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書評 申 東赫『収容所で生まれた僕は愛を知らない』

 まるで小説のような書名であるが、本書はノンフィクションである。朝鮮民主主義人民共和国*1の収容所に生まれた著者が自身の過酷な半生を綴ったものだ。著者は一九八二年生まれで二〇〇五年に中国に脱北した。

 引用は、全て同書からである。

政治犯収容所完全統制区域价川一四号管理所

 これが著者が収容されていた施設の名称である。「完全統制区域」という名称は「革命化区域」と対になっているものだ。後者の収容者には釈放の可能性があるが、前者にはその可能性がない。よって「完全統制区域」の情報が外部に漏れることはない。また、革命化区域は北朝鮮でたった一箇所しかない*2

 不謹慎を承知で言えば、「完全統制区域」にせよ「革命化区域」にせよ虚構のような名称である。いかに北朝鮮の現実が、私達の社会と現実離れしているかが分かる。

収容所で生まれた経緯

 収容所には、収容者同士を結婚させる、「表彰結婚」という制度がある。これは文字通り収容者に対する表彰の意味もあるが、労働力確保という面もある*3。誰と誰とが結婚するかは保衛員*4が独断で決める。もし拒否すれば、一生結婚はできなくなる*5

 著者の両親は、この表彰結婚を行ったのだ。そして表彰結婚で生まれた子供も収容者となる。こうして、筆者は生まれてから、ずっと収容所内で生活することとなった。そもそも、父親が収容された原因は、朝鮮戦争時に兄弟が韓国へ逃亡したからであった。だが、多くの収容者は、何故自分が捕まったのかさえ知らないという*6

学校生活

 収容所の子どもたちは五歳のときに、五年制の人民学校に入学する。前述したように学校の教師は保衛員が務める。拳銃を携帯したままでだ。学校で教えられる科目は国語、算数、体育の三科目にすぎない。国語の授業は字の練習程度のもので、本を読む訓練はしない。これは収容所内に、収容者が読める本が一冊もないからだ*7

 人民学校卒業後は一〇歳で六年制の高等中学校に通う。学校とはいっても、実態は労働者となる準備をするだけである。工場や農場や炭鉱に行って働くのだ。特に過酷なのが炭鉱である。空気不足で、胸焼けがし、最奥ではまともに息をするのも難しい。また、手押しトロッコの脱線で著者の同級生は足の親指を切断した*8

拷問と母と兄の処刑

 学校生活を送るある日、突然、著者は捕らえられ拷問を受けることになる。母と兄が収容所から逃亡したからだ。事前に知らされてなかった著者は尋問に対して、知らないとしか言いようがない。だが、保衛員は決してその言葉を信じない。背中を焼くなどの過酷な拷問を著者に加える*9

 それでも、なんとか釈放された著者を待っていたのは、捕らえられた母と兄の公開処刑だった。また、学校生活に戻った後は、逃走者の身内として、周囲からのいじめを受けた。

学校卒業後

 著者は当初、比較的、楽な豚舎に配属され、そののち縫製工場に転属する。ある日、ミシンを壊すという失敗を犯す。これに対する処罰は過酷なものだった。中指を詰められたのだ。

 また、保衛員の命令を受けて、著者は密告をせざるを得なくなる。その結果、同僚の二人の男女が激しい暴行を受けることになった*10。他者を傷つけなければ、自分が傷つくという極限的な状態である。このことは収容所からの脱走についても言える。著者のように、脱走者の身内は激しい制裁を加えられるからだ。

 朴課長との出会い

 著者が脱北するきっかけを作ったのが朴課長である。縫製工場に配置された彼を、著者がマンツーマンで教えることになったのだ。元々、彼は金正日と握手をした経験があるほどのエリートだった。課長というのはエリートだった時の役職名である*11。また彼は中国に出国した経験があり、北朝鮮の体制批判を著者にする。この時の逸話は後で詳述する。

脱北

 有刺鉄線にからまった朴課長を置き去りにしつつも著者は収容所からの脱出に成功する。それから中朝国境へと、北上する。一ヶ月あまりの時間をかけ、著者は中国へ脱北した。警備兵は煙草などの賄賂を渡してやり過ごしたと言う。

 中国について述べている場面で印象的なのは、中国を極めて豊かな社会と評価していることだ*12脱北に成功したのは二〇〇五年だから、日本人からすればそこまで豊かな社会には見えなかっただろう。いかに北朝鮮社会が貧しいかが分かる。その後、一年余りの時を経て著者は上海の韓国領事館に保護された。

気まぐれな権力の行使

 全体を通して、保衛員は極めて気まぐれである。体制のため、というより私利私欲のために動いているという面が大きい。例えば、著者が人民学校に通っていたときに同級生の女の子が教師の保衛員に殴り殺されたことがあった。トウモロコシを盗んだためであるが、この程度のことでは、場合によっては全く殴られないときもあるという。教師の機嫌が悪かったのだ*13

 また縫製工場には二五〇〇名もの収容者がいたが、保衛員はたったひとりしか配置されていなかった。そのため彼は絶対的な権力*14を持っており、収容者の女性を好き勝手に選ぶことができる。また女性の方でも、保衛員に気に入られようとする。保衛員に選ばれると、他の収容者は手出しできないからだ*15

 さらに保衛員の子どもたちは収容者の子供達をしきりにいじめているという*16

 北朝鮮の体制悪といえば、金正日や金正恩など想起するのが普通だろう。もちろん責任の重大性で言えば彼らが飛び抜けているのは間違いない。だが、見落としてはいけないのが、末端の役人やあるいはその子供までもが、自分たちの怒りや欲望を、収容者達にぶつけているということである。

奪われた言葉と思考

 本書はそう上手い文章で綴られているわけではない。正直、読むのに少し疲れてしまった。文章の緩急がほとんどなく、平板な描写が続くからだろう。また、悲惨な体験を描写するときも、著者の個人的な感慨はあまり多くない。例えば、ミシン工場で中指を詰められた描写も僅か二ページに過ぎない。ある意味で報告書のようである。誇張の正反対、内容に反して語ることが少ないノンフィクションである。

 あまりに悲惨で異常な事態が多すぎて、いちいち詳細に描写できないのも一因だろう。この書評でも、凄惨なエピソードのいくつかを省略している。収容所の中ではあまりに簡単に人が死に、肉体的にも精神的にも傷つく。だが、他の理由も考えられる。

 別の理由の一つは、弱音を吐く余裕すらなかったことだ。筆者は、ダム建設現場での事故死目撃を回想してこう綴っている。

 しかし、建設現場で誰かが死んだからからといって、悲しんで涙を流す人はいない。ただ、自分の命がまだあることだけを確認して、もう一度自分の持ち場で働くだけだ*17

 北朝鮮の収容者達は涙を流さないのである。モスクワのように。そして保衛員にとって収容者の死は労働力の減少にすぎない。また作者は別の場面でこう述べている。

 互いが互いを監視する体制の中では、友達という概念すらも事実上ないのである。他人を信じて話すことができないから、あまり友達付き合いなどしないのだ*18

 誰も同情はしないのだ。このような状況下で弱音を吐く意味はあるだろうか。

 読み書きの能力の低さと偏りにも注目すべきだろう。前述したように著者は本を読む機会がなかった。その結果、以下のように著者の語彙は偏っていた。

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 また高等中学校時代には生活総括のノートに自己批判を強制された。仕事の失敗を書いたり、怠慢した生徒を批判するのだ。こんな作文しか、綴ったことがなければ、自分の感情をうまく伝えるのは難しい。韓国に来てから、再教育を受けているだろうが、そうすんなりとは行くまい。ちなみに韓国入国後から、この本の発行まで一年半あまりにすぎない。これは日本語版の数字なので、原著はもう少し短くなるだろう。

 著者は収容所で暴動が起きることはありえないと断言する。一つには食べ物を報奨とした、密告体制が形成されているからだ。暴動計画は事前に密告される。またそもそも収容者には抵抗意識がないと言う。罪を犯して収容されていると洗脳されているからだ。その結果、保衛員個人に不満は抱いても、体制に不満を抱くことはない。*19

  感情を表す言葉を知らなければ、うまく文章を書けなければ、抽象的な思考を形成することも難しい。このようにして、収容者達が自律的な思考を奪われていることも暴動が起こらない一因ではないだろうか。

 外部の世界、無駄を知ることによる思考、人間性の回復

 朴課長は著者に外の世界の情報をもたらした。中国や国連の存在、収容所外部の北朝鮮社会などである。また北朝鮮の体制が悪いという、著者が思いもよらなかった思考までもたらした。この時、著者の身体は収容所内に留まっていたが、思考は外の世界を向き出したのだ。脱北を決意した時の、著者自身の言葉を引こう。

 

 脱出をしようという話になったとき私は胸がいっぱいになった。

 初めて、私に"生きる目的"ができたのだ。

 

 脱出をして、だった一度だけでいい、中国という国に行ってみたかった。白いご飯を食べ、肉の汁を飲んで暮らしてみたい*20

 

 また本筋からすると関係ないようだが、朴課長と筆者の交流で極めて印象深い場面がある。朴課長と一緒に筆者が歌を歌う場面だ。二人でいるときに朴課長が突然歌を歌いだしたので、著者は戸惑う。歌を聞いたことはあっても自分で歌ったことはなかったのだ。やめるように頼むが、それでも課長が歌い、やがて二人で一緒に歌う*21

 こちらはフィクションであるが、映画『ショーシャンクの空に』にも同じような場面があった。主人公は冤罪で刑務所に収容される。主人公は元々銀行家だったので、所長の右腕に成り上がる。

 また図書室係としても過ごすが、ある日「フィガロの結婚」のレコードを無断で所内放送に流す。収容者達は一斉に立ち止まり、皆で「フィガロの結婚」を聞く。とても、いいシーンだ。無断で流したので、主人公は処罰を受けたが。

 歌を歌う、あるいは聞くというのは誤解を恐れず言ってしまえば、余暇であり、無駄である*22。仕事以外で本を読むことが余暇であり、無駄であるように。

 しかし、労働以外の余暇や無駄がなければ主体的に生きていると言えるだろうか。前述したように収容者達は労働力としてしか見られていない。いわば収容者達は金正日やその手下の保衛員のロボットであり道具である。

 ここでダム建設工事の際の収容所所長の訓示を引こう。

「おい、お前たち、仕事をもっと一生懸命しなければならない。お前たちはそんな働きぶりで、どうやって詰みを償い、どうやって生きていくというのか。仕事を熱心にしろ、わかったな? よく食べて、よく寝て、いつも働くのだ。もっと一生懸命に働け!」

*23

 このようにその冷酷な事実は、罪を償うという論理で道徳的にも正当化されていた。そして、食事や睡眠すら労働のためにすぎないということが分かる。いくら苛烈な収容所とは言え、最低限の食事や睡眠がなければ持続的な労働はできないからだ。もっとも食事はごく粗末なものだが。

 まして、著者は収容者同士の子である。前述したように、その結婚は労働力の確保が一つの目的であった。生まれる前から、労働することを課されており、学校でもそのように教育された。働かなくてはいけないという考えは、著者の心に強固に刻まれていただろう。

 歌を歌うということは、傍目には些細な事である。しかし、それは労働、罪の償い、強制ではない、著者自身のための自由な行動であった。人間は歌を歌わなくても労働はできるからだ。大げさに言えば、著者は歌という無駄を獲得することで、主体性、人間性回復のきっかけをつかんだのだ。

 

 文責 雲葉零

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参考文献

申 東赫『収容所で生まれた僕は愛を知らない』(2008)李洋秀 訳 KKベストセラーズ

 

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*1:以下、北朝鮮と省略する。

*2:一五頁。

*3:少子化対策をもっとも露骨にすれば、この制度のようなものになるだろう。

*4:スパイや反体制派を弾圧する秘密警官だが、収容所内では看守や教師の役割を果たしている。

*5:七〇頁から七四頁。

*6:三〇頁。

*7:九七頁。

*8:一三一頁から一三二頁。

*9:一五五頁から一五七頁。

*10:二二五頁から二二八頁。

*11:二三〇頁から二三一頁。

*12:二七八頁。

*13:一〇〇頁から一〇二頁。

*14:「王様のような」と著者は形容する。社会主義国家であるはずの北朝鮮がこのような体制になってしまったのはまさに皮肉だろう。

*15:二一六頁から二一九頁。

*16:一〇七頁から一一〇頁。

*17:一三六頁。

*18:九四頁。

*19:二八二頁から二八四頁。

*20:二四三頁から二四四頁。

*21:二三九頁から二四三頁。

*22:職業歌手や歌の先生なら別だろうが。

*23:一四三頁。