」ののち、≪情報格規定法≫は廃止され、すべてのものが、クラス6の情報取得権を得て、「クラス0」の情報公開義務を課されるようになった。つまり、すべての情報が公のものとなり、自由に利用できるようになった。

 先の佐々木氏の例を用いれば、これからテクノミュージックを学ぼうとするものが困惑するのは、テクノミュージックに関する情報の「無限」のさまもそうだが、なにより、その領域において、これから自分が学ぶことができるよりも多くの情報を有している人物がすでにして存在している、という事実であると思われる。いまからどれだけ努力したところで、その人物たちに追いつくことは出来ない。自分がやろうとしていることは、自分よりも知識を持つものによってすでになされている、あるいはやろうと思えばできてしまうことに過ぎない。そこに自分のやる意味はあるのか。そういった徒労感に、学生は打ちひしがれてしまう。

 だったら、自分が興味を持ったとき、すでにその領域のあらゆる情報を手にしているとすれば、そのような徒労を覚えることはなくなるのかもしれない。

 たしかに、インターネットの普及により、空間的な情報の障壁は低くなってきている。それを学ぶために要する時間については、『know』の世界だってそこまで変わらない。しかし、現実に情報の格差を生んでいるのは、独裁国家などの情報規制、権限をもつものしか閲覧できない外交などの機密情報を除けば、金銭的なところによるものが大きいような気がする。*5

 卑近なたとえになるかもしれないが、あらゆる版の漱石全集、そして漱石研究の書物を所有して自由に書き込みもでき、大きなデータベースなども利用できる金銭的余裕のある人間と、図書館でその都度、関連書籍を借りては返して、のちに参照したい点があっても、それを返していればまた借りなおさなければならない人間がいる、となれば、それはスタートラインの差はもちろんのこと、あたかも同じ野球という競技でありながら、片方は金属バットにきちんとしたグローブ、もう片方はプラスチックバットにミトン、といったまでの絶望的な格差がある。

 始まる前から勝負がついているこの試合を、すべてを「オープンソース」にすることでとりあえず対等の道具を持たせることに成功している、といえる。ここでは「「無限」という幻想」も消えるだろう。なぜなら、皆が同じだけの情報を共有しているのだから、「あのひとは知っているけど、自分は知らない」といった情報がなくなるからだ。たとえ見えなくとも、情報の端は明確に意識されるのである。ちょうど、検索エンジンでの検索で導き出される、「約4,870,000件」という結果が、数値上は有限でありながら、どこまでも「無限」に思われるのとは対照的に。

 だったら、皆が平等になるのか。そうではない。知識だけでは意味がない。それを利用する能力が今度は求められる。

 事実、クラス9である知ルの優れている点は、情報量というよりもむしろ、その驚異的な思考力にあった。ハッキングの攻撃に対処しながら、短い間にそのハッキングの方法を解析して学び、完全に自己のものとして反対に相手の<電子葉>をハッキングして「初めて」人を脅迫する、といったように、あるいは、ひとの心を読むことができる、と錯覚されるほどまでに、相手の行動パターン、思考の癖などの膨大な分析から次の相手の言葉、行動を推測する、といったように。*6

 当然、こういった思考力は、それなりの知識量といったものが前提となる。つまり、車の両輪なのだ。「自分らしさ」を「知る」ためには、まず「他人らしさ」というものを「知って」いなければならない。他者に関する「知識」を前提に、その相対化という「思考」を経て、人間は自分の「自分らしさ」を獲得していくのだから。となると、必要なのは他人との交際、そして対話である。

 知ルが「クラス9」足り得るのに、その<量子葉>は十分条件ではなく、必要条件だ。自らの身体を使って経験を重ねること、そしてその最上の「思考力」が、彼女の「クラス9」を担保しているのである。

 

 最後、連レルは、道終が<電子葉>、そして<量子葉>に求めた本当の役割を悟る。それは、「人間の脳を鍛えること」であった。人間の脳に取って代わる、のではなかった。

 道終が、自分で開発した<電子葉>を自分の脳に移植していない理由を尋ねられた際、自分にはもう遅すぎる、と答えた理由がこれだった。現行法では六歳での移植が義務化されているが、道終に言わせればそれでも遅い。知ルは生まれながらに<量子葉>を移植された。自然状態ではありえないような大量の情報を、自分なりに分析し、推測する。究極の「詰め込み教育」と最上級の「思考教育」の両立。それを幾度も幾度も繰り返すことによって、人間の脳は発達する、道終はそう考えたのだった。しばしば、人間は自分の能力の一部しか使えていない、と言われているが、そういったことも通じているかもしれない。

 膨大な情報を人間にもたらす器具によって脳の働きを高めることができるならば。

 昨今嘆かれてばかりいるインターネットの子どもへの浸透も、使い方次第では、そう悪いことばかりではないのかもしれない。

 

 すべてが「オープンソース」になれば、そこからは純粋な思考力や熱意の勝負になる。これは、インターネットから情報を得る<電子葉>だけではまかない切れない領分だ。だから、人間は本来持っている脳を、<電子葉>によって鍛えられた脳を使って、物事を考える。

 『know』というタイトルは、もちろん「知る」という意味もあるが、同時に「脳」という音である。外部の器具がいかに発達しようとも、「知る」とは、「対話」に代表されるインプットとアウトプットの絶え間ない繰り返しを通じた、どこまでも「脳」を使った行為である。

 単純に物語としておもしろいこの作品は、そんなことを言っているような気がする。

 

(文責 宵野)

*1:class という単語、そこから派生するclassifyという単語には、「分類する」という意味のほか、「機密扱いにする」といった意味も持つ。

*2:思えば、「焼き鳥を串から外してから食べるか、串のままかぶりつくか」「ラーメンの麺をすする音の可否」などといった「論争」が増えたのも、SNSが普及したここ数年のことのように思われる。論争が成立するには、それ相応の参加者が必要だ。その点、SNSはより多くのひとが参入しやすい場を生み出した。

*3:思えば、knowという単語には「経験あるいは学習の結果として知っている」というニュアンスがある。たとえば『オックスフォード現代英英辞典』では「to have information in your mind as a result of experience or because you have learned or been told it」とある。また、物事に関して言えば「精通している」、人物に対しては「交際している」とか「知り合いである」といった意味ももつ。単に「情報を持っている」というのとは、どうやら違う性質のものであるらしい。

*4:ネットを見れば、その興味がある分野で、自分と同じくらいの年齢で自分なんかよりもずっと詳しい人間はざらにいることが分かってしまう。私自身、文学や小説について真剣に取り組みはじめたのは大学生になってからだった。いざはじめようと思って周りを見ると、それこそ中学・高校からたくさんの本を読み、あるいは文章を書き、多くの知識を持っているひとがたくさんいた。もうこのひとたちには絶対に及ばない、なんて思ったかもしれないし、たしかにそのときは、先の学生のような困惑を抱いたかもしれない。

*5:となると、情報化社会によって得られるはずの人類全体の利益もまた、資本主義の枠組みに回収される。そして、特権的な人間だけが情報を掌握し、利益が偏重する、ということになるだろう。

*6:「自分らしさ」を伸ばす指導方針の欺瞞性はさておき、いわゆる「詰め込み教育」に対するものとして求められている「個性を伸ばす教育」が目標としているのは、一応、こういった思考力のことであろう。

 しかし、だとすればおかしいのが、道徳の授業に正解らしきものが存在し、挙げ句には通知表で成績・コメントがつけられるようになったことだ。もちろん、あまりにも過激なものであれば、教師は大人の人間としてたしなめる必要もあるだろう。しかし、感情や思考にまで正解を求めるなら、それは定められた「自分らしさ」を「詰め込」んでいるだけな気がする。これでは、戦前の「修身」となにが違うのか、わからなくなってくる。

遅読のすすめ~宮沢章夫『時間のかかる読書』を参考に~

 どこを歩いていても書店を見つけては吸い込まれ、一時期は書店に勤めていた人間として感じるのは、相変わらず「速読」本は、ひとつのコーナーを作れるほどには店頭に並んでいる、ということだ。

 なにを隠そう、私自身、高校生の頃だったと思うが、何冊かの速読本を購入してその技術を習得しようとした身である。一日に三冊もの本を読めれば、受験勉強だって当然はかどるだろうし、いかにも頭が良さそうではないか。いま思えばあまりにも安直な動機だった。第一、その速読本をゆっくり読んでいたのだから、まったくもって矛盾もいいところである。

 当時以上、というよりも比べものにならないほどに読みたい本、読まねばならない文章が増えている現状、速読ができるひとの話や、その効能を聞くと羨ましいことこの上ないのであるが、しかし、もうここは諦めている。自分には合わなかったのだ。(受験勉強も、結局は効率からはどこかずれた勉強法に落ち着いた。)

 

 念のため付け加えると、速読そのものを否定する気はない。時間は限られているなかで、可能な限り多くの文章を読めるのだったら、それに越したことはないと思う。ただ、これは私が小説読みということもあるのかもしれないが、速読信仰には少々の違和感、抵抗感を覚える。

 なんだったら、私は比較的文章を読むのは速い方であるらしい。しかし、それはあくまでも「読むのが速い」だけで、その要因があるとすれば、せいぜい、多少、ひとよりは多くの文章を読む習慣があって、読むことに慣れているから、くらいのものだろう。「速読」技術があるからではない。そう、速読は技術なのだ。

 たとえば、文章を読まずに写真として記憶する、とか、いちどに3行の文章を見る、とか、あとはいわゆるスキミングをする、だとか。もはやそれは文章を読んでいるのかよく分からなくなってくる。これは慣れによって得られるものというよりは、テクニックに近い。だから、それ専用の鍛錬が求められる。それゆえに、速読本という指南本(ハウツー本)が成り立つのだ、と言えよう。

 ところで、速読には眼筋の強さが求められるようで、練習のなかには眼筋トレーニングが用意されていることもある。思わぬ効能として「近眼がなおる」というのもあって、弩がつくほどの近眼である私はその文句に惹かれたところもある。

 

 さて、速読本が置かれているのは、ビジネス書のコーナーであることがほとんどだろう。私のような人間がビジネスを語るのも我ながら片腹痛いのだが、ビジネスの基本は「効率化」ではないだろうか。すると、速読は非常に相性がいい。

 私が読んだ速読本にも、速読のおかげで毎朝のメールチェックの時間が短くなった、という成功体験が語られていた。いや、そもそも世のビジネスマンは毎日それだけのメールに追われているのか、そりゃあ労働生産性が上がらないわけだ、と変な納得をしてしまったわけだが、それは措く。

 速読を求めるひとはつまり、かつての私と同様、効率性を求めているのだと思う。気持ちはわかる。しかし、なぜかこれだけのビジネス書が出ている出版状況であるから、こんなことは言わない方がいいのかな、とも思うのだが、いまの世の中、読書ほど効率の悪い情報収集の方法はないのではないだろうか。これはスピードももちろんだが、物理的な面においてもそうだ。満員電車のなか、本を読むよりはスマホでニュースサイトを見る方が手軽だろう。周りから白い目で見られることもない。(本読みには厳しい世の中である。)

 そういうわけで、私はあるときから読書に対して効率を求めることをほぼ完全に放棄した。すると、生活の多くの場面でも効率をあまり重視しないようになり、周りから見ればじれったいのかもしれないが、私の心身は不思議と良い方向に進んでいる。

 というよりは、世の中があまりにも効率を重視しすぎている。たとえばそれは、コストパフォーマンス、という言葉に象徴されるだろう。この種の言葉は往々にしてその適用範囲がもとの意味を超えて広がるものだが、このコストパフォーマンスもその例に漏れず、「コスパ」と略され(だいたいこの種の用語は、略されて広まると碌なことがない。)、生活のあらゆる場面で用いられているようだ。結婚や子どもを持つことにさえ「コスパ」の概念が持ち込まれるのだから、なかなかなものである。

 「コスパの悪い」ものは徹底的に排除される。これはかなり怖い。

 だれも、進んで無駄をしろ、と言うのではない。しかし、「コスパ」追求のなかで見落とされているものがないだろうか、と私は不安だ。自分の行動が無駄になってしまうのではないか、と恐れて最初から動けなくなる、という例をしばしば聞く。コスパが悪いことは社会悪である、という風潮に絶えずさらされていれば、それも当然と言ったところだろう。

 だから、部下に対しても効率を常に求める経営者が、若者のチャレンジ精神の欠如を批判するのは根本的に矛盾している。チャレンジ(challenge)には「難問」という訳もある。成功すればいいが、失敗すればそれはまるまる無駄なコストでしかない。だったら、最初からそんなリスクを取らない。そういった発想に行き着くのも、まあ無理はないだろう。

 

 さて、ここに『時間のかかる読書』(河出書房新社)という本がある。

 劇作家・演出家であり、芥川賞候補の経験もある小説家でもある宮沢章夫が、横光利一の短編小説『機械』を、なんと11年以上かけて読んだ、その記録である。厳密には、その11年の間に何度か通読もしているらしいのだが、ともかく、ひとつの短編小説の読書録を、ひとつの雑誌(『一冊の本』(朝日新聞出版))で10年以上も連載し続けた、ということからして衝撃的である。「速読」に対する「遅読」の極地、とでも言ったところだろうか。

 内容については、ここではあまり入り込まない。というのも、この本を私がここでまとめてしまったら、それこそ興ざめだと思うからだ。かなり脱線も多い、というよりも脱線に次ぐ脱線、いや、脱線そのものが推進力、とでも言ったような趣で、それを味わうには愚直に前からひとつずつ読んでいくのが唯一にして最良のこの本の読み方だろう。ちなみに頭には横光利一『機械』の全文が載っているので、いちど読んだことのあるひとも、予め読んでおくとよいだろう。私もその口である。

 

 なので、ここではあとがきに触れたい。

 宮沢は、ほかの自作の文庫化に際して解説を書いてくれた知人に、「その世界の専門家でありながら常に門外漢のような書き方をする」と指摘されたことに触れる。

「門外漢」と聞くとマイナスのイメージがあるだろう。しかし、ここでの「門外漢」はむしろメタ的な態度、と言い換えられる言葉だ。「専門家」であることは悪いことではない。しかしそれが「オタク的」になりすぎないようには注意したいものだ。これもまたさじ加減の問題ではあるが、外への視線を失うと、対象に対する視野も狭まり、豊穣だったかもしれないその対象の可能性をはなから無視することにもなりかねない。文学で言えば、批評オタクになると、まず第一に、小説・物語としておもしろいかどうか、という視点を見落として、もっぱら批評の観点からしか評価しない、という危険性もある。

 その「門外漢」の視点を無意識のうちに持ち続けていた宮沢は、この遅読の結果を、こう振り返る。

作者は「屋敷」の死そのものより、「屋敷」が死ぬことによって動く「私」の意識をこと細かに描写する。専門家は『機械』を通じて横光利一を子細に分析するだろう。あるいは「ネームプレート製作所」を「隠喩」としてすぐれた解釈をするだろう。だが、ゆっくり読むこと、ぐずぐず読むことによって、細部のどうでもいいような言葉から、どこか魅力的な「誤読」ができたと自負する。はじめに書いたように、それは「批評的」なまなざしの誤読だ。「誤読」だと宣言するのは責任を放棄するようで卑怯だが、わたしにはそれしかできなかった。むしろ「誤読」こそが『機械』にとって正しい態度だと、十年以上という「読み」の時間の蓄積の中、少しずつ感じてもいたのである。(288頁)

 「遅読」ゆえの「誤読」。速読が正しい内容把握への超特急であるのとは、まるで反対だ。

 この「誤読」というのも、私の好きな言葉である。第一、小説の読みに絶対の正解なるものなどない。それは、たとえ作者が、「自分はこういうつもりでこの場面を書いた」と宣言しても、だ。

 読者論っぽくなるが、作品は、書き手と読み手の共同作業によってその場ごとに生成される。それは刹那的でさえある。ひとりの読者であっても、1度目と2度目で感じるものが異なることだってざらだ。作品とはそういうものなのだ。

 

 この本にはひとつの特徴がある。それは、毎章の見だしに、そのとき現実に起きた事件や出来事が付されていることだ。俳優の死や、オリンピックの開幕、イチローの安打記録更新など、内容もさまざまだ。これは特に本書の内容に関わるというほどではない。しかし、作品が戦前の、しかもフィクションであったとしても、現実とまったく隔絶された読書というものはあり得ない、ということを示しているのかもしれない。私はいちおう、「テクスト至上主義」に懐疑的な立場を取っているつもりであるのだが、それも以上のような考えに依っている。実のところ、現在の私の考え方は『時間のかかる読書』に触発されているところも大きいのだ。

 いまはこうして書評のようなものを書いたり、ときには論文チックなものを書いてみたりもしているが、とりわけ書評については、「そのときの私の読み」を提示しているにすぎない。印象批評だ、と批判されれば、たしかにその通りなのかもしれないが、私は自分の読みが絶対の正解だとは思わないし、そうでありたいとも思わない。読書とはそういうものだ、と思っているからである。

 

 もっともそれは、ゆっくり読めばいい、といった単純なものではない。それは、必ずしも速読がいけないというわけではないのと同様だ。

 結局のところ、その読書経験を生かすも殺すも自分次第だ。最後の最後に放り投げる形にはなってしまったが、しかし、他人任せの態度ではいけない、というのはなにも読書に限ったことではないだろう。

 

底本 宮沢章夫『時間のかかる読書』河出書房新社 2009年11月初版

(少し前に文庫化もしたそうです。また、日本近代文学館が主催する「夏の文学教室」の4日目(8月2日)に宮沢章夫さんが登壇され、『機械』についてのお話をされる予定だそうです。有楽町よみうりホールにて。当日券もあるのでお時間のある方は是非。

夏の文学教室 - 日本近代文学館

(文責 宵野)

文学は役に立つ 石原千秋『近代という教養 文学が背負った課題』書評

 いちおう私はこういったブログを運営しているわけだが、正直な話、文学研究や批評の類の文章を読んでいても、よくわからないことが多い。それは、自分の頭が追いついていないせいだ、と思って後ろめたさのようなものを感じていた。いや、その意識自体はいまも変わらないといえば変わらないし、事実そうなんだろうと思うが、いまは、そのわからなさも楽しめるようになってきたと思う。

 わからない、わからないを繰り返していくうちにふと、自分の経験なんかも思い出されながら、あ、なんかわかってきたかも、と感じられる瞬間がくる。それは拙いし独自の理解かもしれないが、これがけっこうおもしろい。やがてその内容を忘れてしまっても、頭か心か、とにかく自分のからだのどこかにその残滓は残っているものらしい。

 とはいえ、それこそ私の頭が追いついていないせいなのかもしれないが、これはわざと難しく書いているのではないか、お高くとまっていないか、と思わずにはいられない本も少なくない。もっとも、その著者にとって私などは想定されていない読者である、というだけの話なのかもしれない。それなら構わないのだが、難しく書けば高級になる、という意識がどこかしらで働いている結果なのだとすれば、それは由々しき事態だと思わないでもない。

 批評でも文学でも、最近はそれらのものが読まれなくなってきている、と嘆く声はしばしば耳にするが、もしその種の「選民」意識というか、「高級」意識があるというならば、それも仕方がない話なのでは?と自戒も込めて、思ったりもする。(だからといって、通俗的に書けと言っているわけでもない。念為)

 

 私はこういった畑の端くれにいちおういる人間だから実際のところはよくわからないのだが、近代文学は難しい、と一般的には思われているのだろうか。たしかに、背景にある文化の違いがあるから、そこで戸惑うことはあるだろう。夏目漱石を読むときの東京と現代小説の東京は、もはや別物である。それ以外でも、たとえば『坊っちゃん』における東京と松山の距離を、いまの感覚で読んではならないだろう。また、多少言葉の使い方や語彙に時代差がある。

 そういった問題があるにはあるが、実感として言わせてもらうと、むしろ現代の純文学と呼ばれる小説よりはよほど、漱石だったり芥川だったり、なんだったら横光利一のようなちょっとクセもある?近代作家の作品のほうが読みやすいと思う。(もっとも、漱石といえば『吾輩は猫である』のイメージがあるだろうが、あれはなかなか難しい作品だろう。)

 個人的に、やっぱりもっと多くのひとに近代文学を読んでほしい。おもしろいうえに、古い作品を読むことで現代に生きる自分を相対化できるというか、もうひとつの目を養うことにも結果的にはなると思うし、なにより、これらの作品は文庫で大変安く買うこともできる。小説への入り口として、これ以上のものはないと思う。

 そんな私の漠然とした思いを果たしてくれる本を、最近見つけた。 

 

近代を見直すことは、自分がいる〈いま・ここ〉ではない、さまざまな「地点」に立って近代とは何かを炙り出しにすることだ。古典を学び、歴史を学び、社会を学び、世界を学び、そして近代そのものを深く学ぶことが、私たちが寄って立つ「地点」を基礎固めしてくれる。学問がそれに当たるだろう。しかし、学問の殻に閉じこもっていたのでは、前には進めない。現在の学問は専門の領域に閉じられているからである。いやしかし、学問は閉じられているだろうか。閉じられた学問という見方は虚構ではないだろうか。(10頁) 

 

『近代という教養 文学が背負った課題』(石原千秋 筑摩選書)は、まさに日本の近代文学が始まったころの明治文学を、主には「進化論」*1という、これまた欧米列強に追いつけ追い越せで近代化していった明治の日本を支えたイデオロギーを横に据えながら、丁寧に述べたものである。付け加えると、引用した文章からもわかるように、ここにはアカデミズムに対する批判の姿勢も含まれている。

 全八章に渡る本書を通読すれば、明治文学を読む際の心構えのひとつができるようになるだろう。ついでに、といってはなんだが、現代日本を生きる私たちにとってもまったく無縁ではあり得ない進化論について、そのアウトラインを理解することもできる。限りなく小さく見積もっても、一石二鳥である。

 丁寧に論が進められている本書であるが、だからといって簡単なわけではない。私はこの著者の『読者はどこにいるのか 書物の中の私たち』(河出ブックス)を読んだこともある。

 この本も、読者論のアプローチを実践的に体験することのできる良書だと思うが、決して簡単ではない。専門書や学術論文からの引用もある。しかし、流れに沿いながらそれをゆるりと解説してくれるので、そこではいったんスピードを落とし、理解ができたと思ってからもう一度引用の箇所を読んで、再び進む、という読み方ができる。しかも、周辺知識も適宜補ってくれるので、理解も進みやすい。入門にもうってつけだし、また近代文学を読み慣れたひとであっても、より広い視野を得ることができるだろう。

 

 どの章もおもしろいのだが、個人的に、白眉は第二章「進化論の時代」ではないかと思う。

 まず前提として、幾度として語られる「進化論的パラダイム」をはじめとする「パラダイム」。これがもっとも大きな力を発揮するのは、それが「自然」となったときである。もはやそこに疑問を挟むものはいない、というその状態が、一番強いのだ。小説も社会のなかで書かれる以上、その社会を覆うパラダイムから完全に自由でいることはできない。それが、ここでは「進化論」なのである。

 ここでいう「進化論」とは、ざっくり言ってしまえば、すべての事象は時間を追って改良されていき、新しいものが一番良い、という考え方だろうか。とりわけ近代では、それは競争によって引き起こされるものだった。いまだってそうだろう。資本主義の市場経済とは、環境に適応して「進化」した者が勝つ。その一言に尽きるとも言える。近代は、この進化論の考え方に覆われた時代である。

 著者は、まず大学の講師としての経験から、進化論と時間の関係について語る。現代では、電車のダイヤに代表されるように日本人は時間をよく守る、という言説があるかもしれない。(その対比として、沖縄のひとが時間にルーズであることが沖縄県民の特徴として取りあげられたりする。)しかし、明治期においてはむしろ、欧米人の方が時間に厳しかったようだ。第一、江戸時代に、一般庶民にまで精巧な時刻を示す時計が普及していたとは思えない。

 それもそのはずで、西洋において時計が発明されたこと、時刻の支配が統治の象徴として機能したこと、安価な時計が流通し、それを身につけることがエリートの証となったことがそもそも大きい。それまで、日が出ている時間と沈んでいる時間、という不定時法を用いていた日本にそれがもたらされたこと自体が、近代化の象徴なのだ。では、日本においてそれはどこで国民に植え付けられたか。「鉄道・工場・学校」である。なんだか『監獄の誕生』(ミシェル・フーコー)を思い起こさないでもない。

 では、なぜ西洋では時間が重視されたのか。それは「生存競争が激しい」からだ、と当時の実用本は語っている。ここでぬるりと引用されるのが、夏目漱石の『草枕』の一節である。漱石の文明批判として有名なその一節を引用し、「時間による人間疎外(非人間化)」への批判を読み取るその刀で、今度は『行人』にみられる、速度への恐怖を読み取る。

 ここから、「進化」という言葉の裏にひそむ「競争」というワードを、当時の自己啓発本や、家族のあり方の変化、詰め込み教育からゆとり教育あぶり、そして脱ゆとり教育、電電公社の完全民営化とKDDIの設立、きわめつけにグローバリゼーション、といった、様々な事象を持ち出してあぶり出す。このあたりの流れるような論理は見事だ。

 さて。だがここからが凄い。次に出てくるのは「優生学」である。

 いまさら説明するまでもないだろうが、優生学とは「不良」な遺伝子を持つ者を排除することで、その人種の健康は保たれる、という思想である。進化論で有名なダーウィンの従兄弟のゴルトンが提唱したとも言われるこの思想は、ナチスドイツのユダヤ人虐殺の根拠になったことで有名だろう。しかし、日本も無縁ではない。丘浅次郎『進化論講話』(明治37年)がその権威だそうだが、要約すれば、「虚弱な体質の者を医療で助け、その者が子どもを作ると虚弱は遺伝していく。するとめぐりめぐって日本人は弱くなる。だから淘汰するべきだ」。現代からすればトンデモ思想である。

 だったらこれは、あくまでも日本の過去のものでしかない、ということになるだろうか。いや、つい最近も話題になったではないか。日本にはつい最近まで、「優生保護法」という法律があった。

 1940年に「悪質なる遺伝性疾患」を断つために制定された「国民優生法」を受け継ぎ、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」と条文にあるこの法律が制定されたのは、1948年。つまり戦後である。1996年に「母体保護法」となって、ようやく、障害者に対する差別的な条文が削除された。たった20年ちょっと前のことである。*2

 では法律がなくなって優生思想もなくなったか、と言えば、それも違う。たとえば、出生前診断や、出生前の遺伝子治療。倫理上問題があるとして議論が紛糾しているこれらの「技術」だが、素人目に見ても、そのような議論が巻き起こることは容易に想像ができたはずだ。それでも医学が、そのような技術を生み出してしまうのは、やはり優生思想=善、医学の「進化」=善というパラダイムに支配されているからではないだろうか。

 論はその後、歴史の記述についてに進む。これはざっくりまとめれば、歴史は、あとから各々の出来事を恣意的に選択して作った因果関係によって作られるものでしかない、ということ。その因果関係がリアリティを持つかどうかは、その時代の「読者」の感覚に委ねられているにすぎない。これは、小説においても言えることだ。

「近代という時代を因果関係を持った連続した歴史と認識させる装置」、それが「進化論」だったのである。*3これにより、歴史はあるひとつの方向、つまり時間の流れに支配されて変わるもの、と認識されるにいたったのである。

 最後に利子についての話もあるのだが、これについてはざっくりと。利子とは、時間が進むにつれて大きくなるものだ。時間と利子は、切り離せない関係にある。ここではベケットの『ゴドーを待ちながら』が引用されている。)

 以上を踏まえた結論は、「文学史」の否定だ。文学史もまた、進化論的パラダイムに支配された物語だからだ。

 

 そこまで長くはない章で、これだけの内容がつまっている。参照元もさまざまで、有名どころだけでも、うえに挙げた以外に、真木悠介、ギデンス、レヴィ=ストロースなど。

 近代文学だけの問題に止まらない。そして近代だけにも止まらない。入門、概観として優れた文章だと思う。

 もう一度引用しよう。

 

 近代を見直すことは、自分がいる〈いま・ここ〉ではない、さまざまな「地点」に立って近代とは何かを炙り出しにすることだ。古典を学び、歴史を学び、社会を学び、世界を学び、そして近代そのものを深く学ぶことが、私たちが寄って立つ「地点」を基礎固めしてくれる。学問がそれに当たるだろう。しかし、学問の殻に閉じこもっていたのでは、前には進めない。現在の学問は専門の領域に閉じられているからである。いやしかし、学問は閉じられているだろうか。閉じられた学問という見方は虚構ではないだろうか。(10頁) 

 

 文学が、いったいなんの役に立つ?

 そのしたり顔の問いに対する答えには、とりあえず本書を読んでからでも遅くはないのではないだろうか、と言っておく。*4

 もし、この本を読む時間すら惜しい、と自分から問うたくせにそう答えるひとがいれば? 「進化論的パラダイム」は本当に現代にも跋扈しているんだな、とフィールドワークができた、とでも考えておけばよいだろう。

 その目があるか、ないか。それだけで、これからの生き方はやがて大きく変わっていくだろう。

 文学は、閉じた学問ではないのだ。

 

 

※引用は、石原千秋『近代という教養 文学が背負った課題』(筑摩書房 2013年1月)より

 

(文責 宵野)

*1:厳密に言うならば、ここで語られる「進化論」は社会進化論であろうし、また、進歩史観も包括する。

*2:ニュースでは、実際に「優生保護法」に則って手術をした医者がインタビューに応じていた。曰く、そのときはなにも疑問を抱かなかった。言われたとおりに手術をしてしまった。国への責任転嫁にも思えるかもしれないが、きっと素直な告白だったと思う。しかし、『近代日本一五〇年』(山本義隆)を最近読んで、現在にいたるまでの日本の権力と科学技術の関係を知ってしまった身としては、医学もまた、権力の手先となっていたことを再認識せざるを得ない。また、最近『BLACK JACK』(手塚治虫)も読んでいるが、医学博士でもある手塚治虫があの戦争のあと、権力を嫌悪する無免許医師というキャラクターを生み出したことについても、もう一歩踏み込んで考えたくなる。

*3:歴史は時間が進むのに沿って改良されるものであるとする進歩史観の考え方は、いまやパラダイムになっているだろう。しかし、近代以前の日本では儒教的な思想が広まっていた。儒教では、古代中国の堯舜の治政を理想とする。つまり、いまでは当たり前のように受け取られている進歩史観は、この国には近代になってからようやく入ってきたものだった。

*4:本書に書かれている内容に限らず、文学と社会は切り離せないものである。私は、物語のひとつの形でのある「文学」(極端な話、世の中の大抵の事象は「物語」のかたちになってはじめて、認識されていると言える)というものには大きな力があると思っている。それは正と負、両方向の力である。文学は、ときに権力と結びついて利用され得るものだ。

 タイムリーなだけに、残念ながら付け加えないではいられない。アニメ化も決まっていたライトノベル『二度目の人生を異世界で』についての問題だ。中国や韓国に対するヘイトスピーチ的な内容の、作者の過去のツイートが明るみに出て大きな問題となっているこの作品であるが、アニメ化が決定するくらいであり、売り上げ自体は好調だった。もちろん作者のプライベートとその作品は、ある程度わけて考えるべきだと思う。たとえば、同性愛者の主人公の話を書いたからその作者は同性愛者である、と決めつけるのはあまりにも短絡だ。この手の読み方、読まれ方がいまだに横行しているのは残念なことである。蛇足ではあるが、そもそも同性愛者であることがスクープとなってしまう社会自体が、進歩史観がいかにあやしいものであるのかを証明していまっているような気もする。

 閑話休題。しかし、「ある程度」というのは「ある程度」であって、まったく切り離すこともできないだろう。(そもそも、0か100か、という二項対立的な発想そのものが、種々の議論を泥沼化させているのではなかろうか。)今回の件は、そのツイートの過激さや内容(第一、まがりなりにも作家という、言葉を売り物にする者があのよう言葉や文字の使い方をする、誤解を恐れずに言えば、言葉や文字を「犯している」ことなどは、まったくの問題外だと思う。)と作品の設定(明らかにかの大戦を思わせる時代に、戦地で膨大な数の人間を斬り殺した軍人が、大往生したのちに異世界に転生する、というもの。)から判断するに、分けて考えることは困難なように思われる。それでも、作品としておもしろければいいのか。もちろんそういう意見もあるのだろう。

 たしかに、思想は自由だ。どんな過激なものであったとしても、それはこの国の憲法によって保障されている。しかし、それは内心にとどまる限りに、である。ここを忘れてはならない。だれでも気軽に発言ができる時代だからこそ、自らの思想を公の場に出すという行為の結果を、もっと真剣に考えねばならない。作家は、その作品が流通するに当たって、どうしたって自らの名前がついて回るのだ。作者は簡単には死なない。

 しかし、私が今回、この作者以上気になったのは、これを出版しようとした版元、そしてアニメ化に踏み切ろうとした制作陣である。彼らもまた、おもしろければいい。そう判断したのだろうか。いや、それ自体はこの際不問にしよう。しかし、だとしてもこの設定で流通させてしまったこと、そしてSNSの発言ひとつで炎上することが、それこそ火を見るよりも明らかなきょうび、作者のSNSの発言を確認しなかったこと、など。ここにおいて「編集」は、いったいどこに存在しているのだろうか。まともに中身を読んでいないのではないか。そのように疑えてしまうくらいだ。もちろん、それ相応の信念があってこの作品の書籍化に踏み切ったというなら、それも表現・出版・思想の自由として尊重されるものだと思う。(もっとも、これらの自由は他の基本的人権と抵触するときには、比較衡量や公共の福祉の観点から制限されることもある。)しかし、もし彼らが今回の出来事をまったく予想すらしていなかったのだとすれば、あまりにも杜撰、と言わざるを得ない。これでは、なんのために編集者がいるのかわからない。あるいは、この版元は校閲もまともに機能していないのではないか。

 ネットでの反響の数字を見て、この作品を書籍化した出版社や編集サイドは、書籍として公の場にそれが流通する、という事態にはらむ影響力の強さや、あるいは権力といったものに、あまりにも鈍感で無頓着だったのではないか。いくら、最近のそういった類の小説群がほとんど消費財のようなものになっているとはいえ――いや、はっきり言わせてもらえば、むしろ大衆的なものこそ強く権力と結びつき、受け手のなかでそれが培養されていくことだってあるのだ。

 今回のことは、特殊な事例と見なすべきではない。著名な作家や文筆家、学者のなかにもあやしい人物は少なくないからだ。

 だからこそ、私は今回の件を経てさらに、本書の著者が次に目指そうとしている「近代文学研究から社会への発信」の仕事、その姿勢に強く期待を寄せ、また自分もそのような眼を持ち続けよう、と心に誓った。

梅崎春生『怠惰の美徳』をだらだら書評する。

  文庫で三〇〇ページ程度のこの本には短編、エッセーが数多く収録されている。よって、一つ一つの文量は大したものではない。特に短い作品など二ページほどしかない。ちょっとした空き時間に、気楽に読み進められる本である。

 「怠惰の美徳」*1という表題作からも分かるように、多くの作品には作者の怠惰的な考えが影響している。そのことも相まってか、作者の語り口は独特で味のあるものだ。例えば、表題作のエッセイで梅崎は「私は滝になりたい」*2と書いている。ぼんやりと怠けているからだというが、滝を見て怠けていると感じる人は古今東西を探してもそういないのではないか。

 解説、荻原魚雷の言には思わず頷くところがある。

 (前略)なぜ滝なのか。生物ですらないではないか。おかしい、やはり本物は違う。そう簡単に尻尾をつかませてくれない。*3

 さらに「怠惰の美徳」で梅崎はこう記す。

 

 そういえば、私はどちらかというと、仕事が差し迫ってくると怠けだす傾向がある。(中略)これは当然の話で、仕事があればこそ怠けるということが成立するのであって、仕事がないのに怠けるということなんかあり得ない。すなわち、仕事が私を怠けさせるのだ。*4

 

 ありきたりな考えならば、仕事を怠ける人間がいた時、責任を負うのは人間である。しかし、梅崎の考えは違う。人間ではなく、仕事が悪いのだ。確かに、仕事がなければどんな怠け者も怠けることはできないわけで一理ある。

 こんなふうな作者なので、この本には適当に(良く言えば自然体で)書いたのではないかと思われるエッセーや短編が多い。いかにも文学然とした硬い作品は最後に収録されている「防波堤」ぐらいだ。

 例えば、「近頃の若いもの」というエッセーでは、だんだんと筆が滑り、遂にはそれを自身で認めてしまう。挙げ句に最後の文章は「やはり酷暑に仕事するものではないようだ。*5」である。もっとも、私はそのような梅崎の作風が気に入ってしまったのだが。

 特に私が気に入ったのは「飯塚酒場」というエッセーとも、小説とも言える作品である。この作品では第二次大戦中の、飯塚酒場の奇妙な様子が描かれている。戦時期を描いた文学というと陰惨な印象がつきまとうが、この作品はそのような戦争文学とはかなり色合いがちがう。

 戦争の影響で一人一回あたりの酒量が制限され始めたが、飯塚酒場は値段の割に多くの酒や肴を提供していた。そのため、酒場には行列ができ、さらにはその長さが伸び始めた。それにつれて、行列ができ始める時間も早くなっていく。

 酒を飲み終えた客はただちにまた行列に並び始める。というのも、一回あたりの量が制限されているからである。しかし、再び店に入れば酒が飲める。杜撰な規制だが、客たちにはありがたかったろう。

 そのうえ、酒もすばやく飲まなければならない。何故ならば、一度に一定の人数を入場させその全員が退店しない限り、新しい客を入れないからだ。さっさと飲まないと、酒に飢えている連中から凄まじい非難を受けるのは火を見るより明らかだ*6

 こういう事情なので酒を楽しむというより、一刻も早く酒を飲み走って行列にまた加わる。そんな競技をしているような具合になった。この状況を梅崎は以下のように評する。

 すなわちこの酒場においては、早く飲めるものでないと、どぶろくをビールみたいにあおれるものでないと、入場の資格はなかった。それが資格であるからこそ、その資格の最上を競おうという気持ちになるのも、ある程度はうなずける話だろう。*7

 何がある程度うなずける話なのか。理解に苦しむのはきっと私だけではないだろう。こんなふざけて書いているのか、それとも本気なのか判断が難しい文章も梅崎の魅力の一つかもしれない。あるいはおふざけと本気が入り混じっているとも言えるかもしれない。

 話は大きく変わるが、チャールズ・ブコウスキーに『勝手に生きろ!』という自伝的な小説がある。

 

 ちょうど時代は「飯塚酒場」と同じく第二次大戦中である。しかしながら、主人公に戦争はほとんど関係がない。無計画に職を変え、酒を飲み、女と遊ぶだけである。

 そんな『勝手に生きろ』には、主人公と知人が競馬場の窓口へ全速力で向かう場面がある*8。職場から退勤すると、窓口の締切がぎりぎりになるからだ。駐車場に車を停めた後、二人は競い合うように窓口へと全力で走る。怠惰な人間たちが、滑稽なほど一生懸命になる瞬間がある。梅崎が描く酒場の競争とそっくりだ。

 梅崎やブコウスキーのような人間ばかりだったら、日米は戦争になどならなかったのではないか。皆が酒場や賭場に向かってかけっこをしていたかもしれない。まるでオリンピックのような、平和の祭典である。梅崎を真似て、訳の分からない事を言ってみた。

 ちなみに『勝手に生きろ!』の本格的な書評を、紙媒体の「ソガイvol.2物語と労働」に掲載した。ブログだと一部しか掲載してないが、興味のある方には全文の電子販売もしている。詳細は以下のリンクを読んでほしい。

『ソガイvol.2 物語と労働』紹介 - ソガイ

『ソガイvol.2 物語と労働』電子販売と投げ銭 - ソガイ

 

文責 雲葉零

参考文献

梅崎春生『怠惰の美徳』(2018) 中央公論新社

チャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ』(2007) 河出書房新社 都甲幸治 訳

 

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*1:「」を使うと作品名、『』を使うと書籍名を表すという出版上の慣習があるらしい。表題作を語る時には便利である。

*2:16ページ。

*3:302ページ。

*4:17ページ。

*5:72ページ。

*6:ネット上で語られるラーメン二郎のロット乱しという概念を彷彿とさせる。ラーメン店では一度に複数人分の麺が茹でられる。他の客より、食べるのが遅いとそのペースが乱れるというものだ。もっとも、私は実際に行ったことはないし、そもそもこれはネット上の冗談らしいのだが。

*7:252ページ。

*8:『勝手に生きろ』128から131ページ。