ソガイ

批評と創作を行う永久機関

習作としての読書ノート『シュレーディンガーの猫を追って』第10回

 

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 第10回

 

 先日、「すみだ北斎美術館」に行ってきた。行くのを決めたのは前日の夜だった。その理由というのもまあ不純なものである。

 私は半年ほど前からたまにダーツをやっている。これまでは通販で買った初心者セットをなんとなく使っていたのだが、この前、私よりも前にダーツを始めていた従兄弟のダーツを投げさせてもらったとき、それがとても投げやすかった。どこで買ったのか訊いてみると、友人と秋葉原のダーツショップに行って、試投を散々やらせてもらって決めたと言う。

 そうすべきなのは分かっていながら、どこか専門店に入ることに抵抗を感じていた私だったが、身近なひとにそう言われたこともあって、(まことに遺憾ながら増税前に)新しいバレル(真ん中の、手で持つ金属のところ)を選びに行こうと決心。調べると両国に良い感じのお店がある。そこに決める。しかし、ダーツショップの開店はどこも遅めで、このお店も昼の12時の開店。

 せっかく両国に行くなら。ということで、その前に、9時半から開いている「すみだ北斎美術館」にでも行ってみるか、と決めたのだ。入館料も、そんなに高くなかった。それもまた、決め手だったかもしれない。

 

 今回、葛飾北斎の数々の作品を観て感じたことがある。それは、「作品を生み出し続けるひとは、それだけでまず偉い」ということだ。

 葛飾北斎は1760年生まれで、1849年に没する。数え年で90歳(満年齢で88歳)。没年にも作品を残す北斎には、まさに「生涯現役」という言葉が似合う。

「すみだ北斎美術館」では北斎の作品が、習作や黄表紙の挿絵から、晩年の肉筆画まで、年代別に並べられている。まさに北斎の生涯を歩んでいくような展示になっている。そこには、修業時代から変わらないものも、年齢を重ねるなかで変わっていったものも、両方が感じ取られる。けっこう同じモチーフを繰り返し繰り返し描いてもいるのだが、同時に、「こんなものも描いていたのか」と驚かされる幅の広さも持ち合わせる。北斎の息の長い作家人生を鑑みると、テーマではなく編年体での展示が適している、と確かに感じた。

 もちろん有名な『富嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」や、『北斎漫画』もよかった。ただ、今回私が一番印象に残ったのは、最晩年、死の3か月前に描かれ、絶筆と見なされている『富士越龍図』だった。肉筆画なのだが、富士を囲むように立ち上る黒煙のなか、天に向かって登る白い龍。これが3か月後に死ぬひとの描くものなのか。それほどまでに厳か、力強い絵だった。

 北斎は、数え年で75歳のときに刊行した『富嶽百景』(1834年)のなかで、「百数十歳まで努力すれば生きているような絵が描けるだろう」と記しているらしい。これをこの歳で言うのも凄いが、これだけの作品を残したひとの言葉と考えると、これは重い。ただ生きていれば、というのではない、「百数十歳まで努力をすれば」と言っている。努力を続けることがいかに大変なことか、知らないひとはいないだろう。

 北斎ほどの地位を確保したひとなら、現状維持に甘んじたとしても責められやしない(そもそも現状維持だって、簡単なことではない)。それでも、自分はまだ途上にあると思い、上を目指し続ける。とんでもない胆力である。当時にしては相当長生きだっただろう、その長寿も、本物の絵を目指し続ける意志の賜物なのかもしれない。

 この『富士越龍図』の、通路を挟んで後ろには、当時の北斎の制作風景を再現した模型がある。畳の上、布団をかぶり四つん這いになりながら、墨に筆をつけ、紙に向かっている。そばには娘のお栄、部屋には描き損じてくしゃくしゃに丸められた紙が散らばっている。こんなになってまで描き続ける。これを観ていて思い出したのが、正岡子規の執筆風景。『墨汁一滴』や『病牀六尺』を病床で書き続けた彼もまた、北斎とは対照的に若くして命を落とすが、生涯をかけて表現し続けたひとだった。

 現代日本の作家でそういうひとがいるとすれば、たとえば古井由吉になるのだろうか。いまだにコンスタントに連載を続ける彼のバイタリティには本当に恐れ入る。(と言いながら、私はちゃんと古井を読めていないので、これから読んでいこうと思っている。働き始めてから、少しずつ読みたいような気がしている。)

 

 さて、例のごとくかなり長い前置きになってしまい、「これ単体で記事にしちゃえばよかったんじゃないか?」と自分でも思わないでもないが、いちおう、これから話そうと思っていることと無関係ではない。……と言ってしまうことで、無理矢理にでもそこに繋がりを見出し、創り出す状況に追い込むことが、最近の私の良いところなのか悪いところなのか。(が、どちらにしろ、結局この前置きの方が長くなってしまいそうだが……)

 ここまで『シュレーディンガーの猫を追って』という作品を追ってきて感じることのひとつに、この書き手は、ひとつのことをとにかく、いろいろな視点から見つめ、繰り返し繰り返し書き続けている、そんな感じがするのだ。フォレストが小説を書く契機、動機にひとり娘の死があるが、そこから十数年が経過しながらも、その死がいま・ここにあるものに感じられる。

 そのフォレストが見つめているものは、無からなにかが生まれる瞬間やもうひとつの世界の可能性であり、そのために暗闇を見つめ続ける。

 しかし、これが非常に苦しい営みであることは、想像に難くない。なぜなら、それはあるかないか分からない、いや、むしろ存在しない、あるいは、存在するがそれを目にすることは叶わないものであるだろうからだ。フォレストもそれを分かっていて、だから、逡巡しながら文章を綴っている。たとえばこのような文章に、それが表れているだろう。

 無しかない。この無のなかで、 時間は自分に意味を与え、方向を決めてくれる何かにしがみつくことができない。前なのだろうか。人びとが物語る、あの、光が闇から切り離される前、 空が生まれ、天の海と地の海が分かれる前。それとも、後なのだろうか、すべてが無限小のうちに戻り、天
地創造が虚無の王国をふたたび取り戻した後。そして、すべてがふたたび始まる。あるいは、始まらない。それにしても、いつ? 始まりにせよ、終わりにせよ、それを告げる手だてはない。闇夜、圧倒的な闇夜が支配する。前も後もなく、昨日も明日もない。 (65頁)

 フォレストは、ずっとどこかで疑いながら闇夜を見つめている。もしかしたら、これは徒労でしかないのではないか。成果は望めないのではないか。ただそこをぐるぐる回っているだけなのではないか。

 それでも、見つめることを、考えることを、そして書くことを続ける。無駄な努力かもしれないが、それでもその努力を続ける。

 世界は無数の要素に分割される。しかしそれらの要素は、現象が連なって編まれた唯一の糸目を織りなしていて、そのなかではどの現象も他のものから完全に孤立することがない。固定していて、かつ、流動的。つねに同一で、かつ、絶えず異なっている。絶えず捨て去った姿を取り戻し、さっきまで纏っていた姿をつねに手放す。

 

 現れて、消えて。

 

 それをまた繰り返して。(70、1頁)

 

 私は、「大事なのは結果よりも過程だ」と両手を挙げては言えない。自分を鼓舞する意味合いなら構わないのだが、ひとにそれを説くだけの確信と自信を、私は持てない。なぜなら、大抵の場面において過程を意味付けてくれるのは結果である、と否応なしに実感されるからだ。はっきり言ってしまえば、目ぼしい結果が出ない過程は、世間的にはあまり評価されない。無駄なこと、と切り捨てられる。効率、費用対効果に価値を置く現代においてはなおさらだろう。無駄であることが、現代では罪とすらされる。では、それを罪とされないためにはどうすればいいか。無駄でなくせばよい。無駄でなくすには。結果を出して、すべてはその結果のための過程であったという意味づけをすればよい。……つまり、過程単体では「無駄」という評価から抜け出せないのだ。

 となれば、私がいま望みを感じているのは、過程そのものが結果になる、そんな歩みだ。手段が目的化している、と言われればその通りなのだが、とにかく効率が神とされる世界、その世界に背を向けて反逆する以外で、世界のなかであたかも遊歩する者としてやっていくに、ひとつにはこの方法があるのではないか、と思う。(なぜ反逆以外の方法を志向しているのかというと、最近のいろいろな出来事を見聞きしていて、反逆の方法が果たして長い目で見たときに有効であるのか、非常に疑問であるからだ。私が、少なくともこの「ソガイ」という場で、なんらかの作品の批判をメインにしようと思わないのも、おそらく同様の意識からだろう。)

 

 それでも、なにかを続けてきた、その道のりに落としてきた種から咲くものがきっとある。風に乗って、その香りが背中からただよってくることだってある。けれども、その香りをかぐには、その道を歩いていなければならない。

 続けること。その意味を改めて思い知る。だから、私も書き続けていこう。たぶん私にはそれしかできないし、それならできるのだ。

 

「それをまた、繰り返して。」

 

……ところで、常に一定の距離の先にあるボードを狙うダーツとは、まさに再現性のスポーツである。だから、上達への道は、地道な反復練習だ。ここにもきっと、繰り返しの先に見えてくる世界があるに違いない。

 文学だけの問題ではないのだ。すべてのことは。

 

(宵野)

習作としての読書ノート『シュレーディンガーの猫を追って』第9回

 

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 第9回

 

 芸能人やスポーツ選手の生い立ちを、再現ドラマを交えながら描く。そんなバラエティ番組を観たことがあるだろうか。複雑な家庭環境、苦しい生活、恩師との出会い、仲間との再会、そしてつかみ取る成功……。そのとき、司会や雛壇の芸能人、あるいはいっしょに視聴しているひとが、「こういうひとにはやっぱりドラマがあるんだねえ」と感嘆する場面を、しばしば目にする。

 たしかに劇的だ。現在の彼らの成功は、運命であったかのように思われてくる。しかし、そこにドラマがあるのは言ってしまえば当然だ。なぜなら、ドラマになるように出来事を結び、組み立てているのだから。時系列に場面を追っていると、あたかもそれが積み重なって、最新の現在につながっているように感じられる。だが、それはちょっと違う。すべて現在からの演繹で成り立っている。成立順としては、むしろ現在が最初なのだ。だから、いまの成功に関係がない「らしい」出来事には言及されず、省略される。これは物語を作る手法だ。それゆえ、そこに物語があるのは当然だ。なにせ、最初から物語を作っているのだから。

 

 あの猫の登場を「最初のとき」と記したフォレストも、このようなことをしっかり意識していたらしい。

 いまわたしが語っている物語は、すでに話した「最初のとき」とともに始まっていた。何かが、猫のかたちをして、庭の奥に現れたときのことだ。でも、わたしにはよくわかっていた。この「最初のとき」は、実際にはそうした始まりのひとつではなかった。そう呼ぶようになったのはずっと後になってからだ。その瞬間につづいていろいろな出来事が起きたために、そこから何かが始まったかのように考えるようになったのだ。つまりわたしは、あとにつづいた事柄に意味を与えるために、その始まりをすっかり提造していたのかもしれない。 (57頁、「猫のかたちをして」には傍点)

  そう、それを「最初のとき」と呼ぶようになったのは、それよりもずっとあとのこと。順番としては、いまがあってからの「最初のとき」なのだ。これはもっと一般的な物事に敷衍すると、原因と結果というものがある。おそらく多くの人が、原因があってから結果が生じる、と思っているが、しかし、そうとは言い切れない。結果となる出来事があって始めて、あるものを原因たらしめるからだ。

 そして、これは物語についても言える。ひとつ例を挙げると、物語には伏線というものがある。そのときにはなんでもないような情報が、実は物語終盤での大きな出来事のほのめかしになっている、そういうもののことだ。これも、それを回収する場面があってこそ伏線になるのであって、単独では伏線にはなれない。ただのなくてもいい描写になってしまう。もちろん、そういう場面があったっていいのではないか、と私は思うが、短篇小説となってくると、事情は変わってくるかもしれない。だから、短篇の名手であるチェーホフは、無駄なものを出さないよう意識していた。有名な「チェーホフの銃」である。物語で出てきた銃は、必ず撃たれなければならない。そうでなければ銃を出してはいけない。物語にはこういった、システマティックな側面もある。だから、もしそれが物語となっているのなら、現実そのままではないのである。現実をそのまま描けば、9割以上が無駄な描写になるだろうから。

 もっといえば、基本的に物語には終わりがあることが約束されている。受け手は、その終わりを予感しながら物語を追っていく。言ってしまえば、終わりありきなのだ。

 そういうわけで、表面的にはどれほど逆説に見えたとしても、始まりからスタートする物語はひとつもない。あとになってから、そうだったという振りをするだけだ。「むかしむかし」と口にして過去のある瞬間を指し示し、あとにつづくすべてがそこから演繹されると考える。ただし、原因が結果を作りあげるのと同じように、結果がその原因を作りあげる場合はべつだ。ひとつの出来事を観察しはじめる瞬間が訪れて初めて、その起源を探し求めることが可能になる——あるいはその必要さえ生じる——のであって、そこからひとは時間の流れを遡り、必然的にそれを逆方向にたどってゆくのだ。(58、9頁) 

  いま「わたし」がやっているのは、いまという場所から「無からなにかが生まれる瞬間」まさに始まりのときを見つめようとすることだ。形をもたない暗闇の微粒子が黒猫という形となって「わたし」のまえに現れる。まさにその瞬間を見つめている。かつて娘と語ったかもしれない、始まりのとき。

 そんな「わたし」は、「つまり「最初のとき」などない」と言い切る。そして、物語と人生との決定的な違いについてこう述べる。

 もちろん、物語と思えば、あらゆる素材を使って思いのままに話を作ることができる。だが、何をしたところで、物語は他の物語と同じ形式になる。始まり、中間、終わり。ひとつの意味があり、方向がある。誰もがそこに行きつくのだ。

(…)

 しかし、人生には、始まりも終わりもない。ときとして、物事は始まりによって締めくくられる。だとすれば、終わりから始まったとしても、あるいは中間からだとしても、もはや驚きではない。どんな瞬間も、他の瞬間に取って代わることができる。与えられた出来事をめぐっては、物語を自由に始めて終えることができる。好みのままに話を広げたり、たったひとつの場面(ある晩腕、庭にいる猫)に収まるように縮小することもできる。物語を引き延ばすことで、つねに時間を舞台として演じられ、表象されるすべてのものをそこに含ませることもできるのだ。もし望むなら、世界が虚無から生まれ出た想像もつかない瞬間から、同じように想像もつかない、世界がそこに回帰するだろう瞬間までを含ませるところまでだってゆけるのだ。 (62、3頁)

  きっと、この言葉にはひとつの言葉が隠されている。すなわち、娘が生きているもうひとつの世界、その世界を目にする瞬間、が。

(第10回に続く)

 

(宵野)

習作としての読書ノート『シュレーディンガーの猫を追って』第8回

 

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 第8回

 

 書評のようなものをはじめてから2年くらい経つが、ときどき思うのだ。もうこれ、内容をそのまま差し出すだけでいいんじゃないか、と。もちろん著作権的には問題があるのだが、しかし、本音を言えば、やっぱり文章のどこかを切り取るというのは本当に難しい、いや、実はそんなことは元々無理なことなのではないだろうか。だって、そのままの文章がやっぱり一番きれいなのだから。

 もちろん、できることなら私は、自分が紹介した作品をだれかに読んでもらいたい。私がここで採りあげるのは、まず私が読んでおもしろかったと感じ、そして、あまり知られてはいないけれど、世の中にこの作品を真に求めているひとがいるに違いない、とにかく、この作品の存在だけでも伝えたい。そう思ったものだけだ。

 いまこの作品を採りあげればレビュー数稼げるんだろうなあ、と思うことがまったくないと言ったら嘘になる。そりゃあ、自分の書いた文章が多くのひとに読んでもらえて、ましてや感想なんかもらえれば嬉しいことこの上ない。しかし、私なんかよりもずっとそういったことに向いているひとは他にいる。私は一度、「地味なことをやり続ける才能がある」と友人に評されたことがある。多分その評価は間違っていない。それどころか、的確ですらあるかもしれない。あくまで現状ではあるけれど、私は多分、誰にも読まれなかったとしても、放っておいてもなにか文章を書いているだろう。だったら、そんな私が紹介するのは、著名なものに限る必要はないだろう。むしろ、放っておいたら忘れられてしまうような作品を、掬い上げようではないか。そんな風に感じている。

 つまり、そのとき私の名前などはべつに忘れ去られていても構わないわけだ。となると、やっぱり元の文章をそのまま届けたい、なんて思ってしまうのだ。ちょっとした葛藤のなかにある。

 

 長い前置きになったがこの第5章、このように強く感じてしまうくらい、胸を打つ文章が詰まっている。ここで立ち往生するのも悪くはないのだが、いちおう、これは私が「習作」として書いているものなのだ。自分でも忘れがちだが。

 だから、多少は前に進んでいかないと、元も子もない結果になってしまう。それゆえ、なんとか進めていこうと思う。

 

 問答は続く。子どものほうが、人間や植物より「もっと前」、地球や太陽や月、さらにそれよりもずっと遠い星の前にはなにがあったのか、と尋ねる。大人は、「その前はわからない」と認めてから、「もし何かがあったとしても、それを見られるひとは誰もいなかった」と答える。それに対して子どもが、「真っ暗闇ね」と言う。

 すべての始まりとしての暗闇。光よりも前にある闇については、これまでも繰り返し述べられてきた。しかし、子どもの「なぜ?」はこんなところでは止まらない。だったら空や太陽などは、いったいどこから来たのか、と問う。大人は、どこからも来ていないと言う。ならばと子どもは、「じゃあ誰かがそこに置いたのかしら?」と広げる。この「誰か」を名付けるとすれば、それは「神様」だ。しかし、神様を信じているひともいれば、信じていないひともいる。

 子どもは問う。

「パパはどうなの?」
「パパは信じていない。はじめは無しかなかったと思っているだけだ」 (49頁)

 しかし、信じていようがいまいが、世界はたしかにある。ここで思い出されるのが、第1章、ニールス・ボーアの馬の蹄鉄の逸話だ。「信じていなくても効き目があるらしい」。つまりそういうことなのだ。

 ところで、ここで「パパ」という言葉が出てくる。やはり、この少女らしき者は「わたし」の娘だったらしい。もちろん、実在の娘かどうかはわからない。彼の記憶のなかで作られていった娘という可能性もある。だから、直後の段落には少し驚いた。

 娘がまだ生きていた頃。とても小さかったのに、彼女は病気のせいで夜中によく目を覚ました。彼女に呼ばれるとわたしは寝室へと通じる古い赤い木の階段をのぼって娘のもとにいった。モルヒネを使っても痛みが取れず眠れないときには、娘のそばに横になってお話をして聞かせた。彼女の
こと、そしてわたしたちのことを物語る、子どものためのおとぎ話。(50頁) 

  すると、あのやりとりは実際にあったものだったのだろうか。いったん保留にしておこう。

 ここで注目したいのは、「わたし」が、痛みに苦しむ娘を癒やすために、物語を語り始めたということだ。娘、ただひとりだけのための物語。なんと私的な物語だろうか。娘の死以来、フォレストは小説のような文章を書き始めた。いまの彼の作品は、やはりそのとき娘に語っていたような物語の延長にあるのだろう。

「わたし」はいまになって思う。

(…)彼女が望んでいたのは、手遅れになる前に、わたしが世界中の物語を、まるですべて知っていたかのように、ぜんぶ話して聞かせることだったのだ。いまのこと、かつてのこと、これからのこと、あるいは、そうありえたかもしれないことのすべて。想像もつかないような世界の始まり以来の物語だ。それを知らなかったわたしは、ぜんぶ自分で編み上げたのだ。

 

 わたしが語りはじめたのは、人生のその時期だったと思う。いまとなっては十五年以上前だ。それ以前のわたしは、何ひとつ語りはしなかった。単に親しみを込めた声で紡ぐ言葉によって彼女に寄り添うこと。彼女のためにできることは他になかった。それ以来、方法はちがえども、わたしは
話しつづけている。自分で質問をしてそれに答える。娘の代わりに話をする。いやむしろ、彼女がわたしの代わりに話しているのだ。どんどん夢を見なくなる。それでも夜中には、頭のなかで内緒話をしているときもあった。二人の会話の糸が途切れたところから再開する。娘にはおしまいまで
話をすると約束していた。わたしはどうにかして約束を守る。(同)

 前回、小川国夫の、死者の声に「耳を澄ます」意識について紹介した。やはり、フォレストも亡き娘の声に、十五年以上、耳を澄まし続けている。その声を、語りを文字にしていくことが、彼の小説的作品を形作っている。彼は、「約束を守る」という意味のフランス語、「トゥニール・ラ・パロール」という言葉を紹介している。綴りは「tenir la parole」だろうか。これはイディオム的用法で、直訳すると、「言葉をつかむ」となる。いや、「la」は定冠詞だから、そこまで忠実に訳出すれば、「その言葉をつかむ」だろうか。まあ、細かいことはいい。ともかく、言葉によって世界を作るのではなく、そこにある言葉をつかむことが彼の創作である、ということを象徴している言葉だろう。これが「耳を澄ます」という行為と近しいことは、言うまでもないだろう。

 となると、つかんだ言葉であるのだから、いまここに書かれている言葉は「わたし」であると同時に、娘でもあるのだ。では、その娘の語った言葉とはいったい、どんなものであったのだろうか。

いっときでも苦しみが和らげば、それで十分だった。そうなると、彼女はとても穏やかな一種の錯乱状態になったかのようだった。話し方にとても不思議な詩情があった。同年代の子どもがみなそうだったように。しかし彼女の場合、そこにはもっと異様な何かがあった。薬が脳に作用したのかもしれない。あるいは、病気のせいで背負い込んだ状況に必死で抗おうとしていたのかもしれない。大きな声で物語をいくつも空想するときがあった。真剣に耳を傾けないと何の筋もないように聞こえるが、彼女に寄り添って物語のなかに足を踏み入れれば、曲がりくねってはいるがまったく途切れない絹糸が、暗闇のなかを手探りで進む言葉に紡がれて広がってゆくのがわかる。彼女は、自分なりに作ったおとぎ話のなかに、月明かりに輝く白い小石にも似た言葉をちりばめて、鬼や、鬼のいる森から遠くに導いてくれるはずの小道に目印をつけていたのだ。(51、2頁)

 「暗闇」「おとぎ話」「鬼」。これまで出てきたこの作品のキーワードが、娘の語る物語に由来していることが確認される。フォレストは、かつて娘が語った物語のなかに入り、そしてその続きを見つめている。その結果のひとつが、『シュレーディンガーの猫を追って』という作品なのだ。彼のなかで娘の存在は、その死によって断ち切られていない。

 彼女が亡くなった夜は、人生で過ごした唯一の不眠の夜だったと思う。彼女の枕元で、わたしは眠れずにいた。いまや残された時間はあまりに少なく、一秒たりとも失うまいと心に決めていた。ガンはもうひとつの肺にも転移してしまっていた。気道挿管された状態の彼女。心臓が止まるその
時を待ちながら、薬のせいで深く眠り込んでいた彼女は、とても規則的な間隔でぼんやりと目を覚ます。舌圧子がのどに入り込んでいて、言葉を発することができなかった。そこでわたしは、集中治療室のベッドの脇に腰かけて、今度は自分の番だとばかりに何時間ものあいだ話しつづけたのだ。わたしは話すのを止めなかった。彼女に何が聞こえているのかわからず、そもそも聞こえているのかどうかもわからないままに。 (54頁)

  話すことが、言葉を紡ぐことができなくなった娘に代わり話し始めた。そのときの「何時間」は、十五年以上経った現在まで伸びている。彼はずっと、話し続けているのだ。

「ずっと前に死んでしまったのに、いまも光が見えるの?」
「誰のことだい?」
「お星さまよ。そう言ったでしょ?」
「そうだね」
「死ぬって、暗闇のなかで眠るみたいなことだと思っていたわ」
「ああ、そうだね、きっと」
「でも悪夢は見ない?」
「ああ、悪夢は見ない」
「それでどうなるの?」
「死んだひとは暗闇のなかで眠る。でも他のひとたちは、彼らが残す光を見つづけるんだ」
「ずっと?」
「光が虚空を旅しているあいだ、そして、その光が通ってゆく空をどこかで誰かが眺めているあいだはね」
「じゃあ、けっして終わりはないのね」
「ああ、ある意味では、けっして終わりはない」(55、6頁)

  この直後、「もちろんこれまでに書いたことはわたしの空想だ」と白状するが、それには驚かない。彼はただ過去を振り返っていて、思い出したことを書いているのではない。耳を澄ませて娘の声を聞き取ろうとしている、その「いま」にいるのだから。いくら印象的な出来事だったとしても、十五年以上も経てば、そのすべてを正確に思い起こすことはなかなかできない。

 こんな風に書いて思い起こされたのは、保坂和志『未明の闘争』の冒頭だった。

 ずいぶん鮮明だった夢でも九年も経つと細部の不確かさが現実と変わらなくなるのを避けられない。明治通りを雑司ヶ谷の方から北へ池袋に向かって歩いていると、西武百貨店の手前にある「ビックリガードの五叉路」と呼ばれているところで、私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた。(『未明の闘争』講談社、3頁) 

  実はこの第5章には「夢」という言葉も頻出していた。娘が語った「夢想」を語り継ぐ者によっていま語られる物語。つまり、『未明の闘争』の書き出しの、「夢」と「現実」を入れ替えても、同じことが言えるだろう。「ずいぶん鮮明だった現実でも十五年以上も経つと細部の不確かさが夢と変わらなくなるのを避けられない」のだ。その証拠ではないけれど、この章で「わたし」は頻りに、覚えていない、思い出せない、とこぼしている。描くのは「空想」なのだ。

 今日では、彼女が言っていたことも、わたしが彼女に言っていたことも、もう何ひとつわからない。まるで虚空を漂う言葉たちのようだ。(56頁)

  だからこそ、「わたし」はその言葉をつかもうと耳を澄ませるのだ。そこにはどうしても「私」が出てきてしまう。この「私」は、いま・ここの「私」だ。『未明の闘争』の冒頭、「私は」を取れば、ホラーチックにはなるものの文法的には意味が通るようになるが、しかし、これを取ってしまったら絶対に『未明の闘争』が成り立たないのと同じ、ではないだろうか。

 

 このような流れで保坂和志が出てきて、だとしたら小島信夫を補助線に引くとおもしろいのではないか。そう思ったのだが、問題は、私がちゃんと小島信夫を読んだことがないのだ。『美濃』や『各務原・名古屋・国立』は、並べてみるとおもしろい化学反応が生まれそうではあるのだが、まあこれは機会があれば、ということで。

(第9回に続く)

 

参考文献

保坂和志『未明の闘争』講談社、2013年9月

 

(宵野)

習作としての読書ノート『シュレーディンガーの猫を追って』第7回

 

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 第7回

 

第5章「眠れない夜」。

 

「なぜなぜ期」という言葉がある。2、3歳くらいの子どもが、どんな物事にも「なんで?」「どうして?」と質問ぜめしてくる時期のことだ。それは些細なものから、ときに壮大なものだったり、哲学的なものだったりする。わかりやすい例を挙げると、「どうして空は青いの?」とか、「なんで電話ができるの?」とか、「なんで○○くんの家はお金持ちなの?」とか。大人からすれば、そんなことが気になるのか。そんなことを気にしたって仕方ないではないか、と思ってしまうようなものもしばしばだ。

 しかし、じゃあいざ答えようと思うと、思いのほか難しい。私は昔、大人とはどんなことでも知っているひとなんだ、と思っていた。早く大人になりたい、と心の底から願っていた。まだ20代だから、その程度で大人を語るな、と言われてしまえば返す言葉がないのだが、しかし、いちおうは「大人」と言われる年齢になって分かってきた。

 大人は、どんなことでも分かっているのではないし、それどころか、考えてもいない。なかなか答えが出ないような事柄を考えないでいられるようになったひと、それを大人ということができるのだ、と。無論、それが悪いことだなんて思わない。いまを生きていくためには、そんな深遠なことばかりを考えてはいられない。しかし私は、考えずにいられるようになったことを誇るような人間になることを、どこかで生理的に拒否しているようだ。文学なんてものに興味を持つようになったのは高校生のときだったが、そんな私の奥底の希求も、無縁ではないのかもしれない。

 こうして本質的な問いを立てるときがふたたびやってきた。質問するのはいつも子どもたちだ。大人はみな、答えなどないと言い放って投げ出してしまう。例外は、哲学者、学者、詩人だ。赤子と同じくらい無防備な彼らは、赤子とほとんど同じ結論——あるいは結論の欠落——にたどり着く。(47頁) 

  私が要領も得ずに長々と書いてきたことは、実はこの一段落で言い当てられていると言ってもよい。こうして見てみると、やっぱり私はまだまだ文章が拙いと感じる。

 さて、実はすでにして、今回も1回で1章が終わらない予感をひしひしと感じている。が、まずは、ここでの「なぜなぜ期」のやりとりの始まりを引用する。

「前はどこにいるの?」
「生まれる前かい ?」
「ママのおなかのなかさ」
「それは知ってるわ」
「そうか」
「みんなそうなの?」
「ああ、みんなそうだ」
「でも、前は?」
「何の前だい?」
「もっとずっと前」(同)

  生まれる前にひとはどこにいるのか。これは人類にとって永遠の問題である。誰にも分からない。

 母の話によると幼き私は、やがて私の妹となる命が母のお腹に宿っていることを、妊娠が発覚するよりも前に分かって、「ママ、うちは五人家族だね!」「え、なんで? うちは四人でしょ?」「だって、ママでしょ、パパでしょ、タタ(祖母のこと)でしょ、ぼくでしょ、あと赤ちゃん!」と嬉しそうに話したそうな。あと、母の胎内での記憶もあったらしく、尋ねると、かなり詳細にお腹のなかでの自分の行動や出来事を語ったそうな。

 これが本当なら、私はなにかの能力者だったのではないか、なんて、わりと冗談抜きでそう思うのだが、しかし、その私だって、生まれる前の世界のことはもうなんにも分からない。そして、そんなことは考えたところでどうしようもない。万が一わかったところで、だからなんだというのだ。そう考えるのが自然だろうか。

 いつもだったら、私だってそう考える。早く電車空かないかな、甘いものが食べたいな、この仕事面倒くさいなあ、そんなことばかり考えている。けれど、ふとした瞬間に、こういった深遠な問いに引き込まれることがある。そんなとき、私の心は時空を飛び越えて、大げさかつ実直に言えば、宇宙的な空間に放り込まれたかのような感覚に陥る。

 で、先ほどの例でもそうだったが、私のこんな拙い喩えを、フォレストはもっとぐっとくる言葉で述べている。

 誰が話しているのかわからない。暗闇のなかに聞こえる会話のようだ。はるかな昔から。ふたつの声が応え合う。誰のものかわからない。いまの声なのか、かつての声なのか。これから生まれてくる存在なのか、あるいははるか昔に亡くなった存在なのか。それすらわからない。ふたつの影の対話。眠れずに頭のなかを考えがぐるぐる回っているときに、わたしはよく耳にする。子どもが父親に話しかけている。あるいは、母親に。わたしが誰かに話しかける。誰もいない。おそらく自分自身に対してだ。むしろ、わたしは口をつぐんでいる。わたしは声を聞く。彼らが言っていることに耳を傾けようと努力する。いまとなってはもう何年も前から心を占めている訓練だ。暗闇のなかで言葉をとらえようと試みること。歳月を経たあの会話は終わっておらず、まだどこかでつづいているのだと納得しようとするかのように。(48頁)

 「誰のものかわからない。いまの声なのか、かつての声なのか。これから生まれてくる存在なのか、あるいははるか昔に亡くなった存在なのか。」、「わたしは声を聞く。彼らが言っていることに耳を傾けようと努力する。」。ひとによっては、「おまえ、この話をするの何度目だよ」と思うだろうが、やはり今の私がこういったものを読むと連想してしまうのが、小川国夫なのだ。

 彼の晩年の随筆に、まさに「耳を澄ます」という題のものがある。「書けない時には、よく海を見に行きました」で始まるこの文章は、小川の創作論といって差し支えなかろう。海でさまざまな「声」を聞いて創作意欲を起こした、という彼は、このように語る。

 小説とは、作者が自分はこれを言いたいと主張することでしょうか。それとも、自分の耳にはこのようなことが聞こえると言っているのでしょうか。後者だとすれば、書かれているのはすべて聞こえてきた言葉ということになります。作中の会話も独白も、作者に聞こえてきた言葉を、右から左に読者に取りついだだけ、ということになります。私には、この行きかたが好ましいのです。(「耳を澄ます」『随筆集 夕波帖』13、4頁)

  では、そのときの「声」とはいったい誰のものなのか。今度は「死者たちの声」から、その末尾。

 ただ一つ、はっきりしている望みがあります。耳を澄まして、死者たちの言葉を聞きとることです。あらためて戦死者の手記を読もうとも思いますが、それ以上できるだけ多くの言葉を私は聞きたいのです。夢の中であってもいい、彼らの肉声が聞こえてこないかな、と願っているのです。そう言いますと、読者は、それは小説家が小説を書きたがっているということではないか、と感じるかもしれませんが、実はその通りなのです。
 小説家にとって一番大切なのは、耳を澄ますことだと思っている私は、あわよくば死者の声を聞き、彼らと会話もしてみたいと望んでいるのです。テレビの影響もあって最近歴史づいているのですが、残念ながらわからないことばかりです。そして私は、なまなましい声を聞きとること、それだけが小説家の歴史へのかかわりかたではないかと思っているのです。(「死者たちの声」同書18頁)

 小川は、小説を書くことで死者と話をしようとした。死者の声を聞くために、小説を書いていると言ってしまってもよい。

 私は、フォレストが小説的な文章を書いている理由も、同じところにあるのではないか、と改めて感じ始めている。そうでなければ、「あるいははるか昔に亡くなった存在なのか。」と最後に強調するようにつけ加えるはずがないように思うのだ。そこにはやはり、ひとり娘の姿がにじむ。だって、まだ「わたし」は言わないけれど、どうしたってこの問答の少女像に亡くなった娘を重ねているのは明らかではないか。娘の声が聞きたい。あわよくば会話したい。だからこそ「シュレーディンガーの猫」の世界に思索を巡らすのではないか。娘が生きている世界がある。その可能性に縋るようにして。

 

 予想通り、第5章が全然終わらないままここまで来てしまった。ここでは最後、少し脇道にそれて小川国夫の話をして終わりにしよう。なお、いまからここに記すのは、2019年5月6日の文学フリマ東京にて頒布した『ソガイ vol.4 平成文学』に私が寄稿した『「私」に還り、「私」を消す作家—小川国夫『弱い神』から』の一部を抜粋したものである。自己引用が果たしてどこまで認められるものなのか、実はよく分かっていないのだけど、こういう場だし、出典も明らかにしたのだから許して欲しい。

 

〜おまけ、ここから〜

 さて、晩年の小川にとって、その耳を傾ける相手とは、家族をはじめとした、死者の声だった。そして、小説を書く目的のひとつ、それ自体が、死者の声を聞くことだった。厳密には『弱い神』の連作の作品ではないが、その続編の一端だったと見られる「未完の少年像」からひとつ、場面を引こう。これは、作家である岩原が同級生に頼まれ、彼が園長を務め、そして『弱い神』における重要人物のひとり、海江田總も職員として務める〈あおぞら学園〉という精神障害者の施設で、文学の話をする場面での言葉だ。

 ここで是非触れておきたいのは、死者にあてて文章を書くことです。死者も読者であり得るでしょうか。言うまでもなく、あり得ます。渋谷隊長に向けた言葉がそれです。この場合、私は自分で喋るよりも、主として相手に質問するでしょう。相手の言葉を呼び出そうとして、それから耳を澄ますのです。(……)そして少尉の声が聞こえたと思ったら、それを右から左に原稿用紙に写せばいいのです。このようにして、小説家は亡くなった友達とやり取りができる、と私は信じています。(『弱い神』五四七、八頁)

  ここで語られていることが、先に引用した晩年の随筆の文章と重なることは言うまでもないだろう。

 ここで言われている「渋谷隊長」とは、小説でも随筆でも、小川がしばしば語る、特攻隊として出撃して命を落とした親友のことである。彼は海軍少尉だった。小川とそれほど歳は離れていない。彼は出撃前、一度故郷に帰ることを許された。そのとき、道ですれちがった際、彼は自転車を降りて小川に敬礼し、「ぼくはお国のために死にますが、君は(一生懸命)勉強してください」と言ったのだという。岩原(そして小川)は、この、自分が耳にしてきたなかで「最もすぐれた言葉のひとつ」のあとに続く言葉を追い続けている、というのだ。

 さらに続けて、もうひとつの小説の可能性がある、と言う。

それは、小説には完全に自分あてのものもあるだろう、ということです。ひたすら自分の心に向かい、見きわめようとして書く場合です。(五四九頁)

  今度は自分の心に耳を澄ます。そして遂には、

それから、遂には、自分さえも相手にすることなく、読者のいない小説を書くことです。言葉が伝達を目的とするなら、こんな小説は矛盾そのものですが、私はあり得ると思っています。(五四九頁)

 「言葉が伝達を目的とするなら」と前置いている。つまり、彼の中では必ずしも伝達を目的としない言葉で綴られた小説があった、ということだろうか。これは文学によって「生きられている」、「文士」の言葉だ。「文士」というあり方にこだわり、同人誌時代から、商業誌に随うことを拒絶してきた書き手の、ある意味究極のあり方だったのかもしれない。

〜おまけ、ここまで〜

 

 死者の声に耳を澄ませた小川国夫は、最期にこのような作品を残した。では『シュレーディンガーの猫を追って』でフォレストは、どのような作品を書きあらわしたのか。小川国夫と重なったことで、ますます私には興味深い作品になってきた。

(第8回に続く)

 

参考文献

小川国夫『随筆集 夕波帖』幻戯書房、2006年12月、2008年4月第2刷

小川国夫『弱い神』講談社、2010年4月(なお、『ソガイ vol.4 平成文学』にて、これを「新潮社」と誤植していることにいま気がついた。この場を借りて訂正する。)

 

(宵野)

習作としての読書ノート『シュレーディンガーの猫を追って』第6回

 

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 第6回

 

 前回、引用についていま思っていることを少し書いた。そういった理由で、とくにこの文章において、私は可能な限り長めの引用をしてきた。

 なので、ここでは逆に、断片的な引用を並べてみる。逆のことをやってみる。このことが思いのほか大事で、得るものも多いということをちゃんと意識し始めたのは、案外、最近のことである。

 わたしはわたし自身であり、そして他者でもあった。だがその他者もまた、わたし自身だったのだ。どちらか一方が真実であったわけではない。わたしが語る存在のいずれもが、わたしであり、かつ、他者でもあって、そのいずれもが平穏に共存していた。(40頁) 

 

もっとたくさんの世界があった。無限に存在するという考えを禁じるものは何ひとつなかった。(41頁)

 

わたしが観察していたこの実験の特徴は、そうしたすべての世界がひとつの等価な平面に位置づけられていて、そこには一切の序列がなく、他よりひとまわり大きな現実——あるいは非現実——を備えていると言える世界がひとつもないことにあった。(41頁)

 

無数の世界があり、そのすべてにわたしの自我が含まれている。(41頁)

 

わたしは、上と下、近くと遠く、前と後の区別がもはやない、座標を欠いた世界を自由に浮遊していた。(42頁)

  平行世界、パラレルワールドの可能性への志向が語られる。そして、自己の拡散、あるいは、自我の非所有を感じ取っているかのような語り。境界線や、区別といったものが無化されていることも示唆される。これも、いままでに散々述べてきたことの繰り返しだ。そして、このあり方こそが猫である、ということも。

 そういえば何回か前に、松本大洋『ルーヴルの猫』を買った、という話をした。さっそく読んでみた。この話でもやはり、猫は境界を越えている。その境界はいくつもあるのだが、もっとも大きなものが、現実の世界と絵画の世界との境界だ。主人公の白猫「ゆきのこ」は、絵画のなかに入り込むことができる「絵入り」の猫。ゆきのこは成長もしないから、子猫の大きさしかない。そして、同じく「絵入り」の少女がもうひとり、重要な人物になってくる——。

 この作品に深入りはしない。が、『シュレーディンガーの猫を追って』に関連付けてひとつ話すと、絵画のなかに入ってそのときの姿のまま生きる少女は、ここまでゆっくり読んできてしまったせいだろうか、フォレストが見つめる、亡きひとり娘の、べつの世界での姿であるかのようにも、どこか思えてしまう。

 

 さて、このあと、「中国パズル」と「中国(の)影絵」という、中国の名を冠したものが比喩として用いられている。かなり唐突だから驚く。そもそもこれがなんのことだかよく分からないから、ネットで調べてみる。

 中国パズルとは、どうやら木の部品を組み合わせた、木造版知恵の輪とでも言ったらよいだろうか。とにかく、そんな感じのものらしい。

 この比喩が指している箇所では、四次元より高次元、五次元とか六次元の世界は、人間には経験がなく、知性によって立ち向かうことが難しい。だったら、と数学的に手法を用いれば容易に証明ができるが、それを推し進めるとイメージを作り上げる手段がなくなってしまう、というややこしさを説いている。となると、つまり、こちらをとればあちらがとれず、といったような状況を、「中国パズル」になぞらえていることになるだろうか。

 これについてはなんとなく想像ができる。知恵の輪を解いていて、この大きい輪っかを外すためにはこの棒を右にずらさなければならないのだが、棒を右にずらすと、もうひとつの小さい輪っかが邪魔して、大きい輪っかが動かない。たとえばこのようなもどかしい状況を思い浮かべればいいだろうか。

 問題は「中国影絵」だ。こちらを調べると、皮影戯(ピーインシー)という、中国の伝統的な影絵芝居が出てくる。皮で作った人形を操って演じる芝居。検索して出てくる画像を見ていると、これはなかなかきれいで繊細なものなのだが、果たしてこの中国影絵を持ち出してなにを言いたいのだろうか。

 ある立体(三次元の物体)を用意し、それを平面(二次元の空間)に投影してみよう。手に入るのは忠実だが不完全なイメージでしかない。実行された射影には三次元のうちのひとつが欠けているからだ。あるいは、といってもまったく同じなのだが、例の中国の影絵をやってみるとしよう。スクリーンとなる白い紙の上には、背後から光で照らされた物のかたちが切り取られる。こうしてシルエットは手に入る。だが、それだけだ。光のなかで手にしている物体の奥行きについては、シルエットは何も語らない。そして、イメージがまったくの偽りになりうることも明らかになる。同じひとつのイメージが、外見の異なるいくつもの物体と一致する可能性があるからだ。また、同じ物体がいくつものかたちを取りうるのだ。(43、4頁)

  「例の中国の影絵」というが、「例の」と付されるほど有名であるかは疑問だし、いままで強調もされていないのだけど、言わんとしていることはなんとなく分かった。

 影は、物体が光に照らされて生まれる。それは忠実ではあるけれど、平面に落とし込まれているから、奥行きがない。一方、フォレストは闇のなかでものを見つめようとする。そのとき、ひとはいままで自分が見ていたものを、根本から疑わねばならなくなる。『ルーヴルの猫』の世界では、一般的に平面だと思われている絵画が、実はある種の境界を越えるものたちにとっては四次元、あるいはそれ以上の次元の空間としてあるということが認められるように。

闇夜の漆黒を前にしていることに気づく。そのとき、本質的な問いの時間が戻ってくる。(44頁)

  この「本質的な問い」が、フォレストの場合にはまさに暗闇から現れた一匹の猫なのだ。そしてこの一匹の猫が、この物語である。

 意識したときにはすでに始まっている。それが物語というものだ。わたしの物語は、月並みとはいえ、それなりに意外で、なかなか突飛なものになってしまっていた。変えるにはもう遅すぎた。物語が導くままに進んでいく以外に、選択肢はなかった。ある晩、一匹の猫が庭にやってきた。どこからともなく、暗闇のなかから不意に現れた。虚空で宙づりになっていた何ものかが、わたしの目の前で不意に猫のかたちをとって現れたかのように。 (45頁)

  薄々分かっていたことだが、この物語のなかで猫は、猫というひとつの生き物というよりは、なにかの象徴としてある。しかもそれは、「わたし」にとってはじめて意味を持つ「猫」というイメージである。この猫は、「わたし」になにかを示している。フォレストは「おぼろげな啓示の使者であるかのよう」とまで書いている。啓示は、神や超越的な存在によってもたらされる真理だ。啓示といえば、キリスト教やイスラム教のような、宗教的なイメージが強いかもしれない。だが、ひとがなにをもってそれを神とみなすのか、それはひとそれぞれだし、状況にもよるだろう。少なくともこのときの「わたし」にとってはこの猫が超越的な存在であり、そしてきっとこの猫が、「わたし」になにかを教えようとしている——と、「わたし」には感じられる。

 

 さてここまで読んできて、これは予感になるが、この作品は「わたし」と猫とのふれあいの物語にはなっていかないだろう。猫を、いるかいないかわからない猫を巡る随想の記録となっていくのではないか、というのが私の予想だ。さて、ここからどう進んでいくのだろうか。

 

「わたし」にとって猫がなにかの啓示の使者であるのと同様、いまの私にとっては『シュレーディンガーの猫を追って』という作品が、なにかの啓示の使者になりつつある。しかし、果たしていつ読み終えるのだろうか。現在46頁。まだ250頁以上も続いている。(さすがに夏休みまでには終えたいが……)

(第7回に続く)

 

(宵野)

習作としての読書ノート『シュレーディンガーの猫を追って』第5回

 

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 第5回

  第4章「中国影絵」。そもそも中国影絵ってなんなんだ、とも思うけれど、ひとまず先に進む。ともかく、「わたし」のもとに一匹の猫がやってきたのだ。

「わたし」は、その猫によって思考のあり方が変わってくる。「何でもないようなことに注意を払うようになった」「わたし」は、しかしその猫を「わたしの猫」とはけっして言わない。むしろ「きみの猫」と言う。「きみ」とはだれか。この猫を最初に目にした「彼女」だ。で、「彼女」とはだれか。これはまだ曖昧で、どうやら「わたし」とこの家を共有する人物であることはたしかだ。常にこの家にいるわけではない「わたし」と「彼女」とは対照的に、大半の時間をそこで過ごす猫。自然、この家の主は猫になった。犬は主につく、猫は家につく、なんて言ったりもするが、ここでも猫は家を我が物にしている。

 ところで、ここまで追ってきても、「わたし」がいったい何をしているひとなのか、いまだによくわかってこない。ずいぶんとのんびりした生活をしているように感じるが、それもそのはずだった。この時期のことを「わたし」は振り返って、「それはわたしの生涯でもっとも静かな時期のひとつだった。まるで人生から長期休暇を取ったかのような感覚。」「世界と交渉し、世界から与えられた休暇。」などと表現しているのだから。

 文字面をそのまま受け取るならば羨ましい限りなのだが、なぜだろう、最初からずっとそうなのだが、どことなく淋しげな空気を感じずにはいられないのは。

 大いなる無為。終わりなき日曜日。ひとは、真っ当な活動に時間を使えないとなると、あらゆる類いの重要な使命を編み出して、密かにその任を受けた自分を思い描く。雲がすぎてゆくのを眺めるとか、草が生長する音に耳を傾けるとか、潮の動きを確かめにゆくとか。わたしの場合は、猫の世話だった。(37頁) 

  やはり、どこか空虚だ。あんまり楽しそうではない。ぽっかり穴が空いているようだ。けっして埋まらない穴を、それでもなにかで埋め合わせようとする、そんな痛々しさすら感じる。

 その理由が、ようやく明らかになってくる。

 自分の人生の総括を試みると、他人からどんな意味が与えられていたのかが見えてくる。わたしの生き方がひとに与えていた印象といえば、完全に気が触れていたとまではいかないが、精神にいくらかの変調をきたした人物というところだった。一人娘を亡くしてから十五年以上にわたって営んできたわたしの生活について彼らが知っている——あるいは知っているつもりの——ことからすれば、それも当然だろう。(38頁)

 ここでひとつ、フィリップ・フォレストについて触れておこう。彼はもともと小説を書き始める前は、フィリップ・ソルレスをはじめとした前衛の文学や芸術に関して批評を行っていた。そんな彼の転機を作った、いや、より正確には転機を余儀なくしたのが、4歳の一人娘を癌で亡くしたことだった。

 わたしがフォレストについて知っていることは少ない。初めて彼の名前を目にしたのは、堀江敏幸『アイロンと朝の詩人 回送電車Ⅲ』(中央公論新社)に収録されている「時間の森への切り込み」のなかでだ。しばらくこの文章を引きながら、フォレストと小説の関係を考える。

 危機にある娘を基準にして「絵札」をならべようとしたとたん、価値の範列が崩れていく。思想や理論に縁のなかった日常のこまごまとしたものが新鮮な意味の光を放ち、うるわしい混乱を生じさせる。子どもに襲いかかる社会的な事件が、子どもの死をめぐる文学作品が、これまでにない鋭敏な、生の反応を父親に強いるのだ。ジェームズ・バリーのピーターパン、娘が水死したことを知ったユゴーの詩、五歳で母を喪い、十五歳で妹を喪い、二十歳で初恋の女性を喪い、自身の息子アナトールをまた病で亡くしたマラルメの詩行。大学で講じていた文学理論の数々、世間に受けのよい一見高尚な仕掛けを支えていた偽りの皮膜が、ぼろぼろ落ちてくる。(『アイロンと朝の詩人』55頁)

 自分の身に起きた出来事によって、それまで接していた作品の見え方が、文学観そのものが変わってしまう。これはおかしなことではない。

 それでも、アカデミズムの領域における文学研究では客観性が重視されるだろう。それはそれで、当然である。批評もまた、ある意味では同じかもしれない。主観を避けるため、ある論を組み立てるときに、そのひとの個人的体験は無関係であることを要請されるかもしれない。

 しかし、ひとつの文章において、客観と主観は共存すると私は思う。

 第一、まったく「私」性のない文章が、果たしてあり得るのだろうか。書くこと、それには「私」が必ず伴う。そして、書くことと読むことは表裏一体の行為だ。だから、読むことにも「私」が伴う。フォレストの場合、娘の死により、読みに変化が生じた。ゆえに書きも、変化する。

 この堀江の文章の題は、「小説は、時間の森への切り込みである」というフォレストの言葉に基づく。

「小説は、時間の森への切り込みである」とフォレストは書く。ただし、そのような認識に達したあと書きはじめたのではない。『永遠の子ども』(堀内ゆかり訳)と題された「小説」に生じている重みは、批評文とそうでない文章の障壁について考え抜くごつごつした断章群が、娘との日々を生き直す行為と共存し、「無用なセンチメンタリスム」をみごとに殺しているからだ。みずからに封印していたもの、封印しようと思っていたものへの客観的なまなざしが、ここから徐々に機能しはじめる。(同56頁)

  この『永遠の子ども』では、4冊の本が大きな役割を果たしている。そのうちの2冊が、大江健三郎『懐かしい年への手紙』と『静かな生活』のフランス語訳なのだ。

 私は『懐かしい年への手紙』だけは一度、読んだことがある。ある時期からの大江の作品は、彼の子ども、生まれつき障害を持っている大江光の存在を抜きにして語ることができないが、とにかく大江の作品には、私小説的要素が多分だ。しかし、それはただ自己の体験を語るだけではない。大江の作品は、過去に遡ってやり直しを試みようとする。あるいは、べつの可能性があったのではないか。その疑いを、小説という形で繰り返し繰り返し問おうとしているかのようだ。

『懐かしい年への手紙』は、『万延元年のフットボール』の再プロットが大枠だ、とかなり乱暴ではあるが、言えないことはない。そして作中では、ほとんど同じでありながら結末が真逆になっている『個人的な体験』と『空の怪物アグイー』のあいだにおける「書き換え」、あるいは「やり直し」に自ら触れている。自己の体験をこのように語ろうとすること。フォレストが惹かれたのは、大江のこうした執筆の姿勢だったのかもしれない。

 すると、彼が量子力学、「シュレーディンガーの猫」において問われる「重ね合わせの原理」に入れ込むのも、同様の理由からだろう。もうひとつの世界。フォレストが見つめようとするものは、そこにある。

 

 娘の死、という重い出来事を契機としながら、フィリップの自分を見る目は冷静であり、冷徹ですらある。

 私は人生の内側、かつ、外側にいた。だが、それは誇張だろう。自分の運命だけが特別だと、誰もが思いたがるものだ。(39頁) 

  そして、自分について語る、という行為についても、冷静に分析している。

一時的で無害な偏愛程度のことでしかないものが、口にされた途端、過剰な重要性を帯びてしまう。自分の人生を語ることは、このように絶えず視野を歪めてしまう。だから、どれほど誠実であったとしても、他人が自分について話す中身を信用することほど軽率なことはない。何もないところからすぐに物語が作りあげられてしまうからだ。(39頁) 

  娘の死に、物語的な意味を与えようとすれば、それはそれほど困難なことでもない。あるいは、そうすることによって自分を納得させ、癒やすこともできるだろう。しかし、きっとフォレストは、必ずしもそれをよしとはしていない。夜空の星を結んで、その線でイメージを描く。それとはまたべつの方法、闇夜を見つめ続けることによって、輪郭の溶けたなにかを捉えようとする。そこになにかがあろうがなかろうが。

 フォレストにとって小説を書くという行為そのものが、量子力学的実験であるのかもしれない。

すべての寓話は、どのようにして暗闇が光を産み落としたのかを物語る。そう、つねに夜が昼に先んじるのだ。昼は夜から生じる。そしてふたたび訪れるのは、夜、人生でもっとも真実な瞬間なのだ。(40頁)

 

 この章は長くなりそうなので、一旦ここで分ける。「中国影絵」についてはまた次回。

 

 せっかくなので余談をすると、この章は引用したい箇所が多すぎて困っている。長くなっている要因も、そこにある。

 最近は、この「引用」という行為にも難しさとおもしろさを感じている。もちろん、引用した文章は他人のものだ。けれども、どこをどのように抜き出して引用するのかを決めるのは、引用者だ。ミハイル・バフチンは『小説の言葉』(平凡社ライブラリー)で、「コンテキストの中に含まれた他者のことばは、それがいかに正確に伝達されたとしても、一定の意味の改変を常に蒙るのである」と言うが、おそらく、私が引用という行為に感じている難しさも、そこに起因するのではないかと思う。文章は、前後とのつながりでできている。だから、そこを抜き出すことによって、元々その文章が含んでいた意味やニュアンスの一部が抜け落ちてしまわないだろうか、あるいは、自分の都合の良いように抜き出して使ってはいないだろうか、などと思ってしまう。

 だったら全体を引用すればいいかと言うと、自分の文章よりも長くなるような引用は、これもちょっと違う。もはや引用の域を越えているような気がする。

 引用。フィリップ・フォレストは「小説」を書くときに多くの書物や作品を下敷きにしているが、元ネタがあるからといって簡単になるわけではまったくなく、むしろ困難になることも多い。可能ならば、この引用という観点からも論じることができれば、と思う。

 最後。今回は一部、「書き換え」について論じてみた。最初にも申し上げたとおり、この一連の文章も、最終的には編集して、つまり書き直して、ひとまとまりの文章にできれば、と思っている。この文章そのものもまた「私小説」になり得るのではないか、と感じているのも、そういった理由からである。

(第6回に続く)

 

参考文献

大江健三郎『懐かしい年への手紙』講談社文芸文庫、1992年10月

堀江敏幸『アイロンと朝の詩人』中央公論新社、2007年9月

ミハイル・バフチン『小説の言葉』伊東一郎訳、平凡社ライブラリー、1996年6月初版、2013年8月第8版

 

(宵野)

習作としての読書ノート『シュレーディンガーの猫を追って』第4回

 

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 第4回

 

 本題に入るまえに、ちょっとした余談。

 昨日、仕事のあと書店に寄って店内を歩き回っていた。ひとつ、綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(平凡社)が気になっていて、これは確実に欲しかった。売れ行きが好調だと聞いていたから心配だったが、ちゃんとあった。あとは目的なく棚を見ていた。最近はそこまで漫画を読まないけれど、もちろん漫画の棚はいつも見る。ちょうど目線の高さに、いわゆる「面陳」されていたA5判の漫画があって、惹きつけられた。松本大洋『ルーヴルの猫』(小学館)。上下巻の2冊。松本大洋の名前は知っていた。『ピンポン』や『鉄コン筋クリート』のひとだ、くらいのことは知っていた。でも、実はちゃんと読んだことはなくて、特に『鉄コン筋クリート』はいつか読もう読もう、とは思っていたのが、思っているだけでここまで来てしまった。

 なんで『ルーヴルの猫』に惹きつけられたのか。ここまで追って来てくれている方(いるのかどうかわからないけれど)には言うまでもないことだろう。そう、「猫」だ。『シュレーディンガーの猫を追って』を追っているうちに、「シュレーディンガーの猫」から始まり、平出隆と猫、室生犀星と猫、ニュートンと猫、果てには私の従兄弟の家に飼われている猫、あと、まだ書いてはいないけれど、私が中学生くらいの頃までいつも同じ場所の草むらかトタン屋根の上にいた野良猫のこと、などなど、さまざまなひとと猫とのことを考えていた。だから今回、『ルーヴルの猫』のタイトルの「猫」、そして表紙に描かれる碧と黄のオッドアイの白猫に目を奪われたのだ。(すっごいどうでもいい話だが、私の母がたしか砂町銀座に出かけたとき、どこかのお店にいた、まさにこの表紙と同じ、碧と黄のオッドアイの白猫を写真に撮って、私に送ってきたことがある。一時期、私の携帯の待ち受けはその写真だった。)

 いや、少し嘘をついた。本当は、この本は一年近く前から気になっていた。初版が2017年11月だったから、これは辻褄があう。妙に惹かれてはいたのだが、購入にまでは至っていなかった。積み本が増えていく一方だったし、漫画としてはちょっとお高い(各1296円+税)のも、その理由だったかもしれない。

 しかし、なんという縁だろう。『シュレーディンガーの猫を追って』を通して、いままで以上に『ルーヴルの猫』への興味が抗しがたいものになっていた。いや、『「差別はいけない」とみんないうけれど。』は、平凡社ということもあって、2200円+税と、まあ高くはないが、安くもない。それに併せて、1296円+税を2冊買うだけの魅力が、このときの『ルーヴルの猫』にはあった。いやしかし、まさか『シュレーディンガーの猫を追って』を通じて『ルーヴルの猫』に手を伸ばしたひとは、他にはいないのではないだろうか。

 こういうまさかの繋がりが生まれることがあるから、真、書店は歩き回るに限る。

 

 さて、『ルーヴルの猫』の舞台、ルーヴル美術館はフランスの美術館だが、フィリップ・フォレストはフランスの作家。フランス繋がりでそろそろ本題に戻るとしよう。

 第三章「密やかに」。前回、昔に捨てた仕事が再開することを匂わしていた。その冒頭がこれだ。

 昔のことだ。何歳だったか。五歳か六歳。いや、もう少し大きかったかもしれない。わたしはベッドに横たわり、眠りが訪れ、世界がほんとうに消えてしまう瞬間を長いあいだ待っていた。(31頁)

 前回では、「打ち捨てた仕事」と言っていたから、まさかこんなにも小さいときの話が始まるとは思っていなかった。いや、しかしこの感覚はわかる。私も小さい頃、それこそ小学校1、2年生のとき、自分が眠りに落ちる瞬間、その境を見極めたいと思っていた。これは好奇心からではなく、むしろ恐怖からだったかもしれない。自分の意識はないのに確実に外の世界の時間は進んでいる。眠るとき、ひとは自分を世界の何者かに委ねている。それはいい。けれど、自分が、その何者かに自分を委ねる過程、それを知らずして身を預けているとしたら、それはなんだか、とても怖いことのような気がする。

 しかし、私はついに、その境を見ることはできなかった。「わたし」も同じだった。

 わたしは思わず瞬きをしたにちがいない。閉ざされた瞳には、すでに眠りがのしかかっていた。不注意なその一瞬に、影のかたまりはわたしに気づかれることなく背景から身をはがし、わずかだが一息にこちらに迫ってくる。(同)

 眠りに落ちる瞬間を、いや正確にいえばそれを見ることはできないのだが、なるほど、このように表現することができるのか、と感心する。この「思わず瞬きしたにちがいない」というところが良い。この「ちがいない」という判断は、もちろん昔話の「わたし」ではなく、語りの現在の「わたし」のものだ。過去のことを語るとき、それは昔を懐かしむ、といった感傷的なものにもなりがちだが、この一言によって、あのときの自分はその瞬間を絶対に見てやるぞ、と思って目を強く見開いていたんだ!という、現在にまで残る意気の強さが伝わってくる。「波先がわたしのほうに近づいてしまってから、ようやくその前進に気づく」と表現される眠りの影の認識は、これもまた消失が出現に先立つ、猫的なものの認識だ。つまり、ここでは眠り、あるいは「世界がほんとうに消えてしまう瞬間」も、また猫なのだ。

 ここで、子どもの頃の数々の遊びが語られ始める。最初は、日本でいう「だるまさんが転んだ」で、それは「一、二、三、太陽!(アン、ドゥ、トロワ、ソレイユ!)」とオニが唱え、「一、二、三」でほかのひとはオニに近づき、「太陽!」と叫んで振り向いたときには、止まっていなければならない。このとき「わたし」は、「世界に光をもたらすとされる最後の一語「太陽!」は、ふたたび世界が不動になるという合図だった」と、この遊びを分析する。翻れば、世界は光なき闇のあいだに動く、ということだ。

 その後、鬼ごっこや高オニ(高いところにのぼっている間はつかまらない鬼ごっこ)、ドロケイを思わせるような遊びが語られるが、これらの遊びは、どれもルール自体は同じだ。異なるのは細かいところだけ。たとえば「オニ」の名称のようなものだ。

 どんな遊びも、ルールはほぼ同じだった。オニのことは、猫と呼んだり、鷹と呼んだりした。蜘蛛と呼ぶことさえあった。(33頁)

  また猫だ。しかも、いろいろなヴァリエーションがあったと言っていた割に、そのあとではオニ役は「猫」に統一されている。やっぱり猫なのだ。猫=オニは、私たちを「猫」側に引き込もうと、虎視眈々と狙っている。

 それにしても、薄々感じていたことではあるけれど、この作品はいったいどこに向かっているのだろうか。もしかして、延々とこのような断片的な随想が続いていくのではなかろうか。

 そう思っていると、ややハッとさせられる一文にぶつかった。

 もうかなり前から、休み時間の小学校の近くを通って子どもたちが騒ぐ声を耳にしても、何をしているのか見たいという気持ちはわかなくなった。(34頁)

 この「かなり前」というのがいつくらいのことなのか、さっぱりわからない。というか、そもそも「わたし」の年齢もいまいちわからないのだが、それはともかく。この一文には神妙な悲しみや諦念のようなものが滲んでいるように感じられる。このような言い方をする、ということは、昔は子どもたちがしていることが気になり、見てみたいと思い、あるいは実際に首を伸ばして見ていたのだろう。その気持ちがなくなった。それは単純に老いによる心身的な腰の重さ故なのか、それとも、子ども自体を避けるようになったからなのか。どちらにせよ、なにか決定的になる出来事があったのではないか、と感じるのは私だけだろうか。

 

 すべての輪郭が消える夜中、この「ビッグゲーム」が再開する。暗闇から現れるなにかを見定めるため。かつて「世界がほんとうに消えてしまう瞬間」を見ようとして見られなかった「わたし」は、ここでもそれを取り逃がすだろう。

 あの何ものかが奥底からとつぜん現れたのは、わたしが眠りに落ちようとしていたときのことだ。名前を与えることもできず、粉々になった単なる影として姿を現していたそのものは、闇夜のほかの部分よりも黒々とした物質でできた一種の雲となって床の上を漂っていた。素材が微かに光を放っていたのは、おぼろげな反射に照らされていたからだ。それが沈黙のなかを感知できぬほど緩慢に進んでゆく。それに触れられる瞬間をわたしは望んでいたのか、それとも恐れていたのか、わからなかった。だがそのときはけっして訪れなかった。というのも、それを間近に感じたその瞬間に、わたしは眠りに落ちるからだ。(35頁)

  この「何ものか」が「世界がほんとうに消えてしまう瞬間」であり、そして「オニ」であり、つまり「猫」であることは、もはや言うまでもないだろう。

 5頁という、ほかの章よりもずっと短いこの章は、昔話をしたり、子どものときに遊んだ遊びを詳しく説明したりしながら、じつはずっと、この等式「何ものか=世界がほんとうに消えてしまう瞬間=オニ=猫」を、繰り返し繰り返し描写していたのだ、と言うことができるだろう。そして、それを手にすることができない、ということも。

 だから、最後もこのように締められる。

おぼろげには感じたものだ。もうちょっとで、そいつはわたしに触れ、わたしを自分の仲間に、猫つまりオニにしようとしているのだと。それなのに、それ以前にみたいくつもの夢の虜になっていたわたしは、口がきけなくなっていて、言葉も叫び声もあげられず、ベッドのなかで「のーぼった!」と宣言することすらできないのだ。 (35頁)

(第5回に続く)

 

(宵野)