灰沢清一と申します。この度ソガイに加入することになりました。
これからこのブログに文章をちょこちょこ書いていくと思います。よろしくお願いします。
取り急ぎ毎週1記事くらいは書けるようにしていきます。
今年の夏まで横浜に住んでいたが引っ越すことになった。こう書く時点で、既に傲慢である。横浜と書く方が伝わると思っている。地方のステレオタイプをいたずらに広めていくばかりで、その実情に目を向けようとしない「秘密の県民SHOW」をどれだけくだらないと思っていたとしても、神奈川県の話題が出ると地域の勢力図を嬉々として語ってしまう。横浜に住んでしまった人間はうっすら横浜がいちばん偉いと思っている。川崎とか横須賀とかを下に見ていて、箱根はイレギュラーな存在だと捉えている。
みなとみらいがあるから神奈川県の中心は横浜であるという認識は確かにある。横浜駅周辺には意外と何もない。海が近くにあって、開かれた明るい街というイメージをどことなく作り出しているのはみなとみらいである。海沿いに建つ赤レンガ倉庫はいまやロマンチックな逢瀬の舞台である。ウィンドウショッピングにとどまらず、期間限定でビアガーデンやらスケートリンクやらも楽しめてしまうわけで、ランプの下で身を寄せ合う恋人たちはかつてそこが落書きだらけの港湾倉庫だったことを知らない。『シリーズ紙礫10 横浜』横浜を主題としたアンソロジー編者の八木澤高明が試みたのは、「秘密の県民SHOW」が決して触れようとしない横浜の暗闇にほのかな光を投げかけることだった。
犯罪、原発、娼婦。社会の表側に現れない「日陰」の存在についての書籍を多数発表する八木澤にとって、赤レンガ倉庫はほの暗い退廃を象徴する場所だった。
私が中学生の頃、今から三十年前の一九八〇年代、赤レンガ倉庫は落書きがされ、所々レンガが剥がれ、夜にはあまり近づきたくないような場所で、ささくれだった空気が流れていた。(中略)当時の赤レンガ倉庫は、観光スポットとは程遠い、男たちの汗の匂いが漂う、ざらついた場所でもあった。私は、終日油の膜が張り、どこからともなく猫や犬の死体が漂ってくる海に向かって釣り糸を垂れていた。岸壁にへばりついたカラス貝やエビを捕まえて、餌にすると、アイナメやカサゴがよく釣れた。家に持って帰って、母親に料理してもらうと、醤油で煮付けても、ほのかに油臭かったが、私は気にすることなく口に運んだ。(307頁)
赤レンガ倉庫は今でも釣りスポットではある。それに、横浜ビブレ前を流れる幸川はいつ見てもだいぶ汚い。だが、みなとみらいはその淀みをよそに押し流そうとしている。八木澤よりずっと後に生まれたわたしはきれいなみなとみらいしか知らない。埋め立てられる前の生臭さを知らない。どこにでも灰色の光景がある。怪しげな携帯番号の書かれた公衆便所とか、空き缶に混ざって煙草の吸殻が突っ込まれている公園のごみ箱とか、淀んだところがある。だがみなとみらいは灰色を知らない(ように振る舞っている)。
山中竹春市政の下、IR構想が頓挫したのもそれと無関係ではない。みなとみらい・山中ふ頭にカジノを拒んだのはみなとみらい自身の意志である。IRを通じて本当に増収が見込まれるのか。前職の林市長の説明プロセスはどうだったのか。といったことよりも重要だったのは、そもそもみなとみらいを濁らせていいのか? という疑問だったように思われる。みなとみらい構想が作り出した横浜のアイデンティティが、横浜市民にカジノへの生理的な拒否感を引き起こしていたのである。潔癖な港町。横浜。かくしてみなとみらいは輝き続ける。
だが、清潔な小説(純文学)などあり得ないのと同じように、澄みきった港とは矛盾した存在ではないか? 横浜はその成立当初から雑たることを避けられなかったからこそ、今の繁栄があるのではないか? このアンソロジーで取り上げられる横浜とは、猥雑きわまりない、今も残る横浜の姿である。
無論、その街が生活を始めるのは、夕方の四時か五時頃からであるが、初夏のまだ明るい光の中にでも、ちょろりちょろりと溝鼠のように、その狭い溝臭い路地に現れては、マッチ箱を積重ねた脆弱な感じの、或いは棺桶の立腐れたような腐敗した感じの、それぞれの二階家に向って姿を消して行く、馴染みの若い行員や海員の姿なども少なくなかった。
一度、蒼い夕闇が、人間の顔を恥と醜さから覆い隠すようになると、僅か百軒そこそこ、五百人たらずの春婦たちの街に向って、数千人の男たちの群れが、どこからともなく現れて、路地の蜘蛛手の中に渦のように満ち溢れ、恐ろしく無言で真剣な顔のまま、声の少ないざわめきを立てながら、その二階家に出たり入ったりする。(134頁)
田中英光『曙町』の一節である。曙町は今でもヘルスが立ち並ぶ地域である。黄金町のちょんの間が摘発により壊滅した今もなお、イセザキ・モールを突っ切る人の中には「恐ろしく無言で真剣な顔」を見かけたように思う。『曙町』において、宝船という店の由起子の下に通い詰める享吉の姿はなんとも愚かしい。
由起子との交接で感じた「エクスタシー」を忘れられない享吉は繰り返し由起子を求めようとするが、由起子にとっての享吉は金づるでしかない。六百円(享吉の月給の二倍)という法外な額をふっかけられた享吉は激高して「金を軽蔑」し百円札三枚を叩きつけて帰ろうとする。ところが直後に「只で三百円出したのが、堪らなく惜しくなって」しまって目の前にあった海苔巻きを要求した挙句に、「それじゃア一本やらせろ」と「恥ずかしさで奇妙に歪」んだ顔で要求する。そうして「敵同士のように憎み合っての抱擁」の苦しみから脱したいあまり、結局三百円追加で払ってしまう。すると由起子は嘘のように「上機嫌」になっている。田中英光に傾倒していたのは西村賢太であるが、たしかに私娼窟で二人が、「敵同士のように憎み合っての抱擁」しているさまはなんともおもしろい。光に満ちた港町ではそうした抱擁は描きえない。
無論もっと悲惨なものもある。水上勉『白い鎖』において証拠隠滅のために女を殺害した麻薬密売組織の男は、「占領軍政の厚い壁」に阻まれ無事逃げおおせてしまうし、小池富美子『煉瓦女工』のみさは「多発性、関節ロイマチス」に苦しみながら労働と方向を続け、「みんなの運の悪い事」を悲しまずにはいられない。また、『土堤』において誰からも受け入れられないまま全国各地を放浪する「N少年」こと永山則夫は、横浜のオールナイトの映画座や神社で寝泊まりし、孤独に日々を費やしている。
世代がちょっと違えばそれはよく見る光景だったのかもしれない。だが小学校の社会科の資料集だったり、校外学習だったりを通じてみなとみらいの光を浴びせられて育ったわたしにとってはその光景が異様なものに映ったのだった。
いや、異様というのはおかしい。曙町。ネオンの街。歓楽街のざわめきは田中が描いたこの令和の現在そのものとしても読める。八木澤が他の著書でも繰り返し主題として据える「裏横浜」とは、かつての横浜ではなく今の横浜である。内陸側に邪気をすべて押し付けたかのように、みなとみらいは裏であることを執拗に拒絶している。
たまにみなとみらいまで歩いていったことを思い出す。臨港パークの冬の空気は澄んでいて、芝生でまばらに座る人々は夕暮れの海を眺めている。周りのビルがライトアップをはじめる。目が覚めるほどに凛とした空気。一日の終わり。裏返っていく。灰色に塗りつぶされたみなとみらい。アンソロジーで編まれた暗い横浜。曙町に足を運べばすぐに得られるもの。その像がどうしても結ばない。過去が現在に追いついていない。横浜、と無造作に発せられたとき、もっと混然としたものがあることを無視しているように感じる。どこまでが横浜なのか? どこからがみなとみらいなのか? 「今年の夏まで横浜に住んでいたが引っ越すことになった」わたしはどの横浜に住んでいたのか? 少なくとも、みなとみらいではない。